2018年2月19日月曜日

20180219 科学は無と無限を認めない

昨日、twitterのアカウントが残っているのを見つけて、削除しました。これで、facebookとtweitterのアカウントはなくなったはず。
ところで、このタイトルの「科学は無と無限を認めない」ということについて。この宇宙には複数の次元が存在している。そしてこの階層的次元の間には、つなぎとして、無と無限がある。なので、そのまま地続きで移動はできないようにできている。
科学の場合、究極の物質は何かという時に、それを点にしてしまうと、サイズは存在しない最終的な点になってしまうので、これは無と同じになる。すると、計算上では、無には、無限が張り付くことになる。たとえば無限重力とかだ。
ここで、数学は完全に無力化されるために、究極の物質ということについては、原子、陽子、クォーク、超ヒモという具合に、次々に微細になっていくにもかかわらず、ゼロという概念を先送りした。超ヒモも、点ではなく、線で、ゼロではない。いまのところ、ゼロというものはまだ存在しないと考えられている。
これは最後の最後まで、認識の地平線を同一なまま押し切ることを示している。物質界、エーテル界、アストラル界、メンタル界というふうに複数の次元がある時に、科学は最後の最後まで、「物質の究極」を追いかけるという点では、物質界の範囲の中にある。超ヒモという段階でも、これは物質界。この物質界の探求が息果てて、無になった段階で、次のエーテル界に開かれていく。
このあたりは、科学の「対象化されたものだけを認識する」という二極化が原因で、先に行けなくなっていると思ってもいいのではないか。
無と無限をずっと先送りにするということは、つまりは変成意識を認めないということにもなる。変成意識は、いままでの意識が凍結して、違うレベルに入ってしまうことだが、これは無と無限の壁の「最初の一段目」を乗りこえることを意味する。座標崩れというか、科学の視座が、ここで折れてしまう。変成意識は、つまりは1足す1はゼロというようなロジックにもなりかねないので、数学という「現世的、現代的ロゴス」が成り立たなくなる。
二極化。無と無限。このあたりの原因を追求するのが、おそらく一番大きな成果をもたらすだろう。

わたしができるかぎり、可能な限り暇になりたいと思うのは、現世とのかかわりを、できるかぎり効率化したいということから来ている。で、現世とのかかわりが無駄がなくなり、効率的になるほどに、異次元とのかかわりが増加する。お金をたくさん儲けるのは、あきらかに現世とのかかわりが濃くなるのは当然だ。お金は、この社会が作り出した架空の価値で、いまは仮想通貨というのがあるが、リアルなお金も、実はそもそもが仮想通貨だ。わたしが現世とかかわりを、できるかぎり簡素にしようとする時に、予想以上にお金が儲かってしまうのは、現世がわたしを引きとめようとしていると解釈しても良い。でも、別に去る気はなくて、むしろ異次元と現世などを行き来するという生活を確立するのが理想的と考える。
ヤフオクで落札したレコード箱の中には、ぼろぼろのものもあり、埃にまみれているものもあり、クリーナーは必要不可欠です。下の写真のものは頻繁に使います。
コリン・ウィルソンは、本とレコードとワインに囲まれた中で暮らしたい。そのために本を書いて稼いでいると書いていたが、少なくとも、わたしは今はレコードに囲まれており、(製作意図の不明な)謎のレコードなども発見する。





0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。