2018年10月31日水曜日

20181031 夢の応答性

グルジエフは、睡眠時にはそれぞれのセンターがばらばらに働き、このどれかから漏れたものが夢なので、夢にはあまり意味がないと言っていたが、情報というのは異なるセンターの接触による落差から生成されるのでそうかもしれない。というよりも、これは通常の人の5つのセンターの話で、高次なセンターから漏れ出た情報としての夢はむしろ重要になってくる。で、眠る前に夢に問いかけをするという記号化をしてみたが、すると、目覚める前に、男の人がタバコを吸いながら、ちゃんと問いかけは受け取ってるけど、期待どおりに答えるとは限らないんだよねと言う。そりゃそうだよと思った。期待どおりだとまた楽しくない。で、一枚の紙幣にメモを書いて渡してくる。あ、これか。紙幣というのは国の通貨で、国によって違う。そこにメモがある。だから、夢の階層によってそれぞれ言葉が違うので、期待通りの返答にはならないということを言ってるのですね。それぞれの階層においての語法を翻訳する手続きを確立すると良いと思われる。夢辞典とかは全部ごちゃごちゃですが、たとえばエーテル体とアストラル体では、同じ映像を指しても意味が違うんですね。今のところ体験では問いかけをすると、夢はかならず答えてくることは確認したが、これを繰り返すとなんとなく身体が不安定になります。建物で言うと、地盤が揺らいでいるような実感です。ついでに言うと、目覚めの前、そしてタバコということで、この男の人はエーテル界にいる。十分に物質界に近い次元。エーテル物質はたばこの煙にたとえられる。糸を吐き出してる。これからしばらく連絡役してくれるかな。

2018年10月30日火曜日

20181030 スターピープルwebに掲載

今日、スターピープルwebでわたしの星人語録がupされました。わたしって星人だったのか。公的メディアで、あからさまに星人と言われると、今後の対応考えないとと思ってしまう。太田久氏のことも書いた。

http://starpeople.jp/seijingoroku/20181029/1735/

2018年10月29日月曜日

20181029 ディセンションはとくに悪いことではない

地球のディセンション計画について、それを間違ったものとか否定的とみなす権利は誰にもない。人間的に見ると悲惨だが、法則的に見ると、それはひとつの方向を推進しているに過ぎない。たとえばロングは、14000年前に地球に暗黒の時代が訪れることを予測してエジプトからハワイに逃げた人々がいて、それがカフナの先祖だと説明するが、これもディセンションの節目だ。ここから今日主流の西欧文明のようなものがはじまり、物質主義的世界になった。歳差の周期はおおよそ26000年だとして、これを昼と夜にわけると、13000年の昼と13000年の夜になるが、これを平面的に繰り返しているわけではなく、上昇していく方向と、下落していく方向に分岐する。人に平行線はなく、常に上昇するか下降するかしかない、というものの地球版だ。つまりこの昼と夜の上位にパイロット波があり、これによって昼と夜の切り替えを利用しつつ、上に行く方向と下に行く方向に誘導される。12個ある地球は、2200年のプラトン月の性質に投影されていくようで、それぞれの時代を別地球を理解するための参考にしていくのもいいのではないか。シュタイナーは、ヨガは第一期の文明のものなので、現代人にはあわないので使わないほうがいいと言ったが、別地球のことを考えると、ヨガ地球みたいなものがあると想像してみるのもいい。ノストラダムスは人類は流木のような存在と言ったが、これは川の流れに運ばれる、すなわち時間の一方的な方向に流される生き方をしていることを示していて、その先に滝があっても、それを避けることはできない。霊界では時間は空間のようなもので、自分の足で歩かなくてはならないという話だが、これは流木ではなくなったという意味なのだ。物質界は一方的な時間が流れている。エーテル界はそれにたいして反対の時間の流れをぶつけてくる。より上位の存在は、この対消滅するような場の上を火渡りみたいに歩いている。

みずがめ座の時代という言い方があったが、この時から至福千年王国が訪れるという話もありました。両方の方向があるので、反対の行き先もある。つまり切り替え時には常に方向がふたつになる。2200年周期というのは、だいたいいつも183年の調整期があり、そこが混迷する場でもある。でも一番大きな切り替えは、春分点、秋分点という「陰陽帳消し、ゼロポイント」にたとえられる13000年周期切り替えポイントだ。大きな穴があいていると考えてもらうといい。カフナの先祖がエジプトから逃げ出した時の180度時期がいまかな。スフィンクスが顔を向けている金華山に、古い時代の連中がやってくる。東日本震災で、もうやってきたんだけどね。

2018年10月28日日曜日

20181028 インテューションとインスピレーション

H24をインテューション、H12をインスピレーションと分類することもあるらしいが、小説の神様とたとえたH24の意識状態は、普通の言葉のレベルで加工が可能。言葉の羅列の中にエッセンスないしは実体としてH24があるということなのだ。しかしH12となるとまず言葉の加工が難しく、また通常の具体的な言語というものに落とし込めず、かならず象徴言語になる。通常の思考では、それを直接理解できず、説明を求めることになる。イエスの言葉はほとんどがこのH12言語なので、例の一匹の羊の話にしても意味を聞かないと何を示しているかわからない。そしてH12言語はこの説明を決してしない。直接理解しなくてはならないからだが、H12は個人性が除去されているので、その点で個別なケースに落として説明しない内容なのだ。数日前の夢では、H12の創造連鎖についていろいろ話を展開してもらいたいという要求があったが、まあ夢で出てきたら、わたしはかならずそれを数ヶ月以内にやってしまうので今のところ放置しとく。能動、受動、結果ということでは、H12が能動因子になると、素材はH48であり、子供はH24だ。H24がインテューションなら、ここでは休みなくインテューションが発生するということだ。多くの場合、インテューションの嵐がやってくると神経的に耐え切れなくなり、脱落を望む。「普通の暮らしがしたい」と言い始める。わたしがイスラムの礼拝風景が好きなのは、少なくとも日常の生活の中にH12を垣間見る時間を作る余裕があるということだからだ。すると生活の中で、ちらちらとH24があらわれる瞬間がある。たとえきれぎれであれ、それは生きる力だろう。人間の平常の意識速度はH48だが、それはH96に飲み込まれる不安を感じている。道を歩いていてもディプレッションの穴はそこかしこにある。しかしH24は必ず打ち勝つ。というよりもH96を食料にしようとする。H96の穴に落ちるのでなく、H96を食料にすると、お腹にパワーがたまる。H24が強くなると、だれかとの会話にしても、そこにかならず新発見とか洞察というものを作り出すというよりも、作り出さざるを得ない。いつも突っ切っているという印象だ。グルジエフは生徒が寝ようとするといつも起こした。理解した、I got itとなった直後に、たいていの人は寝ようとする。するとグルジエフは不機嫌になり、揺り起こす。自分をキープするにはどうしてもそうなってしまう。わたしが毎日原稿を書いているのは、ラビのお祈りのようなものだ。

2018年10月27日土曜日

20181027 書き物の神様

田口ランディ氏が、ずっと前に、小説の神様が降りてくることについて話していた。毎日書いていると、待ちの姿勢でなく、安定して小説の神様が降りてくる状態になれる。書き物の神様と言ったほうがいい、小説が嫌いな人もいるので。この書き物の神様はH24のことです。最初はこれを呼び出すのに毎日何時間もかかるが、習熟してくると数十分でやってくる。ジョン・C・リリーはこれを専門家的悟りと呼ぶが、プロはみんな仕事をはじめてすぐにこの意識状態に到達する。なんでもこい、どんなこともできるぞ、という気分になる。これは知恵の神様なのだ。本を読まないでも理解がやってくる。わたしたちは地球人なので、平均的な意識は低速な思考H48であり、ここではキレギレにH24がやってくる。しかしH24を中層重心にした存在状態が、つまりはスタピ、仙人でもある。エーテル体H96を対象化した存在なのだから。H24を重心にした生き方を確立するために、わたしたちはなんでもいいから、何かの仕事でプロになろうとする。いかなる見落としもあってはならない。完璧でなくてはならない。自分の個人的な調不調はまったく関係ない。ましてや気分には振り回されないのは当たり前だ。


2018年10月26日金曜日

20181026 動画作った

本の原稿は終わったので、久しぶりに動画を作ってみました。冥王星・海王星・天王星についてであるが、とくに海王星のサビンなどを利用して、自分のアストラル体を探索してくれというようなことを言いました。この作業はほんとうに楽しいですよ。永遠性に続く夢の身体を模索する。こんなに楽しいことはないのでは?この探索は、18月のカードであり、新脳は寝ていてくれなくてはうまくいかない。旧脳はざわざわして吼えている。その中を古脳の中から、ザリガニがあがってくる。なので、これは夢の探索でするしかないですよ。

https://vimeo.com/ondemand/sun20181026

2018年10月25日木曜日

20181025 李白

今日、さっきスタピweb版の原稿を担当者に送りましたが、詩仙・酒仙として知られる李白は、湖面に映る月を取ろうとして溺死したという伝説について少し書いた。実際には62歳で自宅で死んだということになっているが、仙人ボディとしては、湖面に入り込んだというほうが正しい。残された抜け殻は自宅で死んだ。わたしは高校生の時、マーラーの大地の歌を聞いてから李白にはとても愛着がある。で、エーテル界を7つに分けたとき、二番目の地球というのはあたかもスワディスタナチャクラみたいな地球。李白はそこに移動した。この地球と第二地球には、あちこちに通路があり、部分的に重なっている面があるので、近づきやすい。でもポータルの地図を見せると、その後すぐに場所が変わるので、まるで虹のふもとの金の壷のありかを教える妖精おじさんみたいに、一筋縄ではいかない。その場所を探すのはとても楽しいのではないか。たとえばわたしが教えると、その後すぐに違う場所になったりします。本の原稿も昨日書き終わったので、また動画作ろうかなと思っています。
追伸:モネの絵は、エーテル体がかなり拡大しており、そもそもが有名画家というのは、絵顔に重ねて、エーテル体を描くもの。それがないのが平凡な画家。やっぱりラッセンよりゴッホが好きと思うのは、ゴッホのエーテル体描写のすごさ。わたしがバーンズをエセ画家と思うのは、物質に迎合する、物質体にはりついたエーテル体を描こうとするから。実は有名画家の描くエーテル体って、物質に迎合してないんだよね。物質表現としては完璧なまでにバランスを持っており、そこから離れたエーテル体を描いている。つまり彼らは見えないものを描いている。多くの人はそこにひきつけられるが、それが何なのか理論的に説明できない。

2018年10月24日水曜日

20181024 おとめ座は視覚

12感覚のうちおとめ座は視覚。これは思考の投影であると言われているが、視覚は何かをくっきりと見る時に、くっきり見れば見るほど、こんどは見ていないものをくっきりさせる。そして通常のおとめ座は白黒、虚実をはっきり分離するが、発達したおとめ座は、見えないことで裏に隠したものも意識する。あれを見ていることは、あれでないものを見ていることも同じというふうに表裏が共存すると、おとめ座の縛りから開放された高度なおとめ座になるのだ。で、エーテル体では男は女の、女は男の身体を持つと説明したが、蝋燭の光の中で、鏡を見ている時に、鏡の周囲に、あるいは映し出された自分の顔の横に、そのエーテル体の裏の自分が出てくるというのは、発達したおとめ座を持たないことにはなかなか見えてこない。未発達のおとめ座は、表にある映像以外は存在しないと決めつけ、見えないものが侵入することに強い恐怖を抱いている。ゆえに、わたしはおとめ座の性質とは何か?というときに、恐怖と答えることもあるくらいだ。違う言い方をすると排他制御。裏を意識できる発達したおとめ座は恐怖を克服している。この恐れの問題はおとめ座のサビアンシンボルでは、10度の影の向こうを覗くふたつの頭というものに表現されている。反対側にあるうお座の10度は、この影すなわち雲に隠れてその向こうを旅する。物質の裏はエーテル体という初期段階のあらわれかたのなかでは、この裏を見るという技術が発達すると、そこに天国への階段が置かれていることを発見する。おとめ座は絶対にそれを見ようとしない。しかしもう一度言うが、見ようとしないということは、その態度の裏側では、しっかり意識しており、むしろ誰よりもそれを見ようとしているということに等しいのだ。わたしたちは視覚に支配されていることが多いので、この視覚は常に表と裏を作り出していることを知ると、これを応用して、非常に多角的なことができることを理解する。そして恐怖をうまく手玉に取ると良い。それは開閉弁だ。

2018年10月23日火曜日

20181023 アセンションとディセンション

精神世界ではアセンションする地球については話題に上がっても、ディセンションする地球についてはなかなか話題にならない。ひとつのコスモスは上に無、下に無限があり、この無と無限に挟まれた区画がはっきりしており、ここから外には誰も出たくない。どんどん源流に戻ると、わたしたちは無としての絶対の意識に近づく。このためには分裂・分割を続ける創造に反対しなくてはならずバルベロ・グノーシスのように、世界を全否定していくのが正常なコースかもしれない。人類は混血を繰り返して、どんどん分割魂になってゆき、個人の価値はまさに虫のようになって行きつつあるが、これは無限に近づきたいということから来ている。無と無限は反転しているが同じとみなすことも可能だ。天国の果てと地獄の果ては同じ。ディセンションする地球はどんどん重くなり、個人の力はどんどん薄弱になり、AIに乗っ取られるが、無限に近づくことで無に近づこうという計画の線上にあるもので、停滞でも堕落でもなく、「理論上はわかっているが、実際にこの先進めるとどうなるんだ?」という感じで進んでいる。この計画はあまりにも酷なので、嫌な人は早く逃げ出すべきである。ディセンションする地球について、ドストエフスキーは夢うつつで考えていた。かつて、オリオン種族は戦いと分裂を繰り返したと説明されていたが、この古い説をそのまま真に受けたのはリサ・ロイヤルでもあるが、ふたご座とオリオンが重なっていた時代があるからかもしれない。ふたご座は3の数字で、それは創造と分岐を果てしなく続ける性質であり、この無限の闇に対する憧れの気持ちを持つケースは多い。あらゆるものは無価値でゴミ。ふたご座はこういうことを言われると最高に気分がいい。シュタイナーはオリオンは融合の印と言うが、無と無限の関係を考えると、分裂と融合は同義語。シュタイナーはオリオンをかに座と考えていた。ディセンションの目的で、男女の区別も作ったということを理解してほしい。プラトンはこのことに詳しい。知恵のある人。

2018年10月22日月曜日

20181022 日本を世界中の統治国に

子供も生まれないし、年寄りは死なない。日本はこれから人口がどんどん減っていくのはとても良いことだと思われる。で、日本はやはり蓬莱国に戻るのが良いよ。徐福は秦の始皇帝をだまくらかして、日本に逃げたが、あながち嘘でもない。日本は未来世界のテストケースとして使われる。この場合、まずは世界中の国が、日本のどこかを自分の領地にして、世界が日本に集まり、日本が世界の縮図になるといい。日本特有のものは、ごく小さな区域にまとめ、それ以外はすべて諸外国の持ち物。オーストラリアはやはり四国をぶん捕る。そこには空海とアボリジニーが住むべきだ。で、そのように世界中が日本にエーテル体を置くと、統合化された上位のものが日本に宿ってくる。日本が日本固有のものを主張した場合にはこんなことは起こらない。日本は日本固有のものを最後の一滴まで捨てるべきなのだ。歴史も伝統もすべて捨てよう。とはいえ、これでは地球がアセンションしたものと、ディセンションしたものに分かれるということとあわない話ですね。統合化された日本はアセンションした地球にあり、日本固有性を主張したものは、ディセンションした地球にあると考えると良い。秦氏も多くの旧家もこの悲願のために日本に渡ってきた。北方領土を取り戻すとかの話をしているが、ロシア領にしたほうが良いです。和牛はオーストラリアで育てると良くて、オーストラリアの特産品にするべきである。

2018年10月21日日曜日

20181021 女性はおじさん

物質肉体で女性だと、エーテル体ではたいてい男性になりやすい。これは物質体とエーテル体が裏表のように見えているから。現実にはエーテル体は裏ではないし、物質体とのツインでもないが、物質体重視という世界観では、このようにエーテル体は裏的に見られやすい。でも物質体は一瞬で死ぬし、エーテル体はずっと生き残るので、物質体がプライドを持つというのはあきらかにおかしな話で、いったいどうしてこんな異常な発想になってんの?と思います。それはともかく、肉体として見た女性は、エーテル体ではおっさんです。人を平気で殴ったり蹴ったり、人にガン飛ばしたりしています。反対にがちむちの男性は、エーテル体ではかぼそい女の子です。大切にしてあげないとすごく傷つきますよ。肉体とエーテル体は時間の進行が反対なので、子供の時エーテル体は老人で、肉体が老人になると、エーテル体は元気な子供。ベンジャミン・バトンです。だんだんとおじさん化してくる女性は、エーテル体がより強くなったと考えるべきかもしれません。エーテル体が弱く、肉体レベルでの女性ということを過大重視すると、女性性にこだわるかもしれませんね。結局最終的には、物質体とエーテル体がひとつになって、女性とか男性とかそういうものはないということになるのが本来性です。地上生活においては、生活に活気を持たせるために二極化が必要で、このために男性と女性を作ったのです。この性別を作り出したのはひとつの実験であり、アトランティス後期にセラフィムがその実験を推し進めたのですが、残酷すぎるとして非難ごうごうでした。その後、さらに女性をふたつに割るということが行われました。分割というのは常に地獄に落とすというようなものなので、悲惨で残酷ですよ。性差を作った時、こんな痛ましいことをして、その意図は何か?と多くの大天使から問われたけど、もちろん世界をもっと多様にしようという意図に違いはありません。

2018年10月20日土曜日

20181020 Jensen

JensenのC8R-8の箱入りをヤフオクで手に入れました。これに6BM8の三結(最大出力1.5ワット程度)のアンプを組み合わせると、なかなかいい雰囲気。昔のラジオの音。radiko聞くのにいいですね。MilesDavisあたりもこれがいいです。4ウェイマルチのミッドバスにrotelアンプを使っていますが、なんとなく気になる。rotelアンプはいままで10台以上使いましたがやはり癖が強い。ユニオンのお店の人は、ローテルはひずみぽい音がするのであまり扱いたくないと言ってましたが、確かにそういうトーンですね。ひずみはないが、ひずみぽい音に聞かせてしまう。でもわたしはrotelを長く使っていたので、ローテルユーザーであり、ローテル全廃もしたくない。4ウェイには組み込まないことにして、違うセットに使うかな。どれかひとつは使いたいんですよね。C8R-8はダイヤトーンのP-610に似ていると言う人がいますが似てないぞ。中学生のころ、パーマネントスピーカーよく使いましたが、こういう時は箱なしで裸で鳴らしていました。C8R-8はそれを思い出すんですよ。

20181020 舞踏はH24

ダンスをするとH12が強まるのかということを聞かれましたが、H12、高次な感情、アストラル体は個人性がないので、個人の動作などによって強まることはありません。つまり開発のメソッドはないということです。ダンスは動作に関係し、これは動作・本能センターのH24を強めます。フラメンコはずいぶんとH96が濃いなと思いましたが、濃い悪意や恨みに近いH96を、フラメンコはH24に変換するのです。つまりH96を食料にしています。ロマの洞窟でそんなことをしていたのです。癖のある動作は癖のあるH24を作り、それは上昇するのに障害が出てきますが、癖を矯正した動作は昇華可能なH24となります。つまり蓄積されるとH12の温床となるのです。H12は個人性がない。ということは、個人性を意味する癖は、H12につながらないので、H24動作練習では徹底して癖を取り除くといいでしょう。癖を矯正した動作とは、つまりはうまく作られた舞踏です。それを習得することに多くの人は苦しみますが、この練習の中で個人の癖は減らされます。その中で形成されていく癖ではない個性とは、H12のアーキタイプの鋳型に通じていくのです。アーキタイプの個性には個人性がありません。癖と個性は違うということをはっきりと認識する必要があります。考え事をするのはH48で、考えこむ人は、リズム感もなくなるし、動作の癖もひどくなり、まともな舞踏ができなくなります。動作の癖は思考の癖で、また感情の癖です。わたしは日本国憲法図では天王星がふたご座の22度にあり、これは田舎踊りというサビアンシンボルで、日本がエーテル体(H24)を思い出すには、田舎踊りをすると良いと言いました。田舎踊りは単調であるのが良くて、よさこい踊り、阿波踊り、そして日本の国民性にしごく似合っているパラパラがいいです。DA PUMPのUSAはどうなのよと思いましたが、すぐに廃れるはずなので、話題にしないほうがいいかもしれません。腰を叩くのをKARAパラと言いますが、これはずっと続くリズムにちょっと妨害になるので、それよりも単純なパラパラのほうが優れているでしょう。単調な動作が続くとトランス状態に入りますから、理想の舞踏とは阿波踊りではないでしょうか。北海道を頭にすると、腰あたりは高知で、動作センターの腹から腰ということを考えると、よさこい踊りも良いね。東京駅などで、フラッシュモブパラパラなどすることは国民性をまとめるのに良いかも。アホ(阿波踊り)ちゃいまんねん、パーでんねん、ということで言うと、ともかくパーで。

2018年10月18日木曜日

20181018 リリスは出雲系とか天狗族

新しい本にリリスについて入れたけど、特別に書いているということでもない。この本は来年出るかもしれない。ブレイディは、女性力、リリス、クンダリニ、アルゴルを結び付けているが、リリスはまずジェンダーがない。クンダリニも女性的な力を使うと、ほとんど開発されない。スシュムナという中性的ラインなので。女性の性力とクンダリニを結びつけるあたりで、ブレイディはクンダリニの実体験がないんだろうな、というのはわかる。アルゴルはよく爆弾と結び付けられるけど、これはクンダリニ的。ジャンヌ・ダルクのクレージーなトランスは、アルゴルと直結しているとブレイディは説明するが、これはクンダリニの爆発に近い。ブレイディのパランだと、木星とアルゴルがジャンヌ・ダルクですが、わたしもセッティングでは、つまり今、太陽とアルゴルのパラン持ってる。なのでなのか、わたしのアカシックリーディングをした人が、わたしは前世で爆弾作りをしていたと言っていた。はっ?と思ったけど、匂いがあるんでしょうか。女性のオーガズムは男性でも使えるけど、社会教育として語られていないだけで、身体組織には同じものがあるので使うことは可能。クンダリニを女性力と結びつけてしまうと、死に目にあうというのは、古いヨガ師匠などは話題に出していた。男性力と結び付けても死に目にあうけどね。わたしの近くには九尾の狐がいて、これはわたしよりも身長が高いのを、ある朝見た。わたしが子供のころいたのは、山口県の下松市で、クダラの亡命者たちがいた場所。で、彼らは九尾の狐を持ってきたと言われているので、それがわたしのところにいたわけですね。九尾の狐はクンダリニ、あるいはアルゴルそのものの象意であると考えると良いと思われる。このあたりに原爆が落ちたのと、九尾の狐、アルゴルなどは関係しやすい。九尾なので、9年で一回転するリリスと結び付けてもいい。ついでに、9年壁に向かうと、魄身体ができる。わたしがクンダリニのことをしつこく書くのは、20審判のカードがクンダリニそのものを示しているからだ。多くの人が憶測で語るので、クンダリニについての正確な知識はあまり流通していない。薔薇十字は物語、ヨガは機械論として扱うシステムなので、ヨカで説明されるクンダリニも思い切り無機的な解説になって、これも誤解を呼ぶ。


2018年10月16日火曜日

20181016 録音か録画をする夢

今日の夢は100人くらい入るサイズの会議室とかにいました。仕切っているのは北野タケシで、これからDVDを作ろうとしているらしく、わたしがこの中で録画か録音をしなくてはならない。どうもわたしは勝手にタケシ軍団に組み込まれそうです。これは昨日、わたしが19太陽のカードのことを書いたことに関係しているようです。北野タケシはわたしの記憶の中では山羊座の代表みたいなものだし、会議室という部屋も山羊座そのものの象徴です。社会とはこういう狭い部屋でもあり、共同体をあらわしています。かならず社会のサイズについては明記しなくてはなりません。漠然とした社会というのはないからです。火星・木星・土星は、外の世界への誘い出し、夢見、行動の三つのリズムですが、同じように冥王星は外宇宙からこの世界への誘い出し、海王星は夢見、天王星は行動で、天王星はじっとしていることはなく何かするのです。しかし天王星が何かするとき、それはかならず土星の信念体系などを傷つけることになります。で、夢の中では天王星としての立場のわたしは録音か録画をするのですが、天王星の立場としては、従来の考え方を傷つける新規なものを打ち出すことになります。天王星は土星を容認する、黙っているということはまずありえないです。これは土星が支配星となる山羊座のあとには、かならず天王星が支配星となるみずがめ座がやってくる、つまり天王星は土星を切り崩すことを意味します。で、夢の中ではわたしは録音する気満々で内容について考えていました。この日の前日、2月11日、わたしは北野タケシと打ち合わせしています。2と11ということで、タロット式に言えば、同一化と、分離ということについてがテーマかもしれません。2のおうし座と山羊座は120度の協力関係で、どこかひとつの人格タイプに同一化することで社会の中に組み込まれます。みずがめ座、天王星はそれの引き剥がしですから、つまりはテーマとしては入れ歯みたいに、つけたり、はずしたりということです。
部屋の中にいるので、この内部で、切り崩しをする内容を録音するということでしょう。そもそもみずがめ座、天王星は嗅覚をあらわし、これは硬い物質が腐敗して、匂いが拡大することでもある。山羊座を腐敗させても、また発酵させても、ひびを入れてもいい。やりかたは自由ですね。

2018年10月15日月曜日

20181015 ふたりの子供の鏡像構造

火星・木星・土星の三つは、鏡のように、冥王星・海王星・天王星と対応しているので、19太陽のカードのふたりの子供を、この三惑星のセットふたつに対応させると良いのではあるまいか。土星期が終わる70歳までは、もうひとりの子供は隠れておとなしくしているが、天王星期になると、形勢が逆転し、天王星が土星的肉体を飲み込み始める。今の社会では、一生働けというふうになっているが、惑星の年齢期をあてはめ、天王星期以後は、社会には貢献しない、社会に組み込まれないという姿勢を打ち出し、たとえば天王星のサビアンシンボルなどを参考にして、生き方を明確にしていくのがいいのではないか。冥王星は恒星の受け皿なので、冥王星・海王星・天王星が、19太陽のふたりめの子供の姿だとしても、恒星との結びつきがはっきりしないことには天王星の力もちょっと弱い感じにはなりやすい。恒星の力を受け止めた冥王星に従う天王星は、きわめて強気だ。生涯現役社会というコンセプトは完全に間違ったもので、天王星期以後も、人は元気だが、というよりもはエーテル体的には、いままでよりもはるかに元気だが、土星までの基準にあわせる必要などまったくない。むしろ天空からの侵入者としての行動をするのが良いだろう。
早めに仙人になる人は、天王星期をもっと早くしてもいい。天王星とは、恒星の意図を太陽系の中に、地球に持ち込む出先機関だと解釈してほしい。この場合、天王星以後はヘリオセントリックのほうが力を握っているということも注意。なぜなら地上からの視点など必要はないのだから。
ps.ところで憲法改正がどうのという話題が出ているが、そもそも日本国憲法は日本人が作ったものでなく、マッカーサーが作ったものだ。で、マッカーサーは明治憲法は民主主義的でないと言ったが、マッカーサーとかアメリカがいう民主主義というのは民衆が主権を持つように見えて、実は資本家が支配する世界にすぎない。だったら天皇が支配したほうがよほど平和的で、マシだと思う。そのほうが世界は荒廃しない。でもわたしは右翼ではないよ。民主主義よりはマシだと言ってるだけ。民主主義は実体がない。流木のような生き方が主導権を握ることはなく、印象操作をしている者が主導するだけの話なんです。


2018年10月14日日曜日

20181014 集団探索では個人的体験はできない

大きく見ればQHHTもパスワークもヘミシンクもあまり変わらない。ただこれらはみな身体から離れて、拡大意識に入るので、こうなると個人の枠というものは消えてしまうので、たとえば集団でセッションした時には、それぞれが別個の探索をするというのが難しくなる。なのでパスワークのノーウィッキとかは、霊的に違うタイプの人が混じると、全員のヴィジョン体験をかく乱し、その傷が何年も残るケースがあると言う。いつものようにヨーロッパは神経質で、アメリカはアバウトなので、アメリカ産のヘミシンクはそううるさくはないと思うが、それでも集団で取り組むと、その中で仕切る人がいて、つまり振動密度が高い人がほかの全員を引っ張ることが増えていく。一番影響が強いといえば高次思考センターが覚醒している人がひとりでもいると、全員の恒星探索は確実性が高まるが、この高次思考センターの持ち主の故郷の恒星関連のネットワークに行く以外はできなくなる。理屈としてひとり恒星軸を持ち、ほかの人がそれを持たない場合には、この恒星軸を持つ人に全員が従うほかはない。全員がその腹の中を移動する。個人がそれぞれ自由に探索できるというのは物質肉体の生活でいえる話で、いったん肉体から拡大して、肉体性が除去されると、ここには個人、自由、それぞれの方向などいうものは根底から存在しない。別個の個人存在というのは地球オリジナルであって、宇宙存在はこの珍しい事実を興味津々で観察するが、それは地球人が物質肉体に閉じ込められて、自分から近いところしか見えていないということでもある。肉体から離れると単独で自分だけで何かするということが不可能になるが、高次感情と高次思考は、個人性が完全に除去されているので、知覚が宇宙地図に蜘蛛の巣のように張り巡らされていくと考えると一番実情に近くなるのではあるまいか。高次感情は太陽系にくまなく広がる。高次思考は太陽ネットワークに広がる。まずこういう宇宙地図に自分は全体的に拡大し、これが自分だと考え、この中でピックアップがどこかを示したり、また移動したりするが、このピックアップが自我というか、高次思考から作られた「仮個人」だと考えると良い。高次思考の目から見ると、個人というのはドットのひとつだ。ドットは近いところをぐるぐる回っているように見える。ドットは自身で遠くにいけないので、時々ピンセットで持ち上げて少し遠いところに移動させる。ドットはそこで仮死状態になるが、しばらくすると動きはじめるたぶんドットはその寿命の範囲の中では、自分の身の丈の三倍くらいの範囲しか移動しない。高次思考から見ると、ドットはたくさんあるので、ひとつが消えても気がつかないこともある。ほかにたくさんあるし、同じ色なので見分けがつかないのだ。

2018年10月13日土曜日

20181013 星の身体

男女にわかれた人よりも、両性具有者はより進化しており、その途上に変性女子とか変性男子があると書いたが、これは仙人身体というか応身にジェンダーがないことから来ている。16塔で星に飛んだ人は、戻ってくると必然的に本来の身体が形成されてくるが、それから比較すると地球人肉体は実は借り物だったことに気がつく。で、この星から戻ってきてできた身体は徐々に成長して強固になるが、その時地球身体と星の身体には微妙な違いとか、性格の違いもあることを自覚する。この使いわけをどうするか人それぞれだが、星の身体にはジェンダーがない。地球身体にはそれがある。なので、星の身体は地球の身体にとって影になるようなものも取り込んでいる。星の身体と地球身体は、惑星意識レベルに対応させると、天王星と土星の対比のようなもので、天王星的身体はそうおとなしくない。で、星の身体が徐々に固まってくると、達磨大師の場合には、肉体を飲み込んで「気化」することになるが、そうでない場合にも押しが強くなって、地球肉体を思い切って壊すような方向に向かうことが多いのではあるまいか。グルジェフがわざと危険な運転をして、最後に自動車事故を起こしてしまったのは、この星の身体が地球肉体を壊してしまえと、ハンドルを乗っ取ったのだ。神仙道では、応身を八割がた完成させた後は、寿命が来るまで待つという話だそうだが、星の身体が固まったら、それはあまり待たずに、ある日思い切った行動に出ることが多いのではあるまいか。地球人肉体から見ての寿命と、星の身体から見ての時期にはズレがある。星の身体がどのくらい成長したかは本人が一番わかっている。地球人肉体から見て重大なことも、星の身体からするとどうでもいいように見えることがたくさんある。地球身体と星の身体の対話は19太陽のカードに描かれているが、対話をすればするほど、星の身体は強くなってくる。性格も違うと書いたが、たとえばわたしの場合地球身体にはチャクラがあるが、星の身体にはチャクラがない。エビ星人は作ったほうがいいと言ってるが、作ったとしても、場所があまり固定されていない。原理的には7つの前は3つなので、3つだけでもいいのではないかと思うが。
原理的には7つの前は3つなので、3つだけでもいいのではないかと思うが。7つでなく3つだと、多くの人は頭と腰と胸だと思うだろうが、なぜか、真ん中は腰で、頭と足先と腰です。なんだマカバかよ、と思うでしょうが、たぶんそうです。最初このことに気がつかず、なんで腰かなーと感じることはあった。腰から、もうひとつ違う流れがあって、これなんだろうかと思っていた。



2018年10月12日金曜日

20181012 お金の無駄遣い

四元素バランスで言うと、地球生活というのは、土の元素が過剰に強調されているが、全員がそうだと、これがバランスだと思い込んでしまう。実際には土の元素をもう少し減らしたほうがいい。となるとお金に関しても、住居とかに関しても、もっと質素な方向に向かうのが良いが、基準として年収400万円はまだ多いのか少ないのか、そのあたりをなんとなく様子を見てみたい。いちおう2020年には六割の人がこのレベルになり、これをニューエコノミー族と言うらしい。日本人は人口が少しずつ減る。これはいい方向。企業は合併を繰り返して数を減らすとリーズナブル。外国人をたくさん輸入すると、日本人の賃金は減るので、あまり入れなくてもいい。最近洋服売れないそうですが、そもそも最近の洋服って買うと10年くらいもってしまうので、新しいのを買う気しない人が多いらしい。消費を減らすのは良い方向ですね。車に興味ない人が増えているらしいが、それもいい方向ですね。戦後盛り上がってきた経済面をダイエットするのが良いです。無駄だらけです。LGBTは物質的生産性はないが、そもそも文化的芸術的には驚くほど生産性が高いぞ。文化はこの連中が引っ張っていると言っても過言ではない。ノーマルな男女二極化というのは、この下に位置するもので、あまり高級なものではない。LGBTはその上に位置する。みずがめ座の15度のフェンスの上のラヴバードを参考にするといい。理想像としてはつまりは両性具有であることに間違いはない。変性女子とか変性男子は、より進化した形であり、その上に両性具有が君臨しています。21世界のカードのことだ。そうでないと人格の軽さは手に入らない。最近、二年遅れた豊洲移転にしても、オリンピックにしても、経済的にあまりにも無駄が多く、国民に無駄な税金を払わせようという感じになっており、この無駄な負担を負わせるというのはどういう趣旨で?と思うが、どんどん低収入になって、税金の金額を落とすのが一番いいと思う。
ps.で、ゴールドマンサックスの元社長は、これからは単価を高くすると良いと言ってるけど、薄利多売やめて、高級なものを高く売るのが良いでしょう。それでもうお金なくなってしまうというのがいいのでは。



2018年10月11日木曜日

20181011 H96を食べるとおなかすかないのか

最近お腹すかないので、H96(動物磁気、エーテル体、オディックフォース、気、バイオプラズマ、オルゴン、魄)を食べているのではないかという話があるけど、不食の人は、空気の中から食料を取り入れる。どんな物質も、宇宙のすべての成分を含んでおり、ただその比率が違うだけだ。人体は口に入れたものを、一度形を壊して、消化しやすいようにする。つまり食物がその個性を主張して自己保存欲を発揮しようとするのを無力化する。その意味ではH96も食べたときに、H96自身の単独的個性を維持しようとするのを無力化しなくてはならない。これは暗闘みたいなものであり真剣な戦いだ。実は体内では食事するたびに、この暗闘が繰り返されており、それはそれは大変なことなので、わたしたちはこれを意識にあげないようにしている。戦いに勝って96を取り入れたら、それは身体に一体化するので、水で流すこともない。そもそも水は96を抱き込めない。音楽は空気振動でH192の中に、音楽という振動96を抱き込んで、わたしたちに投げつけている。子供を抱いたお母さんという光景で言うと、子供96、お母さん192。で、空気中の怪しい96も、わたしたちは体内で解体消化するのでこの怪しい性質はもう消えている。相手はサレンダーするし、サレンダーしないものは吐き出す。仏教が入ってくる前の時代の村落の首長は、死んだ人を全部食ったが、相手がどんな恨みや呪いの念を持っていても、解体・消化するので、すると純粋なエネルギィに変換されて吸収される。ヒルマンは料理の現場は殺戮の現場というけど、料理程度では、まだ殺戮は完全ではない。H96を食べたときも、ここには上から下まですべての成分が含まれている。重心が96にあるという意味なのだ。昔、中華料理のお店の人は食べなくてもお腹いっぱいになって、しかも肥満するという話があった。煙の中に全部入ってるからね。
しかしそもそもどうして食事するのかということを考えなくてはならない。わたしたちは地球に住むために、地球の物質を取り入れて、わたしたち自身を地球と同じにしている。でないと、地球生活に同調できない。この場に参加するため食事をする。なので、下限がH96などを食べていると、物質的地球には同調できなくなってしまう。いわば亡霊のような姿で地球に中途半端に片足入れる状態になる。すると、やがてはみんなが見ている建物、自動車、人とか、町とかが見えなくなっていく。情念の形だけを物質とみなすようになる。
オルゴンボックスは空気中の濃密な「気」を集めるので、このボックスにストローつけて、チューチュー吸えば食事になる。ただし、箱は悪意などの念をそのまま吸い込んでしまっているので、吸い込む時に、体内ではやはりフィルターが必要で、そこで「想念の形というボディ」を分解しなくてはならない。これはその人の精神的な意味での筋力の問題。筋力が弱いと負けてしまう。筋力が弱いというのは免疫力が弱いという意味だ。その昔、400年ほど家に伝わる鎧に取り付く数々の怨霊の呪いを解いてくださいと言われて、オルゴンに吸い込ませたが、さすがにそれを食べるほど、わたしは悪食ではなかったです。
補足説明だが、お母さん192、子供96ということは、お父さん48ということです。48は思考・印象。言葉を発して空気をゆすぶると、空気はお母さんになって、その中に子供96を抱き込む。読経したり、繰り返してしゃべったりすると、96はどんどん生まれてくる。気力、胆力、熱意はみな96だ。クアズカは、自分たちにとっては知識が食料であると言ったが、彼らは48を食って生きている。

わたしが年収400万円がいいと思うのは、政府とか役人の失敗なのか、よけいなことに税金を消費するということになっているので、ならば、税金はできるかぎり減らそうということで、すると収入は減らしたほうがいいということで書いている。ぎりぎりすれすれ、減らしたほうがいいと思われる。子供は生まれない。ならば、企業もどんどん数を減らすのがいい。オリンピックは結局三兆円かかるというのは驚きだが、この負担は全部国民にかかります。しかもオリンピックが終わった後、経済は落ち込むのが普通。オリンピックに夢を抱いているのは森さんだけ。そもそもがオリンピックは間違ったところで走っているので、これをすること自体も間違いだし。やっぱりマラソンは、ルームランナーでしよう。そしたら、熱中症で倒れて死ぬ選手はいなくなる。キンキンに冷房がきいた中で。





2018年10月10日水曜日

20181010 棒と球と棒と

アリストテレス的、あるいはグルジェフ的に、宇宙の物質を振動密度の高い順に並べると、絶対、永久不変、大天使、小天使、人、脊椎動物、無脊椎動物、植物、鉱物、金属、無限というふうになるが、これらは球体(自灯明)と線(法灯明)の交互の関係になる。タロットカードでは、1魔術師と21世界も、右手に球あるいは瓶を持ち、左手に棒を持つ。左手は関係性なのだ。で、エーテル界をH24とみなしたとき、これは物質としては自灯明で閉じており、ほかに連絡しないという性質だ。エーテル体は宇宙樹のように、宇宙のあちこちに枝葉を伸ばし、地上からするとこれは「天国への糸」とみなされている。あちこちにつながるのに、どうして閉じた自灯明?と感じる人はいるはず。たとえば、旅人は、どこかの場所で誰かと仲良くなったりすると、もう旅ができない。どこにいっても、親しくなった人とは結局は縁を切らなくてはならない。手を伸ばして拡大するには、身近な関係性を断ち切るということが前提にある。拡大したいのにできない人は、身近な関係性に捕まってしまうからだ。で、アストラル体はH12だが、これは世界を楽しみ味わうボディなので、基本的に法灯明で、身近に触れたものに対しては触れることで識別したり味わったりする。何か食べた時もその味を楽しんでいる。エーテル体はこの味わったり感じたり楽しんだりすると、次の場所に手を伸ばせないので、感じる性質がないと思ったほうがいい。H24とH6はともに共鳴する。低次エーテル体と、高次エーテル体の関係と言ってもいい。で、法灯明はすぐ上の次元でも、すぐ下の次元でも自灯明になるというのは、二極化されたものは統合化して非二元になると、そこで閉じるということでもある。さらに自灯明ボディは次の進化のために自分の結晶を割ってしまう。面倒な関係、まとわりつく呪いとか、次の自灯明に行ってしまうと、それそのものが存在しなくなる。自分にそういう接点、触手がなくなってしまうからだ。これは呪いを排除するのでなく、それを飲み込んでしまってお腹の中で消化して、形がなくなってしまうことでもある。つまり何か呪いをかけられた場合、それを防ぐ理想のものとは抱き込んでしまうことだ。そもそも呪うものとは、すねた犬と同じものだ。関係性は上に行っても、下に行っても消失する。下に行くのは脱落して自分が部分化した中に閉鎖することだが。自灯明と法灯明はそれぞれの振動密度の次元で、それ固有の表現があるということかな。家族の揉め事を抱きこんで、外からは何もないように見せる自灯明。


2018年10月9日火曜日

20181009 音楽鑑賞は修行だったのか

今日は朝からzoom講座でした。で、音楽についてのテーマ。聴覚はかに座で、特定の調に座標を作るのは、これは山羊座と考えてもいい。でないと、音楽の内容が聞き取れなくなり、すべてはノイズに変わります。で、色の話が出てきたけど、色を物質と結び付けてしまうとスペクトルなどに結びつき、この色の本質というのはわからなくなる。オーラを見る時には、エーテル体としての色を見るわけで、物質依存の色になるとみなが見る色はばらばらになって、共通見解などなくなってしまう。ある人が見た赤は、違う人は青と見たりする。音も色も、物質から切り離して、その本質の意味というものを抽出すると、それらはエーテル体としての音とか色になります。宇宙意識落花生akira氏は、音楽を聴くことを修行と考えたようで、わたしから見ると、修行というのは、たとえば音楽を聴いたり、とか、たんに考え事をしたり、というだけでもいいです。世界は思考に過ぎないということからすると、哲学的なことを考える以外は何もしなくてもいいです、それは修行です。考えるだけでやがて仙人になる、そういうのでもいい。サドゥは身体的な修行をする。これはスポおたのことだ。食餌解脱流派は、食べることだけで解脱することを目指している。呼吸流派とかもあるし、わたしはお笑い流派もあると思う。どんなものでも、それを通じて突き抜ければいいだけなのだから。
ブラームスはいいメロディを思いついたのでそれで曲を書くというのがあったけど、ベートーヴェンにはそれはほとんどないというのも説明しました。ブラームスは、感覚的音楽と音楽的音楽、主観的音楽と客観的音楽の間を揺れ動いている比率が高いとも説明したけど、こういうふうに曲とか作曲家を分類するのは時間があればできるよ。エルガーは自分のプライドを高めたいために書いたので、音楽としては二流ね、とか。修行一覧ですかね。


2018年10月8日月曜日

20181008 12サインとタロットの1から12までの対応

12サインは、タロットカードの大アルカナの1から12までに対応すると説明した。基本的にわたしはタロットは、1から10程度までが世界内、11以後が脱世界姿勢というふうに分類している。これまでのタロットカードの多くの解釈が誤ったものになる理由は、人はみなずっとこの世界に住まなくてはならないと決めてかかるからだ。するとカードの絵柄に、おかしなものがたくさんあり、世界内においての行動にこじつけなくてはならない。グノーシス派のカードだと思えば話は簡単で、グノーシス者は反世界の思想を抱き、なんとか世界から抜け出そうとあがく。現代でも隠れグノーシスはたくさんいて、彼らはみなひきこもりになる。孤独死は即身仏ですか、土の中ではないじゃないか。わたしがいう世界とは太陽系のことだ。で、12サインをタロットの前半部と解釈する姿勢と、こんどは12サインで完結すると考える姿勢では、12サインに対する受け取りかたに微妙な違いは出てくるので、その調整は必要だ。12サインの支配星はみな惑星なので、この点では、12サインとは惑星意識H48のレベルに、すべてを鏡のように映しこんだものだと考えると良い。たとえばアストラル体を作るというのは、不死の非局在的なボディを作ることだ。非局在すなわち不死だ。タロットでは17と18で発掘し19で成長させ21あたりで一体化する。12サイン完結では、うお座で独立したアストラル体の結晶を作り出し、春分点から外宇宙に飛び出す。タロットカードで12といえば、燻製になって夢見している段階。この違いは12サインの行為は、惑星意識H48というレベルにおいて、縮小的に進めていると考えればいい。ただし、これは21のカードの中に12サインを押し込んだ上での対応であり、すべては12サインの12個で完結するとみなせば、うお座の30度の巨大な岩の度数で、アストラル体は結晶化し、叩いても割れない硬いものになる。相対音感のない人は、このカードとサインの対比で混乱すると思うが、そもそも混乱する人は、数字のロゴスというものをわかっていない。ロゴスはものに貼り付けられない。わたしは12サインの説明を書いていると、12サインですべてを説明しきろうとする。サビアンシンボルは実際良くできているので、これをいくらでも拡大解釈できる。ただ、12サインは惑星意識のそれ、全惑星意識のそれ、恒星意識のそれと、たくさんある。アカシックレコード(12サイン)は層によって内容がかなり違う。


2018年10月7日日曜日

20181007 占星術やタロットは入り口に

タロットは、カード番号1から12までは、占星術の12サインとかなり対応しているので、占星術すれば12までは進行できるという面もあります。ただ一般の星占いでのサイン解釈だと、使い物にならないということもあります。たとえばさそり座は生命感覚で、狭いところでエネルギィを集めると凝縮され、この密度の高いところで高められた意識が発生する。これは狭い場所のほうが早い。すると、それに応じて、違う記憶域がアクセスされるなどもありますが、これらは意識的に、生命感覚を高めていく修行でもあり、ということで、さそり座のあなたは・・・みたいな性格判断からはなかなか想像しにくいことでもありますね。8正義のカードからならわかりやすい。いまは9年間で12サイン一周するリリスメソッドをクローズアップしていますが、リリスが見せてきた繊維の束が、通常のエーテル体とは質感が違うなというのが最近興味があって、エーテル領域を細かく分類するのかどうかと考えている。基本は、リリスは地球には協力的でないということだ。水晶球で見る映像としては、地球の未来も見せない、別世界しか見せないというもの。惑星グリッド離れをしよう。でも、考えてみると、地球には月がひとつしかなく、これがエーテル体は一種類だと決めつける原因で、月が7つありますということになると、わりに自然に、エーテル体は7種類に分割できる。ということは、地球から遠ざかるアポジーは、次の二番目の月に橋渡しする場所にもなりやすい。7つという時、同心円的に7つあるというよりも、螺旋状態に7回転と考えたほうがいいだろうから。(これは惑星も同じだが。)
占星術やったりタロットやったりしている人は、スタピ計画とか仙人計画の入り口にいると思ってもいい。ただ、入り口の外の場所ですけど。入り口に入ったかどうかは、エーテル体を見つけ出すかどうかだ。これがいくつかの教団では、まずオーラを見ることというふうに考えられている。そしてそれに「確信を持つ」ということがもっと大切。かもしれない、ではだめなんですね。オーラを見るのは、視覚で見なくてはならないということでもない。エーテル体を確実視した段階で物質依存の梯子をはずされるので、足場のないぐるぐるの世界に入っていく。そのとき、その人の本質が露呈するので、みんな異様に頼りない、おかしな人であることを自覚する。物質依存の人はこういう人を見て、「こいつら、狂ってる」ということが多い。物質につかまっていないというのはいわば裸にされている状態で、こいつら狂ってるという人は、自分が物質に依存していることを自覚せず、あたかも自力で立っている、自分は正常だと思い込む。こういう人は入り口が見つけ出せていない。
カマサキ氏によると、わたしの大運は、三年前くらいから、秋冬の山に入ったので、入り口から入って高尾山山登りコースを提示することをしており、入り口の外で待機、入り口に入る、山登りを始める、というようないろいろ段階が出てくることになる。


2018年10月6日土曜日

20181006 布団、白い板

未来に、わたしの思想のレールの上で作り出された世界みたいなものがあるらしく、2300年の段階で、過去にも戻れるようになったらしい。で、その時の人が情報をフィードバックしてくるというか、いわば修正プログラムが加えられていくので、それにあわせて、わたしが思想を少し加筆訂正する。オーディオのアンプでいうところのNFBがかかっているので、わりにひずみ成分が少なくなる傾向になるらしい。これが映像としては、わたしのアストラル体が横に餅のように伸びているというもので、これが前に夢で見た布団になるのでは。三日前くらいに、また夢で、横に伸びた白い板の上にわたしが乗っていて、妙に気分がいいので、この板の上にずっといたいと思った。布団でなく、正確に同じ幅が続いていた。固いようなやわらかいような。これはある程度長期的な時間の中で変形しないスタイル、思想というものがあるという意味だ。流行とか世の中の変化に影響を受けず続くもの。こないだは家で山羊座を示していたが、今回の横の板は家の前の私道みたいなものかな。ダリル・アンカの子孫がバシャールで、子供たちが父ちゃんに会いに来たみたいな図ですが、こういうふうに未来からやってくる人たちがいる。シュタイナーは人類は未来には喉が生殖器になるという。これは高次思考センターがある人はみなそうなります。思想、言葉が、その影響をアストラル界やエーテル界に波及させ、そこに世界が作られていく。何か言うとそれが生命を作り出す。で、アメノトリフネみたいな飛行機は、いろんな場所、時間に行くということだが、これはいろんな場所、時間でも、同じ形が変形しないで維持されるという意味だ。動物体の発想では、ここからあそこに移動するイメージ。しかし植物体では、ここからあそこに同じ型のものが伸びていくということ。なので、布団も、この白い板も、わたしのアストラル体のひとつであるアメノトリフネを表現していることになる。家、山羊座は座標という意味があり、節目として使われていくので、それは常に仮のもので、すぐに撤収しなくてはならない。白い板に、目盛りが打ってあるというようなものか。

尸解仙の場合には、物質の原理を解明する必要はない。でも、羽化するなら、物質をとことん底まで解明しなくてはならない。浸透して無化する必要があるからだ。この尸解仙と羽化の違いはとても大きい。羽化する場合にはミクロコスモスをマクロコスモスと完全に一致させなくてはならないので、道の完成という意味では、尸解仙でなく羽化まで行かなくてはならないということだ。

横に伸びた板というのは時代によって変化しないということで、はやりもの、主観的なものを取り除かなくてはならず、すると、たとえば科学というのはひとつの流行みたいなものだと思うし、実際理論はどんどん変わるのでこれを入れないということにもなるか。グルジエフが元素のことを入れたので、このあたりが後の時代から見ると、ちょっとおかしいというふうになりますからね。物質の原理を、科学用語を使わずに説明しなくてはならないということにもなる。新しくもなく、古くもなく。固いような、柔らかいような。夢の中では、この板の上にいると、安楽があるというような印象だった。そりゃそうでしょう、ずっと続くのだから。

12サインのどこかに惑星があるが、この惑星でなく軌道の輪が実体であると言いましたが、12サインもそのひとつでなく、帯そのものが重要。12個の感覚がころころと変わっても、かわらず帯をつないでいく統一軸があると、それは12サインをひとつ超えたものをあらわしている。ただ問題はこうなると、12個の感覚がくっきりと区画が決まっているのにかかわらず、「すべて交換可」という話を打ち出してくることになり、共感覚だらけになります。粒子は波動に変換可能ということでもあるが。かに座の聴覚は、固まると、山羊座のおうちを作る。



2018年10月4日木曜日

20181004 異次元の家

昨日の夢は、東京のどこかの地域で、家を借りたこと。予想以上に広いことが判明した。12サインをシフトする時に、山羊座というのは、家に象徴される。かに座かと思うかもしれないが、かに座は無形なので家ではない。で、その夢で見た家は、ちょっとだけ日本的な要素も残している。柱の角などに不要に見える模様もある。これは12感覚シフトする時に、物質世界の習慣とかスタイルがごくわずかに残ったということを示している。昨日、タロ母が諏訪では地霊と結びついて、もとの形からずいぶんと変わってしまったことが話題になったが、つまりわたしの今日の夢は、こうした地上的、地霊的な要素を、シフトした12感覚世界に持ち込むべきかどうか、という問題だ。歴史も伝統も残す必要がないし、あらかたゼロにしてもかまわない。でもわずかに残ることもある。その場合、残す動機がはっきりしていなくてはならない。体脱した時に、机の上に、物質的に存在していたものもあったが、消えているものもあった。シフト世界が物質界に近い場合には、ここではオーバーライトが起こるが、その時に、地上界の特質で、ごくわずかに残る、つまり重なるものもある。モノノケでないものは残らないと書いたが、モノノケでないものとは、物質の形はあるが、そこにエーテル体がないというものだ。次元シフトする時、12サインをひとつひとつ点検すると面白そうだ。ただしくは、ロゴスをそのまま引きおろしたような物質界を作らなくてはならず、地上のほうからそのまま持ち込まれたものは皆無にするべきだが、このずれ成分の中に、ちょっとだけ好奇心を刺激するものがあるかもしれない。地上から持ってきたものの比率が増えるつど、それは想念に従わない要素になるので、いわば黒ずんだ部分だ。黒ずみが増えるほど、この物質世界に接近する。このことは、20審判のカードに関係し、チャルメラを吹いて上がってくるものと、上がってこないものがあるということだ。
歴史も伝統も残す必要はないのだが、それはアカシックレコードに保存され、いつでも閲覧できるからだ。ただし、閲覧するには、歴史や伝統があった時の人間の意識状態を再現しなくてはならない。本質(意識)と、質量(記憶、記録)はセットなので、精神状態が違う状態でデータは読めない。





2018年10月3日水曜日

20181003 7つの皮膜

バシャールは地球は12個あるというけど、これ縦にすると、地球は7つになる。(わたしは廃統合説を言ったけど。)エーテル体はそこにじっと住むと、それがあたかも物質体になる。
物質世界とエーテル世界の違いは、想念に従うかどうかで、従わないものを物質界と言うけど、流動的な物質界になると、もうすでにエーテル世界だ。仙人はかすみを食って生きており、流動食。QHHTで雲の上に行ってくださいと言われたとき、あ、もともとの住処に戻ったと思った。そこは安心感とか楽しさとかリラックスがある。雲の上と言われても、地球上のすべての雲に広がってしまったけど。火山の上に行くと、ストーヴにあたってるみたいで、非常に気分がいい。物質肉体が重くなるのは、金属と鉱物を含むということの影響が大きく、とくに鉱物は変化しないから、変化しない肉体を作ることに貢献している。森美智代氏の食ってる青汁にも、金属や鉱物はある。面白かったのは、QHHTで幼少期とか親との関係とか、対人関係とかを聞かれても、そのあたりにはまったく反応せず、反応しないことで、逆にセラピストはそこにトラウマがあるのではないかと考えたらしくしつこく聞いてきたこと。しかしリアリティがなさすぎて、それにイメージも上がってこなかった。それより3Dダークネスのほうがリアル。自分の「低位置」というのがあり、それは次元と次元の隙間。砂嵐が住処という点では、砂漠で暮らす遊牧民か。ずっと古い昔、同じようにビロードの壁に住む住人を見たが、彼はわたしと同僚であり、しかしわたしは彼からは遠ざかった。というのも、特定の民族の支配に興味を持ってしまったからだ。バシャールは地球は12個あるというけど、これ縦にすると、地球は7つになる。(わたしは廃統合説を言ったけど。)エーテル体はそこにじっと住むと、それがあたかも物質体になる。目が薄く、つまり半眼というのが特徴的だった。

2018年10月2日火曜日

20181002 異次元を日常世界で説明すると混乱が増える

仙人の話とか、アストラル体の話などをする時、この日常世界の外にある異次元のものを説明している。facebookは日常生活に関係した話題を続ける場で、本来異次元の話をしてはならない。というのも異次元というのは、常にこの次元というか日常世界を傷つけ、信念体系を壊すものだからだ。それでもあえて仙人などについて話題にすれば、まず確実に歪曲した形でしか受け取られない。それは最初からわかりきった上で、宇宙人とかアストラル体とか仙人の話をしている。というのも、メンタル体、アストラル体、エーテル体など、物質界からは想像できないものを、物質界でどう語るかについて考えていたからだ。12サインのうち三つは、世界の外にはみ出している。というかそれでは話が矛盾するので、世界の中にありつつ、外世界に渡りをつけようとしている。内側に入った外のものというか。外側にあるものが内側に入ったときには、もう外側にあった時の姿は失っている。海老天も体内に入れば、もう海老天の姿はとどめていない。この三つのサインの支配星、冥王星、海王星、天王星も、それに準じて、メンタル体、アストラル体、エーテル体の模造を表現する。しかし決して本体ではないので、そこに能動的な働きはない。日常世界の内側にありつつ、外にあるものを暗示させる類のものと、実際にそれに対応する外にあるものは似て非なるものであるが、この違いをあまり説明しない人が多いので誤解を呼びやすい。シュタイナーもアストラル体などを説明している時に無防備な言い方をしているので、多くの人はアストラル体は、日常生活の中での感情的な面などと勘違いしてしまう。中国人はいいかげんな国民性だからか、酔っ払うと羽化仙人になるなどという表現までしてしまい、仙人がいかに壮絶なものかはだんだんとわからなくなってくる。言葉の定義を明確にするならば、物質界と物質は違うものだと説明しなくてはならないが、定義をはっきりとさせるにつれて思い込みは減り、恒星探索もそうとう無理無理なことにチャレンジしていることも判明する。エーテル体と、惑星意識のひとつである天王星の違いなどもしつこく説明したほうがいいようだ。

もし仙人がユクテスワのような純アストラル体ならば、天候の異変は起きないと思うが、応身のようにエーテルボディの上にアストラル体・メンタル体が乗っている形態であれば、エーテルは物質界に面しているので、天候に異変とかあるでしょう。キリストの場合に天候どころか、時代の転換点になってしまい、以後の人間はみなキリストを死なせてしまったという原罪を抱え込んで暗く生き、物質界に埋没した。キリストが応身になったことを知っている人は原罪を持たずハッピーになり、キリストの死体を見た人は原罪を抱く。だからゴルゴダの秘蹟は、信仰の試金石と言われる。



2018年10月1日月曜日

20181001 埴輪宇宙人の記憶の訂正

連日仙人のことを考えていたので、記憶の組み換えをしたい部分がある。30代の頃、埴輪のような形の茶色の宇宙人がやってきた。10150年前、彼が集団ヒステリーのような興奮状態の群集の襲撃によって死んだのをわたしが目撃していたために、わたしの腰が壊れた。なので自分の責任なので、あなたの腰を治そうと言ってきたのだ。わたしは反射的に彼の手を払いのけて、これは自力で治す楽しみがあるので、自分でさせてくれと言ったのだ。で、このわたしの解釈は間違っていましたね。埴輪宇宙人は今はオリオン方向のある星に住んでいると言ったが、集団ヒステリーの殺人現場で彼は宇宙人に戻った。つまり仙人になった。つまり被害者でなく自分で起こしたのであり、だからこそ、それを見たわたしが異変を起こしたことを「自分の責任」と言ったのだ。目撃したわたしもそれがトラウマになったのではなく、興味の対象になってしまった。で、彼がわたしの腰を治したとしたら、わたしはもっと早死にしていたはずだ。なぜなら、宇宙人が地球人のような身体に戻せるはずがない。ただその時手を払いのけたので、わたしの右腕は彼に侵食されており、彼のボディの組成が入り込んでいる。その後1999年に来た巨大な龍のような「母ちゃんだよ」も、大きな手でわたしの右手をさすっていたので、埴輪宇宙人とタロ母の両方の成分がわたしの右手に浸透している。手はふたご座を象徴しており、右手はその能動側だ。つまり言葉を発信する。つまり宇宙的な言葉を発信するので、本人がこのことに無自覚だと自動書記になる。(こっくりさんです。)この右手の変成成分は菌が増殖するように身体のすみずみまで広がっていく。振動密度が高いものは浸透性があり、振動密度の低いものには簡単に入り込んでしまうからだ。埴輪宇宙人は「わたしが住んでいる場所は、地球からは見えない」と言ったが、実は天文学的には知られている星で、ただその本質が理解できないだろうという意味だ。地球から見たら、地球の視覚ステンドグラスで見るからですね。地球と同じようなものでなくてはならないという思い込みで作られるイメージになるからだ。彼は円錐型をしており、実は生命体と宇宙船が一体化しているので、乗り物がなくても飛べる。わたしが自力で腰を治す楽しみがあると言ったのは、集団ヒステリーは使わないよという意味だ。彼は派手な演出が好きだったのだ。わたしは地味なのがいい。