昨日にパート2をノートとキンドルに掲載しましたが、ジオセントリックのホロスコープの中に、ヘリオ天体配置を入れるという奇妙な使い方は、ヘリオの中にジオを入れるというのもあるかと考えていた。しかし夢で、ゲームセンターみたいなところで、昔式のインベーダーゲームのような箱テレビの中の基盤をわたしが違うものに取り換えて改造しており、この使い方を兄に説明するというのを見て、外装はジオがいいと思ったのです。
で、数日して、またこの兄のような人物に使い方を教えたのに、内容があまりわかっておらず、12サインとか12ハウスの区画のひとつをなぞって託宣するということをしていました。区画の中にある惑星とか恒星はどうやら理解できないらしい。異なる次元のものを一枚の図に重ねているので、やはり複雑なのか。
で、この前後で質問のメールとしては、やはり恒星が惑星に乗り、この惑星にはサビアンシンボルというアカシックレコードの特性を読む。ということで、恒星と直接サビアンシンボルを結び付けないでほしい、つまり惑星を迂回してください、というのがいまいち納得しにくいらしい。で、この太陽系環境の中に入る時に、アカシックレコードは使わなくてはならない。人間として生まれるということが、アカシックレコードの本の一文を肉化することなのだから。
でも恒星は太陽系の外にあり、そもそもこの太陽系とはなんの関係もないよ、というもの。この恒星が太陽系の中に影響を持ち込むときに、惑星をめがけて降りてくると考えてみるのもいいのでは。アカシックレコードをH48の振動のデータと定義すると、惑星意識H48と混乱しますが、惑星地球は、特定の四元素と結びついたもので、この始源H48ではありません。でも太古の時代には、地球ができる直前のスープの中の少し濃い固まり的な場所があり、これをアカーシャの段階の地球と考える。オノコロ島でしたっけ。
その後の地球の歴史は、四元素が分離して、配合が組みかわりつつ、その様相の違いによって12個の地球に分離する。ジオセントリックの地球は、完全に固まったもので、固形化して、ここからあそこを見る、というふうに、空間座標なども明確に認識できる。始原地球では、このここからあそこという方向とか位置とかを認識する「排他制御的知覚」がまだ存在しない。
で、恒星とサビアンシンボルをむすびつけても、恒星はサイン度数から徐々にずれていくし、そもそも恒星は、アカシックレコードとか、その前にある神話元型も、「自分を縛らないでくれ」と、はねのける。なので、地球の側から、恒星に押し付けた「レッテル」が、アカシックレコードとかあるいは神話的イメージで、ある意味恒星からすると迷惑な話。
地球からすると、このアカシック、神話などが、恒星と縁を作る唯一の糸かもしれない。その関係性は不安定。その人が死んだ時、すぐに廃棄される。
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先生は、今回のnoteの中で、「ヘリオセントリックの金星がおとめ座の3度で、保護をもたらすふたりの天使で、これがフェクダが利用するアカシックレコードとして、車座の天使軍団とか、公園でぐるりと円形に座ったアメリカ人の瞑想集団とか、…」と記述されているのをみると、恒星側がそのサビアンシンボルを利用するということだと思うのですが、これはヘリオで、だから夢の中の月のステーションにしかその影響は現れないということでしょうか?
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思い出してみると、フェクダが、このわたしのいる地上に降りてくるプロセスは、ストレートでなく、事務所に置かれた水晶のそばにぼうっと立つ氷飴型亡霊みたいなものに、自分の着地点を見つけ出した。その前に、わたしの立方体の左側の壁が破られたのを見た。この時に入ってきたのだと思う。この水晶のそばのぼんやりした白布は水晶の高次意識H96で、その意味では、白服軍団は月のステーションにしか降りてこない。これはヘリオセントリックの金星とみても差し支えない。
もし、ジオセントリックの金星に降りてくるとしたら、月のステーションから、地球に降りてくることになり、地球は四元素に分離した世界なので、四元素のどれかを掘り返して、そこに足をつけるはず。これは墓を暴くような作業で、太古の時代の前世を思い出す、というようなものかもしれない。固形物には降りてこない。つまりこれは言い方を変えると「今の時代には降りてこない」というものかもしれない。奈良時代に降りたとしても、わたしは気にしない。白い服は絹なのか、木綿なのか、麻なのかは気になるけど。
恒星がそのままアカシックレコードに降りてくるというのは、足場がない感じで、空中分解しそうです。
私の夢に二度目に出てきた兄は、どうやら、歴史上知られた人物で、たぶんこれは日本の呪術師です。その古い時代の彼と、わたしはいま通信しているようです。でも、わたしが最近書いているテキストで、古い時代の前世とかかわりを持ち、これらのネットワーク上に、自分の大きな自己を再生させようという趣旨からすると、古い時代と通信するというのはありうる話で、そもそもミンデルも、自由電子は時間をあちこち動き回ると言ってるし。
古い時代の型が、今日の世界の中で、似た型を探し出して、そこに降りてくる可能性はあります。型が共鳴し合う時、情報とか認識、意識、記憶は共有されていきます。血の川は連続しているのだから。兄というたとえは、同じルーツで、自分よりも古い時代に存在していた者、ということ。ドロレス・キャノンが、生きているノストラダムと時代をこえて通信したというのは、型共鳴があれば、時間のへだたりを踏み越えてしまうというもの。
エーテル体は時間、空間の枠を超えたもの。物質体は、さらにこの時間と空間の枠を制限したピンポイント。つまりエーテル体を中心にして物質体を見ると、型共鳴で、降りる場所を探し出す。物質体を中心にしてみると、あそこにも、あっちにも行けないで、自分はここだけにいる。死後のドロレス・キャノンを見た時、目が百個くらい、全方位的についていた。これは物質的な「一方向しか見えない」ということを超克したもので、エーテル界ならばそれはできる。そしてそこからだと、どの時間、どの空間にも行ける。とはいえ植物的知覚の存在ならば、「行く」のでなく「手を伸ばす」。生前に、生きているノストラダムスと通信するくらいだから、もう生きている時から、そういうふうに変わりつつあったのでは。
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昨日の夜中2〜4時の瞑想で赤い鳥居が無数に出てきてここ何日かは時々焦げ臭い匂いも時々してきて。そして、今朝起きる時の夢で私はハエになっており、巨大な存在?のピンヒールのようなものでハエの心臓をひとつきされ、実際起きる時に肉体も心拍が上がりすぎて止まりそうで死ぬのか?と思い、ひとつきされたところもひどく痛んでいました。
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稲荷の赤い鳥居は、世界の境界線。キツネは生と死の間を行き来するアヌビス。かなり低い次元に置かれた境界線で、低次エーテル体に近づくのは、生々しい。だから、それは焦げ臭い匂いになります。ずっと前に、ワンスアポンなタイムの時、朝起きたら、わたしに添い寝していた、わたしの身長よりも大きな金毛九尾のキツネを発見したけど、(恒星パランでわたしの太陽とリンクしたアルゴル)この時にも焦げ臭かった。殺生石になるくらいだから、かなり低い振動密度にまで手を伸ばす。わたしの周りにいる天使チームが、坂の途中にいて、キツネのお面をかぶっていたのは、この低次世界降下の野心を示している模様です。どうやら、やる気まんまん。ただしゲームと考えている。
でも石に閉じ込められるくらいだから、石まではコントロールできず、玄翁和尚の手を借りなくてはならなかった。玄翁和尚って爆破魔?
ハエって何?と聞かないでください。瞬間的に理解しよう。うるさく飛び回る「蠅のようなわたし」は、インドラの剣で刺され、太陽の黄金グリッドと、再接続。ハエは地上の餌を這いまわっているうちに、惑星グリッドのハエタタキ地網に捕獲されてしまうので、時々帝釈天の剣に刺されないと、調整できない。
今回のわたしの本では、悟性魂というカント用語出してますね。みずがめ座は悟性魂だ。空中認識を鍛えて、夢の内容も瞬時に解釈しよう。
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ジオをベースにサビアンを使って地上生活を送る。ヘリオをベースにサビアンを踏み台にしてあちらに飛ぶとか?でいいのですか?違うかもだけど
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違う。ジオでは天に行くことを夢見つつ、迷路にひっかかって上がらない。ヘリオは、太陽から惑星に降りていく「下降の道」。なのでヘリオであちらに飛ぼうとしても、叩き落される。駅から降りた人が、駅に行こうとする人と肩でぶつかるみたいに。降りることを意識しつつ、それが上がることにつながるというのが「太陽の極意」です。ほしいものは探すんじゃない、作り出せ。するとほしいものはやってくる。