奇蹟というのは、こことは違う次元から何かが介入してきた時に起こる。ここ以外のものからの干渉で、この世界にあっていつもと違うものをどこかから持ってきたことは奇蹟と言わない。
で、占星術の場合、惑星の位置は計算できる。この計算の延長線上には、想定内のものしか生じることはなく、占星術で何をやっても、奇蹟ということは測れない。奇蹟は計算の切れ目、想定できないもの、秩序を割って入ってくるものだ。
これが、わたしの夢の中で登場した安倍晴明が、惑星に興味を持たない理由だ。で、あの時代の呪術は、たとえば舞をすることで、政治状況が変わるとかにしても、奇蹟を起こす人でないと、仕事の依頼はない。人々が持つ欲求の通りのことが起きるというのも、これは欲求の増大という点で、計算の延長上のもので、奇蹟とは無縁だ。奇蹟とはこうした欲求とか希望の通りではなく、それを中断させて別のものが入り込むことだ。奇蹟は惑星上に、まったく別次元の、無の扉の先の恒星からの影響が持ち込まれることで生じる。
人間の生活の平和とは、どうやったら、この奇蹟が入り込んでこないようにするかを工夫することで維持できるのかもしれない。いままであったように、これからもあるように。山崩れが起こるだけで人生を嘆くくらいだから、ともかく奇蹟はいやだ。
エル・ジャポンの今回の取材記事は、うまくまとまっていて、さすがに上手だなと思った。直接取材していたのは小田嶋さんで、昔はロック雑誌を二年くらい編集者していた人ですが、いまはクラシック音楽評論家。わたしがスペインのルネッサンス時代の音楽が好きだというと、マニアックすぎると言った。最近ずっとロマン派避けているんですよ。
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