H24をインテューション、H12をインスピレーションと分類することもあるらしいが、小説の神様とたとえたH24の意識状態は、普通の言葉のレベルで加工が可能。言葉の羅列の中にエッセンスないしは実体としてH24があるということなのだ。しかしH12となるとまず言葉の加工が難しく、また通常の具体的な言語というものに落とし込めず、かならず象徴言語になる。通常の思考では、それを直接理解できず、説明を求めることになる。イエスの言葉はほとんどがこのH12言語なので、例の一匹の羊の話にしても意味を聞かないと何を示しているかわからない。そしてH12言語はこの説明を決してしない。直接理解しなくてはならないからだが、H12は個人性が除去されているので、その点で個別なケースに落として説明しない内容なのだ。数日前の夢では、H12の創造連鎖についていろいろ話を展開してもらいたいという要求があったが、まあ夢で出てきたら、わたしはかならずそれを数ヶ月以内にやってしまうので今のところ放置しとく。能動、受動、結果ということでは、H12が能動因子になると、素材はH48であり、子供はH24だ。H24がインテューションなら、ここでは休みなくインテューションが発生するということだ。多くの場合、インテューションの嵐がやってくると神経的に耐え切れなくなり、脱落を望む。「普通の暮らしがしたい」と言い始める。わたしがイスラムの礼拝風景が好きなのは、少なくとも日常の生活の中にH12を垣間見る時間を作る余裕があるということだからだ。すると生活の中で、ちらちらとH24があらわれる瞬間がある。たとえきれぎれであれ、それは生きる力だろう。人間の平常の意識速度はH48だが、それはH96に飲み込まれる不安を感じている。道を歩いていてもディプレッションの穴はそこかしこにある。しかしH24は必ず打ち勝つ。というよりもH96を食料にしようとする。H96の穴に落ちるのでなく、H96を食料にすると、お腹にパワーがたまる。H24が強くなると、だれかとの会話にしても、そこにかならず新発見とか洞察というものを作り出すというよりも、作り出さざるを得ない。いつも突っ切っているという印象だ。グルジエフは生徒が寝ようとするといつも起こした。理解した、I got itとなった直後に、たいていの人は寝ようとする。するとグルジエフは不機嫌になり、揺り起こす。自分をキープするにはどうしてもそうなってしまう。わたしが毎日原稿を書いているのは、ラビのお祈りのようなものだ。
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