2022年11月28日月曜日

20221128 冥想と夢見(25)を掲載した

 冥想と夢見(25)を掲載した。

https://note.com/lockwood/n/nad555257cf4b

生命の樹の各々惑星に自我を持たせると、ひとつの生命の樹では足りなくなり、5つの生命の樹を意識せざるを得ない。この場合、左にある生命の樹は、金星が中央の柱にある樹だが、(youtubeでは、シリウスの樹と話した。)これを常に意識して、いままでの通常の生命の樹と、半々の生き方をするといい。この関係は、90度で、異なる次元を見る時には、この90度視線が重要だ。仏教が伝来してから、陰陽中和の考えが重要視されているが、ここからすると、陰陽極端な落差を好む縄文意識も、90度の関係で、これはあたかも空間の亀裂のようなところから、垣間見ることができる。渋谷のスクランブル交差点を、縄文の海の底と、書いたが、90度視線で見ないと、これはわからない。無意識に人はこれに影響を受けるが、しかし直視すると、それは存在しない。90度視線とは、結局視界の端っこで捉えることなのか。いつも意識しているのに、あたかもそれは存在しないかのように扱うのは、教育によって、そのような姿勢を促されているからだ。グルジエフの自己想起は、第二のわたし、第三のわたしなどを作って、そこから見た光景を印象の中に加えることだが、最初に、90度脇にいるわたし、というのを設定するといいのではないかと思う。それは左の生命の樹の視線だ。

2022年11月18日金曜日

20221118 冥想と夢見(24)を掲載した

 冥想と夢見(24)を掲載した。

https://note.com/lockwood/n/nacf7193991d0

横線、縦線、距離という3つの要素に、型共鳴という時間意識を乗せることができるが、たいていの場合、3つの要素のうち、ひとつを世界線として認識することが多く、3つの要素全部に、さらに、型共鳴自身に独立して世界線を考えるというのは、かなり難しいことになるのではないか。しかしこれを「多四体」とも言う。多四体を考える時には、フラワー・オブ・ライフの中の生命の樹の、各々惑星を自我とみなすことも必要で、ひとつの生命の樹では、右の柱、左の柱に配置された惑星は、それを自我(円の中心点)とみなすことができないので、結果的に、右と左の生命の樹を組み込むことになる。するとこんどは、まったく知られていない未知の世界というものも、たくさん紛れ込んでいることになり、これらをいちいち探索するのは、ほとんど不可能に近いが、むしろ、「行きつけの異次元」というものを考えるといいのではないか。わたしは月のステーションを考えた時、だいたいいつも決まった場所にしか行かず、未踏の場所がけっこうたくさんあった。

2022年11月17日木曜日

20221117 12月17日、「金星の扉」の講座します

申し込みは、

http://ptix.at/8qBuSK

にて。

タイトル:金星の扉

フラワー・オブ・ライフの中にある生命の樹で、金星は左の柱にありますが、左隣の生命の樹からすると、これは中央の柱にあり、また金星の円には、6つのコスモスが重なっています。これらは占星術では知られることも、また推理することもできない金星の秘密を開示するものではないでしょうか。金星の円にあるマカバについて説明し、金星から宇宙に飛び出すとは、どういうことか考えてみましょう。3次元のレベルでは、見えてこない第四の次元の通路です。


2022年11月8日火曜日

20221108 冥想と夢見(23)を掲載した

 冥想と夢見(23)を掲載した。

https://note.com/lockwood/n/n300ac7eae24d

フラワー・オブ・ライフの生命の樹の三つあるいは四つの円は、そもそも直接つながらない。というのも、各々円には、特有の特性もあれば、自我もあり、隣の円とは、考え方も見方もまったく違うのだ。それらをつなぐヴェシカパイシスは、異なる世界をつなぐための翻訳でもあり、「似たものは同じ」という考え方でつないでいる。たとえば月の円で、すなわち人格のある個人の見る世界で、ある体験をした時、これはどこかで体験したことがあるし、見たことがあると感じる場合、これと似ているが、実は違う領域にあるものと、型共鳴していることも多い。それは太陽の円の記憶かもしれない。太陽の円と、月の円は違うものだ。占星術でいえば、これはヘリオセントリックと、ジオセントリックの違いのようなもので、まったく相容れないが、似ているものがあると、そこを頼りに、太陽の円と月の円は接続される。

太陽の円の円周にある水星と金星は、月の円の円周での水星と金星に共有されているが、実は太陽の円に属する水星と金星と、月の円に属する水星と金星は違うものだ。これはヘリオセントリックでの水星、金星と、ジオセントリックでの水星、金星と考えるといい。ジオセントリックとヘリオセントリックでは、このふたつの惑星は、たいていの場合、まったく違う場所にある。なので繋がらないはずだが、どこかで共通点を探すといい。この共通点が見つからないと、月の円と太陽の円は繋がらない。ずっと前に、惑星グリッドと、太陽グリッド(インドラネット)は相容れないと書いたが、これと似ている。似ているところが見つかっても、総体としては、繋がっていないというところに、遊び成分があり、これを1/f揺らぎというのかもしれないが、これが月の円の自由と、太陽の円の自由を確保する。直接繋がってしまうと、これは月の円か太陽の円が壊されることを示す。たとえば、中国が日本に攻めてきて、これからは日本は中国である、iPhoneは使ってはならない、国民全員ファーウエイにするべしと言う時、日本の自由性は失われるが、このように、ふたつの円が直接つながると、どちらかの円、あるいは両方が破損する。「繋がっているが、それは一部であり、各々の円は自由に機能する」というのが、生命の樹の三つの円、あるいは四つの円の関係だ。ここでわたしは、1/f揺らぎの話を持ち出したが、もしかしたら、間違っているかもしれないが、いまのところ、適当な言葉が見つからないので、1/f揺らぎにしておく。

20241106 まだ声を出すのに躊躇する

 なので、教材を作りたいが、まだ待っている。完全に回復してない。 ところで、サビアンシンボルについて、人は一生で、ひとつのアカシックレコードというか、サビアンシンボルを体験すると考えるのがシンプルで良いのでは。72年で1度。 しかし、このアカシックレコードに深く同一化しているので...