冥想と夢見(24)を掲載した。
https://note.com/lockwood/n/nacf7193991d0
横線、縦線、距離という3つの要素に、型共鳴という時間意識を乗せることができるが、たいていの場合、3つの要素のうち、ひとつを世界線として認識することが多く、3つの要素全部に、さらに、型共鳴自身に独立して世界線を考えるというのは、かなり難しいことになるのではないか。しかしこれを「多四体」とも言う。多四体を考える時には、フラワー・オブ・ライフの中の生命の樹の、各々惑星を自我とみなすことも必要で、ひとつの生命の樹では、右の柱、左の柱に配置された惑星は、それを自我(円の中心点)とみなすことができないので、結果的に、右と左の生命の樹を組み込むことになる。するとこんどは、まったく知られていない未知の世界というものも、たくさん紛れ込んでいることになり、これらをいちいち探索するのは、ほとんど不可能に近いが、むしろ、「行きつけの異次元」というものを考えるといいのではないか。わたしは月のステーションを考えた時、だいたいいつも決まった場所にしか行かず、未踏の場所がけっこうたくさんあった。
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