2022年5月31日火曜日

20220531 瞑想と夢見(5)を掲載した

 瞑想と夢見は、第五巻まで達したが、まだ続く。今回は、恒星的ジャーナリングについて書いている。

https://note.com/lockwood/n/n376a33700d97

それと、マインドフルネスのプレゼンスだが、プレゼンスには、サイズがある。一般に広まっているマインドフルネスは、もちろん閉鎖系トリトコスモスの枠の中にあり、正直な話、ヴィパーサナ瞑想も、この範囲の中にあるとき、それはとても退屈なものだ。いや、むしろそれらは間違っていると言ったほうがいいのではあるまいか。

プレゼンスの箱は大きくしたほうがいい。箱は何段階かあり、これはマトリョーシカのようで、日食サイズの箱もある。日食図をプレネイタルと考える発想があるが、これは前座でなく、ここに着地して、地球の大地にまで降りてこない選択肢もある。そういう魂もたくさんあるのだが、地球の大地に住んでいる人には、これが可視化できないのだ。

日食図の場合、そこから計算してアセンダントなどを考えたりすると思うが、これは本末転倒。地球の大地でなく、月の軌道面に着地したのだから、魂が大地に落ちる受肉のアセンダントは、考えないと思うが。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。

20241106 まだ声を出すのに躊躇する

 なので、教材を作りたいが、まだ待っている。完全に回復してない。 ところで、サビアンシンボルについて、人は一生で、ひとつのアカシックレコードというか、サビアンシンボルを体験すると考えるのがシンプルで良いのでは。72年で1度。 しかし、このアカシックレコードに深く同一化しているので...