瞑想と夢見なのか、冥想と夢見なのか、統一できず。
https://note.com/lockwood/n/n1a782d1f9b5e
ヴィパーサナ瞑想の「連想を使わない」ということにひっかかり、人間は連想から離れることなど不可能だと書いた。連想網はたくさんあり、連想を使わないという場合には、異なる連想膜につないでいることをあらわす。意識の振動からして、相対的に、対象化できず、把握できないような膜があり、それはその人からすると無の、色のないものである。
ヴィパーサナ瞑想と、サマタ瞑想に関心が強くなり、もっといろいろ書いてみたい。ヴィパーサナ瞑想と、サマタ瞑想を具体的に調べてみたりすると、きっと面白くない話になる。人間には能力の限界というものが自ずとあり、どんな知識も、自分の限界点の範囲にまとめてしまうのだ。そのようにして、ヴィパーサナ瞑想についてわたしは知っているとは、誰も言えないのだ。
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