2022年10月2日日曜日

20221002 冥想と夢見(19)を掲載

 冥想と夢見(19)を掲載した。

https://note.com/lockwood/n/n77d7cd092456

フラワー・オブ・ライフの中の生命の樹について、もう少し詳しく書いた。ここには、4つの円があり、各々をヴェシカパイシスが繋いでおり、このヴェシカパイシス(魚の袋、種)が、互いにかかわるふたつの円の比率を調整している。たとえば、太陽の円と、月の円は、ヴェシカパイシスの短い寸のほうに、太陽と月があり、左右の長い寸のほうには、水星と金星がある。水星と金星が、降りること、上がることに関係するとしたら、金星よりも水星を強めることで、月の円の比率が高まり、自然的に、太陽の円の比率が減る。水星は、常により具体的に、より地上的になる傾向があるということだ。

この水星と金星の対比を、シュタイナー式に、アーリマンとルシファーと言ってもいいかもしれない。この4つの円の上にさらに、もうひとつ円が存在するが、それはグレートセントラルサンを軸にして、円周に5つの恒星と、冥王星が配置されており、この冥王星は、この太陽系のことを示している。つまりグレートセントラルサンは、基本的に、6つの太陽系がその周囲を回っているということになるのだ。この円に自我を持つと、強制的に、一番下の月の円から退去しなくてはならない。というのも、存在はこの4つの円でできているからだ。ただ、冥王星の円には、円周の上のほうに、三つの恒星がかかわっており、この接点を維持したまま、月の円が持つマルクト、すなわち地球の地上と関わることはできる。恒星を夢見ることや、恒星から何か指示されることと、グレートセントラルサンの円に、恒星とはわたしであるというふうに自我を移動させることはまったく違う。ヴェシカパイシスは、いろんな角度に自我を移動させる。なので、サマタ瞑想やサマディとは、このヴェシカパイシスのことなのだと考えてもいい。右や左の生命の樹に、自我移動させるのは、フラワー・オブ・ライフの練習としては、卑近なものであると思う。

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