2019年3月11日月曜日

20190311 落花生の弥勒菩薩

藤井聡太君が原因でテレビなどでも有名になってしまったみろく庵は、今月三月の末に閉店します。みろく庵という名前は、弥勒菩薩から来ているわけではなく、たんに開店前夜祭が3月6日だったから。みろくという名前が記憶に残ったので、今日の夢では、クレーンに吊り下げられた落花生が、弥勒菩薩だというものでした。ウィリアム・ブレイクの言う世界の卵の硬い殻は感覚であり、いわば大地。植物性の大地はエーテル体で、この殻は、落花生の殻に似ている。クレーンで持ち上げられていること自体、大地には接触しない。弥勒菩薩はあらゆるものにつながっており、そこに閉鎖はない。つまり単独でそこにいるだけでいい。しかしあらゆるものにつながるということのために、結局大地からは遊離しているというのが条件だ。大地はそれぞれの個体を閉じ込めて、通信不可能にしていくのだから。みろく庵閉店の話題と、最近出した翔んで埼玉の落花生の話題が結合した夢だ。明治神宮の森は、上から見ると、波のうねる海に見える。エーテル体としての受け皿は十分に用意されている。しかし肝心の恒星との自由なつながりが制限されている。だからほかの神社に行ったほうがいい。

弥勒が兜率天に上生するのでなく、下生ナウという思想は、この夢からすると、クレーンの台までしか下生しないという意味では、硬い卵の殻でなく、落花生の皮までは降りる。これって、弥勒を穀霊と考えて、弥勒の世とは豊作の世というかつての農耕民族的弥勒と似ている。でも、わたしの弥勒観念は、東方海上から弥勒船が到来するというものに親しんでいるので、弥勒は海の上にはいるが、陸地には来ない。海もまたエーテル界ですね。緑の海は、サトウキビ畑だったが、ミトラ・ヴァルナは、ホルスの目みたいな形の船に乗っており、上空でそれを見た者は「見霊者」と言われる。これミトラ教の考えです。弥勒は草の上、穀物畑、森、海の上にしか降りることができない。

ただ謎なのは、クレーンに乗った落花生の形の弥勒の下に、もうひとつ通常の卵の形をした弥勒vol2がいたことだった。夢ではこれに注目してほしいという感じだった。これは誰だ。(まあ、わかってはいるが。)



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