2020年7月30日木曜日

20200730 主客の質問

質問が来ています。

>対象に自己同一化している事と、対象全てに自分が染み渡っている→自分じゃないものがない
>というこの2つは、上昇型、下降型の違いと考えていいのでしょうか?
>主客が混ざるというところも、上昇型、下降型によるとらえ方の違いと考えてもいいのか?

下降型とは、絶体の一なる原理から、自分が分割されて生まれてきたことを自覚している。自分の振動密度以下のものは、すべて自分を分割して作り出した対象性。つまり自分がすべてにしみわたっていることを知っている。
でも、自己同一化とは、対象に自分が没入して、自己が不在になった状態。
下降型の人からすると、この自分が不在になるということは少ないでしょう。

上昇型の人は、まず自己が不在ということから始まる。
自分は物質であり、偶発的に生まれてきたものであり、そこに意図というものは存在しないと考える。なので世界の構造についても、何もわからない。
この場合、自己想起練習は、驚くような新事実を知ることになる。

主客が混じるというのは、源流としての意識に戻ると、かならず途中で起こることで、その時には、目の前の腕時計もない、と言う状態になる。十牛図で第八図の段階で生じること。途上では、目の前の腕時計は自分なのだと思う。つまり主客の融合。でも腕時計から世界を見ると、腕時計を対象化できない。主客の入れ替えを頻繁に起こすと、最後客体は何一つ存在しないという状態に。
降りてくる時に、わざわざ客体を意図的に作らないといけなくなる。

スターピープルwebのコラムが昨日、アップされたのですが、
わたしの記事が複数、ランキングの上のほうにあり続けることに関して、編集の人がフィーバーという言い方をしていて、懐かしいと思いました。いまはインスタ映えも、古い言葉で、エモいというのが、新語ではないが、まだ腐っていない言葉となっています。でも、ずっと古くなると、逆に新鮮味があります。なので、フィーバーという言葉も、逆に使えるのかもしれないです。

https://starpeople.jp/seijingoroku/matsumurakiyoshi/20200729/12741/




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