冥想と夢見(10)
https://note.com/lockwood/n/n5c18c76d31bb
アルシオンとアルゴルの関係をまたあらためて書いた。アルシオンは世界を作り、アルゴルは、それを「石化」するので、現実味が強まる。クンダリニは、体外離脱を誘発しやすいが、ロバートモンローは、通常の体外離脱でなく、新しい世界を作り、そこに飛び出しているのではないか。それを体系化した段階で、「道」となり、ヘミシンクを使う人は、みなこのモンローの創造した世界を旅しているのではないか。
テレビで、旧統一教会の話題が出てきてから、わたしも少しずつ思いだした。たぶん、わたしも何度か勧誘されたと思うし、街頭の占いをしている人たちは、渋谷では、ほとんど教会の信徒に追い出され、この信徒が占いをして、客を教会に勧誘することが多かった時代がある。信徒でない人が占いをしていると、数人で取り囲み脅しをしたという話は聞いた。で、わたしもビデオを見た。しかし、興味を持つことはできなかったのだが、テレビで見ていると、教会の教義は単純だ。この単純さが重要なのではないか。つまり、催眠とか洗脳は、単純な暗示を繰り返し、自律神経に働きかける。すると、人はこの自律神経の自動運転には逆らえない。
というのも、そもそも一般の生活というのは、これも催眠下にあるものであり、自己想起というのは、この催眠下での「人間機械」から抜け出す努力なのだが、催眠状態に、さらに新しい催眠を上書きするのは、そう難しいことではないのかもしれない。催眠とは、「世界の新しい見方」を植え付けることなのだ。では、ヴィパーサナ瞑想とは、催眠から抜け出し、現実をありのままに見ることなのかというと、このありのままの現実というのが、まずは催眠下にあってはじめて認識できるものなのだ。この催眠を解くと、ぞっとする暗闇を見る。真のヴィパーサナ瞑想をすると、この飾り気のない無の空間を目撃する。
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