最近久しぶりにヘミシンク聞いていますが、フォーカス25あたりは、信念体系の中に住む人々、個人的であれ、集団的であれ、それにつかまっている人々が集合している領域で、フォーカス27は、そこから外に接する境界領域だという話です。
で、地球に住んでいる人というのは、限られた時代、限られた地域に住んでいるので、この狭さからする偏りは避けられず、「主観的信念体系」の中に住む人々です。
地球に住んで、自分がいる世界を現実だと思っている人々は、すべて特定の偏った信念体系に閉じこもっていると考えていいでしょう。
この「主観的な世界観」から、脱出する際(キワ)がフォーカス27ということで、それよりも外は、真の意味で「客観的領域」です。
で、ヘミシンクで、リトリーバルをしよう、という項目になって、聞きながらリトリーバルしましたが、このリトリーバルすなわち「救済」というのは、これまで地上に住んでいたことで染みついた「主観的信念体系」から解放していくということにほかなりません。
この信念体系から解放されないのならば、地球に閉じこめられ、それ以外のどこにも行くことができないのです。
つまり、このフォーカス27あたりは、信念体系の浄化行為をしているわけで、瀬織津姫が、川のそばで、脱衣婆となり、死者の衣類を木にひっかけて乾かすというのも、信念体系の浄化です。人間は個体になり、自分は個人として生きているというのも、妄想であり、これもまた信念体系の一つです。
わたしが思うに、それ以上のフォーカスの世界に行こうとしても、この信念体系の浄化ができないのならば、異常なひずみを残したまま旅をするので、あらゆる情報は間違ったものとなります。
フォーカス25で、透明なガラスコップを見ていましたが、コップがあるということが信念体系というか、歪みでしょう。これもなくなったほうがいいです。
ここの関門機能は、もっと厳しくしたほうがいい。
浄化は、もっと進んで浄化したほうがいい。錬金術のように千回の蒸留ですね。
ごくわずかでも、色かぶりがあれば、ずっとここにいて、いつまでも洗濯するのがいいのではないかと思います。宇宙に行ってる場合じゃないよ。
で、地球に住んでいる人というのは、限られた時代、限られた地域に住んでいるので、この狭さからする偏りは避けられず、「主観的信念体系」の中に住む人々です。
地球に住んで、自分がいる世界を現実だと思っている人々は、すべて特定の偏った信念体系に閉じこもっていると考えていいでしょう。
この「主観的な世界観」から、脱出する際(キワ)がフォーカス27ということで、それよりも外は、真の意味で「客観的領域」です。
で、ヘミシンクで、リトリーバルをしよう、という項目になって、聞きながらリトリーバルしましたが、このリトリーバルすなわち「救済」というのは、これまで地上に住んでいたことで染みついた「主観的信念体系」から解放していくということにほかなりません。
この信念体系から解放されないのならば、地球に閉じこめられ、それ以外のどこにも行くことができないのです。
つまり、このフォーカス27あたりは、信念体系の浄化行為をしているわけで、瀬織津姫が、川のそばで、脱衣婆となり、死者の衣類を木にひっかけて乾かすというのも、信念体系の浄化です。人間は個体になり、自分は個人として生きているというのも、妄想であり、これもまた信念体系の一つです。
わたしが思うに、それ以上のフォーカスの世界に行こうとしても、この信念体系の浄化ができないのならば、異常なひずみを残したまま旅をするので、あらゆる情報は間違ったものとなります。
フォーカス25で、透明なガラスコップを見ていましたが、コップがあるということが信念体系というか、歪みでしょう。これもなくなったほうがいいです。
ここの関門機能は、もっと厳しくしたほうがいい。
浄化は、もっと進んで浄化したほうがいい。錬金術のように千回の蒸留ですね。
ごくわずかでも、色かぶりがあれば、ずっとここにいて、いつまでも洗濯するのがいいのではないかと思います。宇宙に行ってる場合じゃないよ。
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