2020年12月17日木曜日

20201217(2) 伊泉龍一さんの翻訳した「生命の木」

  今日、宅配便で、伊泉龍一氏の翻訳した、「生命の木」ジョン・マイケル・グリア著が届きました。これは数日前に、担当の編集者から、伊泉氏がカバラに興味を持ったきっかけは、わたしと大阪心斎橋でコラボ講座をしたことがきっかけだったので、伊泉氏が献本するようにお願いしたというメールが来たことで知っていました。

 で、この心斎橋の話は、訳者あとがきに書いてあるのですが、この講座は伊泉氏とわたしのコラボ講座だったらしく、そこに同席していたsugar氏は、実は司会だったと書いてあり、えっ?そうだったのと驚きました。わたしは三人のお話会みたいなものだったと思っていた。

 というのも、わたしが生命の木を説明する時に、右の柱と左の柱の関係を言う時に、陰陽という言葉を使った。するとsugar氏は、「果たして、陰陽というものが実在するのかどうか」みたいなことをぼそっと話した。司会だったらそんなこと言うな。で、この発言の意味が不明で、わたしは「この人は何いってんだ?」と思ったのだが、しばらく後になって、sugar氏は、陰陽という言葉を固有名詞と思ったらしいと気がついた。わたしが言う陰陽とは、プラスとマイナス、S極とN極、男と女、原子核と電子雲、上と下、右と左、前と後ろのように二極化されたものをすべて陰陽という言葉に含めていく。

 それとsugar氏が南フランスにこだわるのが面白かった。わたしは南フランスは、退屈道の拠点で、人生に退屈した人は、カバラに行きやすいと考えているが、つまり南フランスにはヤコブの梯子がかかっていると思う。でもわざと南フランスの話を持ち出されたので、そこにスノビズムを感じた。

 ただ、前から伊泉氏は、話している内容に敏感で、ちょっとした言葉の端の意味に、すぐに気がついてしまう。驚くほど察しがいいのだ。なので、確かに心斎橋講座で、わたしの話す内容に反応していた時には、わたしも「あ、アンテナが立った」と気がついた。この時に、伊泉氏は「実は僕は、K氏とはよく対談していて、K氏派と思われているけど、実は松村側のほう」と言っていたが、わたしはK氏が何をしているのか、ほとんど知らないので、この意味はわからない。わたしは地面の上に立っていない。あとがきでは、自分の立場についてあきれるほど、くどくどと説明しているが、これが中間的立場にいる人間のジレンマかもしれない。

で、問題の本なんですけど、分厚い。前から書いているように、最近わたしは本をきっちりと読めない。膨大に書くが、読むのはちっとも進まない。10ページに一行とか、蚊の飛ぶような読み方しかできないので、これを読むには時間がかかります。でもおそらくこの本は、辞書みたいに使うにはそうとうに便利なものだと思うので、みんなも買ってみよう。でも、ヘルメス文書についてわたしに質問するように、この本についてわたしに質問するのはやめてくれ。わたしはローカル性を除去しているのだから。そして読むのに異常に時間がかかるのだから。本は最近ほとんど買わないので、この本、ちらちらと参考にしてみたいです。

坂口恭平式に自分で作りたい本を売るというのは、今後のトレンドで、なかなか良いではないですか。搾取を基本とする資本主義に従う出版社は、本当の面白いと思う本を出版せず、売れる本を出版する。それは文化を破壊する。伊泉氏はこれに与したくないと思っているのでは。それにしてもグリアの本を翻訳したのには驚いた。






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