ある人が夢舎に参加しているけど、前に夢にはまりすぎておかしくなったらしく、またなりそうなので警戒して、おとなしくしているそうです。わたしが思うに、おかしくならないとしたらそのほうが良くない。夢は基本的にエーテル体に乗った体験であり、エーテル体は物質体を傷つけることでしか関われません。で、おかしくなるというのは、物質体生活を現実と思っており、それと夢の力は対立していると考えているからです。自我の重心を置き換える必要があり、虫のように寿命の短い物質体生活は決して中心ではないし、とくに地に足を付けた生活というのはそうとうに間違いがあることを理論的に認識しなくてはなりません。要するに、物質体生活と夢の生活をすべて統合化する中心点をみつけだし、そこからすべての要素を再配置するということが重要なのです。バトラーもシュタイナーも、人格の解体と再構築のことに言及していますが、いままでの生活のままでオプションで夢を加えるというようなことはあまり正しい生活ではありません。中心点を物質的生活の場所から撤去して、物質的生活は、懐かしいドンファンの言うような第一の注意力の世界にしてゆき、忍び寄りの術みたいなものを設計する。機械のような暮らし、量産型人格になるというのも、いいアイデアです。みずがめ座のサビアンにはこういうことに対する説明があります。たぶん、物質体生活は現実であると思いこんでいる人の横のつながりがずっと続いていると、どこにも行けず葛藤することになるかもしれません。
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