夢を見て、その解釈をする時に、地上的な意味に結びつけるのは比較的不自然。で、中空に浮かせたまま解釈するのがいいのではないか。シャンバラ人がわたしの左足を浮かせるということをしていたけど、右足も左足も浮かせると、送信の右と、受信の左が象徴化され、どこにも着地せず、象徴は象徴として返すということになりますが、これは禅の公案とか禅問答と似ている。そもそも仙人は精神が雲の上だけでなく身体も雲の上。仙人を目指すと、説明は地上的にはなりえない。夢解釈にしても禅問答にするといい。象徴的なものを具体的な説明に変換するのはとても脳が疲れる。碧巌録を参考にして、この禅問答にシフトするといいのではないかと思う。するときっと楽になり、楽しくなるでしょう。この杖が龍に化けて、大地を飲み込んでしまった。さて、君たちはどうやって空や海を取り戻すか。大地的欲望が強すぎると、この解釈で頭が働かなくなります。ベタすぎるから。そもそも禅とは、恒星の地位を君にあげよう、という意味もある。それは純粋に独立性を獲得することです。禅問答人生に進もう。20190705
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