2020年3月19日木曜日

20200319 春分の意味

質問
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もうすぐ春分点ですね。私はちょうどこの春分点に東京に遊びに行く事になりました。
春分点の力を目一杯感じたいのですが
日の出の時間に富士山に行くのは難しいです。
その日中ならまだパワーを感じる事ができるのでしょうか?
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パワーを感じるというのは、受容というか受け取ることですね。
しかし春分というのは、太陽がおひつじ座の0度を通過することであり、
これは自我感覚とか、自分を外に押し出す、環境に押し込むというものであり、
受容からはもっとも程遠いものです。
で、春分に日の出に富士山に行ったりするのは、春分の過ごしかたとしてあまり褒められたものではなく、それはこの環境に対して自我感覚が極端に弱まったジジババがすることです。
死にかけているので、もうちょっと生きていくためにこれをしようとしている。
自分の内側から、環境に対して、主張の力が強まって、みなぎって、止めようがない。これが春分の力です。時間がどうとか、それはどうでもいい話。
ちなみに、わたしは四柱推命の象徴として、「春の草花」の生まれなので、大量に書いているんですよ。春分の力があふれている人は、春夏秋冬なんか関係なしに、吐き出し、主張し、押し出します。春分の日というより、その前後は、こういう力を後押しするもので、その力が死にかけている人からすると、少しは助けになります。

ところで、わたしの大腿骨を治療するというか、手術するなら、想像を絶するお金がかかるので、一年くらいかけて、あるいは二年くらいとか、お金を貯めないといけない。
で、いまのところ、二本の杖で短距離歩ける程度だけど、これで不足を感じていない。
だいたい一日15時間くらい、座っています。
しかしながら、突然、歩けなくなる可能性もありますから、いまからお金を貯める必要があるかなとも考えます。

noteのサークルは、楽しいかもしれない。
たいていの場合、自分から発言する人は、日本人の場合、特に少ない。
なので、毎日わたしが何か発信して(書き込みして)それに対して、何かリアクションする人がいれば、コメントする。あくまで基本は、ブルドーザー的に自分がどんどん書けばいい。というスタイルを決めてしまうと、安定する可能性はありますね。
これにエネルギィ吸い取られて、短編書く気分が失せてしまうかもしれないけど、そもそも短編は休みなく書く必要性はないですからね。

高次思考センター(メンタル体)を育成しよう。
他の人の意見を聞いたり、エビデンスを求めたりするのは、地上においての相対的な知性であり、それは永遠に迷い続ける知性です。どこにも行きつかない。
高次思考センターの場合、この二極性はないんです。考えたことは絶対である。この真意について理解できるのは、高次思考センターを持った人だけです。
地上においての客観性は、長期的な時間の中での主観性で、崩されます。
その場かぎりのエビデンスに依存するからです。








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