2018年9月21日金曜日

20180921 エーテル体ができると死ぬ

今日の夢は、人間がくるくる回るか踊るかしており、エーテル体が出来たら死ぬというものでした。不死の身体ができたら死ぬという連日の話題の続き夢です。が、朝起きてから、これは時間が反対になってると思いました。むしろどちらでもいい。人間が生まれて物質的身体を手に入れると、この物質的身体は振動密度が低く、速度が遅すぎてエーテル体やアストラル体にはとうてい追いつかない。なので、生きている間にエーテル体など作ることは土台無理なのです。作るとか、創造するとか、前進するというのは人生の中ではまずまず無理。できることといえば思い出すことであり、自分のエーテル体、アストラル体を意識に上げることです。これはレーシングカーを止めて、車体を点検している作業に似ている。死んだらまたレーシングカーは走るのです。で、シュタイナーは生前に霊界を発見しない人は、死後発見することはできないと言いましたが、これも生前の肉体生活は、エーテル体、アストラル体よりも遅いので、生きている間に頑張って繋いでおかないと、死後取り残されるということです。迷子になって戻る場所がなく、その人は消えてしまうのです。エーテル体の反映である天王星に追従するには、物質体の反映である土星は、2.89回回転しなくてはならない。なので、夢の中のお茶を運ぶ木の人形は3回弱くるくる回って天王星に追いつくという感じですね。生きている間にエーテル体を作るのでなく、真相は、エーテル体が思い出せるまで、ぎりぎり生きるということです。ただ時間というのはどちら方向で見てもいいので、生きている間にエーテルボディを作るのだというふうに、物質生活に希望をもたせる解釈の人もいるということです。行為というものは自分から自発的にしているのだという発想と、呼ばれてそこに引き寄せられているのだという発想の違い。自発的にしているという発想の問題点は固有のプライドが高くなりすぎる危険性があるということです。プライドが強くなりすぎると、人は狭い場所に閉じ込められます。
PS.作るのはアストラル体かなとも思ったが、夢の中では、はっきりとエーテル体と言ってた。ここ間違わないでくださいと言わんばかりに、くっきりと。




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