2018年9月28日金曜日

20180928 べべ

人間の基本構造は、縦に7つ、横に12の輪というものなので、たとえば仙人になって物質肉体を捨てた場合も、それは7つのうちの一番下の部分がなくなったのではなく、それに代わるより振動密度の高いものにシフトしただけ。というのも7つないと、知覚が明晰に働かない。通常の死者はこの一番下がなくなってしまったという違いがある。自我が明確に働かないと、自分を構成する部品がそれぞれあちこちの製造元工場に戻ってしまう。昨日の夢で、綿飴のような質感の糸が張り巡らされたものを見せてもらったのは、この第二肉体の素材を呉服屋さんで見せてもらっていたと考えると良い。エーテル体は植物性質を借りていると言うが、植物性織物にはいろんな素材の種類があり、わたしが昨日見せてもらったものは陰影の深いもので、気に入った感じでもありました。日本の古い家では、いくつかの家がいろんな織物素材を扱っていますが、それぞれの素材は、そのもとになるエーテル素材の物質的名残のようなもので、この名残からもとの素材の性質を理解することもできる。一番下のチャクラを赤色とみなした時、これは紅紅で、子供はべべと言います。ハワイではアカと言います。赤い靴履いた女の子は、宇宙人に連れられて行きますが、エーテル物質のべべ着て、雲の上をあちこち移動する。生きている間に、お客さん、どの反物がお気に入り?と聞かれ、選ぶ必要はある。死んだ時の状況で何着たかわかると思うが。というのも死ぬ瞬間が着替えシーンですから。植物が好き、クローゼットにたくさん洋服隠し持ってるというのは、エーテル体に興味があるということ。アストラル体というのは、中身の肉体と考えてみると、混乱はしないと思います。アストラル体だけで出歩いているというのは、ネイキッドの人。でも、裸で出歩いているとみせかけて、実はこれ着ぐるみ、というのもアリ。21世界のカードでは、中心にいる人物は裸ですが、サリーみたいな斜め布と、外側の楕円ということを研究してみましょう。楕円はエナ、あるいはうつぼ舟で、つつくと噛み付くよ。つつくと大蛇になり、ヴァルナになる。えっ、じゃあ中の人はマイトレーヤなんですか、と聞く人もいるかもしれないが、それもありかもしれない。権威を見せつけるには裸ではいけないよ。

仙人は一部の仏教では、外道を示すらしい。これは笑い話とも思える。解脱して無になるのが仏教の達成イメージということもあるのだろうか。実際には無というのは何段階もあり、解脱して無になったところがエーテル界だったりする。そこで解脱して無になるとアストラル界になる。朝、いつも行っていたカフェで、店員から「なんの仕事してるんですか」と話しかけられて、そのカフェに行くのはやめました。で、次の行きつけのカフェ見つけたのですが、朝は、やってくる客がルーチン化していて、みな行動も定型化。たとえば、8時半にやってくる女性は潔癖症で、カウンターのテーブルを掃除する。横から見て何一つ埃がないとわかると、やっと落ちついて座りアイスコーヒーを飲みながらノートを開く。ほかの人は同じ時刻で、10分間は寝る。で、わたしを毎日見ている爺さんは、廃業した床屋で、前にこの床屋に行ってたので、わたしのことを覚えている。話しかけると、わたしの仕事は台無しになるので、話しかけないようにしているが、話かけてくれない?という表情でいつもわたしの顔を見る。絶対話しかけないぞ。この定型化した常連を見ると、蝋人形館に来たような気分だ。店員がはみだし行動をするというのはよくあることで、ずっと昔、行きつけのカフェで、店員の人が「僕の友達が、あなたの講座に出席したことがあると言ってましたよ」と言ったし、客が「いつも本読んでますー」と話しかけてきた時は、もう潮時だと思いました。出禁の店が増えるなー。今回の店は出禁にしたくない。
PS.いま書いている本が終わりそうですが、それでものんびり時間をかけています。というのも終わると次が始まる。だいたい書き終わると最初に戻り、最低三回は戻るかな。時々ループに入ると、この本をずっと訂正し続け、書き加え続けたいという気分になるけど、それはしないように心がけている。わたしも蝋人形になると、一年も二年も、ずっと同じ本を書き続けるだろうな。










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