不死の身体は相対的であると書いたが、惑星に住む人間H48の世界に対して不死というのは、すぐ上にあるH24の全惑星意識を重心にすることで、これがエーテル体の身体を持つということになる。誰でもH24は少ない比率であれ持っているが、それを重心にして、継続できるということが重要だ。H24レベルで自給自足できるのが惑星に対して不死の人になるということだ。大阪なおみが勝った時に自分のように喜んでいるファンは、大阪なおみからH24をもらっており、つまり自分で産出できない。で、大田氏は仙人になる過程で、心臓か足が悪くなる、人付き合いが減ると言ったが、大地を惑星とたとえ、この惑星意識とのつなぎである足が弱くなるのは当然で、とくに大地で積極的に踏み出す側の右足が悪くなる。地上で働きかけしなくなってしまうのだ。人付き合いが少なくなるのは、H24の横のレベルでのつきあいが増加し(みずがめ座5度の「先祖委員会」)、気がつくと、地上的なかかわりが減ってしまっている。そもそも地上世界においては人と共感できない。共同体では、共感しない人を見ると敵意を持たれているか、ハブキにするべき相手とみなし、事件がおきやすいので要注意。わたしは中学生の時からヘルマン・ヘッセを愛読していましたが、ヘッセは孤立人間を描く。町中アウトサイダーの「荒野のおおかみ」ハリー・ハラーは近隣の人との関わり方に悩むが、仙人になる人は、社会の中に住む以上は、この周囲の人々とのかかわりかたに警戒しつつ工夫しなくてはならない。ヘッセは感情が虚弱で、かまってほしいアウトサイダーとして半端なところに立っているので、ヘッセの本はあまり参考にならないが、みずがめ座のサビアンシンボルに散見するように、二重人格にして、社会用仮面を用意するというのが一番無難だ。まあこれが19太陽のカードとも重なる。西欧型社会では、東洋のように山に篭り修行するというのが許されないので、仙道修行に戦略的人格二重化という項目が付け加えられた。これがグルジエフの言う第四の道でもあるが。ヘッセはこの二重化ということをはなから考えておらず、いらぬエネルギィの消耗をした。マーラーもそうだが、どうしてそこまで単純?と聞きたくなる。誰かがわかってくれるはずだと信じている。H24クラスターの連中はわかってるのだから、それでいいじゃない。わかってもらいたいという気持ちを根っこから絶つというのは、感情H24の自立を促します。わかってもらいたい気持ちを根っこから絶つ人は、人のことを本当によく理解しているということでもあるが。でも、そもそも戦略的二重人格化は、西欧オリジナルでなく、達磨大師が考えたことでしょうが。
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