>わりと最近まで私は、生命の7つの階層というのは階段のようになっていて、
>7段全体の一番上と一番下に無と無限があるのかと思っていました。
7つがずっと連なっているとみなすのは、外から見た場合。
これが生命の階段だとすると、一つ一つの中に意識がある。
で、この7つのうちのひとつから違う階層を見た時には、
そこには無の壁がある。
つまり7つがつらなっているというイメージは、物差しに七つの区切りがあるというのを見る時のもので、生命の七つという発想ではない。
外面的に見ないのなら、これはわかるはず。
>私は、階層というものは始まりや終わりが無く、いくつもの階層が延々と
>続いているような気がしていて、それの根拠や理由を聞かれてもわからないのですが、
>なんとなくそう思っています。
>なので、生命は7つの階層でできている、ということについて、私なりに考えた結果、『「生命」とは、延々と連なる階層から、7つを使って作成したシステムのことである。』という答えが出てきたのですが、うーん、これも全く違っているのかもしれないな。
特定の場所の七つの連なりを選んで、上と下を「知覚不可能」という無あるいは絶対で括る。この無とは、二極化しないという意味。二極化しないというのは、そこに動きがない、皆無になるというような意味。
なので、7つで閉じた存在に、その上下にあるものを提示しても、それは存在しないと言う。
>7段全体の一番上と一番下に無と無限があるのかと思っていました。
7つがずっと連なっているとみなすのは、外から見た場合。
これが生命の階段だとすると、一つ一つの中に意識がある。
で、この7つのうちのひとつから違う階層を見た時には、
そこには無の壁がある。
つまり7つがつらなっているというイメージは、物差しに七つの区切りがあるというのを見る時のもので、生命の七つという発想ではない。
外面的に見ないのなら、これはわかるはず。
>私は、階層というものは始まりや終わりが無く、いくつもの階層が延々と
>続いているような気がしていて、それの根拠や理由を聞かれてもわからないのですが、
>なんとなくそう思っています。
>なので、生命は7つの階層でできている、ということについて、私なりに考えた結果、『「生命」とは、延々と連なる階層から、7つを使って作成したシステムのことである。』という答えが出てきたのですが、うーん、これも全く違っているのかもしれないな。
特定の場所の七つの連なりを選んで、上と下を「知覚不可能」という無あるいは絶対で括る。この無とは、二極化しないという意味。二極化しないというのは、そこに動きがない、皆無になるというような意味。
なので、7つで閉じた存在に、その上下にあるものを提示しても、それは存在しないと言う。
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