2020年1月22日水曜日

20200122 善と悪?

また質問です。

>宇宙意識には悪、邪悪な存在というものはないのでしょうか?
>分割された意識の中での善と悪は理解できるのですが…。

この質問には矛盾があります。
善と悪という二極性は、分割された意識でできる地球、惑星意識H48でしか成立しない。
ということは、それらを統合化した「宇宙意識」においては、悪とか邪悪な存在はないということになる。
悪とか邪悪な存在は、地球から見た時のみ成立する。

>ネットに載っている、○○星人の説明を読んでいると
>邪悪そうな存在が書かれているので
>上位のモノと比べて、低いことが悪に見えるということなのでしょうか?

○○星人が邪悪そう、というのは地球から見て、そのように見えるという意味です。
上位のものと比べて、低いというのは分割であり、分割の果てには物質が作られる。低いものは、上位のものを分割して形成されるので、つまり光と闇にわかれる。なので、低いものにはかならず邪悪なものが形成されるということです。

>というのも、何かが自分に触れて、爆発するような破壊エナジー連鎖を感じまして
>持っている恒星の影響か、相手が持っている恒星の影響かなどと考えてしまいました。

爆発するような破壊エナジー連鎖は、邪悪なものかどうかわからない。
固形物を破壊していくのは、固形物に同一化している意識からすると自分を否定し、壊すもの。しかしより上位の意識から見ると、解放、救い、援助にも見える。
つまり、自分の固形的存在性を維持することが、善だとみなす人からすると、
上位にある意識は、すべて破壊的で邪悪に見えるというケースもあるということです。

で、最近、わたしの知っている人が死去しましたが、さすがにわたしは年寄りなので、周囲で人が死ぬのをよく聞きます。
いつもの傾向で、この知っている人が死んだとき、死を悼む感情は抱きません。
嘘をつくわけにもいかないので、お悔やみの言葉を発することはできません。そう思ってないんだから。結果的に、何も言いません。
死んだことに対して抱く感情は、よかったね、とか楽しいだろう、と。

死者を悼む感情はどこから発生するのだろうか。
これは生きていることがいいことで、自分もまだ生きたいので、そこからすると死ぬというのは痛ましい事態と見えるのです。
この姿勢で、死者に対してコメントするというのは、死ぬことを否定し、それを悪いことのように解釈するわけですから、死者に汚い言葉を投げていることと同じです。おまえは悪いことをした、と。
誰でも、この世界でしたいことを全うすれば、もう飽きて、ここから退去したいのだよ。
その意志を否定するというのはどういうことなんだろうね。

で、わたしは最近死んだその人に、ずっと昔、近親者で死ぬ人がいたら、現場に立ち会って、その死のプロセスをつぶさに観察するといいと言いました。その人はそのとおりに、自分の母親が死ぬ時に、状況を見ていました。人は死ぬ時に、暗闇に吸い込まれるのでなく、身体の拘束から解放されて、空間に広がります。そして広がるとは笑いです。苦痛は常に閉じ込められる時に感じることです。
身体から解放されつつある時、身体の外にある情報に気がつくので、たとえばわたしの知っている人が死ぬと、わたしが死のプロセスを見ていることに気がついて、わたしに「今後の状況はあまり詳しくしらない。教えられていないので。なのでこれからどうすればいいか、少し教えてもらえるかな」と言います。
でも、最近死んだ人は、自分の母親が死んだときどうなったかを多少とも知っているので、迷うことはないでしょう。
四つの門について知っていれば、ディエス・イレもなく、フォーレのレクイエムのようなプロセスを辿る。

善・悪の定義は主観的なもので、そこに真実などありません。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。

20241106 まだ声を出すのに躊躇する

 なので、教材を作りたいが、まだ待っている。完全に回復してない。 ところで、サビアンシンボルについて、人は一生で、ひとつのアカシックレコードというか、サビアンシンボルを体験すると考えるのがシンプルで良いのでは。72年で1度。 しかし、このアカシックレコードに深く同一化しているので...