2019年5月7日火曜日

20190507 陰陽と無

ひとつの世界は陰陽で成り立っていて、この陰陽が衝突するとそこにその世界が消失する場所ができる。この消失点はその世界から見ると無だがたとえば光さえも抜け出せないブラックホールがあるというような話は、この陰陽の対消滅すなわち二極化の統合が理屈として想定されていないということにあるのでは。対消滅すると光も重力もなくなる。物理学では無をいつまでも先延ばしにするが、無を取り込んでしまうと、それまでの二極化、陰陽という関係が成立しなくなるのでほとんどの理論が使えなくなる。で、ひとつの世界は陰陽で成り立つが、ここに無の点が介在すると、それはもうひとつ上の次元が関与している場所が開くことになる。無がないとこの介入ができないで、いつまでもそれまでの世界の陰陽が続き、どこにも入り口がなくなってしまう幽閉状態が起こる。わたしはこれをアインシュタインの呪いと言う。この無は、虫が大地を這っている時に、上空から鳥がやってくるという関係性ということで直交で関与していると考えてもいいかもしれない。物理的な世界に先延ばしでなく無が組み込まれると、そこで次のエーテル界というものを想定することが可能だ。エーテル界では、物質界の因果律はほぼ成立しない。物質界の陰陽はどこ吹く風みたいに扱われる。これが夢の世界だ。で、人間の知覚というものは合計で三つの次元の関与が必要で、一番下の世界での無は、次の世界との扉を作り、二番目の世界の無は三番目の世界の扉を作る。この三つを総合的に考えることができたら、プラトンのイデアと物理学的な物質世界が連動する。物理学は哲学になる。ミンデルは素粒子と、意識が連動するものとみなしていたが、厳密にいうと、こういう適当な発想は排して、明確に意識と物質の関係性を極めたほうがいい。ひとつの世界の陰陽を衝突させると無が生じるが、この無はこの陰陽のどちらでもないことははっきりしており、これをごまかすことは無理だろう。有がなければ無がないという発想は、むしろ陰陽論の中に巻き込まれて砂地獄にはまったというようなものだと言える。これは関係性の強要であり、あなたも地獄に来なさいという誘惑には乗らないようにしないと、人生は疲れるよ。

夢を正しく解釈する練習では、誰かが言ったことをそのまま取り込むというのは間違い。なぜなら、象徴は自分との関係で意味が成立する。意味を与えるものは自分なので、他の人からは、その事情が理解できない。で、わたしは参加者の夢について解釈はしないほうがいいと前から思っています。となると、本人がするしかないが、みんななんとなく不安げで、きっぱり読まないね。立方体の三種類の対の関係を揃えると、意味と象徴と物質は合致すると説明したが、これは下の対の真ん中の無が、次の対と共鳴するし、さらにその中心点の無が成立すると、もうひとつの対と共鳴して、「無の軸共鳴」みたいなものが発生し、イメージと意味がぴったりと重なるからだ。実は、この地球世界では、この象徴やイメージと意味が合致してないのです。だから、ここで生きている人は、夢にしても、どんなことにもついても意味がわかっていない。こうかな、ああかな、という堂々巡りで一生を費やす。たとえば6つのアーキタイプの中のひとつの母について、母殺しができていない人は、人生を運営する時に何も決断できませんよね。他の人の意見とかを気にして、自分がこうしたいということを言えない。母が何?と聞くと、もう何も言えない。中心点が見つからないと永久地獄です。で、夢を正しく解釈する練習として、三人とかでチームを作って読みあうというようなことも途中過程であってもいいのでは。どうせ読むのは自分しかできないんだけど、ちょっと刺激くれませんか、というような感じかな。

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