2019年5月28日火曜日

20190528 夢の中の蕎麦

今日の夢で、Aさんが、これがスーパーストリングスだと言って、陶器の皿に乗った蕎麦を出してきました。しかしわたしはこの皿が気になり、わたしのほうとしては右と左の手のひらの間に伸ばした蕎麦の束を見ていました。でもその後、わたしはこのAさんの言う蕎麦を試しに食べていました。細くて固い麺でまずくはなかった。何が違うかというと、超紐は物質の部類なのか、つまり皿の上にあり皿の仲間の精妙成分なのか、それとも、手のひらのうちにあり、意識に従属し意識に反応するものなのかということです。意識と物質という問題では、旧科学は意識は存在せず、意識は物質が偶発的に作り出したものという考えもあります。この超紐は夢の中では蕎麦だったということで、今日わたしは夢の中で三回も蕎麦を食べました。この超紐はエーテル体に似ているが、同じものではありません。同じものとするためには、エーテル体は意識に完全に従い、しかし超紐は物質かもしれないということの食い違いを解消しなくてはなりません。このあたりのテーマは時期が早いと思ったのですが、Aさんがこの話題に持ち込みたいらしいです。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。

20241106 まだ声を出すのに躊躇する

 なので、教材を作りたいが、まだ待っている。完全に回復してない。 ところで、サビアンシンボルについて、人は一生で、ひとつのアカシックレコードというか、サビアンシンボルを体験すると考えるのがシンプルで良いのでは。72年で1度。 しかし、このアカシックレコードに深く同一化しているので...