2021年1月17日日曜日

20210117 ものを書いている時に、確認するもの

 最近ずっと書いているサビアンシンボルでアカシックリーディングするのシリーズですが、自分が書いている行為に対して確認することは、楽しいかどうか、ということがメイン。すこしでも陰りがあると、あまり好ましくないと考える。

で、前にタロットカードは、一枚ずつが神話元型であると言いましたが、カバラ派は、このカードにひとつずつヘブライ語をあてはめている。これは太陽のレベルの神話的言葉、すなわち光の言葉に等しいものと考えているようで、だから、ツァダイは星にあらず、と言って、そこにへーを入れ替えた時にも、これで母にして娘であるへーは復活したと言った人がいた。

で、この光の言葉に比較して、その下に位置する「光の通路となる」言葉は、これに四元素化、三区分化したものとなる。サビアンシンボルは、12サインの四元素、三区分があるので、これは変成意識をもたらす「光の通路」として定義される。つまりは、四元素、三区分をすべて統合化した度数の数字だけを取り上げると、メンタル体の言葉、マクロコスモスの言葉となるが、それでもその下位にあるサビアンシンボルひとつひとつが、強烈な変成意識をもたらすのは当然。

言葉ひとつ考えるだけで光が直射してくるというのは、カバラ派の文字派特有のもので、でも、これはよくよく考えてみると、シヴァが、一番下のシャクティのところにまで、意志を通しておかなくては、この爆発力は発揮されない。

前に、修行で呼吸法したりするのは違うのでは?と書いた。スイッチを入れるのは考えるだけ、思うだけ。つまりは文字を思い浮かべるだけ。本来はこれが正しい。

で、前回の(9)で、わたしが??と思ったのは、シヴァの意図が、一番下の七番目まで行かず、途中の六番目までで中途半端にとめてしまったために、もくもくと煙が上がってしまった。これが小ガンジス川で沐浴するインド人たちに、足止めされたという夢になった。

この時には言葉の力は弱まっていく。そして周囲は闇。これは気分的にすっきりしない。本来は言葉を発すると電撃が走るというものだろう。シュタイナーの言う喉は生殖器であるというのは、この段階で真実なものとなるはず。

光そのものである言葉。光を通すための通路としての言葉。光の通路となる言葉は、光そのものである言葉を12分の一に狭めたものだというのが面白い。

で、QHHTとかヒプノとかで見るものはアカシックレコードなので、それはかならずサビアンシンボルに対応するもの。いくつかのブレンド。でも、事物性を脱色した象徴言語として読まないことには、これはあの度数のサビアンシンボルを示しているということには、なかなか気がつかない。四元素の事物性に捕まえられているから、応用的知性がない。眼鏡を頭に乗せた人が、眼鏡を探しているような感じ。

アカシックレコードに記録されていない新しい体験はあるのかというと、ありません。なぜならば、色、音、イメージなどが存在しない体験をたいていの人は体験と言わない。アカシックレコードは時間の推移に支配されていないので、かなり未来的な体験も、結局それは昔にあるものと言われてしまう。

でもアカシックレコードから抜け出すのは簡単だ。色、音、イメージのない領域は、マクロコスモスとかその上のコスモスであり、そこにはアカシックレコードはないです。そして、生命もいないです。でも一なるものが分岐した意識はある。今日Kさんが、2の数字をヘルメスから教えてもらっているらしい。これは一なるものの最初の分岐なので、わたしが前から言ってるような背中に張りつく黒い魚です。なかなか対象化するのが困難。で、対象化しにくいという点で、意識があるのかないのか、はっきりしない。





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