2018年12月16日日曜日

20181216 宗教の信者

一般人の場合には、5つのセンターで生きている。しかもこの5つのセンターが統合化されていない。なのでけっしてその先の世界に行けない。で、宗教の信者というのと、たとえばオショーのサンニャシンというのは違うのだが、世間では似たようなものだと考えられている。信者になったりするにはいろんな理由があるが、サンニャシン(弟子)になるというのは、たいていは徐々に高次感情センターが働き始めた時にそういう行動をする人がいるはずだ。高次感情センターが働き始めているが、高次思考センターが機能しない場合には、帰依するとか、サレンダーするという態度が出てくる。王任三郎とか、オショーとか、高次思考センターのシンボルのようなものなのだから、高次感情センターはそこに帰依する、つまりお側にいる間に、正常な存在ならば、高次思考センターの力を盗み出そうとするのだが、怠け者は依存したままが続く。5つのセンター、しかもそれがばらばらに働いているといういわゆる一般の人々は、自分は宗教の信者にはならないし、独立性があると思い込んでいるが、実は信者とは、高次感情センターが働き始めているが、高次思考センターは不在というケースが多いということからすると、5つのばらばらセンターで生きている一般の人よりも、宗教の信者のほうが、少し先に行っているということだ。やっかいなのは、5つのセンターの中にある性センターはH12で機能し、きわめて高速で強力なので、それに思考とか感情が巻き込まれると、狂信的になったり、思い込みにはまったり、頑迷になったり、異常者になったりするということだ。この場合には、宗教の信者も、自爆テロの人みたいになったりする。5つのセンターで閉じる「平凡だがまともな人」になるか、7つのセンターで閉じる「完全な人」になるかどちらかが到達点だが、それ以外は荒れた海で泳いでいるようなもので、どこに行き着きたいのかを、はっきりさせないと、永遠に海に飲まれる。7つのセンターを目指し、5つのセンターの小さな結晶をいったん解体し、グルに帰依するというのももちろん進化の欲求から来ており、正しい判断ではある。それを正しい判断と言えるのは、怠けずに、高次思考センターの象徴であるグルの力を学習して盗み出そうとする態度を捨てない時だ。

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