2018年12月15日土曜日

20181215 宗教

わたしが1990年代にニフテイサーヴでシスオペをしていた時、幸福の科学の会員は教祖の本を大量にわたしに送りつけてきた。多すぎて読めない。結局一冊も読んでなかった。その後、ライバルのオウム真理教の信者は、わたしにダンボール数箱のオウムの本を送ってきた。送ってきたのは井上嘉浩だ。オウムはその後衰退したのかもしれないが、最近、大川霊言テロが、信者の新木優子にふりかかってきたことが話題になっている。オウムにしても、幸福の科学にしても、物質界というか、この地球社会に対してあまりに執着心が強すぎてこれは異常。大川隆法にしてもなぜそこまで欲深いのか。物質界とエーテル界を切り離して、宗教的な人々は物質界をあきらめてエーテル界に移動しなよ。あらゆる欲を捨てるといい。まあ、教祖が欲深すぎるので、信者はそこから逃れるのを許されないのでしょう。とはいえ、宗教団体の話をしましたが、社会主義とか民主主義とか、天皇制とか、これらも宗教です。宗教を批判して、民主主義であると思う人も、そういう宗教の信者なんです。出口王仁三郎は、日本人は三分が生き残ると言ったが、つまりこれは3パーセントが自己を失わないということで、彼らは宗教の支配からは自由だということかもしれないですね。

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