鎌倉時代風宗教の話題として、誰にでも守護霊がいるわけではないと書きましたが、そもそもわたしは守護霊って何か知らなかった。人間はメンタル体、アストラル体、エーテル体、物質体の四つで生きているので、守護霊というのは上位のメンタル体やアストラル体を他者的に投影したものでしょう。他者的に投影してしまうのは、本人の人格がこれらの上位のボディと差異性を持っているからです。そしてあまりにも差異性が高く、上位の意識との関係を持てなくなった人を、守護霊がないと説明したのです。遠くには関係しているかもしれないが、遠くという段階で、すでに無関係に等しいです。メンタル体、アストラル体、エーテル体、物質体が同期している、すなわち霊魂魄肉の軸がそろって同心円になってる場合には、反対の意味で守護霊はいなくなる。直通で重なるので、守護霊の存在は想定できない。自分が思ったことがそのまま守護霊の言葉になってしまうのだから。じゃあ、背後霊ってなに?と思うのですが、わたしは物質体の裏側みたいなところに、一番低いエーテル体が「逆相」で重なっていると説明します。おとめ座の視覚の裏。逆相という意味では、男女が反対になります。見えないところにあるヤコブの梯子の最下段。これは背後霊では?文字通り背後と書いているのだから。エーテル体は上位の意識とつながっている。つまり背後霊は守護霊に完全に従う。で、背後霊はかなり下界的なので、物質生活になにかと影響を及ぼすでしょう。二十代はじめのころ、つのだじろうのうしろの百太郎にはまっていた。あのどろどろの暗い風景は、いかにも低いエーテル体らしい。この低いエーテル体は肉体につながっているという意味で、わたしの夢の中では「家の近所の稲荷神社」という光景で登場します。稲荷神社を見つけたら、家に戻れるが、稲荷神社を見つけられないと、家に戻れない。つのだじろうの漫画だと、霊と魂は同じものとみなされている。魂を幽界にマッピングできない。幽界はエーテル界なんでしょうね。
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