2018年12月1日土曜日

20181201 前世記憶は嘘くさいのが当たり前

前世療法などで前世を自分で見た場合でも、どこか嘘臭いと感じる人がほとんどでは。この嘘くさいと感じることは大切。なぜなら、体験の印象に一体化してしまう比率が高いほど、その人は不在になるからだ。今の人生も嘘くさいと感じるのが正解。で、アカシックレコードのアカーシャというのは、第五元素のことで、ここには時間と空間がない。第五元素を四元素に分解することではじめて時間と空間が生まれる。アカシックレコードの文字を解凍して時間と空間の中に落として動画にしたのが今の人生。また前世の記憶もこのアカシックの記録のどれかを参照している。わたしたちは具体的に生きている時に部分的なことに気をとられすぎて、アカシックの記録そのものを意識することができない。足の爪を見ているが、それが何かの生き物の先だということがわからないようなものだ。自由意志の生活とは、この全体を見ないで一部のみ見ていると、あたかも自由に動けるように感じるということ。犬の身体が小さくなると三畳間でも運動場のようにのびのび感じる。このアカシックレコードの書物はタロットカードでは2女教皇が持つ書物として描かれており、だいたい女教皇の腰のあたりにあるが、12サインでは、おうし座に対応し、ミラーサイトは松果腺の周囲、胸、腰などにある。もとデータはいくつかの範囲があり、たとえばトゥバンの図書館は、これが管轄する全太陽クラスターの全域に及ぶ記録ということになる。地球範囲のアカシックデータは、エジプトにあり、これはジオテティックのサインではおうし座の始まりあたりに該当する。確かおうし座の1度くらいか。おうし座は身体に埋めこまれた資質、記憶などだが、これを読み出しすることでわたしたちの人生が始まる。11力のカード、あるいは11みずがめ座は、おうし座にたいして90度だが、ここでこの埋め込まれ、同一化したデータを自分から引き剥がそうとする。引き剥がさないと、魚座の後の春分点で、外の世界に飛べない。

外の世界に飛ぶというのは、その外の世界の構成する因子に、自分の心身を組み替えていくことをあらわす。今の自分がそのままで、どこか外の宇宙に行くというのは理屈として成り立たない。構成因子の骨組みが共通している宇宙には行くことができるが、さらに構成因子が違うところには行くことができない。で、地球アカシックにしがみつくと、構成因子の組み換えには抵抗するので、どこにもいけない。だから脱ぎ捨てる。あるいは脱衣婆が脱ぎ捨てのお手伝いをする。時空に分解された四元素を、もとのアカシックデータとしての第五元素に戻すのは、図形として、エジプトのピラミッドに似ている。大地に四つがあり、上空では五番目に集約されている。ここから外に飛び出すというのもあるのでは。四元素に細分化されるのが実人生で、そこではアカシックは読めないが、死ぬ直前にはこの巻物をちらっと読むことができる。細部から手を離したら読める。

物質肉体を脱ぎ捨てると、エーテル体の身体となり、これは局在から非局在に拡張していくこととなり、サイズが可変するので、たとえば太陽系のサイズくらいに拡大することもある。太陽系サイズにエーテル体の網目が伸びた情景というのは、太陽系の範囲まで、身体内の血管網が張り巡らされたのと似ており、この時、太陽系のサイズなのに、自分は四畳半の部屋にいるみたいに思ったりする。構成因子のプロトコルは8文字、8点。つまり四畳半の8つの隅みたいな。もちろん、これマカバの8点と考えてもいい。




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