2018年12月30日日曜日

20181230 新年挨拶はやめよう

わたしのタイムラインに、新年の挨拶的な内容のことはかかないでください。前から言うように、グレゴリオ暦の新年は自然界のリズムとしてはまったく意味を持ちません。するなら、節変わりとか、春分点通過とか、七月ですね。それぞれはっきり思想的根拠がある。日本の神社もおかしな話で、二月に初午やったりします。どうしてそこまでめちゃくちゃするか不明。寒いのに。形式だからと言って従っていると、本人が形式から出られなくなります。わたしの命式は、春の草花を瓶が割れそうなくらいいっぱいに詰めていくので、フランク・シナトラのマイウエイが彼のライフソングみたいだとすると、わたしのライフソングって、森山良子の"この広い野原いっぱい"ですよ。世界に歌はたくさんあるので、自分のイデーフィックス探すと、かならず見つかります。わたしのイデーフィックスは実は"この広い野原いっぱい"ではないけど、四柱推命は世間の顔をあらわすので、その点では、森山良子でいい。https://www.youtube.com/watch?v=BZBbi7bUa3M

四柱推命とか算命で、その人の根源としてのメンタル体などを推理できるかというと無理です。ホロスコープでも無理。ただ、反射はするので、本体がわからないけど、本体の影が差し込んできたという部分はわかります。四柱推命もホロスコープも、地上に降ろされた梯子みたいなもので、それを使って、途中まで上がることはできます。しかし先に進むことはできない。ただ世間にあるいろんな学問とか分野は、この梯子の働きさえないので、その点では、四柱推命とかホロスコープは最低限学んだほうがいいだろうね、入り口として。よく宇宙人が、ホロスコープを使えと言うけど、その真の意味については今の地球人の知性ではまだ理解できないのでは。

それで、説話社の山田さんが、メールで、わたしに池田笑み氏の文章を送ってきた。「2009年に雑誌『MISTY』で、マドモアゼル・愛氏と松村潔氏の対談で、テーマが「母殺し」だったことがあり、その当時から愛先生は月をいったん殺すことを力説されていたかと記憶します。雑誌全部処分しちゃったので、もう読めないのが残念。」わたしは月を殺すとは言ってないが、月を体内から吐き出すのは重要とは言ってる。月を犬や猫に押し付けよう、と。こういうことも、ホロスコープがわかってれば細かく分析できるでしょう。そういう知識のない人は、自分の月を分離するなど、ものすごく時間かかるし、一生できない場合もある。でも、正確には母って月ではないんだよね。




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