病院日記、二日目です。
入院していない時と、そう大きく変わらない暮らしです。
テレビカード買わなくてもテレビが見れる個室なので、朝からだいたい毎日見ている番組を見ています。やはり羽鳥モーニングも。
今日は朝の五時あたりから、依頼されている原稿5000字書きました。
昨日、珍しくエアコンをつけたまま寝ました。
これすると、喉風邪をひく可能性が高く、すると手術は中止になるのでリスクがあるけど、マスクを着けたまま寝てみました。喉は傷んでいない。28度、しずか、の設定ですが、それでも肩あたりが冷え冷えになる感じです。洗面器に水は張っています。
耳栓をつけていなかったので、近所の電車の音がうるさく、看護師が様子を見に来るたびに、ドアをそろっと開く音も聞こえていたので、睡眠不足ですが、今日はいつもの樹脂製耳栓をつけてみる予定。
というような細かいことを書くのが病院日記ですよ。
メール来ました。
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夏の大三角を意図。「H6·H24·H96の振動を正しく揃えないとなぁ」と考えていると、縦に○が3つあってその中心を直線が貫いている図が床に描かれているのを見た瞬間、視界が振動して脚と手が半透明になり「消える!」と思った瞬間目が覚めました。
中層重心が揃うと消えられるよと教えてくれました。宇宙人は親切。次に消える夢を見たら感謝して消えたいです。
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三つが均等の関係で、同調すると、上が下に降りて、下が上に上がり、これが基本的な大切なことです。
メールの続きとして、ある人のブログを見て、「精神宇宙探索は悪い宇宙人に乗っ取られるからしない方がいい」というような内容を読んだらしい。
そういえばわたしが今日朝に書いた内容として、惑星は自分で発光できず、太陽にパラサイトするので、結果的に太陽に向いていないところが影になる。このような二極化された条件下では、自分で発光する恒星を見ても、自らが抱え込んだ影にそれを投影することが起きやすいので、特定の恒星を邪悪なものと見なすことになる。つまり悪い宇宙人というような概念も発生する。
恒星探索は、影を克服した全惑星意識のレベルで行わないと、正しいところに行きつかない。というようなことを書きました。毎度、わたしが言ってるような話です。
そのブログの人は、自分は天使に守られていると言ってるらしいけど、天使に守られているということ自体が、惑星意識に住んでいるということになる。発見する、包まれる、なり切るということからすると、恒星に馴染むと、天使に守られるのでなく、自分がこの守る側の天使になる。これは太陽のことでもあるので、守られた人は、相変わらず、自分の背後に闇を抱えることになる。
というわけで、わたしは惑星は恒星の力を受け取れないので、それをしてはならないとしつこく言ってますが、でも理解できない人は相変わらずたくさんいるんでしょうね。
で、もうひとりのメール。これは7月31日の夢の話らしいです。
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駅の自動改札機
通れるか?止まるか?
アルビレオ、シェーンベルク、世界は終わりに近付いている。
「アルビレオ」「シェーンベルク」「世界は終わりに近付いている」は文言として出てきました。
この時は、文言の関連等、夢の意図するところが見えずにいました。
その後、デネブの選別の話や、H12のクラシック音楽の動画を見て、この夢の内容、3つの文言が、一連の話題と連動していそうなことに気付きました。
自動改札機は、ちょうど足の付け根辺りでストッパーがでるので、
足が出ていると引っかかり、腰で浮いていたら通れる。
この辺りが分かれ目と示唆しているとも取れる。
硬化する世界の限界点が近くなって、アルビレオ(白鳥座)が動きはじめた。
(ちなみに、わたしはこの改札を通ろうとしたら、引っかかってしまいました。
自動改札機は、pasmoではなく、タロットカードをかざす仕様でした。
・タロットパスワークを通して、全てのカード、アーキタイプに馴染むこと
・H12音楽、シェーンベルク等を聴くこと
硬化していく世界からの離脱、腰で括る方法として、
この辺りがわたしにオススメされている方法なのかな?と改めて思いました)
同じような内容の夢が、3つ揃うのは、やっぱり何かしら重要なのかな?と思い、メールしました。
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アルビレオが選別する役割で、泥水にくちばしを突っ込むわけです。
「ちなみに、わたしはこの改札を通ろうとしたら、引っかかってしまいました」というのは、腰から下が重いというわけで、10年後くらいには取り返しがつかない差が出るが、それまではまだ余裕があるので、徐々に変容すると良いです。
ゴルゴダの秘蹟は、信仰の試金石と言われていたけど、それはイエスが応身になったとき、それを認めるか認めないかで、方向がふたつにわかれたからです。
応身は、腰から下がなくなることを意味する。というより、腰から上の振動を足場とすること。
ゴルゴダの秘蹟の例からもわかるように、このような枝分かれは、これまでにも何度かあった。
大きな分岐、もうひとつ小さな分岐がある。
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