音楽の中のH12(高次感情センター)成分
メール
-------------------------------
先生の動画を見てH12を感じるためにクラシック音楽を聴いています。
まずはブラームスの交響曲第1番にしました。
4楽章の最初のストリングスのピッチカートにドキッとしました。
有名なフレーズが流れてからは鳥肌というか、ずっとぞーっとしてました。思わず自分が指揮者みたいになった感じで体が動いてました。
これがH12?の感じなのでしょうか?
4〜5回聴いたぐらいで感じられるものではないですよね?
地下鉄の中で目をつぶって2楽章を聴いていた時は向かい側の座席にこなきじじいが座っているイメージがありました。
4楽章は興奮しまくりで生で聴きたいと思いました。
言葉では表現できないのかも知れないですが、音楽を聴いてH12を感じでいる時の状態を教えて頂きたいです。
----------------------------------
忘れていたので、四楽章聴いてみた。病院に、iTunesのリッピングHDDを持ってきているので。
H12音楽はどういうものかというと
H48は個人。H24はこの個人を集積した集団意識に照応。H12は太陽に対応。
まず、H12は個人性というものがまったくないということ。
個人性がないというのは、個人の感情が入っていないというだけでなく、個人という「肉の目」が見るところの風景、事物も入らないということです。たとえば猫がかわいいという時、猫そのものを見ておらず、猫を見る自分を見ているだけ。これも個人的なものと考えるといいでしょう。
個人的なものはいけないと言ってるのでなく、ここで音楽からH12成分を抽出せよ、という話になると、次々と個人性を取り除くのが良いから。
「地下鉄の中で目をつぶって2楽章を聴いていた時は向かい側の座席にこなきじじいが座っているイメージがありました。」これはやってはいけないこと。絶対音楽には、具象的なイメージはつけてはいけない。アイルランドの作家の小説を読んだ時、ベートーヴェンの交響曲で、象の行進をイメージしたと書いているけど、正しくない聴き方で、アイルランドやイギリスの音楽は哲学的でないというのも、このあたりから来ているかもしれない。
H12が太陽に対応すると考えた時、太陽は自ら発光しており、惑星のように光を太陽に依存しない。なので、太陽の光は全方向的で、陰りがない。
この「全方位的に光を放つ」という精神状態の時に、その人は完全な満足を得る。
なぜといって、陰りを何一つ持たないのだから。陰りはその人の不可能性とか疑念とか、無力感、自分ではないものが混じっていること、外に投げ出されたもの、見動かとれないものということです。
芸術家は作品を作っている時だけ、全方位的放射の状態に入ることができる。
そして、日常の生活に戻るときに、また転落する。
H12に個人性がないのは、この陰りがないことも関係する。
個人とか惑星というのは、太陽系中にある不活性の陰りでもあるからですね。
沈殿、転落。
最近youtubeで、氣志團&LiSA One Night Carnivalを聴いたけど、
https://www.youtube.com/watch?v=OtcR8b_SXQY
いつも、氣志團の「おれんとこに来ないかい」というセリフが気になる。
それは家?家だとするとどのくらいの広さ?家賃いくらなのよ。
この音楽のコンセプトに合ってないでしょうと思うわけです。
この中から、H12成分、H24成分、H48成分を抽出したりしてみるのもいいのでは。本体はH24成分の音楽であるけど。
あの頃の俺たちは、夜の闇の中でしか夢見れなかった、というけど、いつでも人間はそうでしょ。
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。