2018年8月29日水曜日

20180829 主人は無関心

秋山氏が言うような恒星(or星雲界)の故郷を発見するというのは、高次思考センターを手に入れることと同義語。エニアグラムでは、これは第四オクターヴの"主人"の場所。主人とは馬車、馬、御者、主人という四つのオクターヴの一番上のこと。ところが、第四オクターヴはH6でドの音であり、下に対して接点がない。それをわたしは「根本的に無関心」という言い方をした。下々のことを知らない。そもそも太陽系の内部に惑星があることも知らない。一方で第二オクターヴつまり馬は、H192から進化して、エニアグラムの外宇宙との唯一の扉9から飛び出すことができる。というのもミの障壁(壁を越えられない不可能性)は終わっており、ソ、ラと飛び出すことができて主人のドの場所に行くことができる。これがシュタイナーの言う、高次エーテル体のこと。それはメンタル体(高次思考センター、恒星)の代理をすることができる。あるいはそこに振動が重なる。これは下からの通路が十分にあるという意味では、下界に無関心ではない。下に下りて、第一オクターヴの馬車の中でもっとも進化した部位、性センターH12のシの不足を埋めると、そこにアストラル体ができる。カモワン版の16神の家の絵にある胎児の形かもしれないが、16神の家ではまだ時期が早い。ホドロフスキーの説明で早合点だと思うのは、この部分。性センターが完成するという意味では、ここでツインとの一体化と考えたり、人により、さまざまなことを考えるだろうが一番重要なのは、不死の身体を手に入れるということだ。いま、このままの肉体が不死になるということはないが、シフトした肉体というものが生まれることになる。エニアグラムそのものが宇宙船だ。宇宙船はあちこちに行ける。宇宙のすべての成分を含んだエニアグラムは、内部的にどこの宇宙にも行ける(同調できる)という意味なのだから。太陽系の中にある古い記憶の中から、太陽系の外とつながることの可能なアストラル体祖形を見つけ出すのは面白い作業。これはタロットでは18月のカードの作業。育成は19太陽のカード。

十牛図で、第九図に行くのは、第二オクターヴ存在。第二オクターヴ存在は、降りて、第十図で、町のあんちゃんに働きかける。「蜘蛛の糸」で、気まぐれにお釈迦様が糸を垂らしても、切れてしまうのは、お釈迦様が第四オクターブだからでは。つまりそもそも、カンダタの地獄に住んだことがないので、事情がわからん。糸は拡大すると、筒になる。この中を回転しながら、上昇するが、お釈迦様は強度の高い筒を作れない。そこまで物質密度の濃いものを、お釈迦様が持たないので。お釈迦様が筒を作ると、あっという間にオシャカになってしまう。


性センターの上に乗せるアストラル体は、秋山氏のいう三つの宇宙種族のうち、エルだけが、影の半身とかツインという発想を持つだろう。残りのふたつにはジェンダーがないので片割れというイメージをもたないので、単独存在としてのアストラル体を引き出す。するとどうしても、人の形というものではなくなってしまうのでは。わたしのところに来たオリオン方向の宇宙人はハニワ型だったが、これを果たして人型と言えるのか。でも、思い出すに、ハニワ人の場合も、彼がわたしの腰に手を伸ばそうとした時、手を払いのけたし、黒い怪物の場合も、手のひらで、わたしの手をさすったし、この手のひらというのが重要な鍵になっているようだ。つまり会話したとか、コミュニケーションしたというより、ハニワ人も黒い怪物も、直接わたしの手に当たったからだ。当たるというのは異例なことではあるまいか。当たるというのはそこを通じて同じになるという意味を含んでいる。あきらかに侵食であり、彼らはわたしを別物と思っていない。異種族が直接当たったりすると、どちらかが滅びるのは当然なのだから。たとえばわたしが何らかの事情で死んだりすると、直接手を引いていくつもりという合図でもある。肉体成分が同じか、同じになるかということだ。










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