占星術の惑星とかサインとかアスペクトにしても、象徴性が強く、具体的な事例に落とし込むと、金星にしても100も1000も出てきてしまうので、ホロスコープは具体的なことを説明するのに適していない。予知しようとするとたいていははずれる。というのも読み手は自分の記憶している落としこみ例しか知らないので、それで読んでしまおうとする。で、具体的に落とし込まないで象徴性のままにしておくリーディングは高度なリーディングになる。読まれた人が、偏った具体的なことしか理解できない人間なら、これには不満を抱くはずだ。どういう意味なのか、どういうことなのか、わからないままになるからだ。でも、これが読み手の良心というものだろう。象徴性という点で言うと、たとえば金星はまったく相反する意味を持っている。象徴としては矛盾しないが、具体的な説明としては対立するものを示すことも多い。で、具体的なことにあてはめようとすればするほど、占星術の本質的な意義が壊れていくので、壊れていくものと、もとを復元するものと両方の作業をしてゆくとバランスとしては悪くないのかもしれない。きっと創作では、具体的には対立する意味をひとつの象徴に盛り込んでも矛盾はないので、これは神経を痛めつける要素が少ないのではないか。一方的な時間では融合と対立は反対の意味だが、時間の双方向性の中では、融合と対立は同じものだ。
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