物語を書く時に、象徴に説明を施すことなく象徴のままに展開していくというのが基本だと思われるが、こうした手法の基本はゲーテの緑の蛇と百合姫のメールヒェンではあるまいか。解釈者はたいていこの解釈に失敗している。というのも、解釈した段階で象徴の意味は捻じ曲げられるからだ。永遠に誰も正しい解釈ができない。これが童話の基本だろう。わたしも今ショートショートを書こうとしているが、この童話の基本姿勢を守るのが良いのではないかと考えている。ゲーテのメールヒェンに比較して、モーツァルトの魔笛の台本はなんと悪質なのかと驚くが、モーツァルトの作品は音楽に興味が向かうので、台本の質の悪さについてはあまり気にすることはない。シカネーダーは、ゲーテも所属していたメーソンの知識の表層的なものを台本にしたので、もちろんゲーテのメールヒェンの一部が転用されていると思われるが、現代人の知性は"客観知識"という素養がないので、ああも言えるこうも言えると堂々巡りをする本性を持っていて、きっとメールヒェンを正しくは理解できないのではあるまいか。ゲーテはドイツ精神の軸を作っていて、この恒星軸はまったく古びることがない。現代的なもののすべてが、これに比較して疲れて古びていると思ってもいいのかもしれない。
昨日、1月12日には、noteに短編をupしました。
https://note.mu/lockwood/n/n118b978dd978?fbclid=IwAR2E2c7iknsA2Cx8Xdwz8EBnK1TtyomJ8MlwR_8DFeuqJQo8G-hmOMNmKXA
昨日、1月12日には、noteに短編をupしました。
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