2019年1月16日水曜日

20190116 夢の論文化

書き終わったけど、まだ出版されていない本が4冊あり、これらが出るまでは、少し間があるので、その間はショートショートを書こうと思っていますが、最近になって、夢がこのショートショートを書くことに協力的になる気分になってきたらしく、関連する内容がちらほら入ってきます。ただ、最近はたとえば紙に文字が書いてあり、それをわたしが読んでいるという夢が増えてきて、何だ夢なのにイメージで出してこないで、文章なわけ?と。映画じゃなく映画の台本を読まされている。今日も、太田久氏が出てきて、彼が書いた論文があるんだけど、ここには、声なき声はどのように霊界と関連があるのかというのが説明してあり、ただ内容が複雑で微妙。夢が毎日読書になると、困るなー。二流であるハリウッド映画とか、たとえばマーベルスタジオの映画を見たいのに、まじめに勉強会みたいになっているんです。文大統領は、自分は賢い、誰よりもすごい、ということを強調したいためだけにいろんなことをして、その影響で韓国と日本も緊張したりしていますが、最後に失敗して、いつものように投獄されたり自殺したりする危険性もあると思う。わたしとしては平和的解決するよりも、この段階で、もっともめるとどうなの?と思ったりします。その先を見たい。緊張感がピークに達すると、誰もがそれ以上は耐え切れなくなる。そこで折れてしまう。しかし言い出した以上はいかに緊張しても、その先続けてみるといい。するとパチンとはじけて、先が見える。

夢の話を聞かれて、わりに面白い夢というのは、いまのところ正確に再現したり描写できないものだ。で、人間の脳はいまのところ次元の複雑さというのを理解するだけの能力がなく、だから夢の中でわたしは夢を正確に把握しているが、この身体が持つ脳はそれを語ることができないらしい。で、記憶という手段が取れない。言ってみればレコーダーの解像度が低いというか、音声録音機で映像を記録しようとしても無理みたいな。夢の中で確認して、よしこれを記憶しようと思うと、取りこぼすのです。ただこういう再現不能次元の夢は多い。というか増えてきた。しかも記憶できないという点で扱いに困る。というか困ってはいないが、保管してほしくないということかもしれない。何か裂け目が広がっているというような。理論物理では、多数の次元を想像するが、頭脳的に考えているだけで、これを実際に探索してみると面白いのではないか。先に進んだ時に、観察者としての自分の意識を保つことを考えなくてはならないし、また戻ってくる時に、果たしてそれまでの自分をちゃんと復元できていないのかということも問題になるのでは。先に進むことで、自分の知覚意識が変形する。自分が変形するのに、記憶するというのは成り立つのか?

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。