2020年9月21日月曜日

20200921 恵比寿地域の占星術村?

 今日の夢は、恵比寿のアカデメイアあたりの地域に、占星術の村みたいなものができて、村あるいは町のあちこちに、教室というかブース、仮設教室があり、たとえば「小野の部屋」みたいな個人の主催する小屋などもあったりして、たくさんの人が参加しているところを、わたしはあちこち見ていたというものでした。

これは恵比寿のアカデメイアではなく、おそらく、明日、占星術のカンファレンスがあることに関係しています。ならばなぜ恵比寿のアカデメイアの映像を借りたのかというと、わたしがかつて関わっていたということの関連です。アカデメイアが創設された時からかかわっていたからです。で、夢の中では、見て回ったけど、あたらず触らず、決して深入りしないという姿勢を続けていました。傍観者という姿勢かな。

わたしが深入りしないという姿勢になっているのは、わたしの存在の起点が恒星、あるいは恒星ネットワークにあるからです。地球は自転、公転しており、地球という山羊座の箱の中に入り込むと、恒星との接点は失われますが、逆に、恒星を基軸にすると、地球の内部においての活動に対しては、「巡回するが、決してどこかにとどまらない」ということになります。巡回するのは、自分がでなく、地球のほうが動くので、自分がじっとしていると、結果的に巡回することになります。占星術は、惑星の動きを基本にしており、またトロピカルサインを使うかぎりは、太陽系の外の星座、恒星との関係は切り離されます。つまり占星術は「村の中でのみ成立する」ということで、恒星人間としてのわたしは、かつては関わっていたが、いまは、様子を見て、長居しないということになります。

占星術の本はたくさん書いていて、長い間やっていました。だいたい17歳からです。でも、順々に取り組んでいた結果として、惑星ばかりを扱う太陽系内閉鎖の輪から、外に弾き飛ばされたというところでしょうか。連続的に取り組んでいた結果として、こうなったと考えるといいです。とはいえ20代にはアルクトゥルスに接触していたわけなので、太陽系外へのほころびはすでに作られていたのです。

で、そもそもわたしは土星と海王星が合の人なので、地球で閉鎖する土星の箱を、切り崩す要素というのはもともと持っていたので、アルクトゥルスの箱を壊して、川に流す。そして、スピカの、違う形の新しい箱のデザインをする、というのが継続しているということにもなります。

八月に病院に入院して、大腿骨を人工関節に置換する手術しました。前の骨はぼろぼろだったそうで、ぎりぎり歩けなくなる直前まで骨を使っていたことになりますが、退院しても後、夢では、しばらくはまだ入院中でした。これは着地点、あるいは歩く方向性が決まっていないために、保留中だったのです。病院は、夢の中では、月のステーションです。しばらく前から、月のステーションにはスペシャルスペースができており、フェクダから降りてきたものが複数化して、白い服を着た女性たちのチームができて、わたしを取り囲んでいました。これがそのまま、病院では、白い服の看護師たちということになり、この病院は大病院だったし、大腿骨手術に慣れている人たちで、外科病棟は10階でしたが、だいたい入院中、20人くらいの看護師が病室を出入りしていました。みなキャラクタが違っていて、おもしろかった。

で、月のステーションから、あらためて地球に足をつける場合の方針が決まらない間はずっと入院中ということになります。ヘリオ軸の月のステーションと、ジオセントリックのすり合わせを考えろということですが。夢では、たとえばある看護師が、わたしの中身を、肉体の腰に左右どういうバランスで入れていくか、試行錯誤している光景も見ました。着地点と、歩く方向を決めるというのは、象徴的には、靴を決めるということにも関連しやすいのですが、占星術村、今後も関わるのでしょうか。となると、これまでやっていた古いコンセプトをそのまま継続することはないです。

やはりギリシャ以後始まった、太陽系、あるいは地球を孤立させるシステムを作るということをいったん壊して、地球と恒星との接点を持った新システムを作るということをすれば、これも新しい腰、足、靴になるかな。いまは、慣れてきて、一本線をトレースして歩くということもできるようになりました。病院中では、まだ左右の身体が揺れるような歩き方しかできなかったのです。両方を一気に手術するというのは大胆不敵なことらしく、看護師全員が警戒して見ていました。わたしを手術した執刀医は、チャレンジとかが大好きな男なので、わたしが両足同時と言ったら、嬉しそうにやってくれたのですが、看護師は術後わたしがまだ歩いてはいけないと言われていた時に、病室内を隠れてふらふら歩いているのを見て怒ったりしていました。高額の病室なので、病室にトイレがある。そこまではまだ車椅子でないとだめ、という時に、補助具なしで歩いていこうとしていたのです。夜中の二時半に目覚めて、室外通路をデッドマン・ウォーキングみたいに歩いていたのを見つけて「何してんの?」と怖い顔で言ったりしていました。

で、一本線トレース、教習所でのバイクの練習の場合だと、一本橋走行ができるようになると、方針は明確にしないといけません。今日の夢では、まだ傍観者だ。というか見回りかな。ずっと占星術にかかわってもいいのではないか。関わるつもりなら、システムを改変するのがいい。世の中は、この占星術よりもずっと遅れているのは明らかです。というか思い切り幼児的です。なので、占星術システムの改変となると、極端に先進的ということになりますが、下降型オクターヴの人々、スタピ、滴仙などは、たいていこういう占星術などをガイドラインとして使うことが多いでしょう。梯子の目安として便利だからです。(前もいったけど、四柱推命とか紫微斗数でもいいです。ただし古典手法をうのみにしてはいけません。)

ヨーロッパがギリシャ以後、独自の発展を遂げ、決してエジプトから継承したものではないと言い張るのは、太陽系の外とのかかわりを切りはなすことに関係します。エジプトでは、ピラミッドにあるように、トゥバン、オリオン三つ星、シリウスなどとの関連で文明を作っていた。ギリシャのヒッパルコスは、これを太陽系閉鎖、あるいは地球閉鎖にしてゆき、おまけに、外との通路になる天王星、海王星、冥王星も、記憶喪失したのです。今の黒人差別も、ヨーロッパの白人種はエジプトみたいなアフリカ種、土人とは違うと言いたいのかもしれないですね。

ギリシャ神話などにある歪曲、改竄などを修正しなくてはならないのはあきらかですが、恒星をメンタル体、H6と想定し、これらを包み込む星座をH12、すなわちメンタル体としての骨を包み込む肉、着物と想定するのはどうでしょうか。恒星には神話がないが、星座にはある、という具合に。そもそも12星座は神話元型的です。恒星と恒星を結ぶラインは、メンタル体的、高次エーテル体に関係しますが、それを組み合わせて、曲線的にして、ふわふわの動物の形にしていくと、アストラル体的、H12的ではないですか。地球から見た視点でないと成立できない星座。人為的すぎますが、夢見の産物です。日本人はオリオン座を、かめ座と呼び、亀姫の伝説まで作り出しました。人為的に作り出したのでなく、深い無意識、あるいは超意識から浮かび上がってきたものです。で、とりあえず88星座で考えるのはいいですね。音階は88音階でいいのでは。







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