2020年10月22日木曜日

20201022 前世というのはあるのかないのか

アカシックリーディングでは、前世はあるという想定でリーディングする。下降型意識の人間からすると、これは蛸が複数の足を、異なる時間、異なる空間に錨のように降ろすような光景で、それぞれの生には密接な関連があり。これは大きな自己が分岐してさまざまな時空のポイントに降りるのだから、もとはひとつ、という関連だ。

で、一霊四魂みたいに、正確には一魂四魄のように、魂としての第五元素のアカーシャの「象徴性」は、四つの元素に分割されて、具体的な人生になるということを考えよう。シュタイナーが人間はかならず四つの気質のどれかで生まれ、すると足りない気質を生まれなおさなくてはならないと言ってるような例で考えるなら、ひとつの象徴的魂は四つの生を作り出す。

で、大きな自己は、異なる時空に複数の小さな自己を降ろすという場合、もともとの目的は、低い次元の世界において、情報を「まんべんなく、偏らないように」経験し獲得することなので、この時間、空間の中に降りるには規則性があり、幾何図形的な規則性があると考えるべきだ。

スタピに前世はなく、アカシックデータから、人生記憶を借りるということと、いや前世はあるという説も、同じことで、アカシックデータがアカーシャにあり、それは時空がまだないところなので、(地上から見ると実在していないに等しく)ここから四元素として時空のある、つまり「具象的な」人生は、未来から過去に埋め込んでもいいし、それまであったものが忽然と消えたというようなものも含んでもいい。

つまり今から過去の記憶を作るんだという姿勢もあってもいい。そもそも誰でも、記憶というのは思い出すつど、どこか改変されていることを思い出してほしい。復元するたびに刃こぼれしたり、追加されたり、繰り返して思い出すうちに、一部の共通点を転換の支点にして、全体がリニューアルされたりすることもある。

ひとつの魂が、四つの人生を地上にプロジェクションマッピングするという光景は、もちろん魂よりももっと上位の霊が複数の魂を作り出すということで、前世とか未来世はたくさん出てくることになるし、ひとつの存在が、地上から去る時には、同時に、過去にあった前世とか、未来世も、同時に地球からまるごと去る。時空の中に分割して錨を降ろしていたのだから、引っこ抜くときは全部引っこ抜くのはあたりまえだ。

ちなみに、脳は個体の中にあり、個体の中にあるということは、具象的、事物的な働きしかしないので、四元素化されていない象徴性を、脳は理解することはできない。象徴性は身体の外にあり、自己想起によって、複数のわたしを想定することは、たいていの場合、身体の外にある自分というものを意識せざるを得ないので、自己想起は、見るわたしとみられるものとの固定的、単一的な束縛から解放されて、複数客体性という点で、象徴性というものを直接理解できる「知性」を獲得するきっかけになる。象徴性は、複数の事物を含むものなのだからだ。いまのところ最低四つの事物性を内包する。

で、サビアンシンボルは、純粋な象徴性を抽出できれば、それはアカーシャの第五元素のデータになると説明したが、同時に、これは四つの元素に90度の関係で、分岐できる。ただしいまのサビアンシンボルのままでは、特定の事物性の記述と結びついているので、この四つの分岐ができない。

で、私の場合、土星がてんびん座の27度の飛行機のシンボルを持つが、となりにてんびん座24度の蝶の度数の海王星があるので、この飛行機は動力を持たずに、風で飛んでいくような性質になってしまう。時におうじて、この飛行機を山の上、宇宙船、雲みたいなものに変えてもいい。雲は風で飛んでいくし。

前世イメージでは、たいていの場合、似たものが多く、イメージはどんどん変わるが、象徴性としてはほぼ同じ。もとは同じ魂なのだから。で、先ほど説明したように、もとに象徴的アカーシャの記憶があり、これを四元素分解したものを、人間はいちいちひとつずつ体験しているとみなせば、このてんびん座27度の飛行機が、各々四元素になるとどういうシンボル表現に変わるのかを考えると、すくなくとも、これは残り三つの前世ですよ、と言えるものになるということだ。

上昇型の人は、常に具体的な、「これは実体験です」というリアリティを求めるかもしれないが、下降型の人からすると、あらゆるものは一なるものを分割して作り出した被造物であり、もとに戻せば消える、つまり「あらゆるものは幻像である」という姿勢が徹底している。上昇型の「これは現実であり、それはゆるがない」ということこそ、エニアグラムでのインターバル地点で上昇できなくなる障壁を作り出していると考えるといい。すべては印象であり、印象は違う見方ができるんだよ、ということを信じないのが上昇型の限界だ。

で、わたしの土星の位置と90度にあるものを見てみると、山羊座では山の巡礼で、土の元素になると、山を下から上がる光景もあるわけ?と思いました。かに座では渓谷の嵐。これは当たり前でしょう。山の上に行くほど、風当たりは強い。下界にあるべき家とか建物は壊れていくのもオーケー。山の上に作るのが間違っている。これはわたしがモノ離れが激しいというのとも関係する。買ったものはすぐに吹き飛んでいく。(いまのところはヤフオクへ)わたしは家具をやたらに配置換えするので、部屋の光景がよく変わりますが、(大腿骨を壊している時には、珍しく動かなかった。二キロ以上のものを移動させられなかったので。)これはいつも嵐が吹いているようなものです。

牡羊座の想像で復活させるというのは、下降型の意識の典型ですが、山の上にいると、地上の物質性というものから離れているので、想像で作ったものをリアルとみなし、地上的な物質性というものにあまり重きを置かない。夢の体験は客観的であり、地上においては、その断片しか手に入らない。あるいは脳は事物的なことしか理解しないと言ってるのも、このサビアンに関係していると見てもいいです。

わたしがどこかヒプノのセッションとかQHHTで体験しても、これらのサビアンとか、それと正確な幾何図形の配置にある点に置かれたシンボルなどを再体験するだけです。あるいはそれらをもっと深堀りしたものです。

(かならずしも、地球の春分点に釘止めされていない、本来の)12サインは、アカシックデータを蓄積するための、原初のピザ生地みたいなもので、そこに細かくデータが刻印されますが、ひとつの点の意味は、単独では成立できない。ひとつの点の意味は、それと幾何図形を作るような関係性を持つほかの複数の点との支え合いで発生する。意味というのは、常に点的なものでなく線的なところで生まれるからだ。これはメルキゼデクが、惑星グリッドがないと、虫一匹存在できないと言ったのと同じこと。これが、いまいる自分には、たくさんの前世がありますよ、ということと同じことを示している。

というわけで、出生図一枚で、サビアンシンボルの象徴性を引き出し、あらためて、四元素あるいは、幾何図形的配置(つまりアスペクトなどを多用して)で、前世アカシックリーディングもできますよ、という話です。これは世の中にある、なんちゃってアカシックを打倒する目的で言ってるわけではないよ。前世というのは、実は今の自分を支える図形配置なんだということを強調しています。みんな南総里見八犬伝。今のところから、過去を逆算できる。

mail

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先生が以前湘南カルチャーで、1年かけてサビアンを全部読む講座をされていたと伺ったことがあります。(なに、それ、夢のよう!と思いました)

朝日でもいいですが、カルチャーで、もう一度やってみませんか?私は参加したいです(カルチャー価格なら参加できそう)

先生は占星術のブームの火付け役。サビアンはすごいブーム(というか、もう定番化した感)ですし、今はヘリオの鑑定も流行ってますよ。(ついでにイージーなヘリオ解釈も流行ってるみたいです)

最近は独自のサビアン解釈を書いている人が続出していて、ググるとすごいです!正直、お粗末すぎるものが多く、読むに堪えません。

以前のサビアン本の内容をさらにアップデートしてくださらないかな・・・と前から思っていたのですが、カルチャーで喋ったものをそのまま書き起こしてもらって、それを少し整えて出版、音源も教材として販売すれば、一粒で3度おいしい感じじゃないでしょうか?

サビアンは絶対外れなしですよ。zoom定員枠がどの程度か知りませんが、200名くらい余裕でしょう。

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象徴と事物性を切り離し、もう一度四つのフェイズに結合するというようなサビアンならばやってもいいけど面倒くさそう。お年寄りなんで、面倒くさいのはなかなか乗り気がしないんだよね。体動かすのも大変なんだよ。ヘリオだって、かなりの人がまったく勘違いしているはずだし。








2020年10月21日水曜日

20201021(2) ヘリオとジオのサビアンの比較

以下メール

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遂に夢で新しいサビアンが出てきました!久々に興奮しております。

新しいサビアンなんてどうやって作るんだろう?とここ1年ほど思っていたのですが、頭ではさっぱりわからず。夢なら作れますね。夢スゲーです。

キロン·牡羊座15度「男と女のそばでとぐろを巻く蛇」だが、それは地球から上昇する時のサビアン。宇宙から下降する時は「鷲に捕まった蛇はヘルメスの杖に変化する」になる。ジオセントリックのキロンは小舟で裂目を使って行き来したが、ヘリオセントリックのキロンは鷲(アンタレス)に連れられて違う密度を取り持つ。

金星·魚座12度「新参者たちの試験」だが、ヘリオセントリックでは「新しい融合」。

正八面体。地球のピラミッドには下の部分があるのに何故気づかないのか。

正四面体が2つ重なり、星形八面体になる。それを使いこなせるのか。

あ、これ試験ですね!作っちゃいました(笑)

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下降する時のキロンはかなり強気で、まずキロンで言われている傷つくという定義は、土星が傷つくという意味になの、このキロンの記号とかマークとかあると一番いいのでは。

ピラミッドは正四面体ではない。ピラミッドを底面であわせると、八面体。これは水星と金星間の図形。リサ・ロイヤルが、地球のシンボルだと言ってる図形。星型八面体は、正四面体を反対に組み合わせたもので、どこにも正方形は入らないもの。なので星型八面体はどこかの場所に「停泊」することは一度もない。

ちなみに、頭でサビアンシンボルの新しいスタイルを考えるのは無理。理由は、象徴として考案するので、象徴については脳がついていけない。夢でするしかないのでは。

違う人の質問

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横の12というのが、いまいち納得できていないみたいです。それで9に分けたらどうか?とか言い出すわけで、改めて「なぜ12 なんですか?」

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生命法則が7つで、太古の時代に、感覚は7つだったことがあるという話。12は感覚の法則で、生命法則から、感覚法則が分離することで、「世界の安定」が作られた。以後、感覚は生命法則に精密には従わない。感覚が生命法則に従属すると、世界はまったく安定しない。つまるところ、7の生命の法則を、環境を示す4と密接に関係させると12になるということではないか。



20201021 思考の鋳型と、中身の感情

 メールです

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また、型に流されるというのが節制のカードに通じるというのも思いつかなかったことで、それもそのはずで、私は節制のカードはパスワークでもあまり印象に残ることがなく、先生の本で陽神と読んでも、自分の中にある体験としては節制はピンと来なくて、それこそ薄っぺらくしか分からないと悩んでいたので、今回のことで節制のカードも少し理解が深まりました。

それから思考も自分ではないということが、はじめてわかりました。

今までは「思考も自分じゃないんだぞ」と自分に言い聞かせている感じでしたが、

思考は自分ではない決定的瞬間を体験してしまったため、そうなんだなと思わざるを得ません。

ただ私は、感情は自分ではないと思うことが難しいです。

一瞬なら可能ですが、まじまじと取って眺め、これは私ではないと真に思うことが難しいです。

型にふさわしい思考になった時、感情の変化も感じましたが、

それでもなお、感情は自分ではないんだと、気づこうとしない自分がいます。

どうしたら気づけるかと、最近よく考えています。

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鋳型の中に液体が入り込んで、この型に染まった時に、それにふさわしい思考になるというのは、14節制のカードに結び付けた。ある型に染まったとき、それ以外の型の記憶を失う。なので、これは転世のようなものでもあるとわかる。型に染まった自分に同一化しすぎないで、液体のほうが自分だと思うと、記憶は連続する。これが血の記憶。血を攪拌して、他の家系の人の血と混じると、先祖の記憶を失う。人間がいまよりもずっと長く生きるために、記憶の連続性をもっと長く伸ばそうとした時には、固形物としての土の元素に足場を持つのでなく、液体の上に足場を持つ。降りてきたスタピ、仙人はこの状態をあらわしている。で、タロットの小アルカナのカップは、カップの中に液体があり、しかし水の元素をあらわすと解釈され、器のことを無視している。これは土と水の関係性であると言いました。

土が思考、水を感情とあてはめるとわかりやすいのかもしれない。で、思考感覚はおうし座で、ここでは牛のように動かない思考ががっちりと固定される。反対の180度側にある水の元素は、さそり座の生命感覚。これは感情的実感で、感情そのものをリアルにしみじみと受け止めているので、密度が高まると迫力が出て、密度が薄くなると、空虚に感じる。

器の形が変わると、中につまったさそり座の液体は、思考の型に即応した感情を実感として持つようになる。さそり座の感情は、おうし座の思考の鋳型に「束縛」されており、それを密度を高めるための器として利用している。水は常に土の器と密接な関係を持つとすると、おとめ座の光と影にわけて、明晰な輪郭の部分だけを重視するという細分化の土機能に対して、うお座は影の部分まで引き出して、統合化しようとするので、ある意味土の器を壊すというような感情作用。かに座の水は、山羊座の箱と密接な関係があり、でも、これも箱の中で水をためこんでも、共鳴作用によって、箱をゆすぶるし、外にはみ出してしまう。アンテナと電波の関係とか、シャリアピンが声を張り上げて、オペラハウスのガラス窓を割ってしまうみたいな。(実はカルーソーですが。)

水の元素と土の元素で六角形を作りますが、感情作用と定義した水が、思考の型と定義した土の元素から離れると、形がなくなり、つまり思考の明確な輪郭がなくなり、あらたに土の器を求めて、ワイングラスから、風呂おけ、湖、川、海、全惑星意識のスープへと、拡大していくのでは。拡大しても、行き着くところは土の器。

でも土の器という思考の鋳型の大きさが拡大するつど、思考は変化してしまい、気持ちも変化し、そこで拾ってくる情報は変化する。この可変するサイズの水の元素を客観視して、「感情はわたしではありません」というのは、難しいか、あるいは不可能では。

アサジョーリの言う、感情はわたしではありません、というのは、身体という鋳型に寄り添って、この中に封入されたさそり座の水に対して同一化しないという程度では。ちなみにエニアグラムでは、思考は太陽系の外にまで飛び出せない。9の位置から、外に飛び出すのは感情だけだと説明したけど、器から漏れた液体は、どこまでも漏れてゆき、存在の範囲を決定づけている「無と無限の壁」の無のぎりぎり手前までは飛び出すことができる。

H12は、高次感情センターの振動密度ですが、これは客観意識に属しており、つまりまったく非個人的なもの。つまりは個人意識が客観視する限界を超えている。個人はこれを対象化できず、逆に、高次な感情に洪水のように飲み込まれることしかない。相撲すると、確実に高次感情に負ける以外にないし、記憶が飛ぶ。高次感情の入っている器は太陽系のサイズなので、個人意識はただ消えるしかない。

というわけで、高次な感情になると、それを客観視することは不可能と言ってもいい。低次感情については、これはわたしではありません、と言える。感情というものはサイズがいくらでもかわる、ということが原因では。

自己想起は、見ているわたし、見られている対象という互いの縛りあいにたいして、第三の視点を与えるので、ここで見ているわたしと、見られている対象そのものががらっと変わってしまうことが多く、たとえば、腕時計を見ているわたしというのを、違う角度から見ると、実はわたしというのは、細い針のような棒の上に立って腕時計を見ていたということに気がつき、こうなると腕時計を見ているという狭い関係性よりも、棒の上という、より重大なことを知ることになるけど、これも思考の器から感情が範囲拡大して、より大きな器に従属することに通じる。自己想起すると、気持ちとか感情というものが著しく変化するものなのです。

基本として物質密度が低くなると、振動密度は高くなる。肉体という小さな器の中に水をためていると、感情の振動は高くなることはない。このような人が、SNSで、知らない人に対して死ねと言い続けることになる。

こないだ、雑誌のインタビューで、インタビュアーのクラシックの音楽評論家の人に対して、わたしが「クラシック音楽は身体から外に広がるものだ」と言った時、そのことに同意して、同じクラシック音楽評論家のある大学教授が、その人をいじめまくったという話をしてきました。その教授は、このインタヴュアーに対して、科学的でないと言うらしい。科学というのは、個人の肉体という鋳型、この中におさまる感情というものが「基盤」になってはじめて成立する視点スタイルです。つまりある意味自己想起しない分野。

科学的ということにこだわる人は、わたしが見ると、常に怒りと攻撃心に満ちています。それは肉体に閉じ込められたストレスから来ています。この心理についてはスティーブン・キングがやたらに詳しい。この攻撃心は原子爆弾まで作ってしまった。

クラシック音楽を科学的に考えるって、いったいなんだ?トマティスみたいなことを言うような感じ?クラシック音楽は、身体の外に果てしなく広がる。その作用を科学的には説明できないでしょう。科学用語は身体の中にあることだけを説明できるからです。ひとたび外に出ると、この個体言語としては言葉を失う以外にない。

ps.

双子座のスケートの子供は、光と影を逆転させる。おとめ座のメリさんは、そもそもおとめ座が光と影を分離して、影を排除するべきものとみなす作用があることに対して、光と影を仲良く調和させる段階にまで来たと説明しましたが、羊を影と定義してしまったのは、そもそも16度でオランウータンが、子供に対して影として働くということから、エリスは動物を影的なものと解釈しているんだろうなと。西欧社会ではタロットカードの11力で見るように、動物は影的、獣的衝動とみなしてしまう癖がある。日本では考えられない。

みずがめ座のサビアンの階段に関してのメール。

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昨日はヘリオの地球ポイント·水瓶座12度「上へと順に並ぶ階段の上の人々」、水星·水瓶座2度「予期されなかった雷雨」、金星·魚座12度「新参者たちの試験」を意図して寝ました。

今朝目覚める直前、白い紙に黒い色で北斗七星を横にしたような図形が描かれている物が目の前に出されました。

覚えているのはこれだけなのですが、これは星座?と思ったのですが、星座は地球から見た地球人が決めたものだから違う。地球への通行手形か、シジルのようでもあり、刻印のようでもあり、とぼんやり考えていたところ「経路」と浮かびました。

線の途中に●があったので、最初は星座かと思いましたが、あれは地球まで来た経路が記されていた紙でした。それも空間的位置ではなく、振動数か密度の違いを表していて、楽譜のように上がったり下がったり、北斗七星を横にしたような形になっている。

あ、ちょっと階段みたいですね!ここでサビアンに繋がりました。

いつもこのサビアンについて考えると、階段に並んだ人々を離れた場所から見てる感じがするのです。

どこからどういう経路でやって来たのかの調査員なんだろうか?

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わたしは北斗七星について、前は険しい角度の崖みたいな言い方をしたんですが、北斗七星は「道TAO」を作り、結果的にスロープのきつい階段を作ることになった。まえから北斗七星と、映画アバターに使われたような中国の岩の塔などがイメージとして結びつくのだけど、わたしの母親はそういう直立した岩みたいなものを掛け軸に書いていたような、書道の先生でした。(大東文化大学の教授。教授なんだけど、科学的ではないな。)今は、ほんとに北斗七星に戻ってる。

で、階段のサビアンだけど、「いつもこのサビアンについて考えると、階段に並んだ人々を離れた場所から見てる感じがするのです。」というのは当たり前でしょう。離れたところから見ないと、階段だとわからない。離れたところから見ていない人は、ほとんど、階段のどこかにいる人に同一化して、階段のことはわからない。

で、階段とか段階を作ると、試験も作れるが。中間試験とか期末試験とか。




2020年10月20日火曜日

20201020 自己想起に関しての質問

 質問が来ました

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自分を見ている自分を見る❗

これは子供の頃から、無意識にやってきたのでできるのですが、更にその自分を見る、そのまた自分を見る、そのまた自分を見る… …

これは一生掛かっても出来る様になる気がしません、凄く難しいです

でも、見ている対象を変える事は可能かとも思います

例えばコロナで言うと

コロナ怖い!怖い!

→なんでインフルエンザ程度の事で、こんなに騒ぐんだろう?経済活動止めたら不景気で死者が増える、普通の生活に戻した方がいいんじゃないだろうか?

→いや切羽詰まればみんな色々気付き、新しい世界の移行に繋がる、早く新しい時代が来てほしい

→変わらない人もたくさんいるけど、本人の自由だからそれでいい

→個人の自由が実現してるんだから、素晴らしい現象で素晴らし世界だ

→世界は常に完璧で100%!常に上手くいっている!

まぁ、ただ考えているだけ!とも言える訳ですけど

これって自分を見ている自分、その自分を見ている自分、その自分を見ている自分…

と立ち位置が変わった風景(客体)とも思えるんですが、これでは意味がないのでしょうか?

自分を見ている自分、その自分を見ている自分、そのまた自分を見ている自分…

これはどうにも難しくて出来ないのですが

松村先生、初心者の質問で退屈とは思いますが、解説頂けたら助かります

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見る、見られる関係性すなわち主体と客体の関係は、互いに縛り合って、この関係から出られない状況を作り出す。これが2の数字の意味。さらに違う視点を作ると、これは3の数字になる。2の段階では気づかなかったことに、3では気が付くことができる。

主体と客体の固定的な関係、互いが互いを支配する関係は、片方だけを固定できない、あるいは片方だけを解放できないという意味では、視点が変わると、見ている自分も変わるという現象を起こす。このメールでの質問の内容は、ただの自問自答で、見る自分と、新コロナの位置関係は何も変わっておらず、自己想起不可という状態です。この内容を読んだら、人によっては「バカじゃないの?」と笑ってしまうような話では。

第三の地点が出てくると、それまでの主体と客体の固定的関係性が一気に変化する、急激に視野が拡大するということを「一度でも」体験しないことには、実感ができないだろう。ちなみに、夢では、固定的な主体の位置が崩れる。なんせ身体から離れているので。

このメールの人の内容に対して、これまでわたしが面倒臭いと言ってるのは、自分の人格、主体のありかたにしがみついているからです。十牛図の第八図は、主体と客体の関係性が流動化して、複数主体、複数客体が入り混じる。見ているわたしがたくさん出てくる。ここに至るには、第七図の段階が必要で、つまり、自己達成が完璧なまでに実現することも重要かな。すると自己達成とか自己実現って、案外つまらない、と思うようになる。

今日は、太陽アカシックレコードについてのyoutube作りました。

https://www.youtube.com/watch?v=kDz36ws66kk

地球アカシックレコードと、インドラネットのアカシックは違いますが、ヘリオセントリックとジオセントリックの違いと考えよう。アンタリオン変換はできないが、比較はできると思ってもいいのでは。

朝日カルチャーセンターの11月より後の三つの講座の内容は以下。

土星、天王星、キロンの関係性

土星と木星の間には、立方体の関係が成り立つというのがケプラーの説です。つまり土星とは箱であるというふうにわたしは解釈します。土星の作用とは、ある特定のサイズの世界を封鎖して、外界との関係を切り離して孤立させるというものです。土星は、地球を宇宙から孤立させたと考えてもいいです。これに対して土星の外の軌道にある天王星は、箱を傷つけ、人々を解放するという働きになります。誰でもどこかのサイン、ハウスに天王星があり、これは息苦しいものから自由にしていきます。しかし天王星と土星の直接の関係はきわめて強い緊張感が発生するので、その触媒としてキロンが関与します。

サビアンシンボルの本質を引き出す

サビアンシンボルは、アカシックレコードそのものですが、ただシンボルを作る時に具体的なイメージ、事物性と結び付けたために、純粋なアカシックレコードを表現しているとは言えないものになってしまいました。そこで、いったん事物性を切り離して、本来の象徴性を引き出す作業をすると、サビアンシンボルをアカシックレコードとして活用することができます。問題は、純粋な象徴性というものは、誰一人語ることも説明することもできないものになってしまうということです。アカシックレコードは、太陽アカシック、すなわちインドラネットと、地球アカシックの二種類があり、このふたつは合致していません。結びつけるにはコンバートが必要です。

外宇宙との接点としての冥王星

冥王星は準惑星になったとしてもそれは天文学的視点の話であり、占星術として考えた時には、重大な惑星です。これはこの太陽系には従属していないという説がありますが、それはともかく、恒星からこの太陽系に降りてくる時に、恒星は冥王星を乗り物にします。なので、その人の根源的な目的性、意図、太陽系の内輪から見たものでなく、客観的な姿勢としては、冥王星の位置を考えてみるのは興味深いことです。それに赤緯も極端に傾斜するので、赤緯についても考慮にいれると良いでしょう。外から来たものは冥王星、海王星、天王星と降りてきます。





2020年10月19日月曜日

20201019 集金の問題

 アキラ氏に、ホロスコープの深読み会の管理をしてもらっていますが、募集開始の10分で埋まったという話。しかしながら、この事務処理というのは予想外に煩雑な作業の連続です。なので、わたしが自発的に何か集まりをしようという時にも、だいたいいつも、この集金の問題で、わたしは挫折します。お正月講座で、八人だと思っていたら、なぜか15人来たとか。椅子が足りない。

youtubeはまったくお金取らないので、気軽ですが、今年はまったくお金が入らない月もあったりしたし、一番収入が少ない年になるかもしれない。手術は給付金があったからできた。で、いまから何かお金手を入れるとなると、有料の集まりということになるのかもしれないけど、集金処理をわたしはスムーズにできないし、特定の人ばかりの集まりができあがってくると、すぐに解散したい。何か水たまりができる、みたいな気分なんですよ。世間との接点がお金だとすると、いまのところ、接点を作る可能性は少ないのでは。そんなにやる気はないし。

宮川さんは、帰国して、まったくお金がなかった時に、四柱推命カウンセリングをして、相手に金額を言わず、好きな金額を入金してくださいと言ったらしい。すると、相手は困ってわりに高額なお金を振り込んできたという話を聞いたけど、料金決めないというのは、駅前でギターで歌を歌った人に投げ銭入れるのと同じです。

こういう金銭問題というかお金儲けについて、ジオセントリックのチャートで方針を推理するというのはわりに面白い問題かもしれないですね。というのも、どうやって生きていけばいいのか、という質問がメールで多いし。日本人は貧しい暮らしをしていると思うし、年貢みたいに収入の半分を税金類で取られているし、年収1000万円でも暮らしがきついと言ってる人はいるし、GOTOトラベルは良いねと言ってる人も、実際には後でそれを税金で徴収されるだけですよ。

ちなみに、トランシットの冥王星と土星の合が、わたしの2ハウスの火星にスクエアになるのは、収入ストップと言う意味ではあるけど、2ハウスの終わりあたりにある木星に対しては、トランシットの木星がトラインというのは、たくさんしゃべったり書いたりするけど、それらは収入には結びつかないという意味です。そのほうが気楽。

トランシットの冥王星・土星が11ハウスと言うのは、未来イメージが明確に決定し、それによっていままでの収入スタイルが止まり、違う方向に行くという意味です。

収入占星術というのをしてみても面白いのかもしれない。お金は地上で作られた完全に非自然的で、人工的な架空のものです。時間の精密性を攪乱し、備蓄という不安症を刺激しています。もっともいびつなシステムです。これが、地球が宇宙から孤立するいくつかの理由の中で、かなり重いものかもしれないよ。この「病い」について考える専門家がいてもいい。お金は土の元素の象徴です。

そして、料理研究家の辰巳さんは、食の自然性について訴えていますが、わたしから見ると、この人の姿勢と考え方はいびつです。まあ言ってみれば、宇宙的姿勢を捨てて、地球的生活の中心性を主張しているわけですね。それが正しいとはどう見ても言えないんですよ。ナチュラルで自然的な食を訴えている人に対して、それは違うだろというわたしの姿勢もなかなかのものですが、そういうわたしの姿勢から、料理本を作ると、けっこう突飛なものができるだろうね。本当の自然性とはこうだ、と。今後の地球の四元素バランスは、いままでとは変わってきます。

次のメール

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ジオセントリックをまとめると、

ボート(月·水星)で裂け目の向こう(冥王星·キロン)へ旅した体験(天王星·海王星·土星·火星)をたくさんの人に話す。(木星·太陽·金星)

こんな感じでした。

ここにドラゴンヘッドを追加してみたりするのも面白いのかなとも思いました。

ドラゴンヘッドは山羊座26度「水の妖精」。急にファンシーな(笑)とにかく自分が楽しいと思う事しかやらない!と決めてきたのですね。

サビアンスクラップ&ビルド、納得感が段違いです。次はヘリオチャートで夢見します。

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アカシックリーディングで、前世を読むというのはあるけど、そもそも前世など存在しない、今のチャートの中の一部を前世と読んでいるという姿勢からすると、つまり今の知覚に入ってくるものは、みな今の図の中にあるはずという観点で、しかも実人生などない、アカシックレコードを動画にして体験しているだけということで、このやりかたをもっと羽を広げてみるといいでしょうね。

ヘリオとの比較では、同じ惑星を比べてみるのは面白いかも。

話が戻るが、竹中式ベーシックインカムが実現するとしても、十年以上はかかるけど、若者のシュリンク生活はまだまだ続くはず。消費は増えるとは思えない。自動車は今の十分の一程度でも誰も困らない。もっと少なくてもいい。ベーシックインカムが実現すると、同時に年金がなくなるということになりますが、社会のスタイルは今後もまだ安定しないし、ずっと100年くらいは試行錯誤続くのでは。








20201019 絵を書く方向性はどれを参考にしたらいいのか

 メールです

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絵を描いてこれからの自己を確立して行こうと思ったのですが、まだその方向性や表現手段を決め兼ねています。

先生の少し前のYou Tubeやブログ記事でのダンテスダイジ氏のヘリオセントリック解説から察するに、ヘリオにはその人の内面、精神世界が色濃く反映されると言う事は、自分のヘリオから自分の創作活動の指針を求めるというのは有効でしょうか。それとも、ハーモニクス7のホロスコープから解析した方が有効でしょうか。

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ジオセントリックでは、地球化された太陽があらわれ、太陽の示す創造力ということがちゃんと表現されているわけではありません。
ヘリオセントリックでは、太陽が中心であり、そこから発出するという図になるので、太陽の位置は明確ですが、図の中のどこにも書いてないということで、太陽の明確さをあらわしている。
絵を描くとか創作する時に、そもそも創作のねらいはどこにあるのか考えないといけない。世の中で絵を描いている人で、自分のコアとか軸などからあらわれた創造、創作行為をしていない人もいるし、それを目指している人もいる。
ただ社会から評価されるということを目的にした時には、自分のコアから出てきた創造性というものはうまく出せない。これは地球と太陽の間にある段差というか断絶が原因。地球上で評価されるものは、太陽を隠しているものと見てもいいかもしれない。この両方の要素を生かすには、複雑な戦略とかが必要で、そこまで知恵のある人は希少。

そもそも質問の内容から考えてみると、絵を描きたい、という人は、まずはこんなものを描きたいというのがあり、これはどのチャートに符合するのかなと、あとで確認するはずだけど、この質問は反対ですね。
世間から評価されなくていい、自分の普遍的本性から出たものを描くという点ではヘリオセントリック。地上でどのように評価されるのかはジオセントリック。
ハーモニック7は地上においての表現衝動の様子をみてみること。でもハーモニック7は、どうしても出さざるをえないものを見るという点では、そもそも放置しておいても、誰もがハーモニック7の要素を出そうとすると見てもいい。なら図を見る必要はないとも。ハーモニックもジオセントリックの範疇にあるものです。
ジオセントリックで、自己発見は不可能であると考えましょう。ただし社会内相対的自己について戦略的に考えることには貢献します。

わたしが短編書いていた時は、年齢ハーモニックで、しし座の水星に、次々といろんな惑星が合した時でした。ハーモニック上で。しし座は熱感覚で、自分から熱を発し、周囲からの反応はいっさいおかまいなしのサイン。というか、周囲の反応を気にすると、それは熱をさましてしまうに他ならないので、できるかぎり周囲のことには知らないふりをするのが、熱感覚のしし座の特質。つまりしし座の水星は、ひとり遊びというか、一人ウケで書いているに等しい。この場合、気がすむまで書くと、ぱっとやめてしまうでしょう。まだ来年は、しし座の水星と海王星の合が残っているので、超神秘的なことを書くでしょう。

今日の夢は、土地を確保して、そこに墓を作り、何人かをそこに埋葬するというものでした。しかし埋葬する人数が徐々に増えて、墓地が足りなくなり、だんだん幅を広げていくけど、それは気にする必要はないかと思っているところ。
墓に埋葬するというのは、地上から取り除くこと。わたしが夢ではトイレというのは外宇宙との扉で、冥王星であると説明したように、墓もそうですね。わたしはよく歯というのは墓石なんだと説明していましたが、暗い怖い暗闇に飲み込まれる前に、いくつかの墓石が立っていて、これが歯なんだということです。
墓にはキョンシーがいるけど、これは物質体に近い濃密なエーテル体。で、次々と埋葬しているのは、ジオセントリックからヘリオセントリックに転送していると見てもいいし、地上から取り除いて、月のステーションとか、エーテル体の床の領域に移していると考えてもいい。縄文の村では、墓地は村落の中心にあった。ということは、これが世界の軸であるということで、縄文の村では、生者と死者がわけへだてなく交流していたのだと思う。日本でそれができなくなったのは、明治のころ、西欧の影響が流入してきてから。西欧は極度の物質主義だったから。

夢で墓地に埋葬する人の数が予想以上に増えてきたことに、ま、いいか、と思っていたけど、埋葬するたびに、気分がよかった。満足感。ちなみに、墓は古代的な意味では、神殿とか、タロットの神の家でもある。エジプトのピラミッドも。わたしが地上活動をするときに、一番自然なのは、この墓の区画を確保して、たくさんの人を埋葬することかな。墓で、死んだ人は土に戻る部分と、火で上昇する部分に分離する。わたしはずっと昔から、山の上にいたので、この土に戻る部分には関与しないとか、無関心だと言える。そもそも土の部分は地球の持ち物なので、どこかに持っていくと泥棒になるし、宇宙に飛ぶには、土の部分は地球の大地に埋めるのが一番正しい姿勢なのでは。

で、違うメールで、ジャニーズ系は、ジャニーさんのお稚児趣味が基本なので、健全な男性が「かわいい」とか、男臭い色気というものを消されて活動しているのは不健全に思っていたという指摘ありました。確かにそうだ。それに比較したら、BTSの臭気というのは、わたしから見ると、おっさん臭いとか、あるいはおっさんになりかけのバロットみたいな雰囲気を感じていたのかもしれないと思いました。それはジャニー世界との比較と言うのが前提にあったのかもしれない。ちなみに、グレイはジャニーさんのお稚児趣味に合ってる気がする。グレイはある時期から、男女の性別というものを消した。生殖能力を全部取り除いた。というのも、そもそも死んだり生まれたりがないので、生殖に意味がない。事故で死んだら、身体を機械で生成すればいいだけ。人間も未来に、身体をクローンでいくらでも作れるようになると、この生殖機能、性別は除去されますよ。不要だから。排泄器官と、生殖器官はもとは同じ組織で、今でも、同じ感情が共有されています。

ps.
朝日新聞デジタルの記事で、料理家の辰巳芳子さん(95)のインタヴュー記事が出ていますが、
「そして、地球の在り方とあわせて食べていくこと。地球を宇宙の中にすえて考えていかないと、私たちは食べ損なっちゃうと思う。

 ――宇宙との関係というのは、具体的にはどういうことですか。

 太陽とか水、空気とか。そういうね、とっても原点的なことを謙虚に考えて生きなければならないと思うんだ。それを汚さないように。」

という点に関して、やはり宇宙的なバランスということについて、辰巳さんはあまり真剣に考えていないのではないかと思います。









2020年10月18日日曜日

20201018 夢でサビアンシンボルを教えるというのが多発

 いろんな人の夢の中にわたしが登場して、サビアンシンボルについて話しているというのが多いらしいです。サビアンシンボルを一度解体して、象徴と具体的な事物性を切り離し、もう一度、その人の身近な事物性に結合しなおすというのは、今日のyoutube動画でもいいましたが、この場合、

ヘリオセントリック、迷路の中に住むジオセントリック。つぎに、下降、上昇の順番とか、こんどはアスペクトのリンクなどで組んでみるとか、いろいろあるのでは。

わたしは恒星から降りてきた人は、土の元素には降りることがなく、せいぜいその上の水の元素を着地点にすると言いましたが、この水の元素のバリエーションの一つが血であって、血の海、血の川に降りていくということです。薔薇の絨毯と言い換えてもいいです。リリスはアダムのところから去ってのち、血の海に住んだと言われていますが、低次エーテル体のことです。なんせ血は魔術儀式によく使われていましたが、のちに人道的でないという理由で、薔薇に変えられました。薔薇の成分は驚くほど血に似ているという理由です。

で、今日youtubeで題材にした人の話ですが、

https://www.youtube.com/watch?v=th9tM73XW_0

この人の場合、天王星とかあるいほかの惑星のサビアンシンボルが、夢を記憶しやすいとか、夢を知識の源流にしているというタイプで、何か考えると眠くなって寝てしまい夢を見て、回答がわかったというものです。

夢を見ても、朝起きたら、記憶が失われてしまうという人は多数いますが、これはその人のタイプというよりも、基本的には、アストラル体、エーテル体のグループに対して、物質体が断絶があり、同期をとりにくい。これは個人の能力が理由ではなく、ジオセントリックでは、惑星が逆行しているなど「も」関係します。「が」でなく、「も」です。

地上に降りてくると、もう度数とか位置が違うというもので、夢の記憶を持ち込めないのです。地上ではガラパゴス的知識で埋められており、天空から来たものは受け取らないとか、遅れるとか曲がるということです。

記憶が失われる人は、まずは月のステーションにいる自分というものをもっとちゃんと確立する必要があります。水晶、黒曜石、血の海の上にいる自分。

ギリシャ神話にはたくさん偏見がありますが、ヘラクレスの持っていた毒矢があたってケイローンが死んだというのは、どうみても話が反対で、毒矢はケイローンが持ち歩いているものですね。ギリシャ神話はヘラクレス重視しすぎていて、これが物質主義主流になったことも関係しますね。

象意と、事物性の分離と再結合は、夢と起きた後の解釈の新しい結合と言う意味でもある。

みずがめ座の時代という時、星座のみずがめ座のことを意識していると思うのですが、春分点がみずがめ座に入るというのは、いつなのかまったく不明です。みずがめ座はきっちりと、整った形ではないし、30度の幅でもない。

で、非常に多くの人がトロピカルの12サインのみずがめ座と、この星座のみずがめ座を混同していますが、このふたつはまったく違う性質ですよ。みずがめ座は川の氾濫みたいなものでもあり、文明によっては禍々しいと思っていた場合もある。なので、グレートコンジャンクションで、みずがめ座に入るといっても、これはアクエリアン・エイジとは無関係では。というより、アクエリアン・エイジという言葉がそもそもいいかげんなものですね。

サイドリアル的に、特定の恒星を起点にして12サイン考えるのはどうかというアイデアでは、数か月前に、ベテルギウスが自分をお正月にしろ、と言ってきた記憶があります。この場合、お正月はグレゴリオ暦のお正月でなく、やはり起点ということですね。ベテルギウスを第一宮のスタート点にするというのも、わたし個人が気乗りしにくいのは、わたしには複数の恒星に自我があるので、ひとつだけスタート点決められない。ろくぶんぎ座アルファ星にだけ自我があれば、おとめ座の1度あたりをスタート点にできて楽ですが。という場合も、レグルスやアルファードとニアミス起こす。なので、星系ごとにスタート点違うという区分けが一番合理的に思える。12サインは12感覚で、生命はこの12の区画がないと生存できない。というか世界とは12感覚のことだ。見たり聞いたり舐めたり触ったり、寒くなったり暑くなったり。

みずがめ座の時代って、いったいなんでしょうね。サダルスードを起点にするとか?トロピカル12サインのみずがめ座は風のサインですが、星座のみずがめ座は、洪水を起こすような、水浸しです。うお座のほうはこの水を飲まされるので、げろったりすることもあり、うお座よりもみずがめ座のほうがはるかに水っぽい。