2019年2月11日月曜日

20190122 夢に入ったり出たり

夢の使い方はいろいろあるが、たとえば通常に夢を見ていて、その後で少しだけ目覚めて、夢の続きを見ることで、夢の体験を客観視したり、別角度から見たりして、その情報をよりまとまったものにしていく。わたしはこういうやりかたをよくします。たとえば、今日ある記述があり、その後、少し目覚めることで、この記述がエゼキエル書の第三章だということがわかった。つまり少し目覚めた段階でエゼキエルという名前と、3.2.2のコードが出てきた。で、書き方に少し問題があり、これを調整するという話でした。つまり最初の夢では文章の内容に深く入りすぎて距離感がなく、少し離れることで、あ、エゼキエルか、というふうにわかったのです。夢、少し目覚めて意識的に扱う、目覚めるという三つの段階は、意図的に行き来することができるのがいい。目覚めると言っても、身体を動かすことのできる目覚めではなく、身体の動かない段階をキープした目覚め。エゼキエル書をつついたことが原因なのか、象みたいな異世界の生き物がごく間近に接近してきて、それを迎えるには、両手の指からもっと長く伸びる指を出してクロスを作るのが良いと思ったけど、この身体が動かないけど目覚めているという段階では、思っただけで指が伸びるのがなかなかシンプルでいいと感じた。こう考えると意識段階にいくつかの階層があり、毎日こんなことをしていると、いろんな世界に跨っているという気分になります。実際跨っているんですけどね。この象みたいなものといっても、象ではない。雰囲気が象。ずっと昔地中海で見たことがある。だいたい夢だといつもこんな感じです。

2019年2月9日土曜日

20190209 新しい短編

短編をnoteに掲載しました。タイトルは、「占星術師、地平線のドーリア」で、これで8作目です。今回も武満徹を入れた。占星術についてわりに露骨な書き方が入っている。

https://note.mu/lockwood/n/n2bd1200a80bc

2019年2月6日水曜日

20190206 音階

毎日、夢の中で一回は電車に乗る。で、ずっと問題にしているのは立川駅。これは二十年前くらいから、中央線は脊髄、立川は腰あたりというふうに決めていたので、立川駅を問題にしているのは腰の位置についてサーチしていることになる。QHHTで体の調子を見てくださいといわれたとき、自分にはチャクラがなくて、上と下と、腰らしきものという区切りだけがあった。で、腰の位置を微調整することと、音階を変えることには関連があるようで、それに腰は世界の平たい板という基盤でもあるので、夢の中では毎日それを問題にしているということだ。今日の夢では、立川駅に近づいたかどうかを確認しなくてはならず、しかもタイミング良く飛び降りなくてはならず、その見極めが大変に難しいというものだった。わたしたちが属する星系は7音階の世界。この厳格な基準を決めたのは北斗七星とプレアデスだ。この中でさらに複数の旋法がある。古代ギリシャにおいて音階や旋法とは音楽をあらわす前に宇宙の模型を作ることだった。特定の旋法の音楽を聴くことで、その宇宙に行く。今のわたしたちの身体は破片でしかないので、精神や感情がその宇宙に飛んでも、破片は飛ばない。破片は破片的世界に同一化するので、わたしたちはこの地球の大地に縛り付けられている。

2019年2月5日火曜日

20190205 いつもの丸い土地の夢、ドリア

夢で最近定番で出てくる、真ん中に丸い土地があり、周囲を周遊道みたいなものが取り囲んでいる光景。この真ん中の土地にはどこにも出口がなく、このままだとどこにも行けない。しかし今日は、男が三人、肩の上に乗って高くなり、上の周遊道まで届いた。あれ?上からしか降りることができないと思っていたら、下から三人が縦になると上がれるわけ?彼らはまだ言葉が発生する前の時代なので、互いに言葉を使って示し合わせたわけではない。基礎音をCにすると、三番目の上にインターバルが来て、ここで異次元が接触する。これは夢のように三人重なって届くということに対応する。でもドリアだと、二人重なると、すぐに入り口に近づく。確かに、いま思うと、この重なった男たちが三人だったのか、二人だったのか、定かではありません。真ん中の円形土地は地球。外側の周遊道は月の軌道のステーションというのが、最近のわたしの夢の定番的な出方ですが、今日の夢で、丸い土地から出て行く方法にはいくつかあるのでは、と思うようになりました。男たちが重なったように、人と人の組み合わせが活用できる可能性もあるのかもしれませんね。

2019年2月4日月曜日

2019年2月2日土曜日

20190202 こんどは2女教皇のカード

短編をUPLOAD。タロットカードの2女教皇をそのまま文中に露骨に入れた。つまりこのカードのトリセツみたいな内容の短編だ。

https://note.mu/lockwood/n/n17f00483a877

2019年1月30日水曜日

20190130 活け花をする気はないけれど

人間の主体は身体の外に出ることができる。出られない人がいるとしたら、それは身体に結びつくことのみで発生する欲などに拘束されているからだが、いったんそれが満たされると外に出ることができるようになるのは十牛図の第八図に描かれている。外に出るときにひとつの方向に出るのでなくエーテル体のラインに沿って出ると、それは放射状に広がる植物のようなものに。枝の数は分身の数と見立ててもよい。この植物形態は身体内では血管の図だが、外はその同じ図がマクロに拡大するということだ。すると分身というのは結局内臓なのかと思うかもしれないが相似象だ。身体から出ると、ものの大小、距離、時間の順番などの秩序が一気に崩れるので、そこで見る宇宙図は、天文学的に見た地図とはおおいに違う。ただ人それぞれ違うものを見るのでなく客観知識として明確に共通したものがあり、むしろ天文学的な地図こそ身体を持たないと見えてこない主観的な地図だ。身体を根にして見る図と、中空に浮かんで中立的な観点から見る図。ところで、身体から飛び出してエーテル体のラインに沿って拡大していくエルダーセルフをそのまま描こうとしたのが活け花だ。その人の存在のありかたがそのまま活け花になり、たぶん造形を模索している時に、枝のひとつひとつに意識が入ってしまう。ずっと以前粘土をしているときには、粘土の中に自分が入ってしまうので、ひどく消耗したが、活け花は拡大意識というか変性意識に確実に入るだろう。変性意識に比較するところの日常意識とは身体の中に拘束された意識というものだ。指一本のサイズでも意識が身体の外に出ると変性意識、エルダーセルフの状態になる。

noteはアクティヴユーザー数が1000万人を突破したそうです。で、わたしはここに小説などを掲載していますが、そこそこ売れており、売れているということは、わたしはプロの小説家と考えてもいいのかもしれません。というのも金が入る作家がプロだからですよ。懸賞とかコンクールとかの入賞は避けたほうがいいです。それは商業主義に染まっているからで、PV数とか売れる人数とかで判断してしまうと、内容は腐敗します。ピラミッド構造の中では、一番数が多いところに照準を合わせると、内容はひどい話にせざるを得ないからです。わたしはリルケのマルテがとことん好きですが、というよりリルケがほんとに好きですが、マルテなんてまったく売れてないじゃない。ベルゼバブも10年で一万部行かない。出かけるのが億劫なので、書いてnoteにuploadして、その後何のフォローもしないまま、次のを書くという生活は楽しい。で、紙本は校正が何度もあり、まえがきとあとがきもあるので、調子に乗ってたくさん本を書くと、後で大混乱します。noteとかキンドルは、こういうのがなくて、その日のうちに出版完了します。noteのコンセプトに「誰もが創作をはじめ、続けられるようにする」というのがあるらしい。なかなか良いです。宮沢賢治のしろうと芸術家がいいというコンセプトがここで実現されている。