2018年8月15日水曜日

20180815 昨日秋山氏の本を手に入れた

新しいスピーカーで聴いています。
https://www.youtube.com/watch?v=ztf3jTS7uI4

昨日、秋山真人氏の新著「Lシフト」手に入れました。
ナチュスピから今月出た本です。
この本には親近感を感じます。
しかし、わたしはいま、どんな本もちゃんと読めないので、
あちこちをちらちらと見るだけです。
書くことはできるけど、読むことはできない。

真正アセンションが始まり、第三宇宙に移行するんだそうな。
地球が移行するんですか?
しかし地球は、太古の時代から、アーリマンのものになることが決まっているので、
地球が移行するのでなく、人類が違う地球に移行するんです。
薄皮をはがすように分離する。
誰も損しないように、というのが大切です。
ルシファーも損しない。アーリマンも損しない。
すべての存在が楽しくならなくてはいけない、ということですね。



2018年8月13日月曜日

20180813 今書いている本については

いま書いている本については、比較的のんびり書いています。
といっても、これでも早いかもしれないけど、自分のペースとしては、のんびり書いている。そもそもどうやってこじ開けるか、どうやって開発するかということでは、時間がかかるものではあるまいか。
そもそも、いつものごとく夢で「天王星の影響がすべてに浸透したような内容の本を書くのはどうか」ということを言ってきたのだけど、これはかなり無理難題で、物質的生活の根底から考え直さなくてはならないようなテーマです。結局根底から考えないと書けないような内容を書くのは面白いことは面白いけど。でも時間はかかるでしょう。
最近は、夢で企画を出されることが多い。

レコードプレーヤーのトーンアームsaec WE308sxの修理が戻ってきたのだけど、トーンアームそのものは調子良くなっても、ケーブルの接触が好ましくなく、新しいケーブルを手に入れたけど、それでも左右の音が途切れたりする。もともとトーンアームが40年前のものなので、金具の接触が良くない、というよりも、ターンテーブルに取り付けた時に、ケーブルのコネクタ部分に圧力がかかるので、この加減がある。これはトーンアームが完全に修理されても、それとは別個の問題。ヤマハのGT2000に、マニアの人が作った金具を装着してアームをとりつけているので、具体的に無理がかかる部分が出てくる。
で、いまのところ、ターンテーブルからとりはずしたり、またつけたりを繰り返したりしながらレコードを聴いている。そのたびに調整に時間がかかる。

レコードプレーヤーは、今では、1970年の製品の価格の4倍くらいはする、という意味では、GT2000に、SAEC WE308sxのセットは、たぶんけっこうな高級品です。最近の製品のDP-A100を持っているけど、これで聴くのとえらい違います。どうちがうのかというと、DP-A100は音が軽い、そして線が細い。尖っている。GT2000とWE308sxは、ターンテーブルの音の雄大さと、アームの爽やかさが加わって、聞き疲れしない。音が太いです。この比較は、ともにカートリッジは、シュアーのV15Ⅲをつけたケース。
LINNのLP12は、先月ハイファイ堂に引き取ってもらった。これまでも数回、LP12は使ってきたけど、結局自分には気が合わない。LINNのこじんまりさが、どうも合わない。それに、やはり古いトーンアームは、メンテナンスに出さないと使えないのでは。LP12には、SME3009を使ってきたけど、これも数十年は経過した古いものだから、本来の性能は発揮していないはず。

ハイファイ堂に引き取ってもらった時に、わたしがトーンアームを修理してくれるいい場所見つけたと言ったら、担当者の人が興味を持っていました。クレルのプリアンプは、福井県で修理してもらったのですが、こういう古いものばかり使う人は、それぞれを修理してくれる個人、会社、お店を確保しておくのは重要ですね。メーカーはだいたい途中から、修理受付終了になることが多いので。

4ウェイのスピーカーを、自作パッシヴ・ネットワークから、またマルチアンプに戻したけど、今はチャンネルデバイダにDF-55を使っている。去年はDBXの360VENUだったが、このチャンネルデバイダの音の違いもかなりのもの。DF55に比較すると、360VENUはまるで玩具みたいな感じで、二度ともとに戻れない。
で、このDF55を使った音は、音声が聴きやすい。その前は、4ウェイのスピーカーは、テレビの音声とか映画の音声には不向きでした。音声は、タンノイのモニターを使っていた。しかし、チャンネルデバイダをDF55にしてから、映画音声の臨場感が出てくるようになって、huluで、わざわざ映画を見るようになった。DF55にしてから、興味のなかったラ・ラ・ランドも見たんだよ。で、音楽ライブも、iTunesで見れるので、何人かのライヴも見てみた。こうやって、チャンネルデバイダの違いで、視聴するソフトが変わるというのも、なかなか珍しい。

ラ・ラ・ランドは、どうしてこんな映画作るの?というふうに、内容はほとんどなかったですが、たんに音を聴いてみたいというだけで最後まで見れた。ついでにチャゼルの「セッション」も見たです。
映画で、内容のあるものは現代ではほとんどないのかもしれない。後は、たんに見せ方とか、撮影の角度とか、シーンの切り替え方とか、リズムとか、そういうところだけを見せているのでは。それ以外に取り柄は皆無ではないかと思います。確かにそういう意味では、ラ・ラ・ランドはセンスはあると思う。でも、お金を出してまで見る価値のある映画はないと思われる。もう疲れて衰退しきって、それでも作らなくてはならないので作っているという状況では。















2018年8月8日水曜日

2018年8月7日火曜日

20180807頭蓋骨

タケシタさんが頭蓋骨の大アルカナカードのマッピングをしているらしい。
取り組んだいじょう、完成するでしょう。
なんせサポートに来ている宇宙知性がいかなる不均衡も許さないという人だし。
頭蓋骨はブルーモスクです。だから北斗七星です。
やがてたくさんの人がボルダリングしに来るだろう。
六本木で頭蓋骨美容サロンしてもいいのでは?


2018年8月5日日曜日

20180805 エアコン咳がなおりつつある

しばらくは咳き込んでいて、声がうまく出せない時期が続いていましたが、これはどうやらエアコン咳というもので、そもそも事務所の中にじっとしていて、直接エアコンの風があたる場所で座っていたので、エアコン咳にはなりやすかったのではないかと思います。

で、かなり治ってきたので、またZOOMで話したりできる状態になりつつあります。わたしはリアル講座しないので、本を書くことと、あとはZOOMで話したりできれば、このふたつで地上活動は全部だみたいになりやすい。もちろんご飯を食べたり、生活したりしているので、それは地上活動だが、能動的な働きかけという意味では、本を書く、話すということの二点でしょう。

チャネリングが始まった人が、
「人間として築いてきた信念体系は強固でそれでも抵抗しようとしますが、どうやら人格的な工事期間は終わろうとしているようです。ここまでおよそ20日間かかりました。先生の場合はどのような感じだったのでしょうか。色々お話がお聞きしたいです。」という内容のことを質問されてきましたが、わたしはチャネリングしたことないです。といっても、クラスターの人たちとか、サポートの知性体とかとは会話はしている。これはコミュニケーションでもあるが、チャネリングの場合、地上にいる人間に伝えていく行為で、わたしが関わっている知性体の言うことを地上にいる人に伝えることはないのですね。
工事は段階的であり、一回で終わることはない。で、継続的、間歇的に続く工事が繰り返された挙句に、アストラル体は物質体を破壊し尽くすでしょう。
「人間として築いてきた信念体系」はほぼゼロになるでしょう。
それまでに、仮小屋としての構造体を作り出す必要がある。あたかも地上に住んでいるかのように見えるホログラフィーのシステムは複数ある。
それについては接触している知性体に聞けばどういう種類があるかはいくらでも説明してくれる。





2018年7月29日日曜日

20180729 昨日のZOOM講座は中止になっていた

昨日は朝の五時半に、ZOOM講座の予定でしたが、わたしがまだ喉が治っていないということで、アキラ氏が中止にしました。で、やはりまだ少し喉がおかしいか、あるいは熱があったので、中止にしたほうが良かった。なおりかけで、連続的にしゃべったりすると、また回復が時間かかることになるので。

で、ある人が7月18日から、チャネリングが始まったのだと報告メールきました。その人のガイドを降ろすように指示があったらしい。
高次な意識に接触すると、そこに圧力というかエネルギィ差が生じる。それをそのまま、12感覚のふたご座である言語感覚で受け止めると、それは言葉になる。ふたご座の反対側には運動感覚のいて座があり、身体の運動性は、この言語感覚を活性化させる助けになる。おひつじ座の自我感覚と、ふたご座の言語感覚が連動すると、受信することはなくなるけど、てんびん座側とふたご座側が連動すると、受信する言葉になる。
高次思考センターは、受信することはなく、常に作り出すか発信するかしかないけど、高次感情センターは常に受信するので、これをてんびん座の触覚が受け止めるように働くと、そのままチャネリングするようになる。

で、これを続けていると、徐々に、いままでの日常的な人格というものが、程よくクラッシュして行く。日常意識を継続するためにあった、自我の周囲の内臓脂肪(緩衝器)が取れていくと、存在としての純度は高まるけど、この緩衝器がなくなることで、ぼうっと無意識に生活することはできないということを自覚するようになる。つまり生活に危険が満ちてくるという意味でもある。本来はこれが正常な形であるが、いままでは眠りに保護されていたので、そのことに気がつかなかった。
危険に満ちてくるけど、反対に、楽しさ、充実感、喜びというものは強まってくる。もともと生きるとはこんなことだったのだと感じる。
カレーを食べながら、カレーはうんちみたいと思うと、実際にカレーに、うんち比率が高まる。どんな物質もこの宇宙のすべての要素を持っているので、それを想念がアクセスするということになるのだから。まあ生活においての危険とは、こういうふうに、すべてがレスポンスが高まり、何か思うと、直後にそれが貫通してくるということを実感として理解できることだ。不安を思うと、どんどん不安な事態を呼び寄せていく。

ぼうっとしていると必ず人格崩壊するので、自分を維持するための特別な工夫というのは、その人らしい、特有のものを身に着けると良い。こういうのは、そういう状況になってみないことにはわからないことだ。
新しい人格が確立されるまで、途中工事期間があって、そのときにはかなり不安定で、そのときに何かすると、それがそのまま固まったりする。
いま日本は西日本が水害だったり、また台風がおかしな動きをしていたり、天候が不安定とか、人が死んだり死刑がいつもより盛大だったりするけど、これも工事期間中です。




2018年7月26日木曜日

20180726 もう本は書き終わった

今月7月6日に書き始めた本は、24日に書き終わった。執筆期間はだいたい18日くらいか。で、あまりにも暑いので、はじめて夜にエアコンをつけていたので、喉が痛み、数日の間は、風邪症状。そもそもホテルの空調でも喉がダウンするくらいなので、わりに具合の悪いのが続いている。昨日あたりは、一日中寝ていた感じ。
エアコン風邪は表向きの症状で、要するに集中的に本を書いていたので、体力的に無理が来ていて、その調整みたいなものだ。

で、今日26日から、また新しい本を書き始めます。二ヶ月前くらいに、夢の中で、提案してきた内容そっくり。夢の中では、ちょっとそれは無理では?と、わたしは答えていたけど、いままでの流れを見ていると、だいたい夢の中で誰かが提案したことは、ほとんどやる羽目になっている。そのときの会話のニュアンスを正確に再現できたら、それが本全体の基調になると思われる。