2018年6月17日日曜日

20180617 書くのは楽しいですよ

6月17日からの週は、19日がアルカノンで、21日が夏至のタイミングの対談です。久しぶりに人を前にする。
動画は作れない。
というのもわたしは毎日たくさんのことをする、というのを、あまりしたくないからです。一日一項目くらいがいい。
なので、原稿書いていると、それだけで、ほかは何もしていないというのがいい。
動画を作ったら、それ以外はしない、とか。
原稿を書くのは楽しいので、今回も楽しいです。
本は毎回新機軸を出すというのが重要で、これがないのなら書いても意味はないです。そして違うテーマでもだいたい前回の本の続きで、連続しているというのが、ある時期から続いています。この場合、たとえば、出版社から依頼された内容では、その出版社には会社なりの要求とか、こういうのを書いてほしいというイメージがあると思いますが、そういう要求を満たしつつ、中身に、わたしの連続的なテーマを染み込ませてしまうということになると思います。

いま、アルカノンから連絡が来て、19日はお休みだったそうです。わたしの大腿骨骨折で、出歩くのは来月に。コミュニケーションに行き違いがあったのかもしれない。しばらくはこれが流行語です。

2018年6月9日土曜日

20180609 新しい本

昨日から新しい本を書き始めたので、動画作成はずっとおとなしくなるでしょう。というのも、本を書く場合、それがどういうテーマでも、吐き出したいこと、いいたいことが全部そこに盛り込まれていくので、動画を作る余り成分はなくなるからです。
例によって、一日一時間程度書きたいが、タロットカードの本を書いている時と似て、どんどん出てきて、止められないという状態にすでになっているので、(うしろから勢いよく押されている)一時間枠を超えてしまいそうだ。

ヘミシンクの場合、どこかから伝えたいことがあるという状況では、最初の準備段階で、登場してきて、急ぎで何か伝えてくるとか、質問が終わる前に回答が出るということになるけど、そういう感じ。でもどっちみち、タロットカードの本で書いたことの続編みたいではある。最近はずっとそれぞれの本が蛇みたいにつながっている。
そして面白がって、応身がやってきます。応身は、どこかに行く、やってくる、ということはありえないので、わたしの三次元的視野からすると、いま、ここにやってきたというふうに目に映るだけ。

タロットの本は8月最初の段階で出る予定だそうです。再校が終わったので、予定が見えやすくなったから。わたしは三校だとほとんどいじりません。レイアウトからのはみ出し文字を削るだけ。
わたしの四柱推命図は、春の草花を、花瓶の中に詰めすぎるというもので、これはテレビでよくやってる、ビニール袋の中にニンジンをいくら詰めても500円というようなもので、で、企画書では300ページくらいと書いてあったけど、うっかりすると、また倍とか三倍になったりします。本という花瓶の中にニンジンが詰め込んであるのです。この弊害としては、校正がすごく面倒になること。

2018年6月7日木曜日

20180607 ヘリオセントリック

大腿骨を痛めてから、ほとんど歩いていないのだが、気分的にこれは違和感がない。でも、身体的には腰から足にかけて、血流が必要で、血流とはこの中に自我が住んでいて、つまりは地上の情報を持ち込んで、それを活動に加えていく必要があるということだ。
で、今日の夢は長方形の板を作っている男が出てきて、彼が作り出すものは、すべてに統一的で、これは金のトーンでまとめているという感じがあった。なんとなくタンノイの創始者も思い起こさせた。
金は金属の中では頂点にあり、次のオクターヴとのつなぎ目にもあたる。

ヘリオセントリックの場合、地球は、惑星の中で、大地というか、一番身体に関係する部位で、それ以外の惑星は、チャクラでいえば、もっと上のほうにあるものに該当する。つまり感情とか精神活動などに関わり、はっきりと物質的な身体ということをピンポイントで考えた時には、地球を示す場所がそれにあたる。
わたしの場合、この地球ポイントにはデネボラが重なっていて、これが塔の上から地上をウォッチングするという姿勢を作り出している。つまりそもそも閉じこもって、出かけないというのはわたしの身体的位置づけからすると、最初からフィットしている。地球的な身体生活においては、デネボラ的に振舞うということだ。

スピカとアルクトゥルスはわたしにとても縁が深いのだが、とくに人間の形態という点では、スピカをリファレンスにすると良いと思っているのだが、これにデネボラを加えると、春の大三角になる。つまりはスピカ、アルクトゥルス、デネボラのセットは、集団無意識の中では、比較的馴染まれているアーキタイプだということだ。今日の金の長方形を作っている男の夢だが、春の大三角にコル・カロリを入れたひし形、あるいは長方形というものを関連づけるといい。金色はスピカから射出されている、と。これは春のダイヤモンドと言われている。夢の中の男は、長方形の角を削って、尖らないようにしていた。

で、2女教皇の書物は、20審判では、墓として描かれていると説明している。11力は、2女教皇の段階で、いったん同一化したケモノあるいは文字を、身体から引き剥がしている。20審判では、この腰に埋め込まれた女教皇の書物を、あらためて文字に息を吹きかけて、生きたものにしていく。それはいままで自己同一化していた地球的アーキタイプから離れて、違う辞書の文字を引き出すことだ。もちろん女教皇の書物と違い、宇宙的なサイズの辞書と考えてもいい。女教皇は鉄のカーテンに守られているが、20審判はそれがそのままプラネタリウムになっていると考えてもいい。

20審判のカードは、16から19までのプロセスが、どんな星系に対してもできるということを示している。これはたとえば17星のカードで並んだ8つの恒星のどれかひとつを、違う恒星に入れ替えるということも。すると、異なる箱が作られていく。で、息を吹きかけて、この違う恒星要素をアクティベートする作業が20審判のカードだ。
アクティベートした場合、20審判なので、精神的に変化するということよりも、物質的に違いがはっきりとあらわれてくるということにもなる。つまり現象として生活の中にそれが持ち込まれる。
歩けない状態から、これから歩ける状態に調整しなくてはならないが、まだ時間はあるので、地上での足場として、デネボラとアルクトゥルスとスピカと、コル・カロリと、ほかに何を入れた結晶にするか考える暇はある。
夢の中では、この長方形はすべてに浸透し、彼は自分が作り出したものすべてをそのトーンにした。もちろん、四角形というのは4の数字で、これは4皇帝のように見えるものすべてをそれに統一しなくてはならない。



こないだのzoomで、精神宇宙探索をする時に、6方向の壁、8つの点という立方体を考えると、閉じ込められたように感じてやりにくいという話があった。
で、わたしが立方体をいつも持ち出すのは、これは6方向の圧力が均衡することで、存在は「自分がいる」と認識することができるということ。わたしたちは静止している。実は静止してないけど、静止していると感じるのは対立方向の圧力がぶつかり、そこに静止する場ができるから。流れているものに意識も自覚も存在しない。
つまり立方体の6つの壁、あるいは圧力がないと、わたしたち自身が存在しない。自分が感じて、思い、考え、意識するということじたいが、6方向圧力の均衡によってはじめて可能だということ。
どれかひとつの壁がなくなると、そこで、一気に存在は解体して、流れの中に流産して、自分はもうどこにもいない。ひとつのエネルギィの流れになり、静止点を取り戻すことはもう不可能かもしれない。というのもエネルギィの流れというのはあまりにも強すぎて、そこであらためて静止しようとしても足を救われてしまう。というよりも静止点を作り出そうという意思を生み出すことが難しい。存在というのは流れに抵抗することだ。
シュタイナーはこういう現実についてわりに上手に説明していると思う。
で、わたしはこういう基本について説明するのは面倒くさいです。これはFAQみたいにしなくてはならないね。
対立する流れを衝突させて、自分がここにいると条件を作り出すのならば、反対に、自分の意識を働かせることで、対立する流れを呼びこむというのが、前に書いた、自分は暗闇の中にいて、ノートがあり、このノートに何か書いている。そこだけが明るく、それ以外は暗闇。そして誰かが「それでは危なすぎないか?」と話していた内容に関係する。書かなければ自分は消えるから。

惑星に住んでいる人は、惑星に流れを依存している。その場合、その人は付属品であり、その人が存在すると言えない。流れは意識に上がらない、それは存在しないと思われている。マグロが自分は泳いでいないと思うように。羊の群がある日、100頭、崖から落ちても、羊はそのことを自覚しない。今日夢の中で丁寧に金色の長方形を作っていた男は、それを心をこめて作った後は、壁に入れ替えるのだろう。

板を一枚作るには、4つの点が必要だ。夢の中の男が作っていたのは床ではなく、正面の板だろう。



2018年6月1日金曜日

20180601 ZOOMのお題

AKIRA氏は、ZOOM講座のお題としては、宇宙探索とかタロット道以外に、占星術ネタも入れたいようだ。わたしは惑星を使う占星術については、講座とかだんだん減らしてきた。でも、これまでさんざん占星術についての本を書いてきたし、それをそのままぷっつりと終わらせにくいという点もある。

占星術をしている人と、占星術を知らない人、興味がない人のはっきりとした違いというのは、かなりある。
占星術は、全惑星意識に進化するための梯子としては、便利なところがある。占星術を知らない人は、この統合的意識、高められた意識に向かう手立てというものを知らず、あるいはその段階に至るにはまだ到底準備ができていないということが多く、いわば秩序・道の中に入る入り口を見つけ出せていない状態で、すると、社会的に作られた価値観に従属して、このわりにでたらめに偶発的に作られたものに振り回されて、どこにも突破口が見出せない状態で生き続けることになると言える。ほとんどのケースでは、道が見つからず、そのまま死んでいく。
占星術をすると便利なのは、7惑星12サインというような基本的な宇宙構造を知り、この中で人間の総合的発達の地図を手に入れることができる。するとその後の方向もしだいに見つかりやすい。

人間の表層的な脳は、かなり制限された視野の中で働いているので、目の前のことしかわからず、自分の人生全体というような視点で考えたりはできない。まったく意識していなかったけど、自分は今こういう中で、ここを歩いていたのかというような俯瞰的ビジョンは、ホロスコープを読むことでわかる。これは予想外のインパクトがある。

しかし、占いに頼るとか、占いにあらぬ期待をするというのは、この限られた視点の中で、自分ではわからなかったトータルなヴィジョンを利用したいということから生じる。占星術的な知恵は、社会的な価値観を超越しているが、この超越的な視野でのものを、社会的価値観の中で生きる小さな自己のために貢献してほしいといい始めると、占いの誤用が始まる。この段階で、占星術は架け橋としての本来性の機能を失う。
で、本来の占星術の役割、全惑星意識の部品を「全部揃えて」架け橋にするという使い方ができるならば、占星術はあきらかに重要なツールになる。これを知らない人は、地図もなしに荒地を歩いているようなもので、同じ場所をいつまでもぐるぐると歩くような人生を過ごすことになるだろう。

で、わたしがあまり占星術をしなくなったのは、たんに、惑星レベルというところから、全惑星レベルあるいは恒星領域の比率を増やしていったということで、それはわたしが地球においての案内所をするということから来ている。惑星レベルの話ばかりしていると、その先の話が減ってしまうので、バランスが良くないということだ。基本的にわたしの中層重心は全惑星に置いているので、人生の細部、惑星意識のひとつひとつに細かく入りにくくなっている、ということなのだ。
ただ惑星レベル、全惑星レベル、そして恒星レベルというルートをそのまま橋渡ししようとすると、惑星レベルの部分を急にOFFにするのも、極端かもしれないと感じることもある。
で、わたしが占星術について言及すれば、「占いというものの本来の役割」ということについて明確な回答を提供することにもなるだろう。
もう書いたように、占星術とかタロットを知っているというのは、梯子を持っているという点で、持たない人に比較すると、著しく有利なのだ。使い方さえ間違わなければ。わたしは海外旅行で、地球の歩き方などのマニュアルを持たずに歩き回ることは多かったが、すると、同じ場所をずっとうろつくという結果になることもあったし、バンコックほかいくつかの場所で、詐欺にあったりもしていた。(20年以上も昔の話。)

もうすでにタロット占いについては、小さな自己のために貢献しない、そして占い用としては、19太陽のカードのもうひとりの子供との対話のための通信器具という定義はした。
これは、今日、タロットカード本の再校を提出し、この本は予定では今年の夏に出るらしいが、そこではっきりと書いている。
占いを依頼してくる人は、9割以上、小さな自己のために利益のあることを聞きたいとやってくる。小さな自己は、社会的に人工的に作られた価値観の中で生かされたAIのようなものだ。それは社会の外に出すと、酸欠ですぐに死んでしまう生き物だ。それにもっとも自由意志の比率が少ない、というよりも、ほとんど自由が与えられない。(思考、感情、身体の機械性に隷属する生き方になる。)占星術をすると、自由への手がかりもある。それは機械の癖に対しての知識が出てくるからだ。
それに加担しすぎることで、回答者もAIの要素の比率が増えていく。
そしてこのAIの欲求、信念体系、依頼に「乗らない」で回答する占い師はきわめて少ない。というのも占い師の中にも、小さな自己が生きていて、相手の欲求はよく理解できるので、おもわず乗ってしまうという結果になりやすいからだ。

惑星の話をまた少し増やすとしたら、恒星レベルの視点から、惑星生活について再構築するというようなことをするといいのかもしれない。
長く占星術とか占いにかかわってきたので、この価値とか意義について、世の中で誤解されているか、誤用されていることを修正する作業をするというのもいいかもしれないし、それにつれて、体系についてもどうでもいい無駄が加わりすぎているということについても、扱ってもいいのかもしれない。


2018年5月31日木曜日

20180531 ひきこもりの項目

テレビで、中年ひきこもりについて放送していたけど、わたしはいま、近所のコンビニ程度しか行かないので、わたしはひきこもりだ。
今日の夢で、杉の木するつもりですか?と聞かれた。
神社の杉の木は、どこかの神社の場所から伸びて、恒星に達する。それを柱と言うのだけど、わたしは大腿骨損傷で動けないので、杉の木になってる。大腿骨が治るまでは、杉の木にならざるを得ない。
植物系の神経組織は身体の中では、心臓から伸びていく血管組織が代表であるけど、これが強まると、動かないという点で主客の分離が起きにくく、つまり個体のエゴが弱まり、また記憶喪失をしなくなる。(記憶喪失というのは、あそこからここに動くということで生じるのと、特定の場を強調しすぎることで起こる。)で、動物系特有の現世的欲求も弱まってしまう。もちろん動物系としての筋肉も弱まっていくので、筋肉鍛える必要は出てくる。ただ、動物系筋肉は皮膚の表面に近く、深層筋は内臓を支える側に回るので、植物系に近い。

で、zoomとvimeo動画作るなら、ずっとひきこもりしていても、何の問題もない。
本を書くのは、このままでできるし。
テレビは65インチなので、いろんな番組を見るには良い、みやすい。

ひきこもりすると、太陽光線にあたらない人が増える。テレビ見ていると、カーテンも閉めたままの人がいるらしい。すると太陽光線の紫外線によって作られるビタミンDが不足する。だいたい沖縄で8分太陽光にあたると、一日に必要なビタミンDは作られるらしい。
ビタミンDが不足した人は、うつ病になりやすいそうだ。これは太陽の光が足りない国では、サプリメントで摂取しているらしい。
で、わたしの場合には、このビタミンDは、コウケントーで補充する。コウケントーは、紫外線がないと言われているが、近紫外線はある。で、3000番と5000番のセットのカーボンが浸透性が高いような気がする。

2018年5月29日火曜日

2018年5月29日 毎月MRIで/神社の柱の話

昨日も病院で、MRIとレントゲンを撮って、これは三度目。で、今後も毎月レントゲンとMRIを撮る話になった。なので、自分もMRIで見る大腿骨の形に馴染んできた。何もしないで、ずっと様子を見るということだけが長く続きそうだ。
なので、わたしは出かけない、歩かない、という習慣が今後も継続予定。大腿骨温存のために、重いものもできるかぎり持たない。

こういう場合、食習慣とか、また筋肉をどうするかというような扱いが、これまでと変わってくるのは当然。医療の情報というのは休みなくアップデートされていくので、たとえば、運動しないと筋肉はつかないという旧来からの常識とかも、最近の学説だと、タンパク質食べたら筋肉は運動しないでもつくとか、内容が変わっている。以前はプロレスの人が、卵の白身ばかりを食べて、水に沈む身体を作るというのが当たり前だったけど、今では、むしろ黄身こそが筋肉を強化する成分があるという話になり、白身だけというのはもったいない話らしい。だいたいこういう話は、現代では半年くらいで変わっていくのでは。以前は卵はコレステロールが蓄積するので、一日一個という話もあったけど、いまでは卵はコレステロールとは関係がないということになり、一日10個でも何の問題もないということですが、逆に、わたしは卵好きではなくなりました。たんに飽きただけ。で、結局、歩かない人、運動しない人が、どういうのを食べたらいいのか、さっぱりわからない。歩かない、運動しない人は特殊例なので、特殊例用の食事パターンが必要なのでは。
好きなものを食べればいいと言っても好きなものは変化していくでしょう。炭水化物とか糖質はずっと食べていないけど、最近は肉とか魚もあまり食べたくない。(生臭い感じがする。とくに肉の脂は、食べると、身体じゅうに脂を塗りつけたようなイメージがまとわりつき、一週間くらいその脂が取れないという印象。印象でなく、じっさいに行き渡るわけですが。)

QHHTでは、火山のマグマの上にいた時が、一番気持ちよく、快適で、これがなかなか印象が強く、これを物質的生活においても再現するのが良いと思われるが、地球のグリッドの交点、太陽の力が強く入り込んだ場所にいることとか、個体の肉体としては、腰から上がるクンダリニをもっと燃える状態に濃くしていくとかでしょう。グリッドを利用して、真上に上がる炎をうまく教義に入れたものとしては、やはり「灌木女」としての中山美紀はわかりやすく、馴染みやすいのでは。コウケントーはいま一番馴染みやすい。

腰とか大腿骨にまったく負担をかけないで、クンダリニ力を高めるのは、そう難しくはない。たとえば、以前流行した俳優の美木良介のロングブレスとかは、そもそもが腰痛を解決したいために考案したという話だけど、この呼吸法は深層筋を活発化させる効果がある。これに少しだけ、たとえば骨盤底筋を強めるような要素を加えてしまうと、そのまま簡易版のクンダリニ呼吸にもなりやすい。つまり腰に眠る火山のマグマを刺激する。とはいえ上昇のルートがまっすぐにならないとしたら、それは当人の目的意識、欲求、価値観などによって、横道(の陰陽)に逸れることをあらわすので、これは呼吸法をうまく工夫するということとはあまり関係がない。メソッドによってなんとかなるものではない。そして横道に脱線すると、マグマの力は弱まってしまい、楽しさは薄まっていく。それよりも頭のてっぺんから抜けないと、火山の力は比較的危険なことにもなる。火柱が恒星にまで立つと一番いいです。神社の話みたいになってくるけど。腰のシャクティは、自分がどこの恒星に行くのかわかっていないと、怖がって火山を閉じようとする。というよりも、恒星からお迎えがこないと、自力では上昇できない。シヴァのおじさんが、「おい、もうそろそろ帰るか」と迎えに来なくては動かない。zoomで、タロットカードはあとになるほど上昇しているように見えるけど、生命の樹では物質に向かっている流れなのはどうしてという質問があったけど、もちろん降りれば上がるのです。物質に向かうほど、物質は軽くなり、火山のかさぶたは薄くなる。
神社の祭神が混乱して、明確な根拠がはっきりしなくなっているのは、柱が立たなくなることを意味していますが、勝手に場所変えたりしても、柱は立たないね。階段がある神社と、階段がない神社がある。

エーテル体のラインは、ニュートン物理学的な秩序、空間の寸法とか時間の流れの秩序とかにあまり精密に従っていないので、計算によって、神社の正確な場所をピンポイント指定できない。それにポータルは移動する。で、多くの人は、特定の恒星グループにのみなじむので、公平な神社ソムリエにはならないが、自分が通じている恒星系にかかわる神社に関しては正確に判断できるでしょう。プレアデス系ソムリエとか、オリオン系、シリウス系ソムリエとかは設定できるのでは。特定の場所で、ここはアンテナが何本立っているかとか、やってみると良いです。神社ミシュラン。アンテナが強く立っている場所では、もちろん祭神と直接交信可能だ。わたしが大鳥神社の祭神と具体的に会話したことは、いくつかの本に書いたことがある。
で、眷属というのは、動物で、これは3-12-48の系列の12の部分。祭神は、1-6-24の6の部分。日本の場合、祭神をごちゃ混ぜにするが、実は混乱しているというよりも、もっともとに近いという場合もある。もとに近くしたために、途中の分岐がなくなってしまう、というような。









2018年5月21日月曜日

20180521 グレイに関して

数日前にグレイのハイブリッド種に関して書いたが、もう少し補足。
そもそも宇宙種族というか知性体は宇宙では数は増えない。しかし時間と空間のある世界では、存在は分割されて、もとに戻るまでに一時的に数が増えたように見える。つまり、第五元素ひとつは、四つの元素に分岐するように。あたかも四つあるかのように見えて、そのうちにもとに戻ってしまう。
グレイは四次元的存在で、それは時間をある程度自由に動くという点で、生まれた地点と、死ぬ地点という決まった時間・空間の座標に固定されて生きてはいないということだ。時間と空間に縛られた存在は、生まれて死ぬという現象を体験する。もちろんそれは幻想に過ぎないが。時間が自由になってしまうと、この生と死はなくなってしまう。死にそうになったらまた巻き戻すことをしてしまうわけだから。
四次元的な存在のグレイは、生まれもしない死にもしない。で、存在の数は増えない。これは肉体の数が増えないという意味ではない。中身同じで、数を増やすのはいくらでもできる。どこかを走っていて、残像が残るというようなものだ。これは増えるとは言わない。

で、地球は三次元世界で、カテゴリー1の惑星なので、時間と空間の縛りが強い。住人は特定の時間と特定の空間に地縛霊のように拘束されている。宇宙知性がこの一瞬で終わってしまう存在に興味を持つということじたいが信じられないことでもある。
で、創造の法則、生み出すというのは、数が増えることで、すると、振動密度が下がり、物質密度が上がるということが生じる。そもそも1なるものが増えてきたのだから、数が多くなるほど、それは分割魂のようなものとなり、存在は重たくなり、物質に近づく。宇宙では知性体の数はまったく増えていないのに、(四次元以上の世界で増えるという理屈が成り立たない。)地球では生まれてくる子供が増加する。これは分割残像が増えているという意味だが、ただグレイのように単純に映像のコピーが増えるということにならず、乱数的な組み合わせによって、分割魂が、もとの祖型とは微妙に違うものになっていくということに特徴がある。これは難しい問題を作り出す。もとにもどる道筋が見つかりにくい、ということだ。存在は孤立して、そして故郷を思い出せない。シュタイナーが言うように、混血した結果、人類は祖先の記憶を思い出せなくなった。死ぬ前に霊界と接点をつけるというのは、孤立した断片が、もとの場所との接点を見つけ出すということで、すると回収される可能性が大いに出てくる。

地球的な環境での増やす作用を考えると、グレイが地球人の母体を借りてハイブリッドを作り出すという前に、生まれてきた子供はすべてハイブリッドだということも意味する。
わたしは地球が日ごとに重くなっているので、離脱する必要があると説明したが、これは地球にある生産性に関係がある。創造すると物質密度が増えていくのだ。産みもしないし、死にもしないということにとどめておけば、つまり創造のプロセスを止めてしまえば、地球は重くなったりしない。
グレイは自分たちの進化のカギを、地球に見出したというのは、自分たちの資質の中にある特定のものを改良した混血種を、地球ならば生み出すことができるということを発見したとも言える。そしていったん生まれたら、その後の成長は違う場所で行う。彼らは未来から過去にやってくることも可能なので、自分たちの種の特徴の中に、まださらに改良点がある時には、その原点にまで戻ってきて、注文を出すか、いじるかする。2300年の時期の者が、1980年に戻ったり、と。
創造する、生み出すというのは、崖落としというイメージで説明してもいい。わたしはよく生まれてくる前に山の上にいて、そして崖から落ちて、この世界に生まれたという話を書くが、生まれてくるというのは、振動密度が落ちて、つまり天国から追い出され、そして物質密度が高くなり、茶色の水、すなわち泥と水が混じったところに埋もれていくということだ。この泥水は、イザナミとイザナギの泥をかき回しているイメージを借りていると思われる。

このわたしのイメージを利用した夢を今日見た。
古いビルのエレベーターに乗って下に降りようとした。その時エレベーターの箱の中に、ベビーカーがあり、そこに女の子の幼児がいた。しかしほかに誰もいない。ひとりでこれからどうするんだ?と思っていたら、ドアが開き、目的の階に着いたが、直前に、この幼児の母親が出現して、幼児の背後にいた。しかしベビーカーには触れておらず、まるで電磁誘導のように、母親が動くと、幼児のベビーカーも動いた。母親は左手に、長方形のリモコンのようなもの、あるいは金属片を持っていた。それが一瞬光ったように見えた。母親は幼児を認識しているように見えない。それにベビーカーに触れてもいない。しかしそのままふたりはドアから外に出たように思う。
母親はまるで亡霊のようか、あるいは夢遊病のようだった。
これをグレイのハイブリッドの話に変えてみると、母親は自分がこの娘の親になったことを知らない。それは電磁誘導のような形で連動するが、直接そこに物質的に触れることはない。
地球の生産的機能を一回だけ活用する。母体との関係は隠される。母親は亡霊のようか、夢遊病のようかというのは、眠りの中にあり自覚していないということだ。母親の中層重心の意識がH48という地球平均水準にあれば、この顛末はずっとわからないままだろう。いわゆる遮蔽記憶の中に全部畳み込まれてしまい、一生思い出さない。

四次元的存在のグレイは、一時的に三次元世界の分割・転落機能を活用して、異なる要素を混ぜて、自分たちのコースの折り返し点から先を少し変更する。今の地球上で、たくさん子供が生まれ続けるのは、地球がしだいに重くなっていくことをあらわしているので、ここにはたくさんの選択肢がある。第二地球にはこの生産機能はない。たとえば、地球で受胎し、結果としての子供は、違う惑星とか第二地球に行って育つ。そもそも宇宙存在は増加しないという意味では、新しく生まれるなら、前のボディはなくしたほうがいいので、これは仙道のように陽神が肉体を飲み込むというのは理にかなっている。増やさないように、それでいて変化していくことだ。増やせば転落する。生まれたのち、違う場所で育つというのは、そのまま自分にあてはめてほしい。陽神とかトゥルパを作り、そして第二地球に運ばれて行き、そこで暮らすということだ。
わたしはアントロポースが町の中に3パーセントいれば、その町は戦争も殺人もなくなり平和になるというマハリシ流のことを書いたが、3パーセントまで増やすのが大変な時には、反対に、97パーセントの人数を減らすということもあると提案するグループもいる。3パーセントは増えないが、比率としては大きくなるからだ。この手の考え方は大本教的だ。