2022年5月23日月曜日

20220523 瞑想と夢見(4)を掲載した

冥想と夢見(4)を掲載した。

https://note.com/lockwood/n/nc17359bcd24d

サマタ瞑想と、ヴィパーサナ瞑想をセットにする「止観」では、だんだんと見ていく現実が変化していく。変化しないとしたら、それはサマタ瞑想の集中が足りないからだ。サマタ瞑想と、サマディの三段階の違いがよくわからない。

特定の恒星をおひつじ座の0度にすることを提案してきたが、恒星どおしの相対的な関係によって、恒星の役割、性質が決まるということで、いろんな恒星をおひつじ座の0度にしてみる、という手法について書いた。すると、13蛇の道としての、アルクトゥルスから見たアルシオン、アルシオンから見たアルクトゥルスがどんなものかもわかる。ここでは、この相対的角度差の「道」をサビアンシンボルで考えてみよう。こうすると、サビアンシンボルの使い道がたくさん出てくるので、サビアンシンボルは浮かばれる。サビアンシンボルをサマタ瞑想する方法として、言葉の簡略化はいいかもしれない。たとえば、アルシオンからアルクトゥルスへの道を、砂漠のラクダと名付けているが、ラクダだけでいいのでは。それでも、サマタ瞑想していると、途中から、このラクダという言葉が消える。弾道だけが残り、それが運んでくれる。

2022年5月16日月曜日

20220516 冥想と夢見(3)を掲載した

冥想と夢見も、(3)にまでなってしまった。

https://note.com/lockwood/n/n630b6cc87be5

今回アーノルド・ミンデルの方向性のドリームワークについても書いたが、思い出してみると、これはかなり頻繁に使っていた記憶がある。散歩するときも、全部ドリームワークにしてしまうのだ。道には固有の意味がある。しかし、ドリームランド、センシエントな知覚は、ここに直接貼り付けられておらず、それらは「浮遊地図」なので、大地にわざわざ結び付けないかぎり、道のラインは、離陸するための滑走路にはならない。

アーノルド・ミンデルは、古代の思想として、道を活用することを提案しているが、大地のレイライン、パワースポットなどは、日常の自我の連想網を作り出すことに貢献したはず。それは昔の話なので、忘れられている。なので直接道を歩くことは、大きな自己を発見するための通路にはならない。歩く人が、道に、ドリームランド、センシエントな知覚を乗せることで、はじめて道を歩くことには意義が発生するのだ。宇宙ポータルは、特定の場所に固定されておらず、移動していくものなのだ。

本書で、いきなりタロット占いについても例を書いた。この場合、タロットのスプレッドを固定するのは好ましくない。もちろん、タロットカードの知識は「連想網」として、センシエントな知覚を妨害する。しかし、ドリームランドの連想網は、むしろセンシエントな知覚を効率化させて誘導するのではないか。

掲載した後で、心理学者のロジャース(ロジャーズ)を、ジェイムズと間違えて書いていたことに気がつき、12時15分あたりに訂正した。訂正したことをお知らせしますか、というところでは、いいえにした。コリン・ウィルソンは、ジェイムズの超常現象に関しての考えかたに、ジェイムズの四原則というようなことを「決めつけていた」と思うが、ちょっと興味あります。そのあたりをほじくるのも楽しそうだ。




2022年5月10日火曜日

20220510(2) 実験的にオンライン講座をしてみることにした。28日土曜日に

まだ使い方がわからないのであるが、見切り発車で、実験的にオンライン講座してみることにした。内容があまり固まっていないので、どう転ぶかわからない。

https://peatix.com/group/11676468

どうやって申し込むのかさえ、あまりよくわからない。

デュートロコスモスの図、ヘリオセントリック、サマタ瞑想など。連想膜については、ジオセントリックのチャートも引用したので、このごくごく普通のジオセントリックのホロスコープについても言及していいのではないかと思った。

またズームの有料版を申し込んだけど、この使い方も実はあまりよくわかっていない。いままで、人任せでやっていたので。でも、こないだ説話社の取材・講座で、山田さんが、会社のズームを使う時に、まあなんとかなるでしょと言っていたので、なんとかなる精神で取り組むことにした。

20220510 瞑想と夢見(2)を掲載した

 瞑想と夢見なのか、冥想と夢見なのか、統一できず。

https://note.com/lockwood/n/n1a782d1f9b5e

ヴィパーサナ瞑想の「連想を使わない」ということにひっかかり、人間は連想から離れることなど不可能だと書いた。連想網はたくさんあり、連想を使わないという場合には、異なる連想膜につないでいることをあらわす。意識の振動からして、相対的に、対象化できず、把握できないような膜があり、それはその人からすると無の、色のないものである。

ヴィパーサナ瞑想と、サマタ瞑想に関心が強くなり、もっといろいろ書いてみたい。ヴィパーサナ瞑想と、サマタ瞑想を具体的に調べてみたりすると、きっと面白くない話になる。人間には能力の限界というものが自ずとあり、どんな知識も、自分の限界点の範囲にまとめてしまうのだ。そのようにして、ヴィパーサナ瞑想についてわたしは知っているとは、誰も言えないのだ。


2022年5月4日水曜日

20220504 瞑想と夢見(1)を掲載

 瞑想と夢見を組み合わせてみよう。

https://note.com/lockwood/n/n00b6a7e63455

サビアンシンボル冥想。タロットパスワーク。サマタ瞑想ふう。ヴィパーサナ瞑想ふう。自己想起。まずは言葉の違いから。瞑想と冥想の違いはなにか。

ヴィパーサナ瞑想については、あまり知らないが、それでも言いたいことがあり、これはマインドフルネスとは反対方向ではないか。マインドフルネスは連想の壁を破らない。ヴィパーサナ瞑想は簡単に連想の壁、網目、膜を打ち破る。

連想の膜は、何重にも作られており、より深い膜は、浅い膜を打ち破ることにも利用される。これは占星術のアスペクトで、金星と冥王星が合の場合、金星の膜を、冥王星は打ち破ることも多いが、同時にそれは金星意識においての影を浮上させることでもある。影については、やはりおとめ座10度がその有効活用に役立つ。


2022年4月27日水曜日

20220427 7つのコスモス(7)を掲載した

 7つのコスモス(7)を掲載した。

https://note.com/lockwood/n/n88b130d2dd79

ミクロコスモスについて書いているが、書いている時、とても息苦しい思いをしていた。しかしながら、下の<絶体>を意識すると、プロトコスモス、アヨコスモス、マクロコスモスまでの道筋をトレースするような模型となり、それは天井に穴の開いた「青天井」となり、息苦しさは消える。縄文時代について、もっと考えたほうがいいと思ったが、それについては今回はあまり詳しくは書いていない。でも興味はある。というのも、BC13000年以後の縄文時代は、ちょうどアトランティス大陸が沈没した後の「洪水の時代」にも対応しており、縦横無尽に、大きな宇宙に行き来していたのだと思われる。現代人は、これを理解することはほとんどできない。誰でも、自分と同じものしか見ることができないからだ。


2022年4月18日月曜日

20220418 7つのコスモス(6)を掲載した

 7つのコスモス(6)は、トリトコスモスについて書いた。

https://note.com/lockwood/n/n24f8e751cdb1

noteが、これまでのテキストとは違って、見出しなども出るようになったが、そのかわりに、改行の幅なども大きくなり、わたしのパソコン画面からすると、不自然に、隙間の大きい表示になっている。このほうがスマホなどでは見やすいのかどうか、わからない。少なくとも、openofficeのいつもの表示からすると、すかすかだ。

ただ、このブログにしても、改行すると、かなり幅が大きく空くので、もしかしたら、noteはいまの状況に合わせているのかもしれない。

トリトコスモスは、人間世界のことであり、すると、四元素の火、風、水、土の範囲に収まるもののはずだが、(H48は、地球であり、メゾコスモス)、これはただの物質人間のことでしかなく、思考とか感情は入らない。思考とか感情の振動密度は人によって大きく違いがあり、ひとくくりにできないので、つまり決まった人間モデルの範囲というのは、決められない。結局、本来の人間とは、マクロコスモス、デュートロコスモス、メゾコスモスが重なった、というか釣り下がった形になる。これは12吊られた男と同じスタイルだ。地面に立った人間の姿は正しくない。ここに反対に降りてきた人間を重ねなくてはならない。

そして、身長は、何十メートルにもなると思う。新しい視覚は、それを視覚的に見ることができるが、肉の目では、それを見ることができず、四元素の枠にある人間の肉体だけを視認する。Lアースでは、この正しい見方を取り戻すことができる。

今日、4月19日に、7つのコスモス(6)は、openofficeの文章を一度テキストにして出力し、メモ帳で読み込ませて、あらためて、noteの編集モードで、貼り付けた。これで改行が過剰に空白が広くなることはなくなったので、これまでと同じように読めるようになった。