2018年12月12日水曜日

20181212 環状の道

地球を枠つきの水たまりと定義したら、その後、ずっと真ん中に池があり、その周囲に環状の道があるという光景が何度もあらわれる。環状の道は月の軌道で、そこにステーションがある。時々真ん中の水に飛び込む人がいる。が、全体にこの真ん中の池は危険地帯という気配は続く。環状の道は、上から見て右回りだと降下で、池である地球に飛び込む。上から見て左回りは、上昇とか抜け出すとか。12サインをあてはめると、サインの進みは上から見て左回りだ。夢の中で、この道のある場所に図書館があったが、12サインの配置で考えてみると、いて座あたりにそれがあった。そこを右回りに通り過ぎると、少人数の集団がいた。これはさそり座あたりか。というよりてんびん座だ。このチームが、見失ったわたしの子供を保護していたのだが、二回転目のてんびん座は、19太陽のカードに対応するので、この見失った子供とは、太陽のカードのもうひとりの子供のこと。わたしが池に飛び込んだので、子供の行方がわからなくなったというわけ。わたしはこのチームを工事の兄ちゃんたちと呼んでいるが、ずっと前にスピカに行く時に、数人が溶けて筒になった。人になったり筒になったりというところが、工事の兄ちゃんたちという名前に合ってる。完成した建物の場所にはいないので。毎度のことながら、わたしはこの工事の兄ちゃんたちに会うと、感激するとか感動するとかの感情を刺激されてしまう。自分を犠牲にする精神があるからだ。まあ自分を犠牲にしないことには、人の形が溶けて筒になったりはしない。


2018年12月11日火曜日

20181211 鮫肌でざらざら

今日は珍しく夢を記憶していなかった。毎日ほぼ確実に2つの段階を記憶しているのだが。そのかわりにというか、少し早めに目覚めると、20審判のカードの状態に入る。わたしはこのカードをクンダリニなどと説明しているけど、クンダリニは中心のスシュムナ・ナディをあがって来る。でもわたしの場合には最近は、自分が天使のラッパになって降りていくと、その周囲を包むように下に畳んであった幕があがって来るような感じ。で、この幕は映像を映し出すスクリーン素材で、そこに鮮明な映像が映るのだが、今日は地面に穴が開いており、その脇に、穴から取り出したらしい古い石版が横たわっている。石版も地面の穴もざらざらしたサメ肌であり、見てると鳥肌が立ちそう。石版は太古の金星の記録らしい。数日前にヴェリコフスキーのことを思い出したのでその関連だろう。地面の穴は20審判のカードに描かれた墓穴に似ているが形は不定形で、蟻の巣の露出のような。石版は見た以上は自動的に数日かけて解凍されるはず。最近はこういうふうに腰から幕が上がって、身体を取り巻くか、あるいは目の前に板として出てくるかというのが多いが、この壁の質感とか素材によって、エリアとか時代を考えてほしいということらしい。以前は似たものが多かったが、最近はこのスクリーンの素材がいろいろ違っている。で、この20審判のカードだが、わたしはいつも線、筒、トンネルとかは、大小サイズが可変すると言うが、天使のラッパは、この筒であり、主体がこの中に入って下に下りていくのでは。すると、下にあるものは外周を包む幕でもあり、つまり拡大して見える。21世界のカードでは、これが楕円のエナになる。下の墓石は世界すなわち正方形だと説明しているが、いろんな正方形をアクセスして、ラッパの筒で下りる。ひとつの正方形を相対化するために、これからは二種類をいつも比較してほしいと言われているようだ。以前の夢で、反物屋さんで、どの布がお好み?と聞かれた以後の話かな。

マクロな太陽系は、ミクロでは原子に転写されていると考えているが、天使のラッパで降りていくと、自分が原子核になり、墓が電子の幕になるのでは。相互束縛によって、つまり太陽と惑星群、惑星と月などによって、太陽系世界は安定しているが、兄弟姉妹的な、もうひとつの世界と比較してほしいと言われると、たとえとしては、エキゾチック原子かな。この太陽系とシリウスは兄弟で、互いに回りあっているという説があるが、陰陽の関係性の束縛がゆるいぶん、勝手な動きをする"系"があるらしい。太古の金星って、交換留学?こういうのを、幕に映る映像でいろいろ調査してください、というおはなし。


2018年12月10日月曜日

20181210 マイナーな曲だと著作権に引っかからないのか

久しぶりにyoutubeにuploadしてみた。
シャルパンティエあたりだと、著作権チェックにはひっかからないのか。
https://youtu.be/rpz5wIfsN-c

2018年12月9日日曜日

20181209 土の中の水

地球は水に囲まれ、この中に大陸とか島がまばらに存在している。でも地球のサイズは決まっていて、つまりは枠の中にありということで、タットワの25個のシンボルで言えば、土の中の水と分類できる。今の地球をどう決めておけばいいのか、といろいろ考えたあげくに、こういう位置づけになった。シフトした地球とはっきり違いを説明できるようにするために、あれこれ名前について考えていたのだ。で、14000年前に、カフナの先祖は、エジプトに暗黒の時代がくると予見してそこから去ることにして東に移動し、ハワイに行き着いたとロングは主張した。でも最近、急にこの説を疑うようになった。確かにハワイは、日本式に言うと、海の中の島なので弁天島であるが、彼らはハワイという土地を重視しておらず、その近所の海の三角地帯を活動拠点にしたのでは。つまり存在状態がシフトしており、わたしたちのように海に囲まれた陸地に住む必要性はない。彼らは真にサイキックな人たちであり、そういう人間の身体はエーテル体であるのが一番自然だ。そもそも古代エジプトとはそういう時代だ。シュタイナーは西洋人はとことん物質的であり、物質から離れるのは不可能だと言ったが、西洋の国には海に囲まれておらず、となりがそのまま陸地で隣の国になってしまうことも多く、こういうところでは、地球は土の中の水なのに、土の中の土と思い込んでしまう傾向もあるからでは。海は島を飲み込むし、小さな視点から見ると、圧倒的に広がっている。しかも均等に。海に囲まれた島は、局在から非局在に拡大するエーテル体というイメージを受け入れやすい。やがてはすべての存在はこれに飲み込まれていくと思っている。

西洋人が自分たちはギリシャから始まり、エジプトから始まったわけではないと言うのは、自分たちは純粋に物質主義であるということかな。

2018年12月7日金曜日

20181207 熱があるので

技術評論社の月星座占いという本が増刷だそうです。毎月何か増刷の連絡が来ますね。月星座占いについては、月に関してさんざんなことを書きましたが、今の月は地球人を堕落させているんですよ。なので本来の月の役割に回帰するには、月は7つないといけないです。ひとつに能動、受動、中和という有機的作用が働くと、これは21個の月になります。今の地球のまわりにある月に関してさんざんなことを書いているのは、わたしが実は月に関してそうとうに詳しいということを示しています。月が7つになると、これはシフトした地球になります。いまのようにひとつしかない月は、いわば地獄の入り口みたいな位置づけにはなるでしょうが、ある意味、これはゴミ箱みたいな意味もあります。ここに吸い込まれた人は、二度と戻ってこない。でも「人間」は絶対に吸い込まれません。今日は熱があるので、早朝のzoom講座は中止にしてもらいました。原稿は書けるけど、話はできないです。もしかしたら、今後体調はもっと不安定になるような傾向もあります。固まったゼリーではなくなったので、やすみなく揺らぐかもしれない。地球も本来は、このように休みなく揺らぎ、どこにも安定したものがないということになると、一番健全で本来的な地球なんですけどね。大地は安定していてほしいというのは人間の傲慢で、そもそも地球は人のために生きているわけではない。いそうろうが勝手なことを言うな、というところでしょうか。

2018年12月3日月曜日

20181203 四つの世界の同期

メンタル体、アストラル体、エーテル体、物質体という四つのボディが軸がそろって同心円みたいに重なると、四つの界の記憶が持ち込みされる。地球では、物質体の部分が、上の三つとは同期しないように作られていて、ここだけが独自の法則を持つ。たとえば人間はみな工業製品のように同じ形をしていて、上の三つの中身がどんなものであれ、全員が制服のように同じ形の肉体を持つ。結果として、物質界では上の記憶が消える。目覚めた時夢をあまり覚えていないのはこういう理由もある。もし上の三つがそのまま反映された物質体を持つと、人の形はかなり少なくなるのでは。想念に従う物質の性質を持つ惑星世界があると、そこでは生き物はみな本性に応じた姿形を持つことになる。なので、もし次元上昇した地球が存在しうるとしたら、そこに住む人類はいろとりどりの姿に。上の法則がそのまま下に下りてくるという構造を維持するには、地球には月が7つないといけない。月がひとつしかないために、それに引きずられて地球は下落して太陽と距離が離れてしまい、これが地球の物質界のガラパゴス的な性質を作った。もちろん月を人工的に作ることは可能だが、今の地球は下落を続けてもらって、シフトした地球に7つの月を置くというのがいいのでは。QHHTなどを利用して、自分の本当の姿を見つけたほうがいいのでは。エーテル体は肉体とアストラル体を繋ぐので、板ばさみにあっていて、肉体に近づくにつれ人間の形になり、アストラル体に近づくにつれ、人間の形ではなくなっていく。地球では人はみな同じ形というのを見て、いったいどういうことなんだと宇宙人たちは衝撃を受ける。同じ工場で作った鉄の鎧を着せていますと説明すると、ああそういうことか、と。グレイとかはみな同じだがあれは宇宙人ではなくロボットだし、地球人をまねたパロディのような気もする。

太陽神信仰だと、この太陽系の型に全員があわせなくてはならないということになり、人はみな同じ形になる。しかし星信仰の場合には、さまざまな星のルーツに戻ってしまい、この地球はたまたま今いる観光地になるので、人の形はみな星のルーツのスタイルになる。確かに多少の妥協はある。でないとここにはいられないので。しかし長くは居座らない。


2018年12月1日土曜日

20181201 前世記憶は嘘くさいのが当たり前

前世療法などで前世を自分で見た場合でも、どこか嘘臭いと感じる人がほとんどでは。この嘘くさいと感じることは大切。なぜなら、体験の印象に一体化してしまう比率が高いほど、その人は不在になるからだ。今の人生も嘘くさいと感じるのが正解。で、アカシックレコードのアカーシャというのは、第五元素のことで、ここには時間と空間がない。第五元素を四元素に分解することではじめて時間と空間が生まれる。アカシックレコードの文字を解凍して時間と空間の中に落として動画にしたのが今の人生。また前世の記憶もこのアカシックの記録のどれかを参照している。わたしたちは具体的に生きている時に部分的なことに気をとられすぎて、アカシックの記録そのものを意識することができない。足の爪を見ているが、それが何かの生き物の先だということがわからないようなものだ。自由意志の生活とは、この全体を見ないで一部のみ見ていると、あたかも自由に動けるように感じるということ。犬の身体が小さくなると三畳間でも運動場のようにのびのび感じる。このアカシックレコードの書物はタロットカードでは2女教皇が持つ書物として描かれており、だいたい女教皇の腰のあたりにあるが、12サインでは、おうし座に対応し、ミラーサイトは松果腺の周囲、胸、腰などにある。もとデータはいくつかの範囲があり、たとえばトゥバンの図書館は、これが管轄する全太陽クラスターの全域に及ぶ記録ということになる。地球範囲のアカシックデータは、エジプトにあり、これはジオテティックのサインではおうし座の始まりあたりに該当する。確かおうし座の1度くらいか。おうし座は身体に埋めこまれた資質、記憶などだが、これを読み出しすることでわたしたちの人生が始まる。11力のカード、あるいは11みずがめ座は、おうし座にたいして90度だが、ここでこの埋め込まれ、同一化したデータを自分から引き剥がそうとする。引き剥がさないと、魚座の後の春分点で、外の世界に飛べない。

外の世界に飛ぶというのは、その外の世界の構成する因子に、自分の心身を組み替えていくことをあらわす。今の自分がそのままで、どこか外の宇宙に行くというのは理屈として成り立たない。構成因子の骨組みが共通している宇宙には行くことができるが、さらに構成因子が違うところには行くことができない。で、地球アカシックにしがみつくと、構成因子の組み換えには抵抗するので、どこにもいけない。だから脱ぎ捨てる。あるいは脱衣婆が脱ぎ捨てのお手伝いをする。時空に分解された四元素を、もとのアカシックデータとしての第五元素に戻すのは、図形として、エジプトのピラミッドに似ている。大地に四つがあり、上空では五番目に集約されている。ここから外に飛び出すというのもあるのでは。四元素に細分化されるのが実人生で、そこではアカシックは読めないが、死ぬ直前にはこの巻物をちらっと読むことができる。細部から手を離したら読める。

物質肉体を脱ぎ捨てると、エーテル体の身体となり、これは局在から非局在に拡張していくこととなり、サイズが可変するので、たとえば太陽系のサイズくらいに拡大することもある。太陽系サイズにエーテル体の網目が伸びた情景というのは、太陽系の範囲まで、身体内の血管網が張り巡らされたのと似ており、この時、太陽系のサイズなのに、自分は四畳半の部屋にいるみたいに思ったりする。構成因子のプロトコルは8文字、8点。つまり四畳半の8つの隅みたいな。もちろん、これマカバの8点と考えてもいい。




2018年11月30日金曜日

20181130 主体が溶けると

唯識論の横山紘一式に言えば、十牛図の第八図人牛倶忘は、主体と客体が溶けて、主体のありかもはっきりしなくなる状態。主体を点であらわすと、この点がなくなった絵が描かれている。この円は大きな自己をあらわすのだが、わたしたちは小さな自己として生きているので、かならず主体があり、第八図はこの小さな自己が溶けて大きな自己という円に「引き上げられた」状態でもある。固定された主体が溶ける必要があるのは、第九図で外宇宙に飛び出すためだ。つまり第八図の大きな円は、これまで住んでいた宇宙全体ということをあらわしていて、主体という一点のピンをはずすと、はじかれたように外に飛び出す。今日の夢は、魚座で作ったアストラル体が船になって、筒をぬるぬると抜け出すという映像だが、夢を見た直後は、何をいまさら、と思った。そのことについてはすでに説明したはずだからだ。夢では12サインは筒のようになっていたので、蛇の脱皮のような映像を見ていたことになる。なぜいまさら、この光景を見せたのか。ひとつは第九図で外に飛び出すと、第八図で成立していた世界という円はしぼんで消えてしまう可能性。というのも主体と客体のセットで世界という信念体系が作られている。主体を抜き出すと梁が除かれた家のように倒壊するのでは。世界はそのままにして、そっと抜け出すという行為は難しい。主体と客体の固定的な関係性がいったん緩むと、過去の記憶も書き換えられたり違ったものになるので、宇宙に飛び出し戻ってきたときには、思い出の場所、なじんだ場所がどこにもないのだ。過去の記憶は自分という主体が同じ場所にじっとしていたからこそ形成できていたもの。確かに第十図で山から下りて町に入っても、そこは自分がかつて住んでいた場所ではなくなっているし、町の人から見ても、この山から下りてきたツァラトゥストラは怪しい謎の存在だ。覆水盆に返らずか。新しく記憶を作ったり、最初からやり直すというのはある。



2018年11月29日木曜日

20181129 主体移動と分身づくり

今日の夢は、人間は主体意識を身体から外のあちこちに移動させられることを説明していた。地球ではそれはできないという教育をされている。タロット道では、分身を作り、この分身が成長した後に、旧肉体を飲み込むが、ここで分身に主体移動をしているとも受け取れる。通常子供を生むと、親はそれとは別個の存在として生きるが、これも主体移動はできないという教育によって、子供の中に乗り込めないからだ。地球ではそうやって人間組織はばらばらになっていく。主体移動ができるなら分身を作りそれに乗り換えて生き続けるということが可能。それをしていたのはヘルメスだと言われる。三度生まれのヘルメスの意味にはそういうことも含まれている。主体移動のためには移動範囲の広さが確保されなくてはならず、つまり身体よりもはるかに大きな範囲が全部自分とみなされれば、この範囲内で転々と動けるのだ。わたしたちが身体の中であちこちに意識の焦点を移動させることができるのと同じだ。ヘルメスは異次元に旅することにこだわっていたが、このミクロ構造が分身に乗り換えるということを示す。で、夢の中で、分身をどう成長させるか質問を受けていた。親の男性はわたしにそれを聞きたいのに素直に聞かない。どうもプライドがあるらしいぞ。分身(トゥルパ)の女の子はビニール人形のように動かず入魂がされていない。つまり親の主体が移動していない。まあプライドがあるということ自体が、主体は自分の場所に居座るという意味だからね。この男性はかっこつけだが、でもちゃんと説明すると本気で取り組む気配もあった。それにしても分身の育て方を教える立場になるとは思わなかった。しかし主体移動という十牛図でいう第八図の段階は、分身乗換えと直接関係があることはあきらかだ。

2018年11月28日水曜日

20181128 いて座で境界線がなくなる

タロットカードを12進法的に、サインと重ねて考えると、二回転目のいて座で21世界のカードになる。が、この展開はなかなか問題があるらしい。夢をパスワークみたいに使って、21世界のカードを探索したが、真ん中の人物の周囲にある楕円の輪がなくなってしまったような状態になるようだ。境界線がなくなると、四大の各々の不均衡が中心に侵入して、中心点の軸がずれる。すると上位の次元との同調の軸がぶれて、つまりカルマ成分とか穢れの影響を受けて転落の可能性もある。軸がずれると、上からの助けもない。なぜなら上のほうからは発見できなくなってしまうから。対策はあるらしいが、一番簡単なのは、やはり節目を作る山羊座まで持ち込むのが一番なのかもしれない。となると22番カードが必要?しかし22番でとめてしまうとひとつの世界に幽閉したたままになりやすい。21世界のカードで止めても、問題点の打開の方法もあるが、12進法にすることでよけいな問題を持ち込んだみたいなことにもなりやすい。21世界のカードの中心の輪というのはエソテリックの門でもあり、そこまで行けば後は好きにしてくれというのですっきりしていたので、やはりこの枚数のままのほうがいいのでは。

2018年11月27日火曜日

20181127 さそり座と8正義と20審判のカード

タロットカードを12進法的に分類して、12サインに割り当てると、さそり座のところで、8正義と20審判のカードが重なる。20審判はクンダリニに関係すると説明しているが、笛を吹いて蛇を起こそうとすると、周辺に壁が立ち上がり、立方体ができる。この中にクンダリニのエネルギィが充満して、これがさそり座の生命感覚の圧縮になる。これはわたしが考えて組み合わせたのでなく、一週間前くらいに夢がそれを見せてきた。というか夢というより眠る前のリラックス時間に。いろんなコスモスのアクセスに、立方体の8文字のプロトコル(8正義)が使われるという意味で、いろんな宇宙旅行をする時に、この文字コード表を作ると便利なのではと思ったりしたが、紙に書いたり記録に残したりすると、この文字は急激に陳腐化して、恒星レベルから脱落する。この文字は記録に書いてはいけないというのは書くと脱落してしまうからだ。記録も全部エーテル体に置いて、物質界には持ち込んではならないというルール。月のステーションの三分の一は実は図書館だった。たぶんどんな記録も夢で読むことができるだろう。QHHTでは、セッションをレコーダーで記録しているが、これは正しくないのでは?記録はエーテル体に置き、物質界には持ち込まない。また読みたければエーテル界に来い、というのが正しいのでは。


2018年11月26日月曜日

20181126 夢と身体性の分離

タロットカードをホドロフスキーは10で分割して、二階建てとして解釈する。で、わたしはいつものように9で分割している。金星人持込説だと7で分割するという話だが、これはちょっと不自然なものに見えてくるのは、複数の7の原理をフーガのように結びつけるインターバルを入れることができないので、自由性がないからだ。舞台裏の要素を組み込めない。これを組み込むと9の分割になるのだ。で、ためしに今は12の数字で分割しているのだが、12は吊られた男のカードでもあり、つまり12進法的な分割は夢見の体系というものになるということだ。それに二回転目は、13死神から始まり、これは地上の活動の停滞・停止を示すので、地上活動するな、吊られたままでいろ、つまり身体はじっとして眠り夢見をしてくれという体系だ。吊られた男は12魚座と同じ意味なので、魚座は基本的には地上の情報を拾うことはない。ヤコブの梯子から持ち込んだ情報のみを扱い、この姿勢を基にして13死神の行為がスタートする。逆に12吊られた男の夢見がないなら、13死神も何を粛清していいのかさっぱりわからなくなる。12進法タロットは、地上生活に貢献しない、地上に無関心な体系になるので、これはこれで極端で面白い。で、ミンデルは夢と身体症状が対応しているという説もあるらしいのだが、これは夢の初期段階であり、やがては夢は離陸してエーテル体体験になっていくので、すると身体とは可能な限り切り離されていく。ただエーテル体は肉体から離れないので、糸でつながっており、その結果として夢の体験では、地上での記憶が借用される。知っている人が夢に出てきても、それは知ってる人とは何の関係もなく象徴として利用されているだけだが、記憶の型として夢はそれを利用している。死ぬとエーテル体は肉体と離れるので、地上的な記憶がほとんど消失し、人間の形も思い出すことがなくなる。つまり死後の準備をするには、夢見の中で、地上的な形態を次々とかなぐり捨てることが重要で、これも二回転目の13死神のスタートに対応している。で、宇宙人は宇宙船に乗ってやってくるというのも、ずいぶんと地球的で、頑固な信念体系でもあるので、この発想はやめたほうがいいのでは、と。


2018年11月25日日曜日

20181125 怪物の脱走

今日の夢は部屋の中でテレビを見ていたが、そろそろ出てくるなと思ったのはテレビ枠から出てくる怪物。それが出てきたら噛みつこうと思って待機していたからなのか、出てきたのは案外おとなしく噛みつきがいがないものでした。わたしは物質体からエーテル体にシフトすることは、物質が怪物化し爆発すると説明していますが、それはエーテル体が局在から非局在に繋がっていくからで、形あるものはみな崩れるという意味です。わたしの夢ではしばらく、この物質を四角の枠の中でのものと定義が決まったようで、いつもテレビの枠とか絵の額縁みたいな出かたをします。エーテル体はそれを打ち破って、拡大する。で、エーテル体に自我を移すとは、この爆発するように見える拡大意識そのものに均衡を持つことであり、物質体がベースだと破壊力ですが、エーテル体がベースだと中空に浮かぶ自立結晶になり、それ自身で維持できるものとなるのです。心理学というのは肉体自我がベースであり、その中で働く心理的なものというふうにエーテル体は縮こまっています。エーテル体が主導権を握ると、心理学というカテゴリーは成り立ちません。体を飛び出す意識になるからです。あちこちの人が身体から脱獄するようになると、地上の政治的秩序はなくなりますから、地上の学問とかはみな肉体がベースであり、すべての精神活動はこの中でのみ働くというふうに決められています。わたしがテレビの前で怪物が飛び出すのを待ち構えていたのは成敗する目的ではなく、画面から外に解き放つためではないか、と。夢では、外に出ようとしたら、自分の靴が見つかりませんでした。200くらい靴があり、自分の靴はどれかわからない。つまりは怪物をテレビから外に出すようなことをしていると、自分の地上においてのナリワイ、立脚点が見つからなくなる。そうやってわたしは足を壊したり腰を壊したりするのです。


2018年11月24日土曜日

20181124 二回転目の12サイン

12サインはタロットカードの12までと似ていて、つまりタロットカードの12番までの体験は、12サインの体験でも可能だと説明していたが、12サインの二回転目をタロットカードの13以後に重ねてもいい。タロットの基本は数字のロゴスであると考えると、9でも7でも10でも12で分類しても成り立つものだからだ。で、この二回転目のおひつじ座は13死神となり、新しい世界で新しい体験をするつど、それがカルマを書き換えて、違うものにしていくという作用が働くことになる。除雪車みたいだ。死神を裏に持つ魔術師だ。こういうふうに12サインを二回転目まで使って、タロットカードの数字と整合性を持たせると、メリットとしては、ホロスコープとか12サインの廃材利用ができること。つまりホロスコープは太陽系内に閉じ込められたものなのだが、これに、外宇宙的12の盤を重ねることで、広範囲な12サインとして再解釈できる。もちろん行動もかなり違ってくることにはなるが。たとえば、2女教皇、おうし座の書物を、二回転目のおうし座は焚書にする。それはより大きなアカシックを持ち込むためだ。二回転目は死神から始まったので、14節制の自己生殖という意味も、古い資料を死なせてしまうことと同時進行。データを消して上に書く。2回転目の12サインはなかなか気分いいよ。ただ、これまでの12サイン体験をまだ十分味わっていない時に二回転目が来ると、すべてに死神力を発揮するので、すべてが途中投げ出し、リセットになってしまうことはあきらかだ。

2018年11月22日木曜日

20181122 物質界とエーテル界の接触面

今日の夢は、物質界からエーテル界にいくと怪物化し爆発するが、エーテル界から物質界のほうは比較的スムーズというもの。この怪物化というのは当たり前のことだが、それをまるでコードネームみたいに「トカゲ」と呼んでいた。トカゲと言われると多くの人は尻尾切りと想像するはずだが、そのとおりに、これは因果の糸が切れてしまうことを示す。エーテル体は局在から非局在に伸びている。非局在すなわち無が介入すると、時空の因果法則は成立しない。下にあるものは上に上がれないが、上にあるものはいかなる介入も可能という法則も、これは下にある因果を壊してしまうことだ。物質界においての因果はたとえば科学とか数学で、1足す1は当然2だろというようなルールがあってもエーテル体では初期にはフォーマットを怪物化させ、次に無効化する。親の因果が子に報いなどというカルマ性もほぼ無に帰してしまう。この点からすると怪物化というのも浄化の初期段階かもしれない。このエーテル体と物質体の接触面は、物質から見たものとエーテル体から見たものはずいぶんと違うという夢だった。エーテル界から物質界に戻る時の記憶の連続性にはちょっとした工夫が必要らしい。というのも法則が違うので、そのまま記憶は持ち込めず、いったん銀行に預けてそれから受け取るみたいな迂回が必要らしい。ただわたしは毎日の夢の3段階のうち、2と3はそのまま覚えている。このそのまま覚えているということそのものが悪夢みたいなものだ。法則が違う世界のことをまるのまま記憶し、現世に持ち込むと、現世のフォーマットを崩してしまうことになりかねない。ルピーを円に換金しないで、そのままポケットに入れたまま帰国したみたいなところか。物質界とエーテル界の接触面はかなり注意深さが必要らしい。取りこぼし、行方不明、破壊。そういうことがよく起こる。いろんなセミナーに行っても、なかなか枠外体験ができない人は、地上の因果律に捕まっているからと考えてもいいかもしれない。地上のいかなるルールも忘れるか、あるいは怪物化させて爆発させるかによって、ジャンプすることができる。


2018年11月20日火曜日

20181120 リファレンスとしてのアストラル体

アストラル体の独立結晶は、二極化を解消した性センターの上に立つと書いたが、このためには本能センターから受ける偏向を修正しなくてはならない。個人の癖だけでなく、その背後にある家系カルマとか、また伝統、歴史、地球的カルマとかそのようにいつまでもだらだらと連続する「慣性歪」を、本来のアストラル体の個性の地上的反映というものに訂正するには、修正するためのリファレンスが必要で、それでいて修正しないことにはリファレンスたるアストラル体の結晶がうまく作れないという堂々巡りもある。タロットカードでは、12吊られた男はヤコブの梯子に足をかけ、地上には接していないので、天上的ヴィジョンを育成しやすい。そこで計画書をしたためて、その後13死神で地上を粛清、すなわち本能センターにメモリーされたデータの不要部分をデリートするのだが、12吊られた男の段階ではちゃんとしたアストラル体の結晶は作られていない。とはいえ、わたしはタロットの数字とサインの数字は似ていると説明したので、12のうお座では、アストラル体結晶を作り、最後は30度で巨大な岩の顔として、硬い個性を作ると説明しているのだが。うお座の段階では、12サインが地球的アカシック盤であるというように、宇宙に飛び出すことはない。つまりは宇宙の中での衝撃に耐えられるようなアストラル体を作るために、13以後のカードのプロセスがあるという考えもできる。つまりいちおうは12吊られた男の段階で、アストラル体の計画書はあることはある。12番カードと似た魚座の支配星の海王星は、アストラル体のイメージを想像させる。これらが正しいかどうか確認する方法は、それを見て死ぬほど楽しいかどうか、というもの。アストラル体は楽しすぎて肉体を破壊する性質もあるので、これが手に入ったら死んでもいいと感じさせる。死んでもいいというのは死を超えた楽しさであり、つまりはアストラル体なのだ。強引な話、12進法という変則的なカウントで考えてみると、二回転目のいて座で、21世界のカードになる。ここでは16塔あるいは神の家で、かに座の宇宙のおうちを探し、そこに帰る。



2018年11月19日月曜日

20181119 揺れとバイロケ

そういえば、舞踏というのは、エーテル体知覚に移りやすい。エーテル体知覚とは、身体の中にある主体が身体の外に拡大することであり、舞踏の場合、いまここにいたと思ったら、数センチずれた場所に自分がいるという揺すぶりで、主体残像が複数化する。めまいを起こしてしまうというのも、主体がしっかり同じ場所にいないことを示す。なので、わたしはよく変性意識に入るのに、単調な、特に「無意味な」動作を繰り返すことをお勧めしていた。無意味な動作の理由は、本能センターの自然な動きから逃れるためだ。その人の自然体の無意味さでなく、その人らしくない、まさに不自然な無意味動作はもっともお勧めだ。で、エーテル体知覚にシフトすると、そこで誰かとラポールの紐をつなぐと、ほとんど防衛できないくらい影響が入ってくる。ラポールというのは、そもそもメスメルが主張したエーテル体の紐のことである。防衛とは主体の位置がはっきり決まって、物質体の知覚にいる時に可能なものだ。物質体は城壁に囲まれているという意味だ。主体が揺らいでいる時には無防備になる。わざと倒れ掛かったり、よたったりするのは、無防備さをアピールしていることだ。ダンスをふたりで組んでやっていると、いつもよりラポールの紐が深く繋がりやすい。ダンスする会場で、壁の花をしているのは、動かないことで、エーテル体から物質体に向かい、しっかり防衛に徹していることなので、この会場にいる誰ともバイロケしないぞという決意だ。人と人のラポールは、人以上の世界には繋がらないので、あまり面白いものは期待できないと思うなら、モスクとバイロケしてみよう。まっすぐに繋がっている星がある。バイロケは主体の移動なので、より効果的に進めるために、いままで説明してきたように、身体を不自然に妙に揺らしながら行うのもいいかもしれない。警察に呼び止められるので、道を歩きながら揺らさないように。記憶術を実践するために身体を揺らしている人がいたが効果的。無意識に刻印される。学校の勉強でゆれる子供がいたら、こいつは多動児かと先生が叱るかもしれないが、揺れるほうが正しい。

2018年11月18日日曜日

20181118 カルマ

いわゆるカルマというのは、繰り返されてもう意識化できなくなり、自動的に運動する特性を意味するのだろう。つまり本能センターにメモリーされたものであり、これはH24の速度で働くので、思考とか知性のH48では、どう考えても書き換えもできないし、管理もできない。エーテル体に刻まれたものと考えてもいいかもしれない。家系カルマなど集団性のものもある。ケネディ家とか武田家の病気など、なかなかすごい。J.F.ケネディの悪夢のような行動もケネディ家のカルマに動かれたものだ。この本能センターを通奏低音にして動作センターが働くので、動作センターの癖には、背後に本能センターの刻印が反映されており、これらのすべてを本人は意識しないか、気がつかない。だめだと思っても我慢できないんです、というもの。ただ、より高次な意識というものは、下位にあるものに対してはインターバル作用を持ち、そこでいくらでも書き換えてしまうので、高次感情センターのH12はこれを作り変えてしまう。知性や思考からすると不可能なことが、この高次感情センターには可能ということだ。この上位意識に上がり、それから降りると地上は書き換わるというのは、断舎離カードの13死神のカードで発揮される。月のことが少し話題になったが、月は行動パターンを記憶する鏡あるいは餅で、書き込まれたものを繰り返す。そこに新しく書き込みするという作用はまったくない。グルジェフは月は人間を食うと言ったが、哺乳動物としての人間は月の奴隷になり、決まったパターン以外で何か考えたり思ったりということができなくなる。自動化とカルマの奴隷になるということだ。で、この記録されたパターンをいくら繰り返しても苦痛には感じないというのはコンピュータープログラムのことで、その高度な応用がAIなので、AIとは月の性質を体現したものだと言える。月はAIに任せて、人間はカルマから解放されてもっと可能性を探求しようということなのだ。ただかなりの人がカルマに寄りかかって、それを生きがいにしているので、それをAIに奪われると、何をしていいのか困る人々も多いかもしれない。それを生きがいにしているというイメージの例として孤独のグルメなどもある。

好きにする、自由にするというのは、この自動化に隷属するということがほとんどなので、奴隷化と自由をまったく反対に解釈してしまうことが多いが、奴隷化から開放される練習として、わりに身近に、食欲から逃れるというのを試すのも初歩的な第一歩に使えるかもしれない。食べたくても食べない。わたしがマイナス教団のクレージーさを賞賛しているのは、機械性を壊すクレージーさのことを話しており、本能に従うのはクレージーとはいわず、教科書に従っているおとなしい行動と言う。テンプレ行動。

2018年11月17日土曜日

20181117 三分節の同期

人間の基礎的な三分節である思考、感情、身体はたいていの場合、ばらばらに働き協力しあわない。これがタロットカードでは6loversのカードに表現されており、下の三人がそれに該当する。グルジェフの5つのセンターでいうと、身体性に動作センター、性センター、本能センターがあり、この三つを調整しないと身体性は感情にも思考にも同調はしない。性センターは本来は完全な無関心が特徴だと言うのだが、地上では男女に分裂しており、物質の裏にあるかのような一番低いエーテルに、反対の性が隠れているので、これを引き出し、物質的な面で持つ性と結合すると両性具有になり、生命体本来の外界に対する無関心さが回復する。この性センターは地上と切り離すと、やがてはアストラル体に成長する。本能センターは、繰り返し行動の中で自動化し、本人がもう意識できなくなったもので、速度が速い(H24)ので通常の思考(H48)ではコントロールできないもの。考える前にやってしまいました、というもの。表面的には本人の行動・動作の癖の蓄積であり、深い部分では集団的な記憶の蓄積をしている。この書き換えと整理をしない限りは、精神的などんな努力も定着しない。もうひとつ動作センターは、この本能センターに強く影響を受けるプラスマイナスの関係。性センターが相対的ゼロポイントだ。本能的に記憶されたメモリーは、繰り返しによる新しい書き換えが必要という点で、癖を抑えた普遍的な運動などの修行が効果的だ。動作と思考は密接に連動(いて座とふたご座の180度)しているので、その人の固有の動作の癖が残ると、どんなことも正しく理解せず、まげて理解することになる。英語を勉強したかったが15年邪魔され続けたという人の話を聞いたが、思考が英語を勉強したかったが、感情と身体がそれを聞き入れなかったということだ。つまり思考、感情、身体は協力しあわないのならば、どんな小さなことも達成できないということだ。非個人的な高次センターに関しては、この下位の思考、感情、身体が全部受け入れ体制になり、固有の主張をしてはならないということで、さらに難しい課題だ。

性センターが完成形になると、それはアストラル体の個性を持ち始める。本能センターは、このアストラル体からは少し逸脱した、集団的な癖がメモリーされている。アストラル体が真の神話的個性だとすると、本能センターにあるものはそれに付着した苔のようなものを含む。性センターをゼロポイントと定義したのは、それをリファレンスにして、両翼で本能と動作センターが働き、本来はアストラル体の個性に基づく行動の特性が発揮されるべきだということだ。虎は虎のように行動するべきなのだ。ところが性センターが地上で男女に割れてしまうと、外界に対して関心を抱いてしまい、自分の本来性とは無縁な影響を取り込んでしまう。それによって本来の個性から脱線した癖が本能センターに贅肉のように蓄積されてしまうのだ。外界に無関心な性センターと動作・本能センターをそろえることは、つまりは生命としての美を体現することになる。世の中で言う美と、生命の本来の美は多少違う。というのも世の中で言う美は、時代性とか主観性が強いので、もっと表層的な基準で考えてしまうからだ。

思考、感情、身体は協同する必要がある。たいていの場合、これはばらばらだが、すると、どういうことも達成できない。思考とか精神活動だけでは身体にリライトされることはなく、すると、成果は定着しないまま失われる。哲学議論してもそれは机上のもので残らない。思考が身体の中にある本能センターに刻まれたということを確認するには、手相の変化というのはわかりやすいのでは。手相が変化すると、それは身体の中の本能センターが修正されたということだ。20年くらい編み物をしていた人が、手相が変わったと言っていたが、そのくらい繰り返すと、本能センターに刻印される。手相は時々見ているが、ある日急に変わったり、線が増えたりする。本能センターへの反映という点では、とてもわかりやすいインディケーターだと思う。たとえば、わたしはヘミシンクとかしていると、頭脳線の先に、月丘に落ちる支線が増えた。わたしの頭脳線はとても長いが、手の側面まで頭脳線が伸びてしまった。手相は、思考でも感情でもなく、本能センターに刻印された印を示す。





2018年11月16日金曜日

20181116 驚愕のバイロケーション

カフナ式のバイロケーションすると、そもそも自分から筒をターゲットに突き刺す時に、すでにエーテル体の知覚になっているので、ターゲットもエーテル体の実態を見ることになります。整った形の物質体は形骸であり死物。生命の本質はエーテル体なので、このエーテル体を見る時、たいてい驚きがあります。筒を突き刺す時には送信なので、こちらから整った明確なイメージを押し付けていますが、受信状態になって、相手から流れ込んでくるものを受容している段階では、確実に型崩れして、なんともいいようのない形態に変化しています。これをどうたとえればいいのかと思っても、ターゲットにより毎度違うので、たとえられないです。でも岩のようなというのが近いかな。この岩の中に穴が開いており、この穴がどこまでも果てしないトンネルになっているとき、このターゲットは異次元とか違う世界につながっていることがわかります。興味を向けすぎてしまうと一緒に吸い込まれてしまい、最初の目的であるターゲットを見るということを忘れて、違うところに行ってしまいます。ターゲットがエーテル体を持たず、物質体だけである場合には、バイロケは肩透かしになり、何も情報が帰ってきません。バイロケーションして、ターゲットをうまく捕らえた時、恐ろしいほどの反撃に出会うという感じでしょうか。問いに回答してきたとき、これはリアクションが強い時には反撃とか襲撃にしか見えません。自分の側が関門を開いたので、そうなるのは当たり前です。力関係というものはあり、相手を覗くだけのはずが、相手に食われてしまうということも起こります。地球の人は多くはこの力の衝突の凄まじさを知らないので、セムジャーゼは地球人は宇宙に出て行くには性格が弱すぎると言いました。

2018年11月14日水曜日

20181114 夢の世界の歩き方

夢の中では、物質生活の記憶とか形をかなり借りるので、実在の人物のイメージなども出てきたりする。睡眠中は、エーテル体は身体から離れることはないが、夢は身体から外に長く伸びたエーテル体の知覚なので、この肉体と紐でつながっているというところで、実際の記憶を借りたりする結果になるが、夢体験としては、あまり正しいことではない。身体から離れた瞬間から、ものの形はすべて変形し、また自分も人の形をするわけではないというところに移ったほうがいい。エーテル体は、空を飛ぶし、宇宙にも飛ぶ。人の形というのは、歩くために足が二本あり、小さな作業をするために二本の手がある。どこにでも自由にいけるというエーテル体の世界では、つまりは足も手も不要なものであり、純度の高い、癖のない、精密な知覚意識を持つには、人の形を失ったほうが良い。しかもわたしたちはものの大きさは、自分の身体との比較で考えていくので、身体から離れた瞬間から、ものの大きさはまったくあてにならない状態になる。生きている時のあらゆる尺度が壊れていくのが正常な夢体験であり、徐々に夢をそのように特定の信念体系から開放していく工夫はとても重要なことでもある。応身ボディ、エーテル体ボディは、この物質世界の尺度がほとんど通用しない。特に時間の順番、空間の秩序がまったく別物になっていく。肉体を持った宇宙人として、このエーテル世界にかなり近いというか似ているのはアンドロメダだ。一歩進むと別世界という変化に慣れるのに、マニュアルがあると良いかもしれない。地球の歩き方でなくエーテル界の歩き方。まずそもそも聖書に書いてあるように、この物質世界の最初の入り口というか、思考パターンは天と地の分離であり、エーテル界に行くと、この天と地の分離が「解約」されてしまう。

2018年11月13日火曜日

20181113 身体の中の物質性とエーテル要素のえりわけ

毎日夢をおぼえていますが、これはこれでけっこう疲れます。唯一放置できる時間が、まじめな探求の場になってしまい、起きてからの生活が逃げ場になってしまうような。で、夢の内容が混濁しないように、物質とエーテル体の境界線をはっきりさせようという時、身体の中の内臓は、物質的臓器とエーテル体を含む霊的要素の強い臓器と、それぞれに大きな違いがあります。眠った後の夢の体験に、物質的ストレスを持ち込んで情報を混乱させないためには、この臓器の働きの明確なえり分けが重要かもしれません。排泄器官が霊的性質を持つと、きっちりした排泄ができなくなりますね。シュタイナーは脾臓は霊的器官だと言ってた様な記憶がありますが、物質的にどういう役割かあまりわからない臓器は、霊的な要素で働き者なのかもしれません。たぶん脾臓はエーテル体と物質体の境界線を引く作用があると思われます。なのでその作用はかなり複雑。占星術ではこの脾臓は土星です。医学的に検証するというのは純粋に物質的側面だけで見るので、臓器の役割の半分も理解できないかもしれません。基本の考え方としては、マクロコスモスとミクロコスモスは鏡で見るように反射しあっていて、臓器もマクロコスモスの模型だということです。しかしこの小さな場に注視すると、反対に意味を見失います。受動的に受ける器官をじっと見ていたりすると、その本源を見失うのはいつものことです。

2018年11月11日日曜日

20181111 はみ出し成分

今日の夢では、久しぶりに、例のエビ金星人が、エーテル体は20パーセントくらい尾を引くのが良いと説明していた。たいていエーテル体は身体の外2センチから3センチくらいの範囲にあり、これはある時代からエーテル体は身体にぴったり張り付くようになったと言われた以後のこと。ちなみにオーラのことではありません。肉体の複製であるかのような、肉体の機能を果たすエーテル体のことです。身体の外3センチだとかなり少ない。20パーセントとなると大変な大きさだ。これによって日常生活に大幅な異変が出てきます。すべてが20パーセントはみ出し。今日の夢は、物質生活においての無駄、無意味さというものを増やすというテーマで、効率性、コスパ重視というのをことごとく台無しにするようなものでした。役に立たないことをするのが良いというのは、わたしはよく自分の本でアサジョーリを引き合いに出して説明していますが、多くの指導者がこのことの重要さを強調します。無意味な動作、行動をしろ、と。つまり物質的な価値観からすると、20パーセントはみ出すようなことをすればいいのです。これが肉体に張り付くエーテル体をもっと拡張することに貢献するのは言うまでもないのですが、しかししかし20パーセントという比率は大きいです。工業製品で、不良品は3パーセント出るとして、もしこれが20パーセントになると、その工場は立ち行かなくなるのではないでしょうか。わたしはよくエーテル体は滲み成分と説明しますが、この滲みを今回は大胆に20パーセント拡大するのです。「けもなれ」のニートも20パーセント成分に入ってるな。

2018年11月9日金曜日

20181109-2 流木でなくなること

物質世界は一方的な時間の流れの中で作られている。これは変更のきかない川の流れのようなもので、こうなればああなるという因果律がはっきりしている。地上的な欲望、夢、願望はすべてこの一方的な時間の流れの中で形成されている。子供は成長して大人になる。お金はためると増える。運命は変えられるかという議論が時々あるが、そもそも人生の夢や願望そのものが、この決まったコースの中だからこそ形成できているのだということに気がつかないといけない。エーテル体は反対の時間の流れを持っている。なので、このエーテル体の流れを物質界にぶつけると、対消滅してしまい、物質界の一方的な時間の流れの中でのみ成立してきた価値観はあらかた死んでしまう。未来を変えていく切り替え器は、この対消滅の現場(結婚式)にあるのだが、その現場では現世的な希望、目標、夢があらかた死んでおり、それらはどうでもよくなっているということが多く、この現場でも生き残る志が未来を作る。ノストラダムスは、大半の人は運命に流される流木のようなものだと言っているらしいが、対消滅ポイントで杭を打つことができる人は、パラレルワールドを次々と乗り換えて望みの世界に行く。わたしは日食が切り替えに使われると言ったが、その前にそもそも物質界の価値観が死んでも生き残る志、意図がもっとも重要である。本当は何がしたいのか?ということが重要。そしてこの通りの世界ができあがる。

20181109 ラミューさんの金属リング

今日はホシハルカさんの夢を見ました。とはいえ、ホシハルカさん現物とは関係なく、ホシハルカ型を借りたということです。なぜなら、わたしの記憶の中で、ホシハルカさんは中野少年に会って、ラミューさんからもらったという金属ドーナツリングを見せてもらったらしいからです。(あいまいな記憶)詳細についてはいま書いている本に入れる予定で、しかも本の中ではHHさんになります。出演してもらったのですが、ギャラは出ません。物質体と、その裏に見える一番低いエーテル体は反対の性を持ちます。これを結合させるのが結婚式で、わたしのヘリオの天王星つまりエーテル体は結婚式の司祭なのですが、この結合場において、ある記号を打ち込むと、人生の方向はその記号の示す方向に走ります。物質体ではいかなる努力をしても、この方向が変わるということはあり得ません。一方的に走る時間は崖に向かっている時には、それを回避することはできないのです。ノストラダムスが言う未来を変えるというのは、この結婚式の現場での「意図の打ち込み」によってのみ可能です。何度か切り替えることで、最初からは想像もできないようなところに至るでしょう。武田鉄矢の「思えば遠くに来たもんだ」みたいなものでしょうか。物質界ではいかなる選択もないということをもっと自覚するべきです。ここでは非常に多くの人があらぬ幻想を抱いています。物質界に生きると流木になるしかないのです。ラミューさんの金属ドーナツリングは、物質体とエーテル体が結びついており、つまりはヒヒイロカネとかオリハルコンみたいなものですが、これは時間の流れに隙間を空けるのです。そして非時間通信ができます。わたしはこの金属リングが、ハズキルーペみたいに「大好き」なので、これについて詳しく書きたいですが、いまの段階で書けるかどうかわかりません。ただ、わたしは結婚式の司祭なので、結婚式のプレゼントに送られたものは人生が変わってしまうというのを知っています。このプレゼントの種類について、夢ではいろいろと考えていました。

2018年11月8日木曜日

20181108 低いエーテルのレベルについて

今日のZOOM講座で、エーテル体の7つの層についての話題が出たが、これは今後ひとつずつの違いを識別していくことは大切でしょう。で、物質に近いエーテル体は、物質に対する影響力もあるので、この扱い方のテクニックを持った人は魔道士や呪術師みたいになっていくし、転落も早い。この転落するパターンは、物質界に対する欲が残っているケースで、この欲を満たすのにエーテル体の力を使う誘惑に勝てないから。仙人になる人は、地上に対する欲求がなくなっているので転落しないが、これは物質界に迎合しないエーテル体を持つことだ。予言や予測、リモートヴュイングなどにはまったく使えない、というか使う気のないエーテル体だ。低いエーテル体から訓練を始めるのがいいのですかとZOOMで聞かれたけど、低いほうからはじめるとだいたい上昇不可になるケースが多いのでは。これと陽神の育成を混同している。低いエーテル体の育成はタロットカードで、かなり終わりの段階で出てくるテーマ。つまり自分の内面で同化せず、エーテル体を物質とみなすような対象化ができれば低いエーテル体に向かってもいいが、同化している場合には、人間がそこに飲み込まれていく。人間が普通に死んでいく場合には肉体とエーテル体は切り離される。つまり物質に対する干渉はなく、生きている間、いろいろ物欲があっても、物質的に取り組むので、弊害はない。しかしエーテル体を切り離さないで、このエーテル体が物質を飲み込むような道は、境界線を動かすようなもので、触ってはいけないものに手を出すような事態。タロットカードはそれをはっきりと提示しているので、教科書のとおりに進化するのでなく教科書そのものをいじるようなもので、リスク高いのは言うまでもない。案内者というか、教える人はかならず必要なのでは。エーテル界に立って教える人です。角行にとって役の行者のような。夢の中でつぎこれやれ、などと指導していたらしい。



2018年11月7日水曜日

20181107-2 センターの連動

12感覚は平均的に発達させる必要があると説明しているのだが、これは占星術のホロスコープで、惑星によってどれかのサインが強調されていたり弱かったりするのはアカンと言ってるのと同じだ。思考センターと感情センターと身体センターは、同期を取り協力しあう必要がある。おうし座の思考感覚の裏にはさそり座の生命感覚があり、生命感覚が凝縮されると、思考は強く明確になる。ふたご座の言語感覚の裏にはいて座の運動感覚があり、言葉を考えたり聞いたりする時、わたしたちは身体が微妙に運動していることに気がつく。考えている時にも、この運動を伴わない時には、言葉は空回りしており、真実味を持たない。思考が空回りして、それに感情も身体もついてこない時、その思考は嘘だと判断してもいい。それにそもそも、感情と身体がついてこない思考をすると、ひどく疲れるし空しさが残る。本人が確かな実感を持てないのだから。グルジエフの7つのセンターが調整されるとは、何かするにも、すべてが連動し、協力しあっているということだ。7つのセンターはかなり無理な話なので、まずは通常の思考・感情・身体の5つのセンターが連動することを目指すといい。思考と感情が連動していないとは、たとえば何か考えても、感情はそれに従わない、否定している、笑っているというものだ。自分の中でまとまっていないものは、他人から見ると、もっと疑わしいものに見えてしまうのはあたり前だ。センターがまとまると、固い岩のようになる。講座をしたり、コーチングしたりする人は、この思考や言葉に感情も身体も連動させる工夫をすると、らくらくカリスマになれるだろう。質が高くなくても、少なくとも、その場所においての真実性を持つことができるからだ。思考と感情と身体が連動したものがリアルだ。そしてそうでない部分的な働きは機械的になるので、それをテンプレと言う。何かの思考のテンプレは本人が一度も本気で考えていないことを、道端から拾ってきたもので、このテンプレに返事する人はいない。というよりリプライしてはいけない。(テンプレの挑発に乗る人は、自分にもテンプレ要素があることを反省するべきであるという意見。ちゃんと考えて聞く人には、誰もがちゃんと答えざるを得ない。)

20181107 アルクトゥルス

アルクトゥルスは恒星。しかしアルクトゥルス意識というのは、実は恒星の前にある、全恒星意識のひとつ。この周囲に七つの恒星がある。恒星を最初に意識の結晶化というふうに定義した時、全恒星意識は結晶化しておらず、これがアルクトゥルスの、形になったり溶けて形がなくなったりするということに関係する。形と言っても物質的形ではなく、アストラル的形でもなく、意識の結晶という形。意識の結晶ってなんだ、というと、意識する定性を持つこと。能動の1と受動の2があわせて3、これを定性化した段階で6になる。人間はこれを数回繰り返して、固めたもので、数回繰り返しているので、簡単には形はなくならない。これは安全装置が厳重にかかっているという意味でもある。意識の始まりは恒星だと再三説明してきたのは、この全恒星意識は、しばしば意識の定性が溶解してしまうからだ。その人が溶けるのでなく、その人を作り出す根源にある意識のありかたが溶けていくのだ。そこを始まりにしてしまうというのは、ある意味、きわめて破壊的な思想を作る。この宇宙で生命は楽しく経験し暮らそうというのが目的ならば、この溶けていくということは考えないほうがいい。この宇宙の絶対は法則1だとして、前の宇宙から見ると、これは法則6。つまりこの宇宙においての意識の始まりは、前の宇宙からすると対象化されたものになる。たぶんジョン・C・リリーは、自分が発明したアイソレーションタンクで、その前宇宙をちらっと見た。おそらく失語症になったり、もっと深刻な症状に陥ったのはそれに関係があると思う。戻ってこれたのはジョン・C・リリーだからこそだと思う。前の宇宙を見ることは、この宇宙を嘔吐することに等しく、内部でその法則に同一化して暮らすということができにくくなる。この宇宙の塵でできたのが生命であるという原則がスムーズに果たされないのと、前の宇宙を見たということだけで、実は強制的に前の宇宙とこの宇宙の間の門番にされてしまうのだ。正確に言えば、門番機能に食され、その身体の一部になる。これがアルクトゥルス人になるということなのだが、冬眠した亀のうち大半が生還してこないのと似て、前の宇宙に触れると、たぶん戻ってこれないケースが半数を超えると思う。


2018年11月6日火曜日

20181106 荒れた現場

眠りに入り、夢に入ると、エーテル界にシフトするが、その前に、主体と客体の関係が固定された現世的人格とか印象、信念体系が解約されるか、クラッシュする。これをわたしは「荒れた現場」とか戦場と言うが、麻酔を打ってここを通過しないで眠る人もいるが、わたしはけっこうそのまま見ていたりします。異常心理世界ということでもあります。この場所が物質界とエーテル界の接触面で、占星術的に言うと、土星と天王星の接触面であり、その間にあるカイロンあたりには死体が累々と。カイロンに関しては傷つけるという意味があるが、何を傷つけている?もちろん土星と天王星の力関係からすると、傷ついているのは土星。土星が防衛すると、傷はもっと深くなり、死にいたる病になる。物質界に影響を与えるエーテル体となると、この戦場を見ないで通過することはできない。この場所があまりにも荒れるのでここに警察を置いた。これがシュタイナーの言う境域の小守護霊で、ケルビムのミニ版だ。リサ・ロイヤルは、死の際に迎えに来る天使はアルクトゥルスというが、これは次元の境界線での癒し力とも言われている。癒し力というのは何か。異なる次元に移動すると、それまでの世界において形成した硬い信念体系は必ず壊されるのだが、アルクトゥルスはそもそも形を作ること、形を溶解することという状態を行き来しているので、土星を叩いて割るのでなく、溶かしていくというような形で、痛みを和らげる傾向があるのだ。アルクトゥルスの手にかかると溶けていくことを容認するという姿勢になる。結果として、アルクトゥルスは荒れた現場によく出向く。そこにテントを張って暮らしている場合もある。非常に怖い境域の小守護霊とアルクトゥルスの天使が隣に座って一緒にカップ麺を食べていたりする光景は奇妙だ。とはいえなんと驚くことに、この警察を置いたのはアルクトゥルスだ。アルクトゥルスはすぐに形がなくなってしまうので、固い几帳面な警察がいてくれると、何かと助かる。


2018年11月5日月曜日

20181105 エーテル体の一番下ではなく真ん中

昨日、物質に働きかけるのはエーテル体の一番下の領域と書いたが、今日の夢はそれを訂正してくれという内容だと思われる。夢では、鯨を屋根裏部屋で女性が処理していて、上の半分はもう切り刻まれている。下側はそのまま温存されているというもの。朝起きたら、Kさんからメールが来ていて、脳幹と第一頚椎に関する話題。わたしは鯨を大脳辺縁系と解釈している。すると下半分というのは古皮質のことです。旧皮質はもう切り刻まれている。カバラの生命の樹を四つ重ねる方式はふたつあり、ひとつは積み木みたいにそのまま積むのと、わたしが頻繁に取り上げるような、真ん中から下あるいは上の樹につながるというもので、積み木式だとエーテル体の一番下は物質体につながるが、真ん中から重ねる式だと、エーテル体の真ん中から下向きが物質体につながる。つまり、物質体の脳(屋根裏部屋)は、エーテル体の真ん中につながり、物質体に働きかけるには、この真ん中から下の、エーテル体でのマニプラチャクラ(鯨の下半分)に該当するような場所がメインだという話になる。エーテル体は非局在的要素もあり、これは物質界では集団意識にも関係する。夢の鯨はもちろん海の鯨というよりは、神話的鯨、つまりくじら座のメンカルなどのほうにより近い。これは集団意識に働きかけるし、アンドメロダを食べようとした。鯨を処理している女性に、「この鯨はほんとうに珍しいものですね」というと、遠慮がちに「そうですね」と答える。この態度で、あれ?、この人例のあの人?と思う。こういうのを説明すると長くなるな。いずれにしても、要点としては、物質に働きかけるのはエーテル体の7つの一番下でなく、真ん中にしてくれという訂正要求です。これによってやりかたがそうとうに違ってくるが。いちおう、生命の樹の四つの重ね方では、二種類あるということでもあります。チベット式のチャクラと、西欧式のチャクラの考え方の違いが、ここに反映されている。これも話すと長くなる。どうして西欧はチャクラを7つのスペクトルのままに並べたのか、そんな安易な考え方でいいのか?とはいつも思っている。

夢では、鯨の上半分を分割して、切り離した片方をさらに細かく切っていた。残された尻尾の側の半分は、したのほうと切り離されていない。で、脳を示した18月のカーでは、旧皮質は哺乳動物の犬として描かれているが、城の色と犬の色が交差しているのは、右脳と左脳がそれぞれ身体の反対側に対応しているという意味。ここでは旧皮質をふたつに切ったということだが、夢ではさらに、上側(青色側)を細かく分断していたので、どういうパーツか考えないとね。残された片方は、古皮質とそのままつながっている。 チベット式では足は黄色、西欧式では足は赤。これはタロットでは、魔術師と愚者の靴の色だが、チベット式に考えると、魔術師の頭は、愚者の胸にあたり、魔術師は物質界、愚者はエーテル界にいることになる。旧皮質は、何か新しい概念とか知識を持ち込むと、かならず抵抗して吼える。プロテクタか、番犬。上から来ても下から来ても吼える。クローン作ろうとしたら、それは神を冒涜する行為だと行ったブッシュも、犬の反応。旧皮質を改造しないと、いかなる変化にも抵抗することになる。感情の連続性とはそういうもの。



2018年11月4日日曜日

20181104 濃密なエーテル体

昨日の講座で、濃いエーテル体について話したけど、エーテル体は物質体とアストラル体の間に張られた橋だとすると、これを虹のように7つの階梯に分類できる。そうしないことには、エーテル体の機能が多様すぎて、むしろ混乱する。この場合、働きかけは常にアストラル体からエーテル体に、エーテル体から物質体にという方向であり、反対方向はない。振動密度が高いものは低いものを対象化し、自分よりも高いものからは対象化されるということと同じ。で、昨日ハワイのカフナでは、墓場の死体からエーテル体を抽出すると説明したが、古代の日本ではこれと似たようなことは日常茶飯事で行われていた。共同体の中で誰かが死ぬと、その魄を食べた。ミンダナオで、死に行く戦友が俺を食べて日本に連れて行ってくれと言ったようなものと似ている。物質肉体に置かれた自我を、エーテル体に移すと、エーテル体の側から物質に働きかけるという視点になる。エーテル体が物質体に近ければ近いほど、物質そのものを動かすということになる。これをしてはいけないというのは癖になるからだ。物質体からエーテル体に自我を移すと、物質体とはまったくタイプの違う自分を発見するというのは当たり前だ。それは裏人格だ。そこで魔術的人格というものを想定することもあるのだろう。この魔術的人格は、物質体に働きかける専用か、それとも、上位のアストラル体を引き下ろす専用か、あるいは両方に使えるものなのか、いろいろかもしれない。長いローブを着ている時には、これはエーテル体のわたしなのだ、と意識することになる。またエーテル体は人の形をしていないと説明したが、バリのお面とか、形相の派手な極彩色の仮面などは、この「低いエーテル体」を模したものだ。物質に近いということは、人の形に少しだけ近いのだ。だから反対の性にもなる。エーテル体の7段階をたどると、パラパラ漫画としてのシェイプシフターになる。物質に働きかけるとは、科学のことだが、精神に連動する働きかけは濃いエーテル体で、精神に連動しない働きかけは科学ですると良いのでは。神社の祈祷は明らかに物質体に働きかける力もある。宮司がそのテクニックに通暁していればの話だが。秦伊侶具はエーテル体の扱いの達人だったと思うのだが、これに似た人が現代にいると神社機能の根源的なものを活用できるだろう。

2018年11月3日土曜日

20181103 夢は必ず答える

夜眠る前に、記号を持ち込むと、その記号に応答する夢を見る。具体的な質問をすると、この具体的な質問をエーテル体が拾わないことも多いので、具体的な質問には夢は答えない。つまり具体的な言葉は、物質体の世界でしか通用せず、エーテル体は知らないと言う。で、この記号持ち込みのテストを毎日しているのだが、いっけん、正しく回答していないと感じることが三日続いた。正しく回答していないと感じたので、同じ記号を三日続けたのだ。でも、今日わかったのは、ちゃんとまじめに答えており、わたしが気に入らなかったというだけの話だった。やはり、あの夢の中でのタバコを吸う男が言うように、ちゃんと聞いてる。しかし期待どおりに答えるとは限らないよ、という返答の通りなのかもしれない。ほとんどちゃんと答えているという現状をかんがみて、質問のスタイルが、具体的な言葉、象徴的な記号という幅の間のどのあたりが限界点なのかを調査してみるか。これは物質体とエーテル体。制限された時空のポイントと、非局在の知覚のありかたの比較でもある。非局在とは、特定の場所に居つかない。つまりローカル言語を受け取らない。いつの時代でもどこでも通用するような記号、言葉でないとエーテル体はそれを跳ね除けてしまうのだ。たとえば、魚というとき、これはローカル言語だろうか。それとも、集合無意識で通用する言葉か。あるいは地球でしか通用しない言葉か。わたしは宇宙船を魚と定義しているので、すると、地球よりずっと外まで通用する言葉になるのかもしれない。毎日夢とキャッチボールしていると、時々夢が領海侵犯してくる。その日のうちに割り込んでくるので、これは交通規制したいと思っている。現世ご利益を望む人は、領海侵犯を熱烈歓迎するだろうが。

2018年11月2日金曜日

20181102 実在の猫はいらないのでは?

猫がかわいいといっても、すべての人がそう思っているわけではない。かわいいと思ったのはその人がそういう意味を与えているからで、猫とその人の関係線にその気持ちが乗っている。この関係線の上に自我を置くと、実際の猫が死んでもまた似たような猫を調達する。かわいいと感じるために、落としどころが必要なら猫を調達するが、実際には紐に意味があるので、紐で独立させてもいい。こうした紐がたくさん集まって網になったのがエーテル体。ここで足場を組むとアストラル体が降りてくるが、反対に、下に向けると、物質的ターゲットが引き寄せられる。たぶんかわいいという気持ちは、猫のアストラル体が降りてくると、エーテルの紐が焼ききれるくらい強烈な感情を呼び起こすが、下に向けて、実際の猫を引き寄せると、物質的制限があるので、この気持ちはかなり薄められたものになる。特定の時空の制限がある猫はすぐに死ぬんです。実際の猫はトイレも面倒だし、アストラル体の猫を引き寄せると、どこにでもいつでもやってくるので扱いやすいように見えて、実際には感情の爆発が生じて、日常生活を維持するのが難しいでしょう。物質的生活はすべてにリミッターがかかるのでほどほどですが、アストラル体にはそういう抑制がないので、かわいいという気持ちで死んでしまう人もいるでしょう。物質性に根拠を置くことから、関係線の紐というエーテル体に根拠を置くようになってくると、生活の中で無機的で無意味なものを捨て置き、感動するものしか受け付けなくなるというふうに考えてもいいです。ちょっした視点の変化ですが、この紐の上から見ると、人は暗く沈んだ死体に見える。つまり生命から見ると、物質というのはみな死んでいるのか。地球は水の惑星といわれているので、すると地球人は溺死体というか。応身というのは、この物質依存を切り離して、紐そのものの意味の上に成り立つボディを持つことです。

渋谷のアルカノン・セミナーズで、ひとり15分で個人ホロスコープのリーディングしていましたが、そろそろ2018年が限界で2019年からはないかなと思いました。個人カウンセリングというのは、個人の思い入れでいろいろ質問してもらうのですが、いずれも「好きにすれば?」というものばかりで、わたしが答える必要のあるものは何もないです。多くの人がしたいことをストレートにしない。これしたいんですけど、してもいいですかと、わたしに聞いても、すれば?としか答えようがないんだよね。この、してもいいですか?、すれば?というのが一年も二年も続いています。それ以前に、わたしは何をしたらいいですかとか、わたしは何がしたいのですかとか、わたしの好みはなんですかと聞かれるのが続いていた。この中途半端さにつきあうのはどうなんでしょう。生きたい人は生きればいいし、やりたいことがあればやればいいし、そうでないなら、今日死ぬといいです。というわけで、2018年で終了にしたいんだよね。あとは、2019年以後は、不死の存在になるにはどうすればいいのですか、ということに答えよう。




2018年11月1日木曜日

20181101 紺色の蔦

アイソレーションタンクに入った時、自分の身体を紺色の蔦が覆ったのを見て驚いたが、この蔦を細かいピースに切り離すと、ひとつずつが文字だと思った。蔦が覆うのは、耳なし芳一だ。で、通常の地球人意識の基準はH48だが、H48は通常の思考の物質でもある。つまりH48人間とは思考に同一化している存在。思考とか考え、言葉などを自分と同一視すると、特定の思考にしがみつく結果になるので、もちろん文章の神様とか小説の神様はやってこない。ひとつを掴むと、ほかを締め出すことに他ならないからだ。アサジョーリの言うように、思考はわたしではないと宣言して、自分と思考を分離すると、石を投げられたように思考がどこかから飛び込んでくることもわかる。文章の神様がやってくるというのは、どこかから思考とか言葉を投げつけられたということだ。エーテル体は身体から外に広がる。この広がった意識を自分とみなすと、思考と同一化した肉体的な自分を、道端にころがった石のように対象化する。この石にはなにやら文字がびっしりと書かれている。いろんな考えが浮かび、そのたびに、頭とか身体に、文字が浮き出してくるのだ。エーテル体は網目のようなもので、この線と線を結ぶケーブルタイのようなところが文字なので、身体に近い下位エーテル体は、やはり身体を取り巻く耳なし芳一の文字のように見えるということだ。まったく非個人的なH12とかH6と、個人としての肉体をつなぐのがエーテル体なので、いまだにエーテル体は謎で、個人的なものと非個人的なものの間を伸縮する。局在と非局在をつなぐというのは、理屈として謎だ。

2018年10月31日水曜日

20181031 夢の応答性

グルジエフは、睡眠時にはそれぞれのセンターがばらばらに働き、このどれかから漏れたものが夢なので、夢にはあまり意味がないと言っていたが、情報というのは異なるセンターの接触による落差から生成されるのでそうかもしれない。というよりも、これは通常の人の5つのセンターの話で、高次なセンターから漏れ出た情報としての夢はむしろ重要になってくる。で、眠る前に夢に問いかけをするという記号化をしてみたが、すると、目覚める前に、男の人がタバコを吸いながら、ちゃんと問いかけは受け取ってるけど、期待どおりに答えるとは限らないんだよねと言う。そりゃそうだよと思った。期待どおりだとまた楽しくない。で、一枚の紙幣にメモを書いて渡してくる。あ、これか。紙幣というのは国の通貨で、国によって違う。そこにメモがある。だから、夢の階層によってそれぞれ言葉が違うので、期待通りの返答にはならないということを言ってるのですね。それぞれの階層においての語法を翻訳する手続きを確立すると良いと思われる。夢辞典とかは全部ごちゃごちゃですが、たとえばエーテル体とアストラル体では、同じ映像を指しても意味が違うんですね。今のところ体験では問いかけをすると、夢はかならず答えてくることは確認したが、これを繰り返すとなんとなく身体が不安定になります。建物で言うと、地盤が揺らいでいるような実感です。ついでに言うと、目覚めの前、そしてタバコということで、この男の人はエーテル界にいる。十分に物質界に近い次元。エーテル物質はたばこの煙にたとえられる。糸を吐き出してる。これからしばらく連絡役してくれるかな。

2018年10月30日火曜日

20181030 スターピープルwebに掲載

今日、スターピープルwebでわたしの星人語録がupされました。わたしって星人だったのか。公的メディアで、あからさまに星人と言われると、今後の対応考えないとと思ってしまう。太田久氏のことも書いた。

http://starpeople.jp/seijingoroku/20181029/1735/

2018年10月29日月曜日

20181029 ディセンションはとくに悪いことではない

地球のディセンション計画について、それを間違ったものとか否定的とみなす権利は誰にもない。人間的に見ると悲惨だが、法則的に見ると、それはひとつの方向を推進しているに過ぎない。たとえばロングは、14000年前に地球に暗黒の時代が訪れることを予測してエジプトからハワイに逃げた人々がいて、それがカフナの先祖だと説明するが、これもディセンションの節目だ。ここから今日主流の西欧文明のようなものがはじまり、物質主義的世界になった。歳差の周期はおおよそ26000年だとして、これを昼と夜にわけると、13000年の昼と13000年の夜になるが、これを平面的に繰り返しているわけではなく、上昇していく方向と、下落していく方向に分岐する。人に平行線はなく、常に上昇するか下降するかしかない、というものの地球版だ。つまりこの昼と夜の上位にパイロット波があり、これによって昼と夜の切り替えを利用しつつ、上に行く方向と下に行く方向に誘導される。12個ある地球は、2200年のプラトン月の性質に投影されていくようで、それぞれの時代を別地球を理解するための参考にしていくのもいいのではないか。シュタイナーは、ヨガは第一期の文明のものなので、現代人にはあわないので使わないほうがいいと言ったが、別地球のことを考えると、ヨガ地球みたいなものがあると想像してみるのもいい。ノストラダムスは人類は流木のような存在と言ったが、これは川の流れに運ばれる、すなわち時間の一方的な方向に流される生き方をしていることを示していて、その先に滝があっても、それを避けることはできない。霊界では時間は空間のようなもので、自分の足で歩かなくてはならないという話だが、これは流木ではなくなったという意味なのだ。物質界は一方的な時間が流れている。エーテル界はそれにたいして反対の時間の流れをぶつけてくる。より上位の存在は、この対消滅するような場の上を火渡りみたいに歩いている。

みずがめ座の時代という言い方があったが、この時から至福千年王国が訪れるという話もありました。両方の方向があるので、反対の行き先もある。つまり切り替え時には常に方向がふたつになる。2200年周期というのは、だいたいいつも183年の調整期があり、そこが混迷する場でもある。でも一番大きな切り替えは、春分点、秋分点という「陰陽帳消し、ゼロポイント」にたとえられる13000年周期切り替えポイントだ。大きな穴があいていると考えてもらうといい。カフナの先祖がエジプトから逃げ出した時の180度時期がいまかな。スフィンクスが顔を向けている金華山に、古い時代の連中がやってくる。東日本震災で、もうやってきたんだけどね。

2018年10月28日日曜日

20181028 インテューションとインスピレーション

H24をインテューション、H12をインスピレーションと分類することもあるらしいが、小説の神様とたとえたH24の意識状態は、普通の言葉のレベルで加工が可能。言葉の羅列の中にエッセンスないしは実体としてH24があるということなのだ。しかしH12となるとまず言葉の加工が難しく、また通常の具体的な言語というものに落とし込めず、かならず象徴言語になる。通常の思考では、それを直接理解できず、説明を求めることになる。イエスの言葉はほとんどがこのH12言語なので、例の一匹の羊の話にしても意味を聞かないと何を示しているかわからない。そしてH12言語はこの説明を決してしない。直接理解しなくてはならないからだが、H12は個人性が除去されているので、その点で個別なケースに落として説明しない内容なのだ。数日前の夢では、H12の創造連鎖についていろいろ話を展開してもらいたいという要求があったが、まあ夢で出てきたら、わたしはかならずそれを数ヶ月以内にやってしまうので今のところ放置しとく。能動、受動、結果ということでは、H12が能動因子になると、素材はH48であり、子供はH24だ。H24がインテューションなら、ここでは休みなくインテューションが発生するということだ。多くの場合、インテューションの嵐がやってくると神経的に耐え切れなくなり、脱落を望む。「普通の暮らしがしたい」と言い始める。わたしがイスラムの礼拝風景が好きなのは、少なくとも日常の生活の中にH12を垣間見る時間を作る余裕があるということだからだ。すると生活の中で、ちらちらとH24があらわれる瞬間がある。たとえきれぎれであれ、それは生きる力だろう。人間の平常の意識速度はH48だが、それはH96に飲み込まれる不安を感じている。道を歩いていてもディプレッションの穴はそこかしこにある。しかしH24は必ず打ち勝つ。というよりもH96を食料にしようとする。H96の穴に落ちるのでなく、H96を食料にすると、お腹にパワーがたまる。H24が強くなると、だれかとの会話にしても、そこにかならず新発見とか洞察というものを作り出すというよりも、作り出さざるを得ない。いつも突っ切っているという印象だ。グルジエフは生徒が寝ようとするといつも起こした。理解した、I got itとなった直後に、たいていの人は寝ようとする。するとグルジエフは不機嫌になり、揺り起こす。自分をキープするにはどうしてもそうなってしまう。わたしが毎日原稿を書いているのは、ラビのお祈りのようなものだ。

2018年10月27日土曜日

20181027 書き物の神様

田口ランディ氏が、ずっと前に、小説の神様が降りてくることについて話していた。毎日書いていると、待ちの姿勢でなく、安定して小説の神様が降りてくる状態になれる。書き物の神様と言ったほうがいい、小説が嫌いな人もいるので。この書き物の神様はH24のことです。最初はこれを呼び出すのに毎日何時間もかかるが、習熟してくると数十分でやってくる。ジョン・C・リリーはこれを専門家的悟りと呼ぶが、プロはみんな仕事をはじめてすぐにこの意識状態に到達する。なんでもこい、どんなこともできるぞ、という気分になる。これは知恵の神様なのだ。本を読まないでも理解がやってくる。わたしたちは地球人なので、平均的な意識は低速な思考H48であり、ここではキレギレにH24がやってくる。しかしH24を中層重心にした存在状態が、つまりはスタピ、仙人でもある。エーテル体H96を対象化した存在なのだから。H24を重心にした生き方を確立するために、わたしたちはなんでもいいから、何かの仕事でプロになろうとする。いかなる見落としもあってはならない。完璧でなくてはならない。自分の個人的な調不調はまったく関係ない。ましてや気分には振り回されないのは当たり前だ。


2018年10月26日金曜日

20181026 動画作った

本の原稿は終わったので、久しぶりに動画を作ってみました。冥王星・海王星・天王星についてであるが、とくに海王星のサビンなどを利用して、自分のアストラル体を探索してくれというようなことを言いました。この作業はほんとうに楽しいですよ。永遠性に続く夢の身体を模索する。こんなに楽しいことはないのでは?この探索は、18月のカードであり、新脳は寝ていてくれなくてはうまくいかない。旧脳はざわざわして吼えている。その中を古脳の中から、ザリガニがあがってくる。なので、これは夢の探索でするしかないですよ。

https://vimeo.com/ondemand/sun20181026

2018年10月25日木曜日

20181025 李白

今日、さっきスタピweb版の原稿を担当者に送りましたが、詩仙・酒仙として知られる李白は、湖面に映る月を取ろうとして溺死したという伝説について少し書いた。実際には62歳で自宅で死んだということになっているが、仙人ボディとしては、湖面に入り込んだというほうが正しい。残された抜け殻は自宅で死んだ。わたしは高校生の時、マーラーの大地の歌を聞いてから李白にはとても愛着がある。で、エーテル界を7つに分けたとき、二番目の地球というのはあたかもスワディスタナチャクラみたいな地球。李白はそこに移動した。この地球と第二地球には、あちこちに通路があり、部分的に重なっている面があるので、近づきやすい。でもポータルの地図を見せると、その後すぐに場所が変わるので、まるで虹のふもとの金の壷のありかを教える妖精おじさんみたいに、一筋縄ではいかない。その場所を探すのはとても楽しいのではないか。たとえばわたしが教えると、その後すぐに違う場所になったりします。本の原稿も昨日書き終わったので、また動画作ろうかなと思っています。
追伸:モネの絵は、エーテル体がかなり拡大しており、そもそもが有名画家というのは、絵顔に重ねて、エーテル体を描くもの。それがないのが平凡な画家。やっぱりラッセンよりゴッホが好きと思うのは、ゴッホのエーテル体描写のすごさ。わたしがバーンズをエセ画家と思うのは、物質に迎合する、物質体にはりついたエーテル体を描こうとするから。実は有名画家の描くエーテル体って、物質に迎合してないんだよね。物質表現としては完璧なまでにバランスを持っており、そこから離れたエーテル体を描いている。つまり彼らは見えないものを描いている。多くの人はそこにひきつけられるが、それが何なのか理論的に説明できない。

2018年10月24日水曜日

20181024 おとめ座は視覚

12感覚のうちおとめ座は視覚。これは思考の投影であると言われているが、視覚は何かをくっきりと見る時に、くっきり見れば見るほど、こんどは見ていないものをくっきりさせる。そして通常のおとめ座は白黒、虚実をはっきり分離するが、発達したおとめ座は、見えないことで裏に隠したものも意識する。あれを見ていることは、あれでないものを見ていることも同じというふうに表裏が共存すると、おとめ座の縛りから開放された高度なおとめ座になるのだ。で、エーテル体では男は女の、女は男の身体を持つと説明したが、蝋燭の光の中で、鏡を見ている時に、鏡の周囲に、あるいは映し出された自分の顔の横に、そのエーテル体の裏の自分が出てくるというのは、発達したおとめ座を持たないことにはなかなか見えてこない。未発達のおとめ座は、表にある映像以外は存在しないと決めつけ、見えないものが侵入することに強い恐怖を抱いている。ゆえに、わたしはおとめ座の性質とは何か?というときに、恐怖と答えることもあるくらいだ。違う言い方をすると排他制御。裏を意識できる発達したおとめ座は恐怖を克服している。この恐れの問題はおとめ座のサビアンシンボルでは、10度の影の向こうを覗くふたつの頭というものに表現されている。反対側にあるうお座の10度は、この影すなわち雲に隠れてその向こうを旅する。物質の裏はエーテル体という初期段階のあらわれかたのなかでは、この裏を見るという技術が発達すると、そこに天国への階段が置かれていることを発見する。おとめ座は絶対にそれを見ようとしない。しかしもう一度言うが、見ようとしないということは、その態度の裏側では、しっかり意識しており、むしろ誰よりもそれを見ようとしているということに等しいのだ。わたしたちは視覚に支配されていることが多いので、この視覚は常に表と裏を作り出していることを知ると、これを応用して、非常に多角的なことができることを理解する。そして恐怖をうまく手玉に取ると良い。それは開閉弁だ。

2018年10月23日火曜日

20181023 アセンションとディセンション

精神世界ではアセンションする地球については話題に上がっても、ディセンションする地球についてはなかなか話題にならない。ひとつのコスモスは上に無、下に無限があり、この無と無限に挟まれた区画がはっきりしており、ここから外には誰も出たくない。どんどん源流に戻ると、わたしたちは無としての絶対の意識に近づく。このためには分裂・分割を続ける創造に反対しなくてはならずバルベロ・グノーシスのように、世界を全否定していくのが正常なコースかもしれない。人類は混血を繰り返して、どんどん分割魂になってゆき、個人の価値はまさに虫のようになって行きつつあるが、これは無限に近づきたいということから来ている。無と無限は反転しているが同じとみなすことも可能だ。天国の果てと地獄の果ては同じ。ディセンションする地球はどんどん重くなり、個人の力はどんどん薄弱になり、AIに乗っ取られるが、無限に近づくことで無に近づこうという計画の線上にあるもので、停滞でも堕落でもなく、「理論上はわかっているが、実際にこの先進めるとどうなるんだ?」という感じで進んでいる。この計画はあまりにも酷なので、嫌な人は早く逃げ出すべきである。ディセンションする地球について、ドストエフスキーは夢うつつで考えていた。かつて、オリオン種族は戦いと分裂を繰り返したと説明されていたが、この古い説をそのまま真に受けたのはリサ・ロイヤルでもあるが、ふたご座とオリオンが重なっていた時代があるからかもしれない。ふたご座は3の数字で、それは創造と分岐を果てしなく続ける性質であり、この無限の闇に対する憧れの気持ちを持つケースは多い。あらゆるものは無価値でゴミ。ふたご座はこういうことを言われると最高に気分がいい。シュタイナーはオリオンは融合の印と言うが、無と無限の関係を考えると、分裂と融合は同義語。シュタイナーはオリオンをかに座と考えていた。ディセンションの目的で、男女の区別も作ったということを理解してほしい。プラトンはこのことに詳しい。知恵のある人。

2018年10月22日月曜日

20181022 日本を世界中の統治国に

子供も生まれないし、年寄りは死なない。日本はこれから人口がどんどん減っていくのはとても良いことだと思われる。で、日本はやはり蓬莱国に戻るのが良いよ。徐福は秦の始皇帝をだまくらかして、日本に逃げたが、あながち嘘でもない。日本は未来世界のテストケースとして使われる。この場合、まずは世界中の国が、日本のどこかを自分の領地にして、世界が日本に集まり、日本が世界の縮図になるといい。日本特有のものは、ごく小さな区域にまとめ、それ以外はすべて諸外国の持ち物。オーストラリアはやはり四国をぶん捕る。そこには空海とアボリジニーが住むべきだ。で、そのように世界中が日本にエーテル体を置くと、統合化された上位のものが日本に宿ってくる。日本が日本固有のものを主張した場合にはこんなことは起こらない。日本は日本固有のものを最後の一滴まで捨てるべきなのだ。歴史も伝統もすべて捨てよう。とはいえ、これでは地球がアセンションしたものと、ディセンションしたものに分かれるということとあわない話ですね。統合化された日本はアセンションした地球にあり、日本固有性を主張したものは、ディセンションした地球にあると考えると良い。秦氏も多くの旧家もこの悲願のために日本に渡ってきた。北方領土を取り戻すとかの話をしているが、ロシア領にしたほうが良いです。和牛はオーストラリアで育てると良くて、オーストラリアの特産品にするべきである。

2018年10月21日日曜日

20181021 女性はおじさん

物質肉体で女性だと、エーテル体ではたいてい男性になりやすい。これは物質体とエーテル体が裏表のように見えているから。現実にはエーテル体は裏ではないし、物質体とのツインでもないが、物質体重視という世界観では、このようにエーテル体は裏的に見られやすい。でも物質体は一瞬で死ぬし、エーテル体はずっと生き残るので、物質体がプライドを持つというのはあきらかにおかしな話で、いったいどうしてこんな異常な発想になってんの?と思います。それはともかく、肉体として見た女性は、エーテル体ではおっさんです。人を平気で殴ったり蹴ったり、人にガン飛ばしたりしています。反対にがちむちの男性は、エーテル体ではかぼそい女の子です。大切にしてあげないとすごく傷つきますよ。肉体とエーテル体は時間の進行が反対なので、子供の時エーテル体は老人で、肉体が老人になると、エーテル体は元気な子供。ベンジャミン・バトンです。だんだんとおじさん化してくる女性は、エーテル体がより強くなったと考えるべきかもしれません。エーテル体が弱く、肉体レベルでの女性ということを過大重視すると、女性性にこだわるかもしれませんね。結局最終的には、物質体とエーテル体がひとつになって、女性とか男性とかそういうものはないということになるのが本来性です。地上生活においては、生活に活気を持たせるために二極化が必要で、このために男性と女性を作ったのです。この性別を作り出したのはひとつの実験であり、アトランティス後期にセラフィムがその実験を推し進めたのですが、残酷すぎるとして非難ごうごうでした。その後、さらに女性をふたつに割るということが行われました。分割というのは常に地獄に落とすというようなものなので、悲惨で残酷ですよ。性差を作った時、こんな痛ましいことをして、その意図は何か?と多くの大天使から問われたけど、もちろん世界をもっと多様にしようという意図に違いはありません。

2018年10月20日土曜日

20181020 Jensen

JensenのC8R-8の箱入りをヤフオクで手に入れました。これに6BM8の三結(最大出力1.5ワット程度)のアンプを組み合わせると、なかなかいい雰囲気。昔のラジオの音。radiko聞くのにいいですね。MilesDavisあたりもこれがいいです。4ウェイマルチのミッドバスにrotelアンプを使っていますが、なんとなく気になる。rotelアンプはいままで10台以上使いましたがやはり癖が強い。ユニオンのお店の人は、ローテルはひずみぽい音がするのであまり扱いたくないと言ってましたが、確かにそういうトーンですね。ひずみはないが、ひずみぽい音に聞かせてしまう。でもわたしはrotelを長く使っていたので、ローテルユーザーであり、ローテル全廃もしたくない。4ウェイには組み込まないことにして、違うセットに使うかな。どれかひとつは使いたいんですよね。C8R-8はダイヤトーンのP-610に似ていると言う人がいますが似てないぞ。中学生のころ、パーマネントスピーカーよく使いましたが、こういう時は箱なしで裸で鳴らしていました。C8R-8はそれを思い出すんですよ。

20181020 舞踏はH24

ダンスをするとH12が強まるのかということを聞かれましたが、H12、高次な感情、アストラル体は個人性がないので、個人の動作などによって強まることはありません。つまり開発のメソッドはないということです。ダンスは動作に関係し、これは動作・本能センターのH24を強めます。フラメンコはずいぶんとH96が濃いなと思いましたが、濃い悪意や恨みに近いH96を、フラメンコはH24に変換するのです。つまりH96を食料にしています。ロマの洞窟でそんなことをしていたのです。癖のある動作は癖のあるH24を作り、それは上昇するのに障害が出てきますが、癖を矯正した動作は昇華可能なH24となります。つまり蓄積されるとH12の温床となるのです。H12は個人性がない。ということは、個人性を意味する癖は、H12につながらないので、H24動作練習では徹底して癖を取り除くといいでしょう。癖を矯正した動作とは、つまりはうまく作られた舞踏です。それを習得することに多くの人は苦しみますが、この練習の中で個人の癖は減らされます。その中で形成されていく癖ではない個性とは、H12のアーキタイプの鋳型に通じていくのです。アーキタイプの個性には個人性がありません。癖と個性は違うということをはっきりと認識する必要があります。考え事をするのはH48で、考えこむ人は、リズム感もなくなるし、動作の癖もひどくなり、まともな舞踏ができなくなります。動作の癖は思考の癖で、また感情の癖です。わたしは日本国憲法図では天王星がふたご座の22度にあり、これは田舎踊りというサビアンシンボルで、日本がエーテル体(H24)を思い出すには、田舎踊りをすると良いと言いました。田舎踊りは単調であるのが良くて、よさこい踊り、阿波踊り、そして日本の国民性にしごく似合っているパラパラがいいです。DA PUMPのUSAはどうなのよと思いましたが、すぐに廃れるはずなので、話題にしないほうがいいかもしれません。腰を叩くのをKARAパラと言いますが、これはずっと続くリズムにちょっと妨害になるので、それよりも単純なパラパラのほうが優れているでしょう。単調な動作が続くとトランス状態に入りますから、理想の舞踏とは阿波踊りではないでしょうか。北海道を頭にすると、腰あたりは高知で、動作センターの腹から腰ということを考えると、よさこい踊りも良いね。東京駅などで、フラッシュモブパラパラなどすることは国民性をまとめるのに良いかも。アホ(阿波踊り)ちゃいまんねん、パーでんねん、ということで言うと、ともかくパーで。

2018年10月18日木曜日

20181018 リリスは出雲系とか天狗族

新しい本にリリスについて入れたけど、特別に書いているということでもない。この本は来年出るかもしれない。ブレイディは、女性力、リリス、クンダリニ、アルゴルを結び付けているが、リリスはまずジェンダーがない。クンダリニも女性的な力を使うと、ほとんど開発されない。スシュムナという中性的ラインなので。女性の性力とクンダリニを結びつけるあたりで、ブレイディはクンダリニの実体験がないんだろうな、というのはわかる。アルゴルはよく爆弾と結び付けられるけど、これはクンダリニ的。ジャンヌ・ダルクのクレージーなトランスは、アルゴルと直結しているとブレイディは説明するが、これはクンダリニの爆発に近い。ブレイディのパランだと、木星とアルゴルがジャンヌ・ダルクですが、わたしもセッティングでは、つまり今、太陽とアルゴルのパラン持ってる。なのでなのか、わたしのアカシックリーディングをした人が、わたしは前世で爆弾作りをしていたと言っていた。はっ?と思ったけど、匂いがあるんでしょうか。女性のオーガズムは男性でも使えるけど、社会教育として語られていないだけで、身体組織には同じものがあるので使うことは可能。クンダリニを女性力と結びつけてしまうと、死に目にあうというのは、古いヨガ師匠などは話題に出していた。男性力と結び付けても死に目にあうけどね。わたしの近くには九尾の狐がいて、これはわたしよりも身長が高いのを、ある朝見た。わたしが子供のころいたのは、山口県の下松市で、クダラの亡命者たちがいた場所。で、彼らは九尾の狐を持ってきたと言われているので、それがわたしのところにいたわけですね。九尾の狐はクンダリニ、あるいはアルゴルそのものの象意であると考えると良いと思われる。このあたりに原爆が落ちたのと、九尾の狐、アルゴルなどは関係しやすい。九尾なので、9年で一回転するリリスと結び付けてもいい。ついでに、9年壁に向かうと、魄身体ができる。わたしがクンダリニのことをしつこく書くのは、20審判のカードがクンダリニそのものを示しているからだ。多くの人が憶測で語るので、クンダリニについての正確な知識はあまり流通していない。薔薇十字は物語、ヨガは機械論として扱うシステムなので、ヨカで説明されるクンダリニも思い切り無機的な解説になって、これも誤解を呼ぶ。


2018年10月16日火曜日

20181016 録音か録画をする夢

今日の夢は100人くらい入るサイズの会議室とかにいました。仕切っているのは北野タケシで、これからDVDを作ろうとしているらしく、わたしがこの中で録画か録音をしなくてはならない。どうもわたしは勝手にタケシ軍団に組み込まれそうです。これは昨日、わたしが19太陽のカードのことを書いたことに関係しているようです。北野タケシはわたしの記憶の中では山羊座の代表みたいなものだし、会議室という部屋も山羊座そのものの象徴です。社会とはこういう狭い部屋でもあり、共同体をあらわしています。かならず社会のサイズについては明記しなくてはなりません。漠然とした社会というのはないからです。火星・木星・土星は、外の世界への誘い出し、夢見、行動の三つのリズムですが、同じように冥王星は外宇宙からこの世界への誘い出し、海王星は夢見、天王星は行動で、天王星はじっとしていることはなく何かするのです。しかし天王星が何かするとき、それはかならず土星の信念体系などを傷つけることになります。で、夢の中では天王星としての立場のわたしは録音か録画をするのですが、天王星の立場としては、従来の考え方を傷つける新規なものを打ち出すことになります。天王星は土星を容認する、黙っているということはまずありえないです。これは土星が支配星となる山羊座のあとには、かならず天王星が支配星となるみずがめ座がやってくる、つまり天王星は土星を切り崩すことを意味します。で、夢の中ではわたしは録音する気満々で内容について考えていました。この日の前日、2月11日、わたしは北野タケシと打ち合わせしています。2と11ということで、タロット式に言えば、同一化と、分離ということについてがテーマかもしれません。2のおうし座と山羊座は120度の協力関係で、どこかひとつの人格タイプに同一化することで社会の中に組み込まれます。みずがめ座、天王星はそれの引き剥がしですから、つまりはテーマとしては入れ歯みたいに、つけたり、はずしたりということです。
部屋の中にいるので、この内部で、切り崩しをする内容を録音するということでしょう。そもそもみずがめ座、天王星は嗅覚をあらわし、これは硬い物質が腐敗して、匂いが拡大することでもある。山羊座を腐敗させても、また発酵させても、ひびを入れてもいい。やりかたは自由ですね。

2018年10月15日月曜日

20181015 ふたりの子供の鏡像構造

火星・木星・土星の三つは、鏡のように、冥王星・海王星・天王星と対応しているので、19太陽のカードのふたりの子供を、この三惑星のセットふたつに対応させると良いのではあるまいか。土星期が終わる70歳までは、もうひとりの子供は隠れておとなしくしているが、天王星期になると、形勢が逆転し、天王星が土星的肉体を飲み込み始める。今の社会では、一生働けというふうになっているが、惑星の年齢期をあてはめ、天王星期以後は、社会には貢献しない、社会に組み込まれないという姿勢を打ち出し、たとえば天王星のサビアンシンボルなどを参考にして、生き方を明確にしていくのがいいのではないか。冥王星は恒星の受け皿なので、冥王星・海王星・天王星が、19太陽のふたりめの子供の姿だとしても、恒星との結びつきがはっきりしないことには天王星の力もちょっと弱い感じにはなりやすい。恒星の力を受け止めた冥王星に従う天王星は、きわめて強気だ。生涯現役社会というコンセプトは完全に間違ったもので、天王星期以後も、人は元気だが、というよりもはエーテル体的には、いままでよりもはるかに元気だが、土星までの基準にあわせる必要などまったくない。むしろ天空からの侵入者としての行動をするのが良いだろう。
早めに仙人になる人は、天王星期をもっと早くしてもいい。天王星とは、恒星の意図を太陽系の中に、地球に持ち込む出先機関だと解釈してほしい。この場合、天王星以後はヘリオセントリックのほうが力を握っているということも注意。なぜなら地上からの視点など必要はないのだから。
ps.ところで憲法改正がどうのという話題が出ているが、そもそも日本国憲法は日本人が作ったものでなく、マッカーサーが作ったものだ。で、マッカーサーは明治憲法は民主主義的でないと言ったが、マッカーサーとかアメリカがいう民主主義というのは民衆が主権を持つように見えて、実は資本家が支配する世界にすぎない。だったら天皇が支配したほうがよほど平和的で、マシだと思う。そのほうが世界は荒廃しない。でもわたしは右翼ではないよ。民主主義よりはマシだと言ってるだけ。民主主義は実体がない。流木のような生き方が主導権を握ることはなく、印象操作をしている者が主導するだけの話なんです。