2018年12月31日月曜日

20181231 母殺しネタ

わたしの月星座の本が増刷されたというので、何かあるの?とは思いました。他の出版社の本は頻繁に増刷されているけど、月星座の本というところに引っかかりました。あれは月に対してめちゃくちゃなことを言っており、月ブームに関しては、正面から否定しています。今、一時的に、月の話題、そしてマドモアゼル愛氏の母殺しとか、そういう話が限られた場所で盛り上がっているようです。1999年に、わたしのところに「わたしがお前の母親だ」と言ってやってきた巨大な黒い生き物は、「わたしと関わり続けると、月が壊れてしまうよ」と言いました。その後どういうふうに壊れるのかの映像はくっきりと見ました。今ではわたしはひとつの月の代わりに、月の軌道にあるステーションを、本来の月と解釈しています。そうすれば何の問題もないし、執着心が原因で殺人が起きたり戦争が起きたりすることもないんですよ。月は母であるという同一化は、占星術ではそう解釈されていることもありますが、わたしの黒い母は、関わり続けると月がぼろぼろになると言ってるので、母すなわち月というふうには考えにくいですね。で、説話社のweb雑誌で、昔のマドモアゼル愛さんとわたしの母殺しに関しての対談を掲載したいと言ってきたけど、あれはもう7年も昔の話で、いまでは母ということの定義も随分と変わっていると思うので、とりあえず断り、どうせやるなら母殺しについてはもっと深掘りする必要があるのではと言いました。母の問題は深掘りしても、それでも足りない。湿潤なるフュシスは果てしない。私は今は誰かと対談したりするのは好まないので、対談するとしたら、仮想ネット対談になりますが、母問題は、父問題と交互に進めるのが良い。でも結局はだれとも対談したくない。

2018年12月30日日曜日

2018130 ショートショートの続編とか

2016年から書いたショートショートの続編を書く場合にはと思ったが、中断されたものは再現しにくい。試しに書いて太田氏に送ったら、「肝となる象徴群の配置の仕方と、その奇妙なバランスや落差から物語が動き出すという結構は、松村さん独特のもので、前のショートショートと同様のエネルギーを感じました。前の作品群もいろいろなパターン、カラーのものがありましたので、この作品も、すこし結末が温い(緩い)感じがしますが、それはそれでよいのかもしれません。どんどん書き続けていただければ、読者としては単純に嬉しくてたまりません。」という返信でしたが、結末を緩くしたりキツくしたりは、たんにボルトを緩めるか締めるかの問題で、いくらでも加減はできますよ。まあコンセプトは、宇宙的な通路を確立することと、地上的な信念体系を壊すことかな。村上春樹は、小説家は毒がないといけないと言ってますが、わたしの毒ってたぶん限界を超えているよ。毒のままだといけません。統合化しないとね。それもできる。いままでのように解説本ばかり書いていると、限度を超えていくなと思ったので、ちょっとショートショート書いてみたくなったのです。息抜きですか、箸休めですか。夢の本を二冊書いたら、枠が壊れてしまったんですよ。今後続けるには、これが必要か。

20181230 新年挨拶はやめよう

わたしのタイムラインに、新年の挨拶的な内容のことはかかないでください。前から言うように、グレゴリオ暦の新年は自然界のリズムとしてはまったく意味を持ちません。するなら、節変わりとか、春分点通過とか、七月ですね。それぞれはっきり思想的根拠がある。日本の神社もおかしな話で、二月に初午やったりします。どうしてそこまでめちゃくちゃするか不明。寒いのに。形式だからと言って従っていると、本人が形式から出られなくなります。わたしの命式は、春の草花を瓶が割れそうなくらいいっぱいに詰めていくので、フランク・シナトラのマイウエイが彼のライフソングみたいだとすると、わたしのライフソングって、森山良子の"この広い野原いっぱい"ですよ。世界に歌はたくさんあるので、自分のイデーフィックス探すと、かならず見つかります。わたしのイデーフィックスは実は"この広い野原いっぱい"ではないけど、四柱推命は世間の顔をあらわすので、その点では、森山良子でいい。https://www.youtube.com/watch?v=BZBbi7bUa3M

四柱推命とか算命で、その人の根源としてのメンタル体などを推理できるかというと無理です。ホロスコープでも無理。ただ、反射はするので、本体がわからないけど、本体の影が差し込んできたという部分はわかります。四柱推命もホロスコープも、地上に降ろされた梯子みたいなもので、それを使って、途中まで上がることはできます。しかし先に進むことはできない。ただ世間にあるいろんな学問とか分野は、この梯子の働きさえないので、その点では、四柱推命とかホロスコープは最低限学んだほうがいいだろうね、入り口として。よく宇宙人が、ホロスコープを使えと言うけど、その真の意味については今の地球人の知性ではまだ理解できないのでは。

それで、説話社の山田さんが、メールで、わたしに池田笑み氏の文章を送ってきた。「2009年に雑誌『MISTY』で、マドモアゼル・愛氏と松村潔氏の対談で、テーマが「母殺し」だったことがあり、その当時から愛先生は月をいったん殺すことを力説されていたかと記憶します。雑誌全部処分しちゃったので、もう読めないのが残念。」わたしは月を殺すとは言ってないが、月を体内から吐き出すのは重要とは言ってる。月を犬や猫に押し付けよう、と。こういうことも、ホロスコープがわかってれば細かく分析できるでしょう。そういう知識のない人は、自分の月を分離するなど、ものすごく時間かかるし、一生できない場合もある。でも、正確には母って月ではないんだよね。




2018年12月28日金曜日

20181228 言葉の扱い方を変える

来年の2019年3月からのわたしの満年齢ハーモニックでは、水星と金星がしし座で合。というか、2016年は水星と木星。2017年は水星と火星。2018年のみ合がなく、その後、2020年は水星と土星。2021年は水星と海王星で、これらはみなしし座での合です。で、来年のしし座水星・金星のセットをどう使うかを考えた。年末だから。定年退職後の年齢からは、わたしの金星はスピカ色に染まっており、スピカ的表現を言葉にすればいいわけですね。今の自然な流れで言えば、象徴的なものを説明するという翻訳・解説形式でなく、象徴的なものはそのまま提示するというのが良いだろう。象徴を象徴として使いまわすのが正しい姿勢ということで、この路線で言うとわたしの本には説明というものが減少していきます。事物と象徴の結合をそのままに放置するのでなく、象徴が事物に侵入するというのが良いのではと思ったのだから、それをいろいろ試みると良いですね。つまり夢の侵略。現代ではしばしば事物が象徴を侵略しているが、すると地上から人が消え去ることになり、機械だけが生き残る、ラピュタの生命が滅びた後みたいになってくるので、逆転方向に進めよう。説明言語48、普遍メタ言語24、象徴言語12ということからすると、象徴言語は新脳というよりも、古脳をつつくので、受け取った人は意味がわからないけど感じ取る、ということになります。説明言語は意味がわかるけど、感じ取るものがないということです。旧脳をつつくと、ジーンと来るとか、感動するとかになるけど、これは説明言語と象徴言語の中間みたいな場所。

特定の個別のものを説明していないが、すべてのものに浸透していくような言葉。あらゆるものに応用可能な理論みたいなものか。だからこそ、どんな個別なものも表現していないというものになる。それはどういう意味なのですか、と聞かれて、たとえば・・と具体的に説明した段階で、もとのものが死ぬ。象徴と事物の結合では、事物というのは象徴性が死んだものなので、象徴と事物の結合は、あたかもヨガの死体のポーズみたいなものかな。もともとは本当に死体の上に乗って瞑想するものだった。うっかりすると、事物の腐敗が象徴に移る。



2018年12月27日木曜日

20181227 ショートショートをそろそろ

2016年10月から2017年1月くらいまでに書いたショートショートをキンドル出版しようと思っているが、それについて太田氏にメールで聞いてみたら、「この間、Sがクラウドファンディングで40万円ほど集め、A5版カラー100ページほどのレシピ本を作りました。編集とデザインDTPは僕がしてあげたのですが、カメラマンもプロ、スタイリストもプロなので、当然、大出版社が出したものと同等の本が自費出版できるわけで、なるほど、こういう手もあったかと思いました。印刷費も紙代を含めて20万円いかなかったかと思います。」という内容も書き加えられていた。Sさんもいろんなことするね。なかなか楽しいね。なら太田M出版という名前にしてもらって、著者松村潔でキンドル出してもらうのもいいな。わたしがキンドルに直接upすると、二時間しないうちに出版の運びとなりますが、そもそも表紙デザインも、レイアウトもめちゃくちゃになります。誤字脱字訂正しないし。なんにも考えていない人だから。太田M出版というので、太田氏の好みの本を出しまくるのもいい。大田原権蔵パヴリッシングでもいいけど。



2018年12月25日火曜日

20181225 電磁気につかまらない蛆虫

夢が物質世界にまで侵入するというのは、わたしの体験では比較的多いので、facebookで夢侵略グループ立ち上げたいくらい。地獄の黙示録みたいに、夢がヘリコプターに乗ってどんどん侵略あるいは爆破するのはなかなかいいのでは。この線上で、物理学理論を修正あるいは新たに構築すると良いと思っている。で、電磁気の相互干渉というのは物質世界のルールであり、夢ではこの電磁気の働きはほとんど効かない。ずっと前にヘミシンク会で、すごく疲労しているのでチャージはどうすればいいのかと聞いたら、金星からチャージすればいいのではと回答があったが、その後蛆虫みたいなものがジャングルジムに大量に降り注いだ。ジャングルジムはエーテル体のことです。この蛆虫、つまりWIMPは、電磁気の相互作用がないので、電磁気を使う検出装置では発見できない。電磁気の相互束縛関係から逃れるので、原子の隙間にも入り込む。入り込むし、興味がなくなると勝手に出て行く。金星が持ち込んだ、この「気ままさ」を今後もっと探求するかな。人間が疲労するのは、相互束縛に捕まってしまうからだ。もともと意識は自由。どんな世界でも出たり入ったりする。人間は絶対に疲労してはならない。

2018年12月24日月曜日

20181224 流木でなくなること

ノストラダムスは、未来を選び、その方向に進んでいくことができるなら、流木のように生きる人々ではなくなると言ってるらしい。この場合、あまり複雑なことを考えなくても、法則として上の次元にあるものは下に対して無条件の介入ができるということを活用すればいい。ただし、下の側からすると、一番スムーズに感じる介入の時がある。上からすると無条件。下からすると、都合のいい時と悪いときがあるということだ。で、上からの影響を受け付けても、ぼうっとして抵抗感を感じないというのが、日食などだ。こういう時に、上位にある次元の「意図」をそこに埋め込むと良い。自動車は曲がり角でしか曲がれない。エニアグラムで言うと、機械が機械的に働かないインターバル地点は運命の切り替え点なので、いったいどうしたいのか明確な意図をそこに打ち込む。ミとファの間に持ち込まれる、上位のドの音は、意図だ。するとファ以降はその意図に誘導された方向に進む。人生には折り返し点がいくつも訪れるが、その都度油断しないで、意図をすかさず打ち出すと、何度かの転回点を経験して、思い通りの方向に行く。上位の意識が弱い人というのは、この折り返し点という肝心なところで、願いとか意図を忘却するか放棄してしまうのだ。折り返し点というのは、下のオクターヴの線上での希望とか願いが打ち砕かれるポイントだ。折り返し点は折り返し点という意味で、それまで続く力づけとか励みが消える。折り返し点は、それまで継続した視点からするとまさに空虚そのもので、虚脱以外の何ものでもない。空っぽになった時、上位の意識としては、この時に「やっとわたしの言うことを聞く気になったか」と思うが、それに気がつかない人が多い。このインターバル点を無駄にすると、人生はいつも出発点に戻って、何もしていないことに気がつく。付け加えておくと、この折り返し点の空白に、他者の意見などを取り入れたりすると、その人は穢れの人生を進むということにもなる。というのもそれは意図がはっきりわからないのでごまかしたということなのだから。

2018年12月23日日曜日

20181223 次は

昨日、書き終わった原稿はメール送信しました。となると、次は何を書きたいかということですが、いままで書いたことの先に行くべきだというのは当たり前なので、たとえば、夢と物理学の接点みたいなものもしてみたい。ミンデルにはかぶらない。わたしの夢はしばしば物質世界にはみ出します。目覚めているのに、まだ夢が続いている。つまり領海侵犯ですね。理論物理学というのは、通常の物理学に比較して、理論ばかりが先走って異常な世界に入っていますが、これはわたしがけっこう好きな感じです。前から言ってるけど、理論を実証するために実験するというのはやめろ。果てしなく理論だけが暴走すれば正しい道に到達します。理論が暴走すると、メンタル界に入ります。そしてメンタル界は、馬車・馬・御者・主人のうちの主人であり、すべてを支配する領域だ。世界のすべてはこの理論とロゴスのとおりに働く。そこまで決意があれば、実験しなくても、現象は言うとおりにする。そのことを理解すると、理論物理学者たちは、のびのび、好き放題をすると思います。彼らは、集中しているうちに、個人を捨てて、普遍的な原理に身を捧げるようになる。それが死ぬほど望んでいることなのだから。実証物理学の人々を敵に回すだろう。

2018年12月21日金曜日

20181221 来年は10ハウスに木星

書籍の原稿はだいたい書き終わると、印刷して万年筆とかボールペンで訂正する段階に入ります。パソコン画面だけだと、流れはわからないんです。なので紙に出して、それを点検します。そのためにレーザープリンター買ったんですから。今書いているものは紙訂正も終わって明日かあさってくらいで終了します。今回は二ヶ月くらいで書いた本になります。本を書き続けることで、どんどん内容がラジカルになります。なのでこれから書く場合はもっと極端になるでしょう。わたしとしてはそれは楽しいんだけど、世間はついてこれないと思います。10年とか30年とか後に一定量の人が理解するでしょう。つまり貯金みたいなものかな。この世間の中で、わたしが書いた内容を出版してくれる出版社があることがいつも驚きです。でも神保町でも、書店の中にわたしのコーナーがあるくらいなので、受け付けてくれる空間はあるのですね。いかにわたしが極端なことを言っているか理解しているのかな。それとも、これからわたしが少しずつそれを出すのかな。そのあたりを様子見しながら、だんだんとわたしはエスカレートします。わたしに限界はないよ。あるのはそれを受け付ける世間のほうです。来年はトランシットの木星が10ハウスに入り、狭いローカル社会の中で、わたしの影響が広がるタイミングなので、これにあわせて、極端なことを発言するかな。

2018年12月20日木曜日

20181220 ビニールごしの子犬

わたしは月の本で、月に感情的、内的に同化することは、狭い範囲に人を閉じ込めるので、人間をだめにしていく。だから月を外に対象化して、たとえば犬と猫を飼うと良いとお勧めしていました。今日の夢では、自宅に帰るのに、ビニール袋に子犬をいれて持ち運んでいました。犬と触れ合うとオキシトシンが出るということで、膝にあててみましたが、これもビニール袋越しです。こないだの夢では部屋の中で二匹の子犬をかまっていましたが、ほかに全部で50匹くらいいそうでしたが、全部をかまう気はありませんでした。これはH48の象徴化です。ということはわたしは今後、本でもわかりやすくいちいち説明するようなことをしなくなるということですね。H48では象徴をすべて説明しなくてはなりません。H24は察する能力であり、象徴も理解します。50匹近い犬をかまうなら、これはこういう意味であると解説します。犬も、子犬になると家庭を守る月の作用と考えてもいいと思いますが、大きな犬とかになると、外の宇宙に対する封印、つまりは同時に通路になるということもあるでしょう。封印は閉じるということをことさら行うので、そのことそのものがすでに通路をあかしてしまうのです。ヘカテの犬は目を見るとわかると思います。これは愚者のカードにも暗示されています。小さな犬は身体が小さいので、相対的に部屋が大きく見える。つまり小さな世界が一大事になるということです。夢の中では子犬に対する愛着はありましたが、直接触るのは避けていました。

2018年12月17日月曜日

20181217 守護霊というのは?

鎌倉時代風宗教の話題として、誰にでも守護霊がいるわけではないと書きましたが、そもそもわたしは守護霊って何か知らなかった。人間はメンタル体、アストラル体、エーテル体、物質体の四つで生きているので、守護霊というのは上位のメンタル体やアストラル体を他者的に投影したものでしょう。他者的に投影してしまうのは、本人の人格がこれらの上位のボディと差異性を持っているからです。そしてあまりにも差異性が高く、上位の意識との関係を持てなくなった人を、守護霊がないと説明したのです。遠くには関係しているかもしれないが、遠くという段階で、すでに無関係に等しいです。メンタル体、アストラル体、エーテル体、物質体が同期している、すなわち霊魂魄肉の軸がそろって同心円になってる場合には、反対の意味で守護霊はいなくなる。直通で重なるので、守護霊の存在は想定できない。自分が思ったことがそのまま守護霊の言葉になってしまうのだから。じゃあ、背後霊ってなに?と思うのですが、わたしは物質体の裏側みたいなところに、一番低いエーテル体が「逆相」で重なっていると説明します。おとめ座の視覚の裏。逆相という意味では、男女が反対になります。見えないところにあるヤコブの梯子の最下段。これは背後霊では?文字通り背後と書いているのだから。エーテル体は上位の意識とつながっている。つまり背後霊は守護霊に完全に従う。で、背後霊はかなり下界的なので、物質生活になにかと影響を及ぼすでしょう。二十代はじめのころ、つのだじろうのうしろの百太郎にはまっていた。あのどろどろの暗い風景は、いかにも低いエーテル体らしい。この低いエーテル体は肉体につながっているという意味で、わたしの夢の中では「家の近所の稲荷神社」という光景で登場します。稲荷神社を見つけたら、家に戻れるが、稲荷神社を見つけられないと、家に戻れない。つのだじろうの漫画だと、霊と魂は同じものとみなされている。魂を幽界にマッピングできない。幽界はエーテル界なんでしょうね。

2018年12月16日日曜日

20181216 宗教の信者

一般人の場合には、5つのセンターで生きている。しかもこの5つのセンターが統合化されていない。なのでけっしてその先の世界に行けない。で、宗教の信者というのと、たとえばオショーのサンニャシンというのは違うのだが、世間では似たようなものだと考えられている。信者になったりするにはいろんな理由があるが、サンニャシン(弟子)になるというのは、たいていは徐々に高次感情センターが働き始めた時にそういう行動をする人がいるはずだ。高次感情センターが働き始めているが、高次思考センターが機能しない場合には、帰依するとか、サレンダーするという態度が出てくる。王任三郎とか、オショーとか、高次思考センターのシンボルのようなものなのだから、高次感情センターはそこに帰依する、つまりお側にいる間に、正常な存在ならば、高次思考センターの力を盗み出そうとするのだが、怠け者は依存したままが続く。5つのセンター、しかもそれがばらばらに働いているといういわゆる一般の人々は、自分は宗教の信者にはならないし、独立性があると思い込んでいるが、実は信者とは、高次感情センターが働き始めているが、高次思考センターは不在というケースが多いということからすると、5つのばらばらセンターで生きている一般の人よりも、宗教の信者のほうが、少し先に行っているということだ。やっかいなのは、5つのセンターの中にある性センターはH12で機能し、きわめて高速で強力なので、それに思考とか感情が巻き込まれると、狂信的になったり、思い込みにはまったり、頑迷になったり、異常者になったりするということだ。この場合には、宗教の信者も、自爆テロの人みたいになったりする。5つのセンターで閉じる「平凡だがまともな人」になるか、7つのセンターで閉じる「完全な人」になるかどちらかが到達点だが、それ以外は荒れた海で泳いでいるようなもので、どこに行き着きたいのかを、はっきりさせないと、永遠に海に飲まれる。7つのセンターを目指し、5つのセンターの小さな結晶をいったん解体し、グルに帰依するというのももちろん進化の欲求から来ており、正しい判断ではある。それを正しい判断と言えるのは、怠けずに、高次思考センターの象徴であるグルの力を学習して盗み出そうとする態度を捨てない時だ。

2018年12月15日土曜日

20181215 宗教

わたしが1990年代にニフテイサーヴでシスオペをしていた時、幸福の科学の会員は教祖の本を大量にわたしに送りつけてきた。多すぎて読めない。結局一冊も読んでなかった。その後、ライバルのオウム真理教の信者は、わたしにダンボール数箱のオウムの本を送ってきた。送ってきたのは井上嘉浩だ。オウムはその後衰退したのかもしれないが、最近、大川霊言テロが、信者の新木優子にふりかかってきたことが話題になっている。オウムにしても、幸福の科学にしても、物質界というか、この地球社会に対してあまりに執着心が強すぎてこれは異常。大川隆法にしてもなぜそこまで欲深いのか。物質界とエーテル界を切り離して、宗教的な人々は物質界をあきらめてエーテル界に移動しなよ。あらゆる欲を捨てるといい。まあ、教祖が欲深すぎるので、信者はそこから逃れるのを許されないのでしょう。とはいえ、宗教団体の話をしましたが、社会主義とか民主主義とか、天皇制とか、これらも宗教です。宗教を批判して、民主主義であると思う人も、そういう宗教の信者なんです。出口王仁三郎は、日本人は三分が生き残ると言ったが、つまりこれは3パーセントが自己を失わないということで、彼らは宗教の支配からは自由だということかもしれないですね。

2018年12月14日金曜日

20181214 カラフルな光景

エーテルの紐は昔はシルバーコードと言われていた。で、この一本の紐に深入りすると、中心線と、反対に動く周辺回転皮膜があり、この周辺皮膜にはかなり具体的な情報がストックされる。ストックが進むと、この紐の先のターゲットとの関係がだいたい切り離されることが多い。つまりもうこれ以上は情報は詰められない、おなかいっぱいということです。で、タロットカードの20審判のカードで、ラッパに入り降りていくと、下から墓が開いて、内容物が「展開される」ということに慣れてくると、このエーテルの紐の中身を読むというのも、わりに楽にできるようになる。でも、この墓開きを一度すると、しばらくはそれが続くので、今日は朝からずっと日本のどこかの漁村の鮮やかな光景を見ていました。また上空からドローンのように見ているので、花が満開な光景のほうが前面に出てきます。わたしは大たい骨を壊しているので、遠くに旅行には行けない。そもそも電車に乗るのは無理だ。なので、この中心に入ると、周辺が解凍されるというやりかたで、観光するのもいいなと今日の朝思った。日本の風景を見たのは、Huluで「トワイライト、ささらさや」を見て、日本映画は映像が上手だねと思ったのが原因。
ps.いま思い出したが、日本風景の前に、男の人が泣きながら落下していくのを見た。落下した後、見つからない。また新たなボランティア?20審判のカードの性質がよくわかっていれば、泣かなくて済むのですが。

2018年12月12日水曜日

20181212 環状の道

地球を枠つきの水たまりと定義したら、その後、ずっと真ん中に池があり、その周囲に環状の道があるという光景が何度もあらわれる。環状の道は月の軌道で、そこにステーションがある。時々真ん中の水に飛び込む人がいる。が、全体にこの真ん中の池は危険地帯という気配は続く。環状の道は、上から見て右回りだと降下で、池である地球に飛び込む。上から見て左回りは、上昇とか抜け出すとか。12サインをあてはめると、サインの進みは上から見て左回りだ。夢の中で、この道のある場所に図書館があったが、12サインの配置で考えてみると、いて座あたりにそれがあった。そこを右回りに通り過ぎると、少人数の集団がいた。これはさそり座あたりか。というよりてんびん座だ。このチームが、見失ったわたしの子供を保護していたのだが、二回転目のてんびん座は、19太陽のカードに対応するので、この見失った子供とは、太陽のカードのもうひとりの子供のこと。わたしが池に飛び込んだので、子供の行方がわからなくなったというわけ。わたしはこのチームを工事の兄ちゃんたちと呼んでいるが、ずっと前にスピカに行く時に、数人が溶けて筒になった。人になったり筒になったりというところが、工事の兄ちゃんたちという名前に合ってる。完成した建物の場所にはいないので。毎度のことながら、わたしはこの工事の兄ちゃんたちに会うと、感激するとか感動するとかの感情を刺激されてしまう。自分を犠牲にする精神があるからだ。まあ自分を犠牲にしないことには、人の形が溶けて筒になったりはしない。


2018年12月11日火曜日

20181211 鮫肌でざらざら

今日は珍しく夢を記憶していなかった。毎日ほぼ確実に2つの段階を記憶しているのだが。そのかわりにというか、少し早めに目覚めると、20審判のカードの状態に入る。わたしはこのカードをクンダリニなどと説明しているけど、クンダリニは中心のスシュムナ・ナディをあがって来る。でもわたしの場合には最近は、自分が天使のラッパになって降りていくと、その周囲を包むように下に畳んであった幕があがって来るような感じ。で、この幕は映像を映し出すスクリーン素材で、そこに鮮明な映像が映るのだが、今日は地面に穴が開いており、その脇に、穴から取り出したらしい古い石版が横たわっている。石版も地面の穴もざらざらしたサメ肌であり、見てると鳥肌が立ちそう。石版は太古の金星の記録らしい。数日前にヴェリコフスキーのことを思い出したのでその関連だろう。地面の穴は20審判のカードに描かれた墓穴に似ているが形は不定形で、蟻の巣の露出のような。石版は見た以上は自動的に数日かけて解凍されるはず。最近はこういうふうに腰から幕が上がって、身体を取り巻くか、あるいは目の前に板として出てくるかというのが多いが、この壁の質感とか素材によって、エリアとか時代を考えてほしいということらしい。以前は似たものが多かったが、最近はこのスクリーンの素材がいろいろ違っている。で、この20審判のカードだが、わたしはいつも線、筒、トンネルとかは、大小サイズが可変すると言うが、天使のラッパは、この筒であり、主体がこの中に入って下に下りていくのでは。すると、下にあるものは外周を包む幕でもあり、つまり拡大して見える。21世界のカードでは、これが楕円のエナになる。下の墓石は世界すなわち正方形だと説明しているが、いろんな正方形をアクセスして、ラッパの筒で下りる。ひとつの正方形を相対化するために、これからは二種類をいつも比較してほしいと言われているようだ。以前の夢で、反物屋さんで、どの布がお好み?と聞かれた以後の話かな。

マクロな太陽系は、ミクロでは原子に転写されていると考えているが、天使のラッパで降りていくと、自分が原子核になり、墓が電子の幕になるのでは。相互束縛によって、つまり太陽と惑星群、惑星と月などによって、太陽系世界は安定しているが、兄弟姉妹的な、もうひとつの世界と比較してほしいと言われると、たとえとしては、エキゾチック原子かな。この太陽系とシリウスは兄弟で、互いに回りあっているという説があるが、陰陽の関係性の束縛がゆるいぶん、勝手な動きをする"系"があるらしい。太古の金星って、交換留学?こういうのを、幕に映る映像でいろいろ調査してください、というおはなし。


2018年12月10日月曜日

20181210 マイナーな曲だと著作権に引っかからないのか

久しぶりにyoutubeにuploadしてみた。
シャルパンティエあたりだと、著作権チェックにはひっかからないのか。
https://youtu.be/rpz5wIfsN-c

2018年12月9日日曜日

20181209 土の中の水

地球は水に囲まれ、この中に大陸とか島がまばらに存在している。でも地球のサイズは決まっていて、つまりは枠の中にありということで、タットワの25個のシンボルで言えば、土の中の水と分類できる。今の地球をどう決めておけばいいのか、といろいろ考えたあげくに、こういう位置づけになった。シフトした地球とはっきり違いを説明できるようにするために、あれこれ名前について考えていたのだ。で、14000年前に、カフナの先祖は、エジプトに暗黒の時代がくると予見してそこから去ることにして東に移動し、ハワイに行き着いたとロングは主張した。でも最近、急にこの説を疑うようになった。確かにハワイは、日本式に言うと、海の中の島なので弁天島であるが、彼らはハワイという土地を重視しておらず、その近所の海の三角地帯を活動拠点にしたのでは。つまり存在状態がシフトしており、わたしたちのように海に囲まれた陸地に住む必要性はない。彼らは真にサイキックな人たちであり、そういう人間の身体はエーテル体であるのが一番自然だ。そもそも古代エジプトとはそういう時代だ。シュタイナーは西洋人はとことん物質的であり、物質から離れるのは不可能だと言ったが、西洋の国には海に囲まれておらず、となりがそのまま陸地で隣の国になってしまうことも多く、こういうところでは、地球は土の中の水なのに、土の中の土と思い込んでしまう傾向もあるからでは。海は島を飲み込むし、小さな視点から見ると、圧倒的に広がっている。しかも均等に。海に囲まれた島は、局在から非局在に拡大するエーテル体というイメージを受け入れやすい。やがてはすべての存在はこれに飲み込まれていくと思っている。

西洋人が自分たちはギリシャから始まり、エジプトから始まったわけではないと言うのは、自分たちは純粋に物質主義であるということかな。

2018年12月7日金曜日

20181207 熱があるので

技術評論社の月星座占いという本が増刷だそうです。毎月何か増刷の連絡が来ますね。月星座占いについては、月に関してさんざんなことを書きましたが、今の月は地球人を堕落させているんですよ。なので本来の月の役割に回帰するには、月は7つないといけないです。ひとつに能動、受動、中和という有機的作用が働くと、これは21個の月になります。今の地球のまわりにある月に関してさんざんなことを書いているのは、わたしが実は月に関してそうとうに詳しいということを示しています。月が7つになると、これはシフトした地球になります。いまのようにひとつしかない月は、いわば地獄の入り口みたいな位置づけにはなるでしょうが、ある意味、これはゴミ箱みたいな意味もあります。ここに吸い込まれた人は、二度と戻ってこない。でも「人間」は絶対に吸い込まれません。今日は熱があるので、早朝のzoom講座は中止にしてもらいました。原稿は書けるけど、話はできないです。もしかしたら、今後体調はもっと不安定になるような傾向もあります。固まったゼリーではなくなったので、やすみなく揺らぐかもしれない。地球も本来は、このように休みなく揺らぎ、どこにも安定したものがないということになると、一番健全で本来的な地球なんですけどね。大地は安定していてほしいというのは人間の傲慢で、そもそも地球は人のために生きているわけではない。いそうろうが勝手なことを言うな、というところでしょうか。

2018年12月3日月曜日

20181203 四つの世界の同期

メンタル体、アストラル体、エーテル体、物質体という四つのボディが軸がそろって同心円みたいに重なると、四つの界の記憶が持ち込みされる。地球では、物質体の部分が、上の三つとは同期しないように作られていて、ここだけが独自の法則を持つ。たとえば人間はみな工業製品のように同じ形をしていて、上の三つの中身がどんなものであれ、全員が制服のように同じ形の肉体を持つ。結果として、物質界では上の記憶が消える。目覚めた時夢をあまり覚えていないのはこういう理由もある。もし上の三つがそのまま反映された物質体を持つと、人の形はかなり少なくなるのでは。想念に従う物質の性質を持つ惑星世界があると、そこでは生き物はみな本性に応じた姿形を持つことになる。なので、もし次元上昇した地球が存在しうるとしたら、そこに住む人類はいろとりどりの姿に。上の法則がそのまま下に下りてくるという構造を維持するには、地球には月が7つないといけない。月がひとつしかないために、それに引きずられて地球は下落して太陽と距離が離れてしまい、これが地球の物質界のガラパゴス的な性質を作った。もちろん月を人工的に作ることは可能だが、今の地球は下落を続けてもらって、シフトした地球に7つの月を置くというのがいいのでは。QHHTなどを利用して、自分の本当の姿を見つけたほうがいいのでは。エーテル体は肉体とアストラル体を繋ぐので、板ばさみにあっていて、肉体に近づくにつれ人間の形になり、アストラル体に近づくにつれ、人間の形ではなくなっていく。地球では人はみな同じ形というのを見て、いったいどういうことなんだと宇宙人たちは衝撃を受ける。同じ工場で作った鉄の鎧を着せていますと説明すると、ああそういうことか、と。グレイとかはみな同じだがあれは宇宙人ではなくロボットだし、地球人をまねたパロディのような気もする。

太陽神信仰だと、この太陽系の型に全員があわせなくてはならないということになり、人はみな同じ形になる。しかし星信仰の場合には、さまざまな星のルーツに戻ってしまい、この地球はたまたま今いる観光地になるので、人の形はみな星のルーツのスタイルになる。確かに多少の妥協はある。でないとここにはいられないので。しかし長くは居座らない。


2018年12月1日土曜日

20181201 前世記憶は嘘くさいのが当たり前

前世療法などで前世を自分で見た場合でも、どこか嘘臭いと感じる人がほとんどでは。この嘘くさいと感じることは大切。なぜなら、体験の印象に一体化してしまう比率が高いほど、その人は不在になるからだ。今の人生も嘘くさいと感じるのが正解。で、アカシックレコードのアカーシャというのは、第五元素のことで、ここには時間と空間がない。第五元素を四元素に分解することではじめて時間と空間が生まれる。アカシックレコードの文字を解凍して時間と空間の中に落として動画にしたのが今の人生。また前世の記憶もこのアカシックの記録のどれかを参照している。わたしたちは具体的に生きている時に部分的なことに気をとられすぎて、アカシックの記録そのものを意識することができない。足の爪を見ているが、それが何かの生き物の先だということがわからないようなものだ。自由意志の生活とは、この全体を見ないで一部のみ見ていると、あたかも自由に動けるように感じるということ。犬の身体が小さくなると三畳間でも運動場のようにのびのび感じる。このアカシックレコードの書物はタロットカードでは2女教皇が持つ書物として描かれており、だいたい女教皇の腰のあたりにあるが、12サインでは、おうし座に対応し、ミラーサイトは松果腺の周囲、胸、腰などにある。もとデータはいくつかの範囲があり、たとえばトゥバンの図書館は、これが管轄する全太陽クラスターの全域に及ぶ記録ということになる。地球範囲のアカシックデータは、エジプトにあり、これはジオテティックのサインではおうし座の始まりあたりに該当する。確かおうし座の1度くらいか。おうし座は身体に埋めこまれた資質、記憶などだが、これを読み出しすることでわたしたちの人生が始まる。11力のカード、あるいは11みずがめ座は、おうし座にたいして90度だが、ここでこの埋め込まれ、同一化したデータを自分から引き剥がそうとする。引き剥がさないと、魚座の後の春分点で、外の世界に飛べない。

外の世界に飛ぶというのは、その外の世界の構成する因子に、自分の心身を組み替えていくことをあらわす。今の自分がそのままで、どこか外の宇宙に行くというのは理屈として成り立たない。構成因子の骨組みが共通している宇宙には行くことができるが、さらに構成因子が違うところには行くことができない。で、地球アカシックにしがみつくと、構成因子の組み換えには抵抗するので、どこにもいけない。だから脱ぎ捨てる。あるいは脱衣婆が脱ぎ捨てのお手伝いをする。時空に分解された四元素を、もとのアカシックデータとしての第五元素に戻すのは、図形として、エジプトのピラミッドに似ている。大地に四つがあり、上空では五番目に集約されている。ここから外に飛び出すというのもあるのでは。四元素に細分化されるのが実人生で、そこではアカシックは読めないが、死ぬ直前にはこの巻物をちらっと読むことができる。細部から手を離したら読める。

物質肉体を脱ぎ捨てると、エーテル体の身体となり、これは局在から非局在に拡張していくこととなり、サイズが可変するので、たとえば太陽系のサイズくらいに拡大することもある。太陽系サイズにエーテル体の網目が伸びた情景というのは、太陽系の範囲まで、身体内の血管網が張り巡らされたのと似ており、この時、太陽系のサイズなのに、自分は四畳半の部屋にいるみたいに思ったりする。構成因子のプロトコルは8文字、8点。つまり四畳半の8つの隅みたいな。もちろん、これマカバの8点と考えてもいい。




2018年11月30日金曜日

20181130 主体が溶けると

唯識論の横山紘一式に言えば、十牛図の第八図人牛倶忘は、主体と客体が溶けて、主体のありかもはっきりしなくなる状態。主体を点であらわすと、この点がなくなった絵が描かれている。この円は大きな自己をあらわすのだが、わたしたちは小さな自己として生きているので、かならず主体があり、第八図はこの小さな自己が溶けて大きな自己という円に「引き上げられた」状態でもある。固定された主体が溶ける必要があるのは、第九図で外宇宙に飛び出すためだ。つまり第八図の大きな円は、これまで住んでいた宇宙全体ということをあらわしていて、主体という一点のピンをはずすと、はじかれたように外に飛び出す。今日の夢は、魚座で作ったアストラル体が船になって、筒をぬるぬると抜け出すという映像だが、夢を見た直後は、何をいまさら、と思った。そのことについてはすでに説明したはずだからだ。夢では12サインは筒のようになっていたので、蛇の脱皮のような映像を見ていたことになる。なぜいまさら、この光景を見せたのか。ひとつは第九図で外に飛び出すと、第八図で成立していた世界という円はしぼんで消えてしまう可能性。というのも主体と客体のセットで世界という信念体系が作られている。主体を抜き出すと梁が除かれた家のように倒壊するのでは。世界はそのままにして、そっと抜け出すという行為は難しい。主体と客体の固定的な関係性がいったん緩むと、過去の記憶も書き換えられたり違ったものになるので、宇宙に飛び出し戻ってきたときには、思い出の場所、なじんだ場所がどこにもないのだ。過去の記憶は自分という主体が同じ場所にじっとしていたからこそ形成できていたもの。確かに第十図で山から下りて町に入っても、そこは自分がかつて住んでいた場所ではなくなっているし、町の人から見ても、この山から下りてきたツァラトゥストラは怪しい謎の存在だ。覆水盆に返らずか。新しく記憶を作ったり、最初からやり直すというのはある。



2018年11月29日木曜日

20181129 主体移動と分身づくり

今日の夢は、人間は主体意識を身体から外のあちこちに移動させられることを説明していた。地球ではそれはできないという教育をされている。タロット道では、分身を作り、この分身が成長した後に、旧肉体を飲み込むが、ここで分身に主体移動をしているとも受け取れる。通常子供を生むと、親はそれとは別個の存在として生きるが、これも主体移動はできないという教育によって、子供の中に乗り込めないからだ。地球ではそうやって人間組織はばらばらになっていく。主体移動ができるなら分身を作りそれに乗り換えて生き続けるということが可能。それをしていたのはヘルメスだと言われる。三度生まれのヘルメスの意味にはそういうことも含まれている。主体移動のためには移動範囲の広さが確保されなくてはならず、つまり身体よりもはるかに大きな範囲が全部自分とみなされれば、この範囲内で転々と動けるのだ。わたしたちが身体の中であちこちに意識の焦点を移動させることができるのと同じだ。ヘルメスは異次元に旅することにこだわっていたが、このミクロ構造が分身に乗り換えるということを示す。で、夢の中で、分身をどう成長させるか質問を受けていた。親の男性はわたしにそれを聞きたいのに素直に聞かない。どうもプライドがあるらしいぞ。分身(トゥルパ)の女の子はビニール人形のように動かず入魂がされていない。つまり親の主体が移動していない。まあプライドがあるということ自体が、主体は自分の場所に居座るという意味だからね。この男性はかっこつけだが、でもちゃんと説明すると本気で取り組む気配もあった。それにしても分身の育て方を教える立場になるとは思わなかった。しかし主体移動という十牛図でいう第八図の段階は、分身乗換えと直接関係があることはあきらかだ。

2018年11月28日水曜日

20181128 いて座で境界線がなくなる

タロットカードを12進法的に、サインと重ねて考えると、二回転目のいて座で21世界のカードになる。が、この展開はなかなか問題があるらしい。夢をパスワークみたいに使って、21世界のカードを探索したが、真ん中の人物の周囲にある楕円の輪がなくなってしまったような状態になるようだ。境界線がなくなると、四大の各々の不均衡が中心に侵入して、中心点の軸がずれる。すると上位の次元との同調の軸がぶれて、つまりカルマ成分とか穢れの影響を受けて転落の可能性もある。軸がずれると、上からの助けもない。なぜなら上のほうからは発見できなくなってしまうから。対策はあるらしいが、一番簡単なのは、やはり節目を作る山羊座まで持ち込むのが一番なのかもしれない。となると22番カードが必要?しかし22番でとめてしまうとひとつの世界に幽閉したたままになりやすい。21世界のカードで止めても、問題点の打開の方法もあるが、12進法にすることでよけいな問題を持ち込んだみたいなことにもなりやすい。21世界のカードの中心の輪というのはエソテリックの門でもあり、そこまで行けば後は好きにしてくれというのですっきりしていたので、やはりこの枚数のままのほうがいいのでは。

2018年11月27日火曜日

20181127 さそり座と8正義と20審判のカード

タロットカードを12進法的に分類して、12サインに割り当てると、さそり座のところで、8正義と20審判のカードが重なる。20審判はクンダリニに関係すると説明しているが、笛を吹いて蛇を起こそうとすると、周辺に壁が立ち上がり、立方体ができる。この中にクンダリニのエネルギィが充満して、これがさそり座の生命感覚の圧縮になる。これはわたしが考えて組み合わせたのでなく、一週間前くらいに夢がそれを見せてきた。というか夢というより眠る前のリラックス時間に。いろんなコスモスのアクセスに、立方体の8文字のプロトコル(8正義)が使われるという意味で、いろんな宇宙旅行をする時に、この文字コード表を作ると便利なのではと思ったりしたが、紙に書いたり記録に残したりすると、この文字は急激に陳腐化して、恒星レベルから脱落する。この文字は記録に書いてはいけないというのは書くと脱落してしまうからだ。記録も全部エーテル体に置いて、物質界には持ち込んではならないというルール。月のステーションの三分の一は実は図書館だった。たぶんどんな記録も夢で読むことができるだろう。QHHTでは、セッションをレコーダーで記録しているが、これは正しくないのでは?記録はエーテル体に置き、物質界には持ち込まない。また読みたければエーテル界に来い、というのが正しいのでは。


2018年11月26日月曜日

20181126 夢と身体性の分離

タロットカードをホドロフスキーは10で分割して、二階建てとして解釈する。で、わたしはいつものように9で分割している。金星人持込説だと7で分割するという話だが、これはちょっと不自然なものに見えてくるのは、複数の7の原理をフーガのように結びつけるインターバルを入れることができないので、自由性がないからだ。舞台裏の要素を組み込めない。これを組み込むと9の分割になるのだ。で、ためしに今は12の数字で分割しているのだが、12は吊られた男のカードでもあり、つまり12進法的な分割は夢見の体系というものになるということだ。それに二回転目は、13死神から始まり、これは地上の活動の停滞・停止を示すので、地上活動するな、吊られたままでいろ、つまり身体はじっとして眠り夢見をしてくれという体系だ。吊られた男は12魚座と同じ意味なので、魚座は基本的には地上の情報を拾うことはない。ヤコブの梯子から持ち込んだ情報のみを扱い、この姿勢を基にして13死神の行為がスタートする。逆に12吊られた男の夢見がないなら、13死神も何を粛清していいのかさっぱりわからなくなる。12進法タロットは、地上生活に貢献しない、地上に無関心な体系になるので、これはこれで極端で面白い。で、ミンデルは夢と身体症状が対応しているという説もあるらしいのだが、これは夢の初期段階であり、やがては夢は離陸してエーテル体体験になっていくので、すると身体とは可能な限り切り離されていく。ただエーテル体は肉体から離れないので、糸でつながっており、その結果として夢の体験では、地上での記憶が借用される。知っている人が夢に出てきても、それは知ってる人とは何の関係もなく象徴として利用されているだけだが、記憶の型として夢はそれを利用している。死ぬとエーテル体は肉体と離れるので、地上的な記憶がほとんど消失し、人間の形も思い出すことがなくなる。つまり死後の準備をするには、夢見の中で、地上的な形態を次々とかなぐり捨てることが重要で、これも二回転目の13死神のスタートに対応している。で、宇宙人は宇宙船に乗ってやってくるというのも、ずいぶんと地球的で、頑固な信念体系でもあるので、この発想はやめたほうがいいのでは、と。


2018年11月25日日曜日

20181125 怪物の脱走

今日の夢は部屋の中でテレビを見ていたが、そろそろ出てくるなと思ったのはテレビ枠から出てくる怪物。それが出てきたら噛みつこうと思って待機していたからなのか、出てきたのは案外おとなしく噛みつきがいがないものでした。わたしは物質体からエーテル体にシフトすることは、物質が怪物化し爆発すると説明していますが、それはエーテル体が局在から非局在に繋がっていくからで、形あるものはみな崩れるという意味です。わたしの夢ではしばらく、この物質を四角の枠の中でのものと定義が決まったようで、いつもテレビの枠とか絵の額縁みたいな出かたをします。エーテル体はそれを打ち破って、拡大する。で、エーテル体に自我を移すとは、この爆発するように見える拡大意識そのものに均衡を持つことであり、物質体がベースだと破壊力ですが、エーテル体がベースだと中空に浮かぶ自立結晶になり、それ自身で維持できるものとなるのです。心理学というのは肉体自我がベースであり、その中で働く心理的なものというふうにエーテル体は縮こまっています。エーテル体が主導権を握ると、心理学というカテゴリーは成り立ちません。体を飛び出す意識になるからです。あちこちの人が身体から脱獄するようになると、地上の政治的秩序はなくなりますから、地上の学問とかはみな肉体がベースであり、すべての精神活動はこの中でのみ働くというふうに決められています。わたしがテレビの前で怪物が飛び出すのを待ち構えていたのは成敗する目的ではなく、画面から外に解き放つためではないか、と。夢では、外に出ようとしたら、自分の靴が見つかりませんでした。200くらい靴があり、自分の靴はどれかわからない。つまりは怪物をテレビから外に出すようなことをしていると、自分の地上においてのナリワイ、立脚点が見つからなくなる。そうやってわたしは足を壊したり腰を壊したりするのです。


2018年11月24日土曜日

20181124 二回転目の12サイン

12サインはタロットカードの12までと似ていて、つまりタロットカードの12番までの体験は、12サインの体験でも可能だと説明していたが、12サインの二回転目をタロットカードの13以後に重ねてもいい。タロットの基本は数字のロゴスであると考えると、9でも7でも10でも12で分類しても成り立つものだからだ。で、この二回転目のおひつじ座は13死神となり、新しい世界で新しい体験をするつど、それがカルマを書き換えて、違うものにしていくという作用が働くことになる。除雪車みたいだ。死神を裏に持つ魔術師だ。こういうふうに12サインを二回転目まで使って、タロットカードの数字と整合性を持たせると、メリットとしては、ホロスコープとか12サインの廃材利用ができること。つまりホロスコープは太陽系内に閉じ込められたものなのだが、これに、外宇宙的12の盤を重ねることで、広範囲な12サインとして再解釈できる。もちろん行動もかなり違ってくることにはなるが。たとえば、2女教皇、おうし座の書物を、二回転目のおうし座は焚書にする。それはより大きなアカシックを持ち込むためだ。二回転目は死神から始まったので、14節制の自己生殖という意味も、古い資料を死なせてしまうことと同時進行。データを消して上に書く。2回転目の12サインはなかなか気分いいよ。ただ、これまでの12サイン体験をまだ十分味わっていない時に二回転目が来ると、すべてに死神力を発揮するので、すべてが途中投げ出し、リセットになってしまうことはあきらかだ。

2018年11月22日木曜日

20181122 物質界とエーテル界の接触面

今日の夢は、物質界からエーテル界にいくと怪物化し爆発するが、エーテル界から物質界のほうは比較的スムーズというもの。この怪物化というのは当たり前のことだが、それをまるでコードネームみたいに「トカゲ」と呼んでいた。トカゲと言われると多くの人は尻尾切りと想像するはずだが、そのとおりに、これは因果の糸が切れてしまうことを示す。エーテル体は局在から非局在に伸びている。非局在すなわち無が介入すると、時空の因果法則は成立しない。下にあるものは上に上がれないが、上にあるものはいかなる介入も可能という法則も、これは下にある因果を壊してしまうことだ。物質界においての因果はたとえば科学とか数学で、1足す1は当然2だろというようなルールがあってもエーテル体では初期にはフォーマットを怪物化させ、次に無効化する。親の因果が子に報いなどというカルマ性もほぼ無に帰してしまう。この点からすると怪物化というのも浄化の初期段階かもしれない。このエーテル体と物質体の接触面は、物質から見たものとエーテル体から見たものはずいぶんと違うという夢だった。エーテル界から物質界に戻る時の記憶の連続性にはちょっとした工夫が必要らしい。というのも法則が違うので、そのまま記憶は持ち込めず、いったん銀行に預けてそれから受け取るみたいな迂回が必要らしい。ただわたしは毎日の夢の3段階のうち、2と3はそのまま覚えている。このそのまま覚えているということそのものが悪夢みたいなものだ。法則が違う世界のことをまるのまま記憶し、現世に持ち込むと、現世のフォーマットを崩してしまうことになりかねない。ルピーを円に換金しないで、そのままポケットに入れたまま帰国したみたいなところか。物質界とエーテル界の接触面はかなり注意深さが必要らしい。取りこぼし、行方不明、破壊。そういうことがよく起こる。いろんなセミナーに行っても、なかなか枠外体験ができない人は、地上の因果律に捕まっているからと考えてもいいかもしれない。地上のいかなるルールも忘れるか、あるいは怪物化させて爆発させるかによって、ジャンプすることができる。


2018年11月20日火曜日

20181120 リファレンスとしてのアストラル体

アストラル体の独立結晶は、二極化を解消した性センターの上に立つと書いたが、このためには本能センターから受ける偏向を修正しなくてはならない。個人の癖だけでなく、その背後にある家系カルマとか、また伝統、歴史、地球的カルマとかそのようにいつまでもだらだらと連続する「慣性歪」を、本来のアストラル体の個性の地上的反映というものに訂正するには、修正するためのリファレンスが必要で、それでいて修正しないことにはリファレンスたるアストラル体の結晶がうまく作れないという堂々巡りもある。タロットカードでは、12吊られた男はヤコブの梯子に足をかけ、地上には接していないので、天上的ヴィジョンを育成しやすい。そこで計画書をしたためて、その後13死神で地上を粛清、すなわち本能センターにメモリーされたデータの不要部分をデリートするのだが、12吊られた男の段階ではちゃんとしたアストラル体の結晶は作られていない。とはいえ、わたしはタロットの数字とサインの数字は似ていると説明したので、12のうお座では、アストラル体結晶を作り、最後は30度で巨大な岩の顔として、硬い個性を作ると説明しているのだが。うお座の段階では、12サインが地球的アカシック盤であるというように、宇宙に飛び出すことはない。つまりは宇宙の中での衝撃に耐えられるようなアストラル体を作るために、13以後のカードのプロセスがあるという考えもできる。つまりいちおうは12吊られた男の段階で、アストラル体の計画書はあることはある。12番カードと似た魚座の支配星の海王星は、アストラル体のイメージを想像させる。これらが正しいかどうか確認する方法は、それを見て死ぬほど楽しいかどうか、というもの。アストラル体は楽しすぎて肉体を破壊する性質もあるので、これが手に入ったら死んでもいいと感じさせる。死んでもいいというのは死を超えた楽しさであり、つまりはアストラル体なのだ。強引な話、12進法という変則的なカウントで考えてみると、二回転目のいて座で、21世界のカードになる。ここでは16塔あるいは神の家で、かに座の宇宙のおうちを探し、そこに帰る。



2018年11月19日月曜日

20181119 揺れとバイロケ

そういえば、舞踏というのは、エーテル体知覚に移りやすい。エーテル体知覚とは、身体の中にある主体が身体の外に拡大することであり、舞踏の場合、いまここにいたと思ったら、数センチずれた場所に自分がいるという揺すぶりで、主体残像が複数化する。めまいを起こしてしまうというのも、主体がしっかり同じ場所にいないことを示す。なので、わたしはよく変性意識に入るのに、単調な、特に「無意味な」動作を繰り返すことをお勧めしていた。無意味な動作の理由は、本能センターの自然な動きから逃れるためだ。その人の自然体の無意味さでなく、その人らしくない、まさに不自然な無意味動作はもっともお勧めだ。で、エーテル体知覚にシフトすると、そこで誰かとラポールの紐をつなぐと、ほとんど防衛できないくらい影響が入ってくる。ラポールというのは、そもそもメスメルが主張したエーテル体の紐のことである。防衛とは主体の位置がはっきり決まって、物質体の知覚にいる時に可能なものだ。物質体は城壁に囲まれているという意味だ。主体が揺らいでいる時には無防備になる。わざと倒れ掛かったり、よたったりするのは、無防備さをアピールしていることだ。ダンスをふたりで組んでやっていると、いつもよりラポールの紐が深く繋がりやすい。ダンスする会場で、壁の花をしているのは、動かないことで、エーテル体から物質体に向かい、しっかり防衛に徹していることなので、この会場にいる誰ともバイロケしないぞという決意だ。人と人のラポールは、人以上の世界には繋がらないので、あまり面白いものは期待できないと思うなら、モスクとバイロケしてみよう。まっすぐに繋がっている星がある。バイロケは主体の移動なので、より効果的に進めるために、いままで説明してきたように、身体を不自然に妙に揺らしながら行うのもいいかもしれない。警察に呼び止められるので、道を歩きながら揺らさないように。記憶術を実践するために身体を揺らしている人がいたが効果的。無意識に刻印される。学校の勉強でゆれる子供がいたら、こいつは多動児かと先生が叱るかもしれないが、揺れるほうが正しい。

2018年11月18日日曜日

20181118 カルマ

いわゆるカルマというのは、繰り返されてもう意識化できなくなり、自動的に運動する特性を意味するのだろう。つまり本能センターにメモリーされたものであり、これはH24の速度で働くので、思考とか知性のH48では、どう考えても書き換えもできないし、管理もできない。エーテル体に刻まれたものと考えてもいいかもしれない。家系カルマなど集団性のものもある。ケネディ家とか武田家の病気など、なかなかすごい。J.F.ケネディの悪夢のような行動もケネディ家のカルマに動かれたものだ。この本能センターを通奏低音にして動作センターが働くので、動作センターの癖には、背後に本能センターの刻印が反映されており、これらのすべてを本人は意識しないか、気がつかない。だめだと思っても我慢できないんです、というもの。ただ、より高次な意識というものは、下位にあるものに対してはインターバル作用を持ち、そこでいくらでも書き換えてしまうので、高次感情センターのH12はこれを作り変えてしまう。知性や思考からすると不可能なことが、この高次感情センターには可能ということだ。この上位意識に上がり、それから降りると地上は書き換わるというのは、断舎離カードの13死神のカードで発揮される。月のことが少し話題になったが、月は行動パターンを記憶する鏡あるいは餅で、書き込まれたものを繰り返す。そこに新しく書き込みするという作用はまったくない。グルジェフは月は人間を食うと言ったが、哺乳動物としての人間は月の奴隷になり、決まったパターン以外で何か考えたり思ったりということができなくなる。自動化とカルマの奴隷になるということだ。で、この記録されたパターンをいくら繰り返しても苦痛には感じないというのはコンピュータープログラムのことで、その高度な応用がAIなので、AIとは月の性質を体現したものだと言える。月はAIに任せて、人間はカルマから解放されてもっと可能性を探求しようということなのだ。ただかなりの人がカルマに寄りかかって、それを生きがいにしているので、それをAIに奪われると、何をしていいのか困る人々も多いかもしれない。それを生きがいにしているというイメージの例として孤独のグルメなどもある。

好きにする、自由にするというのは、この自動化に隷属するということがほとんどなので、奴隷化と自由をまったく反対に解釈してしまうことが多いが、奴隷化から開放される練習として、わりに身近に、食欲から逃れるというのを試すのも初歩的な第一歩に使えるかもしれない。食べたくても食べない。わたしがマイナス教団のクレージーさを賞賛しているのは、機械性を壊すクレージーさのことを話しており、本能に従うのはクレージーとはいわず、教科書に従っているおとなしい行動と言う。テンプレ行動。

2018年11月17日土曜日

20181117 三分節の同期

人間の基礎的な三分節である思考、感情、身体はたいていの場合、ばらばらに働き協力しあわない。これがタロットカードでは6loversのカードに表現されており、下の三人がそれに該当する。グルジェフの5つのセンターでいうと、身体性に動作センター、性センター、本能センターがあり、この三つを調整しないと身体性は感情にも思考にも同調はしない。性センターは本来は完全な無関心が特徴だと言うのだが、地上では男女に分裂しており、物質の裏にあるかのような一番低いエーテルに、反対の性が隠れているので、これを引き出し、物質的な面で持つ性と結合すると両性具有になり、生命体本来の外界に対する無関心さが回復する。この性センターは地上と切り離すと、やがてはアストラル体に成長する。本能センターは、繰り返し行動の中で自動化し、本人がもう意識できなくなったもので、速度が速い(H24)ので通常の思考(H48)ではコントロールできないもの。考える前にやってしまいました、というもの。表面的には本人の行動・動作の癖の蓄積であり、深い部分では集団的な記憶の蓄積をしている。この書き換えと整理をしない限りは、精神的などんな努力も定着しない。もうひとつ動作センターは、この本能センターに強く影響を受けるプラスマイナスの関係。性センターが相対的ゼロポイントだ。本能的に記憶されたメモリーは、繰り返しによる新しい書き換えが必要という点で、癖を抑えた普遍的な運動などの修行が効果的だ。動作と思考は密接に連動(いて座とふたご座の180度)しているので、その人の固有の動作の癖が残ると、どんなことも正しく理解せず、まげて理解することになる。英語を勉強したかったが15年邪魔され続けたという人の話を聞いたが、思考が英語を勉強したかったが、感情と身体がそれを聞き入れなかったということだ。つまり思考、感情、身体は協力しあわないのならば、どんな小さなことも達成できないということだ。非個人的な高次センターに関しては、この下位の思考、感情、身体が全部受け入れ体制になり、固有の主張をしてはならないということで、さらに難しい課題だ。

性センターが完成形になると、それはアストラル体の個性を持ち始める。本能センターは、このアストラル体からは少し逸脱した、集団的な癖がメモリーされている。アストラル体が真の神話的個性だとすると、本能センターにあるものはそれに付着した苔のようなものを含む。性センターをゼロポイントと定義したのは、それをリファレンスにして、両翼で本能と動作センターが働き、本来はアストラル体の個性に基づく行動の特性が発揮されるべきだということだ。虎は虎のように行動するべきなのだ。ところが性センターが地上で男女に割れてしまうと、外界に対して関心を抱いてしまい、自分の本来性とは無縁な影響を取り込んでしまう。それによって本来の個性から脱線した癖が本能センターに贅肉のように蓄積されてしまうのだ。外界に無関心な性センターと動作・本能センターをそろえることは、つまりは生命としての美を体現することになる。世の中で言う美と、生命の本来の美は多少違う。というのも世の中で言う美は、時代性とか主観性が強いので、もっと表層的な基準で考えてしまうからだ。

思考、感情、身体は協同する必要がある。たいていの場合、これはばらばらだが、すると、どういうことも達成できない。思考とか精神活動だけでは身体にリライトされることはなく、すると、成果は定着しないまま失われる。哲学議論してもそれは机上のもので残らない。思考が身体の中にある本能センターに刻まれたということを確認するには、手相の変化というのはわかりやすいのでは。手相が変化すると、それは身体の中の本能センターが修正されたということだ。20年くらい編み物をしていた人が、手相が変わったと言っていたが、そのくらい繰り返すと、本能センターに刻印される。手相は時々見ているが、ある日急に変わったり、線が増えたりする。本能センターへの反映という点では、とてもわかりやすいインディケーターだと思う。たとえば、わたしはヘミシンクとかしていると、頭脳線の先に、月丘に落ちる支線が増えた。わたしの頭脳線はとても長いが、手の側面まで頭脳線が伸びてしまった。手相は、思考でも感情でもなく、本能センターに刻印された印を示す。





2018年11月16日金曜日

20181116 驚愕のバイロケーション

カフナ式のバイロケーションすると、そもそも自分から筒をターゲットに突き刺す時に、すでにエーテル体の知覚になっているので、ターゲットもエーテル体の実態を見ることになります。整った形の物質体は形骸であり死物。生命の本質はエーテル体なので、このエーテル体を見る時、たいてい驚きがあります。筒を突き刺す時には送信なので、こちらから整った明確なイメージを押し付けていますが、受信状態になって、相手から流れ込んでくるものを受容している段階では、確実に型崩れして、なんともいいようのない形態に変化しています。これをどうたとえればいいのかと思っても、ターゲットにより毎度違うので、たとえられないです。でも岩のようなというのが近いかな。この岩の中に穴が開いており、この穴がどこまでも果てしないトンネルになっているとき、このターゲットは異次元とか違う世界につながっていることがわかります。興味を向けすぎてしまうと一緒に吸い込まれてしまい、最初の目的であるターゲットを見るということを忘れて、違うところに行ってしまいます。ターゲットがエーテル体を持たず、物質体だけである場合には、バイロケは肩透かしになり、何も情報が帰ってきません。バイロケーションして、ターゲットをうまく捕らえた時、恐ろしいほどの反撃に出会うという感じでしょうか。問いに回答してきたとき、これはリアクションが強い時には反撃とか襲撃にしか見えません。自分の側が関門を開いたので、そうなるのは当たり前です。力関係というものはあり、相手を覗くだけのはずが、相手に食われてしまうということも起こります。地球の人は多くはこの力の衝突の凄まじさを知らないので、セムジャーゼは地球人は宇宙に出て行くには性格が弱すぎると言いました。

2018年11月14日水曜日

20181114 夢の世界の歩き方

夢の中では、物質生活の記憶とか形をかなり借りるので、実在の人物のイメージなども出てきたりする。睡眠中は、エーテル体は身体から離れることはないが、夢は身体から外に長く伸びたエーテル体の知覚なので、この肉体と紐でつながっているというところで、実際の記憶を借りたりする結果になるが、夢体験としては、あまり正しいことではない。身体から離れた瞬間から、ものの形はすべて変形し、また自分も人の形をするわけではないというところに移ったほうがいい。エーテル体は、空を飛ぶし、宇宙にも飛ぶ。人の形というのは、歩くために足が二本あり、小さな作業をするために二本の手がある。どこにでも自由にいけるというエーテル体の世界では、つまりは足も手も不要なものであり、純度の高い、癖のない、精密な知覚意識を持つには、人の形を失ったほうが良い。しかもわたしたちはものの大きさは、自分の身体との比較で考えていくので、身体から離れた瞬間から、ものの大きさはまったくあてにならない状態になる。生きている時のあらゆる尺度が壊れていくのが正常な夢体験であり、徐々に夢をそのように特定の信念体系から開放していく工夫はとても重要なことでもある。応身ボディ、エーテル体ボディは、この物質世界の尺度がほとんど通用しない。特に時間の順番、空間の秩序がまったく別物になっていく。肉体を持った宇宙人として、このエーテル世界にかなり近いというか似ているのはアンドロメダだ。一歩進むと別世界という変化に慣れるのに、マニュアルがあると良いかもしれない。地球の歩き方でなくエーテル界の歩き方。まずそもそも聖書に書いてあるように、この物質世界の最初の入り口というか、思考パターンは天と地の分離であり、エーテル界に行くと、この天と地の分離が「解約」されてしまう。

2018年11月13日火曜日

20181113 身体の中の物質性とエーテル要素のえりわけ

毎日夢をおぼえていますが、これはこれでけっこう疲れます。唯一放置できる時間が、まじめな探求の場になってしまい、起きてからの生活が逃げ場になってしまうような。で、夢の内容が混濁しないように、物質とエーテル体の境界線をはっきりさせようという時、身体の中の内臓は、物質的臓器とエーテル体を含む霊的要素の強い臓器と、それぞれに大きな違いがあります。眠った後の夢の体験に、物質的ストレスを持ち込んで情報を混乱させないためには、この臓器の働きの明確なえり分けが重要かもしれません。排泄器官が霊的性質を持つと、きっちりした排泄ができなくなりますね。シュタイナーは脾臓は霊的器官だと言ってた様な記憶がありますが、物質的にどういう役割かあまりわからない臓器は、霊的な要素で働き者なのかもしれません。たぶん脾臓はエーテル体と物質体の境界線を引く作用があると思われます。なのでその作用はかなり複雑。占星術ではこの脾臓は土星です。医学的に検証するというのは純粋に物質的側面だけで見るので、臓器の役割の半分も理解できないかもしれません。基本の考え方としては、マクロコスモスとミクロコスモスは鏡で見るように反射しあっていて、臓器もマクロコスモスの模型だということです。しかしこの小さな場に注視すると、反対に意味を見失います。受動的に受ける器官をじっと見ていたりすると、その本源を見失うのはいつものことです。

2018年11月11日日曜日

20181111 はみ出し成分

今日の夢では、久しぶりに、例のエビ金星人が、エーテル体は20パーセントくらい尾を引くのが良いと説明していた。たいていエーテル体は身体の外2センチから3センチくらいの範囲にあり、これはある時代からエーテル体は身体にぴったり張り付くようになったと言われた以後のこと。ちなみにオーラのことではありません。肉体の複製であるかのような、肉体の機能を果たすエーテル体のことです。身体の外3センチだとかなり少ない。20パーセントとなると大変な大きさだ。これによって日常生活に大幅な異変が出てきます。すべてが20パーセントはみ出し。今日の夢は、物質生活においての無駄、無意味さというものを増やすというテーマで、効率性、コスパ重視というのをことごとく台無しにするようなものでした。役に立たないことをするのが良いというのは、わたしはよく自分の本でアサジョーリを引き合いに出して説明していますが、多くの指導者がこのことの重要さを強調します。無意味な動作、行動をしろ、と。つまり物質的な価値観からすると、20パーセントはみ出すようなことをすればいいのです。これが肉体に張り付くエーテル体をもっと拡張することに貢献するのは言うまでもないのですが、しかししかし20パーセントという比率は大きいです。工業製品で、不良品は3パーセント出るとして、もしこれが20パーセントになると、その工場は立ち行かなくなるのではないでしょうか。わたしはよくエーテル体は滲み成分と説明しますが、この滲みを今回は大胆に20パーセント拡大するのです。「けもなれ」のニートも20パーセント成分に入ってるな。

2018年11月9日金曜日

20181109-2 流木でなくなること

物質世界は一方的な時間の流れの中で作られている。これは変更のきかない川の流れのようなもので、こうなればああなるという因果律がはっきりしている。地上的な欲望、夢、願望はすべてこの一方的な時間の流れの中で形成されている。子供は成長して大人になる。お金はためると増える。運命は変えられるかという議論が時々あるが、そもそも人生の夢や願望そのものが、この決まったコースの中だからこそ形成できているのだということに気がつかないといけない。エーテル体は反対の時間の流れを持っている。なので、このエーテル体の流れを物質界にぶつけると、対消滅してしまい、物質界の一方的な時間の流れの中でのみ成立してきた価値観はあらかた死んでしまう。未来を変えていく切り替え器は、この対消滅の現場(結婚式)にあるのだが、その現場では現世的な希望、目標、夢があらかた死んでおり、それらはどうでもよくなっているということが多く、この現場でも生き残る志が未来を作る。ノストラダムスは、大半の人は運命に流される流木のようなものだと言っているらしいが、対消滅ポイントで杭を打つことができる人は、パラレルワールドを次々と乗り換えて望みの世界に行く。わたしは日食が切り替えに使われると言ったが、その前にそもそも物質界の価値観が死んでも生き残る志、意図がもっとも重要である。本当は何がしたいのか?ということが重要。そしてこの通りの世界ができあがる。

20181109 ラミューさんの金属リング

今日はホシハルカさんの夢を見ました。とはいえ、ホシハルカさん現物とは関係なく、ホシハルカ型を借りたということです。なぜなら、わたしの記憶の中で、ホシハルカさんは中野少年に会って、ラミューさんからもらったという金属ドーナツリングを見せてもらったらしいからです。(あいまいな記憶)詳細についてはいま書いている本に入れる予定で、しかも本の中ではHHさんになります。出演してもらったのですが、ギャラは出ません。物質体と、その裏に見える一番低いエーテル体は反対の性を持ちます。これを結合させるのが結婚式で、わたしのヘリオの天王星つまりエーテル体は結婚式の司祭なのですが、この結合場において、ある記号を打ち込むと、人生の方向はその記号の示す方向に走ります。物質体ではいかなる努力をしても、この方向が変わるということはあり得ません。一方的に走る時間は崖に向かっている時には、それを回避することはできないのです。ノストラダムスが言う未来を変えるというのは、この結婚式の現場での「意図の打ち込み」によってのみ可能です。何度か切り替えることで、最初からは想像もできないようなところに至るでしょう。武田鉄矢の「思えば遠くに来たもんだ」みたいなものでしょうか。物質界ではいかなる選択もないということをもっと自覚するべきです。ここでは非常に多くの人があらぬ幻想を抱いています。物質界に生きると流木になるしかないのです。ラミューさんの金属ドーナツリングは、物質体とエーテル体が結びついており、つまりはヒヒイロカネとかオリハルコンみたいなものですが、これは時間の流れに隙間を空けるのです。そして非時間通信ができます。わたしはこの金属リングが、ハズキルーペみたいに「大好き」なので、これについて詳しく書きたいですが、いまの段階で書けるかどうかわかりません。ただ、わたしは結婚式の司祭なので、結婚式のプレゼントに送られたものは人生が変わってしまうというのを知っています。このプレゼントの種類について、夢ではいろいろと考えていました。

2018年11月8日木曜日

20181108 低いエーテルのレベルについて

今日のZOOM講座で、エーテル体の7つの層についての話題が出たが、これは今後ひとつずつの違いを識別していくことは大切でしょう。で、物質に近いエーテル体は、物質に対する影響力もあるので、この扱い方のテクニックを持った人は魔道士や呪術師みたいになっていくし、転落も早い。この転落するパターンは、物質界に対する欲が残っているケースで、この欲を満たすのにエーテル体の力を使う誘惑に勝てないから。仙人になる人は、地上に対する欲求がなくなっているので転落しないが、これは物質界に迎合しないエーテル体を持つことだ。予言や予測、リモートヴュイングなどにはまったく使えない、というか使う気のないエーテル体だ。低いエーテル体から訓練を始めるのがいいのですかとZOOMで聞かれたけど、低いほうからはじめるとだいたい上昇不可になるケースが多いのでは。これと陽神の育成を混同している。低いエーテル体の育成はタロットカードで、かなり終わりの段階で出てくるテーマ。つまり自分の内面で同化せず、エーテル体を物質とみなすような対象化ができれば低いエーテル体に向かってもいいが、同化している場合には、人間がそこに飲み込まれていく。人間が普通に死んでいく場合には肉体とエーテル体は切り離される。つまり物質に対する干渉はなく、生きている間、いろいろ物欲があっても、物質的に取り組むので、弊害はない。しかしエーテル体を切り離さないで、このエーテル体が物質を飲み込むような道は、境界線を動かすようなもので、触ってはいけないものに手を出すような事態。タロットカードはそれをはっきりと提示しているので、教科書のとおりに進化するのでなく教科書そのものをいじるようなもので、リスク高いのは言うまでもない。案内者というか、教える人はかならず必要なのでは。エーテル界に立って教える人です。角行にとって役の行者のような。夢の中でつぎこれやれ、などと指導していたらしい。



2018年11月7日水曜日

20181107-2 センターの連動

12感覚は平均的に発達させる必要があると説明しているのだが、これは占星術のホロスコープで、惑星によってどれかのサインが強調されていたり弱かったりするのはアカンと言ってるのと同じだ。思考センターと感情センターと身体センターは、同期を取り協力しあう必要がある。おうし座の思考感覚の裏にはさそり座の生命感覚があり、生命感覚が凝縮されると、思考は強く明確になる。ふたご座の言語感覚の裏にはいて座の運動感覚があり、言葉を考えたり聞いたりする時、わたしたちは身体が微妙に運動していることに気がつく。考えている時にも、この運動を伴わない時には、言葉は空回りしており、真実味を持たない。思考が空回りして、それに感情も身体もついてこない時、その思考は嘘だと判断してもいい。それにそもそも、感情と身体がついてこない思考をすると、ひどく疲れるし空しさが残る。本人が確かな実感を持てないのだから。グルジエフの7つのセンターが調整されるとは、何かするにも、すべてが連動し、協力しあっているということだ。7つのセンターはかなり無理な話なので、まずは通常の思考・感情・身体の5つのセンターが連動することを目指すといい。思考と感情が連動していないとは、たとえば何か考えても、感情はそれに従わない、否定している、笑っているというものだ。自分の中でまとまっていないものは、他人から見ると、もっと疑わしいものに見えてしまうのはあたり前だ。センターがまとまると、固い岩のようになる。講座をしたり、コーチングしたりする人は、この思考や言葉に感情も身体も連動させる工夫をすると、らくらくカリスマになれるだろう。質が高くなくても、少なくとも、その場所においての真実性を持つことができるからだ。思考と感情と身体が連動したものがリアルだ。そしてそうでない部分的な働きは機械的になるので、それをテンプレと言う。何かの思考のテンプレは本人が一度も本気で考えていないことを、道端から拾ってきたもので、このテンプレに返事する人はいない。というよりリプライしてはいけない。(テンプレの挑発に乗る人は、自分にもテンプレ要素があることを反省するべきであるという意見。ちゃんと考えて聞く人には、誰もがちゃんと答えざるを得ない。)

20181107 アルクトゥルス

アルクトゥルスは恒星。しかしアルクトゥルス意識というのは、実は恒星の前にある、全恒星意識のひとつ。この周囲に七つの恒星がある。恒星を最初に意識の結晶化というふうに定義した時、全恒星意識は結晶化しておらず、これがアルクトゥルスの、形になったり溶けて形がなくなったりするということに関係する。形と言っても物質的形ではなく、アストラル的形でもなく、意識の結晶という形。意識の結晶ってなんだ、というと、意識する定性を持つこと。能動の1と受動の2があわせて3、これを定性化した段階で6になる。人間はこれを数回繰り返して、固めたもので、数回繰り返しているので、簡単には形はなくならない。これは安全装置が厳重にかかっているという意味でもある。意識の始まりは恒星だと再三説明してきたのは、この全恒星意識は、しばしば意識の定性が溶解してしまうからだ。その人が溶けるのでなく、その人を作り出す根源にある意識のありかたが溶けていくのだ。そこを始まりにしてしまうというのは、ある意味、きわめて破壊的な思想を作る。この宇宙で生命は楽しく経験し暮らそうというのが目的ならば、この溶けていくということは考えないほうがいい。この宇宙の絶対は法則1だとして、前の宇宙から見ると、これは法則6。つまりこの宇宙においての意識の始まりは、前の宇宙からすると対象化されたものになる。たぶんジョン・C・リリーは、自分が発明したアイソレーションタンクで、その前宇宙をちらっと見た。おそらく失語症になったり、もっと深刻な症状に陥ったのはそれに関係があると思う。戻ってこれたのはジョン・C・リリーだからこそだと思う。前の宇宙を見ることは、この宇宙を嘔吐することに等しく、内部でその法則に同一化して暮らすということができにくくなる。この宇宙の塵でできたのが生命であるという原則がスムーズに果たされないのと、前の宇宙を見たということだけで、実は強制的に前の宇宙とこの宇宙の間の門番にされてしまうのだ。正確に言えば、門番機能に食され、その身体の一部になる。これがアルクトゥルス人になるということなのだが、冬眠した亀のうち大半が生還してこないのと似て、前の宇宙に触れると、たぶん戻ってこれないケースが半数を超えると思う。


2018年11月6日火曜日

20181106 荒れた現場

眠りに入り、夢に入ると、エーテル界にシフトするが、その前に、主体と客体の関係が固定された現世的人格とか印象、信念体系が解約されるか、クラッシュする。これをわたしは「荒れた現場」とか戦場と言うが、麻酔を打ってここを通過しないで眠る人もいるが、わたしはけっこうそのまま見ていたりします。異常心理世界ということでもあります。この場所が物質界とエーテル界の接触面で、占星術的に言うと、土星と天王星の接触面であり、その間にあるカイロンあたりには死体が累々と。カイロンに関しては傷つけるという意味があるが、何を傷つけている?もちろん土星と天王星の力関係からすると、傷ついているのは土星。土星が防衛すると、傷はもっと深くなり、死にいたる病になる。物質界に影響を与えるエーテル体となると、この戦場を見ないで通過することはできない。この場所があまりにも荒れるのでここに警察を置いた。これがシュタイナーの言う境域の小守護霊で、ケルビムのミニ版だ。リサ・ロイヤルは、死の際に迎えに来る天使はアルクトゥルスというが、これは次元の境界線での癒し力とも言われている。癒し力というのは何か。異なる次元に移動すると、それまでの世界において形成した硬い信念体系は必ず壊されるのだが、アルクトゥルスはそもそも形を作ること、形を溶解することという状態を行き来しているので、土星を叩いて割るのでなく、溶かしていくというような形で、痛みを和らげる傾向があるのだ。アルクトゥルスの手にかかると溶けていくことを容認するという姿勢になる。結果として、アルクトゥルスは荒れた現場によく出向く。そこにテントを張って暮らしている場合もある。非常に怖い境域の小守護霊とアルクトゥルスの天使が隣に座って一緒にカップ麺を食べていたりする光景は奇妙だ。とはいえなんと驚くことに、この警察を置いたのはアルクトゥルスだ。アルクトゥルスはすぐに形がなくなってしまうので、固い几帳面な警察がいてくれると、何かと助かる。


2018年11月5日月曜日

20181105 エーテル体の一番下ではなく真ん中

昨日、物質に働きかけるのはエーテル体の一番下の領域と書いたが、今日の夢はそれを訂正してくれという内容だと思われる。夢では、鯨を屋根裏部屋で女性が処理していて、上の半分はもう切り刻まれている。下側はそのまま温存されているというもの。朝起きたら、Kさんからメールが来ていて、脳幹と第一頚椎に関する話題。わたしは鯨を大脳辺縁系と解釈している。すると下半分というのは古皮質のことです。旧皮質はもう切り刻まれている。カバラの生命の樹を四つ重ねる方式はふたつあり、ひとつは積み木みたいにそのまま積むのと、わたしが頻繁に取り上げるような、真ん中から下あるいは上の樹につながるというもので、積み木式だとエーテル体の一番下は物質体につながるが、真ん中から重ねる式だと、エーテル体の真ん中から下向きが物質体につながる。つまり、物質体の脳(屋根裏部屋)は、エーテル体の真ん中につながり、物質体に働きかけるには、この真ん中から下の、エーテル体でのマニプラチャクラ(鯨の下半分)に該当するような場所がメインだという話になる。エーテル体は非局在的要素もあり、これは物質界では集団意識にも関係する。夢の鯨はもちろん海の鯨というよりは、神話的鯨、つまりくじら座のメンカルなどのほうにより近い。これは集団意識に働きかけるし、アンドメロダを食べようとした。鯨を処理している女性に、「この鯨はほんとうに珍しいものですね」というと、遠慮がちに「そうですね」と答える。この態度で、あれ?、この人例のあの人?と思う。こういうのを説明すると長くなるな。いずれにしても、要点としては、物質に働きかけるのはエーテル体の7つの一番下でなく、真ん中にしてくれという訂正要求です。これによってやりかたがそうとうに違ってくるが。いちおう、生命の樹の四つの重ね方では、二種類あるということでもあります。チベット式のチャクラと、西欧式のチャクラの考え方の違いが、ここに反映されている。これも話すと長くなる。どうして西欧はチャクラを7つのスペクトルのままに並べたのか、そんな安易な考え方でいいのか?とはいつも思っている。

夢では、鯨の上半分を分割して、切り離した片方をさらに細かく切っていた。残された尻尾の側の半分は、したのほうと切り離されていない。で、脳を示した18月のカーでは、旧皮質は哺乳動物の犬として描かれているが、城の色と犬の色が交差しているのは、右脳と左脳がそれぞれ身体の反対側に対応しているという意味。ここでは旧皮質をふたつに切ったということだが、夢ではさらに、上側(青色側)を細かく分断していたので、どういうパーツか考えないとね。残された片方は、古皮質とそのままつながっている。 チベット式では足は黄色、西欧式では足は赤。これはタロットでは、魔術師と愚者の靴の色だが、チベット式に考えると、魔術師の頭は、愚者の胸にあたり、魔術師は物質界、愚者はエーテル界にいることになる。旧皮質は、何か新しい概念とか知識を持ち込むと、かならず抵抗して吼える。プロテクタか、番犬。上から来ても下から来ても吼える。クローン作ろうとしたら、それは神を冒涜する行為だと行ったブッシュも、犬の反応。旧皮質を改造しないと、いかなる変化にも抵抗することになる。感情の連続性とはそういうもの。



2018年11月4日日曜日

20181104 濃密なエーテル体

昨日の講座で、濃いエーテル体について話したけど、エーテル体は物質体とアストラル体の間に張られた橋だとすると、これを虹のように7つの階梯に分類できる。そうしないことには、エーテル体の機能が多様すぎて、むしろ混乱する。この場合、働きかけは常にアストラル体からエーテル体に、エーテル体から物質体にという方向であり、反対方向はない。振動密度が高いものは低いものを対象化し、自分よりも高いものからは対象化されるということと同じ。で、昨日ハワイのカフナでは、墓場の死体からエーテル体を抽出すると説明したが、古代の日本ではこれと似たようなことは日常茶飯事で行われていた。共同体の中で誰かが死ぬと、その魄を食べた。ミンダナオで、死に行く戦友が俺を食べて日本に連れて行ってくれと言ったようなものと似ている。物質肉体に置かれた自我を、エーテル体に移すと、エーテル体の側から物質に働きかけるという視点になる。エーテル体が物質体に近ければ近いほど、物質そのものを動かすということになる。これをしてはいけないというのは癖になるからだ。物質体からエーテル体に自我を移すと、物質体とはまったくタイプの違う自分を発見するというのは当たり前だ。それは裏人格だ。そこで魔術的人格というものを想定することもあるのだろう。この魔術的人格は、物質体に働きかける専用か、それとも、上位のアストラル体を引き下ろす専用か、あるいは両方に使えるものなのか、いろいろかもしれない。長いローブを着ている時には、これはエーテル体のわたしなのだ、と意識することになる。またエーテル体は人の形をしていないと説明したが、バリのお面とか、形相の派手な極彩色の仮面などは、この「低いエーテル体」を模したものだ。物質に近いということは、人の形に少しだけ近いのだ。だから反対の性にもなる。エーテル体の7段階をたどると、パラパラ漫画としてのシェイプシフターになる。物質に働きかけるとは、科学のことだが、精神に連動する働きかけは濃いエーテル体で、精神に連動しない働きかけは科学ですると良いのでは。神社の祈祷は明らかに物質体に働きかける力もある。宮司がそのテクニックに通暁していればの話だが。秦伊侶具はエーテル体の扱いの達人だったと思うのだが、これに似た人が現代にいると神社機能の根源的なものを活用できるだろう。

2018年11月3日土曜日

20181103 夢は必ず答える

夜眠る前に、記号を持ち込むと、その記号に応答する夢を見る。具体的な質問をすると、この具体的な質問をエーテル体が拾わないことも多いので、具体的な質問には夢は答えない。つまり具体的な言葉は、物質体の世界でしか通用せず、エーテル体は知らないと言う。で、この記号持ち込みのテストを毎日しているのだが、いっけん、正しく回答していないと感じることが三日続いた。正しく回答していないと感じたので、同じ記号を三日続けたのだ。でも、今日わかったのは、ちゃんとまじめに答えており、わたしが気に入らなかったというだけの話だった。やはり、あの夢の中でのタバコを吸う男が言うように、ちゃんと聞いてる。しかし期待どおりに答えるとは限らないよ、という返答の通りなのかもしれない。ほとんどちゃんと答えているという現状をかんがみて、質問のスタイルが、具体的な言葉、象徴的な記号という幅の間のどのあたりが限界点なのかを調査してみるか。これは物質体とエーテル体。制限された時空のポイントと、非局在の知覚のありかたの比較でもある。非局在とは、特定の場所に居つかない。つまりローカル言語を受け取らない。いつの時代でもどこでも通用するような記号、言葉でないとエーテル体はそれを跳ね除けてしまうのだ。たとえば、魚というとき、これはローカル言語だろうか。それとも、集合無意識で通用する言葉か。あるいは地球でしか通用しない言葉か。わたしは宇宙船を魚と定義しているので、すると、地球よりずっと外まで通用する言葉になるのかもしれない。毎日夢とキャッチボールしていると、時々夢が領海侵犯してくる。その日のうちに割り込んでくるので、これは交通規制したいと思っている。現世ご利益を望む人は、領海侵犯を熱烈歓迎するだろうが。

2018年11月2日金曜日

20181102 実在の猫はいらないのでは?

猫がかわいいといっても、すべての人がそう思っているわけではない。かわいいと思ったのはその人がそういう意味を与えているからで、猫とその人の関係線にその気持ちが乗っている。この関係線の上に自我を置くと、実際の猫が死んでもまた似たような猫を調達する。かわいいと感じるために、落としどころが必要なら猫を調達するが、実際には紐に意味があるので、紐で独立させてもいい。こうした紐がたくさん集まって網になったのがエーテル体。ここで足場を組むとアストラル体が降りてくるが、反対に、下に向けると、物質的ターゲットが引き寄せられる。たぶんかわいいという気持ちは、猫のアストラル体が降りてくると、エーテルの紐が焼ききれるくらい強烈な感情を呼び起こすが、下に向けて、実際の猫を引き寄せると、物質的制限があるので、この気持ちはかなり薄められたものになる。特定の時空の制限がある猫はすぐに死ぬんです。実際の猫はトイレも面倒だし、アストラル体の猫を引き寄せると、どこにでもいつでもやってくるので扱いやすいように見えて、実際には感情の爆発が生じて、日常生活を維持するのが難しいでしょう。物質的生活はすべてにリミッターがかかるのでほどほどですが、アストラル体にはそういう抑制がないので、かわいいという気持ちで死んでしまう人もいるでしょう。物質性に根拠を置くことから、関係線の紐というエーテル体に根拠を置くようになってくると、生活の中で無機的で無意味なものを捨て置き、感動するものしか受け付けなくなるというふうに考えてもいいです。ちょっした視点の変化ですが、この紐の上から見ると、人は暗く沈んだ死体に見える。つまり生命から見ると、物質というのはみな死んでいるのか。地球は水の惑星といわれているので、すると地球人は溺死体というか。応身というのは、この物質依存を切り離して、紐そのものの意味の上に成り立つボディを持つことです。

渋谷のアルカノン・セミナーズで、ひとり15分で個人ホロスコープのリーディングしていましたが、そろそろ2018年が限界で2019年からはないかなと思いました。個人カウンセリングというのは、個人の思い入れでいろいろ質問してもらうのですが、いずれも「好きにすれば?」というものばかりで、わたしが答える必要のあるものは何もないです。多くの人がしたいことをストレートにしない。これしたいんですけど、してもいいですかと、わたしに聞いても、すれば?としか答えようがないんだよね。この、してもいいですか?、すれば?というのが一年も二年も続いています。それ以前に、わたしは何をしたらいいですかとか、わたしは何がしたいのですかとか、わたしの好みはなんですかと聞かれるのが続いていた。この中途半端さにつきあうのはどうなんでしょう。生きたい人は生きればいいし、やりたいことがあればやればいいし、そうでないなら、今日死ぬといいです。というわけで、2018年で終了にしたいんだよね。あとは、2019年以後は、不死の存在になるにはどうすればいいのですか、ということに答えよう。




2018年11月1日木曜日

20181101 紺色の蔦

アイソレーションタンクに入った時、自分の身体を紺色の蔦が覆ったのを見て驚いたが、この蔦を細かいピースに切り離すと、ひとつずつが文字だと思った。蔦が覆うのは、耳なし芳一だ。で、通常の地球人意識の基準はH48だが、H48は通常の思考の物質でもある。つまりH48人間とは思考に同一化している存在。思考とか考え、言葉などを自分と同一視すると、特定の思考にしがみつく結果になるので、もちろん文章の神様とか小説の神様はやってこない。ひとつを掴むと、ほかを締め出すことに他ならないからだ。アサジョーリの言うように、思考はわたしではないと宣言して、自分と思考を分離すると、石を投げられたように思考がどこかから飛び込んでくることもわかる。文章の神様がやってくるというのは、どこかから思考とか言葉を投げつけられたということだ。エーテル体は身体から外に広がる。この広がった意識を自分とみなすと、思考と同一化した肉体的な自分を、道端にころがった石のように対象化する。この石にはなにやら文字がびっしりと書かれている。いろんな考えが浮かび、そのたびに、頭とか身体に、文字が浮き出してくるのだ。エーテル体は網目のようなもので、この線と線を結ぶケーブルタイのようなところが文字なので、身体に近い下位エーテル体は、やはり身体を取り巻く耳なし芳一の文字のように見えるということだ。まったく非個人的なH12とかH6と、個人としての肉体をつなぐのがエーテル体なので、いまだにエーテル体は謎で、個人的なものと非個人的なものの間を伸縮する。局在と非局在をつなぐというのは、理屈として謎だ。

2018年10月31日水曜日

20181031 夢の応答性

グルジエフは、睡眠時にはそれぞれのセンターがばらばらに働き、このどれかから漏れたものが夢なので、夢にはあまり意味がないと言っていたが、情報というのは異なるセンターの接触による落差から生成されるのでそうかもしれない。というよりも、これは通常の人の5つのセンターの話で、高次なセンターから漏れ出た情報としての夢はむしろ重要になってくる。で、眠る前に夢に問いかけをするという記号化をしてみたが、すると、目覚める前に、男の人がタバコを吸いながら、ちゃんと問いかけは受け取ってるけど、期待どおりに答えるとは限らないんだよねと言う。そりゃそうだよと思った。期待どおりだとまた楽しくない。で、一枚の紙幣にメモを書いて渡してくる。あ、これか。紙幣というのは国の通貨で、国によって違う。そこにメモがある。だから、夢の階層によってそれぞれ言葉が違うので、期待通りの返答にはならないということを言ってるのですね。それぞれの階層においての語法を翻訳する手続きを確立すると良いと思われる。夢辞典とかは全部ごちゃごちゃですが、たとえばエーテル体とアストラル体では、同じ映像を指しても意味が違うんですね。今のところ体験では問いかけをすると、夢はかならず答えてくることは確認したが、これを繰り返すとなんとなく身体が不安定になります。建物で言うと、地盤が揺らいでいるような実感です。ついでに言うと、目覚めの前、そしてタバコということで、この男の人はエーテル界にいる。十分に物質界に近い次元。エーテル物質はたばこの煙にたとえられる。糸を吐き出してる。これからしばらく連絡役してくれるかな。

2018年10月30日火曜日

20181030 スターピープルwebに掲載

今日、スターピープルwebでわたしの星人語録がupされました。わたしって星人だったのか。公的メディアで、あからさまに星人と言われると、今後の対応考えないとと思ってしまう。太田久氏のことも書いた。

http://starpeople.jp/seijingoroku/20181029/1735/

2018年10月29日月曜日

20181029 ディセンションはとくに悪いことではない

地球のディセンション計画について、それを間違ったものとか否定的とみなす権利は誰にもない。人間的に見ると悲惨だが、法則的に見ると、それはひとつの方向を推進しているに過ぎない。たとえばロングは、14000年前に地球に暗黒の時代が訪れることを予測してエジプトからハワイに逃げた人々がいて、それがカフナの先祖だと説明するが、これもディセンションの節目だ。ここから今日主流の西欧文明のようなものがはじまり、物質主義的世界になった。歳差の周期はおおよそ26000年だとして、これを昼と夜にわけると、13000年の昼と13000年の夜になるが、これを平面的に繰り返しているわけではなく、上昇していく方向と、下落していく方向に分岐する。人に平行線はなく、常に上昇するか下降するかしかない、というものの地球版だ。つまりこの昼と夜の上位にパイロット波があり、これによって昼と夜の切り替えを利用しつつ、上に行く方向と下に行く方向に誘導される。12個ある地球は、2200年のプラトン月の性質に投影されていくようで、それぞれの時代を別地球を理解するための参考にしていくのもいいのではないか。シュタイナーは、ヨガは第一期の文明のものなので、現代人にはあわないので使わないほうがいいと言ったが、別地球のことを考えると、ヨガ地球みたいなものがあると想像してみるのもいい。ノストラダムスは人類は流木のような存在と言ったが、これは川の流れに運ばれる、すなわち時間の一方的な方向に流される生き方をしていることを示していて、その先に滝があっても、それを避けることはできない。霊界では時間は空間のようなもので、自分の足で歩かなくてはならないという話だが、これは流木ではなくなったという意味なのだ。物質界は一方的な時間が流れている。エーテル界はそれにたいして反対の時間の流れをぶつけてくる。より上位の存在は、この対消滅するような場の上を火渡りみたいに歩いている。

みずがめ座の時代という言い方があったが、この時から至福千年王国が訪れるという話もありました。両方の方向があるので、反対の行き先もある。つまり切り替え時には常に方向がふたつになる。2200年周期というのは、だいたいいつも183年の調整期があり、そこが混迷する場でもある。でも一番大きな切り替えは、春分点、秋分点という「陰陽帳消し、ゼロポイント」にたとえられる13000年周期切り替えポイントだ。大きな穴があいていると考えてもらうといい。カフナの先祖がエジプトから逃げ出した時の180度時期がいまかな。スフィンクスが顔を向けている金華山に、古い時代の連中がやってくる。東日本震災で、もうやってきたんだけどね。

2018年10月28日日曜日

20181028 インテューションとインスピレーション

H24をインテューション、H12をインスピレーションと分類することもあるらしいが、小説の神様とたとえたH24の意識状態は、普通の言葉のレベルで加工が可能。言葉の羅列の中にエッセンスないしは実体としてH24があるということなのだ。しかしH12となるとまず言葉の加工が難しく、また通常の具体的な言語というものに落とし込めず、かならず象徴言語になる。通常の思考では、それを直接理解できず、説明を求めることになる。イエスの言葉はほとんどがこのH12言語なので、例の一匹の羊の話にしても意味を聞かないと何を示しているかわからない。そしてH12言語はこの説明を決してしない。直接理解しなくてはならないからだが、H12は個人性が除去されているので、その点で個別なケースに落として説明しない内容なのだ。数日前の夢では、H12の創造連鎖についていろいろ話を展開してもらいたいという要求があったが、まあ夢で出てきたら、わたしはかならずそれを数ヶ月以内にやってしまうので今のところ放置しとく。能動、受動、結果ということでは、H12が能動因子になると、素材はH48であり、子供はH24だ。H24がインテューションなら、ここでは休みなくインテューションが発生するということだ。多くの場合、インテューションの嵐がやってくると神経的に耐え切れなくなり、脱落を望む。「普通の暮らしがしたい」と言い始める。わたしがイスラムの礼拝風景が好きなのは、少なくとも日常の生活の中にH12を垣間見る時間を作る余裕があるということだからだ。すると生活の中で、ちらちらとH24があらわれる瞬間がある。たとえきれぎれであれ、それは生きる力だろう。人間の平常の意識速度はH48だが、それはH96に飲み込まれる不安を感じている。道を歩いていてもディプレッションの穴はそこかしこにある。しかしH24は必ず打ち勝つ。というよりもH96を食料にしようとする。H96の穴に落ちるのでなく、H96を食料にすると、お腹にパワーがたまる。H24が強くなると、だれかとの会話にしても、そこにかならず新発見とか洞察というものを作り出すというよりも、作り出さざるを得ない。いつも突っ切っているという印象だ。グルジエフは生徒が寝ようとするといつも起こした。理解した、I got itとなった直後に、たいていの人は寝ようとする。するとグルジエフは不機嫌になり、揺り起こす。自分をキープするにはどうしてもそうなってしまう。わたしが毎日原稿を書いているのは、ラビのお祈りのようなものだ。