2018年12月24日月曜日

20181224 流木でなくなること

ノストラダムスは、未来を選び、その方向に進んでいくことができるなら、流木のように生きる人々ではなくなると言ってるらしい。この場合、あまり複雑なことを考えなくても、法則として上の次元にあるものは下に対して無条件の介入ができるということを活用すればいい。ただし、下の側からすると、一番スムーズに感じる介入の時がある。上からすると無条件。下からすると、都合のいい時と悪いときがあるということだ。で、上からの影響を受け付けても、ぼうっとして抵抗感を感じないというのが、日食などだ。こういう時に、上位にある次元の「意図」をそこに埋め込むと良い。自動車は曲がり角でしか曲がれない。エニアグラムで言うと、機械が機械的に働かないインターバル地点は運命の切り替え点なので、いったいどうしたいのか明確な意図をそこに打ち込む。ミとファの間に持ち込まれる、上位のドの音は、意図だ。するとファ以降はその意図に誘導された方向に進む。人生には折り返し点がいくつも訪れるが、その都度油断しないで、意図をすかさず打ち出すと、何度かの転回点を経験して、思い通りの方向に行く。上位の意識が弱い人というのは、この折り返し点という肝心なところで、願いとか意図を忘却するか放棄してしまうのだ。折り返し点というのは、下のオクターヴの線上での希望とか願いが打ち砕かれるポイントだ。折り返し点は折り返し点という意味で、それまで続く力づけとか励みが消える。折り返し点は、それまで継続した視点からするとまさに空虚そのもので、虚脱以外の何ものでもない。空っぽになった時、上位の意識としては、この時に「やっとわたしの言うことを聞く気になったか」と思うが、それに気がつかない人が多い。このインターバル点を無駄にすると、人生はいつも出発点に戻って、何もしていないことに気がつく。付け加えておくと、この折り返し点の空白に、他者の意見などを取り入れたりすると、その人は穢れの人生を進むということにもなる。というのもそれは意図がはっきりわからないのでごまかしたということなのだから。

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