2019年4月29日月曜日

20190429 こんどのT

みんなさんざんヒロノミヤ氏のチャート読んでいるはず。(わたしは知らない。)で、天皇と言っても、これは日本という狭い世界においての立場で、そう考えると小さな箱の山羊座ですかね。ここに月・土星があるので、これから退屈な仕事をやらされてしまうというような感じですか。自分はうお座太陽、冥王星との180度、海王星との120度というのをしたいけど、ローカル世界でそんなこと許されるわけないでしょ。でもぼろっと出してしまうでしょう。義務に素直だった山羊座の太陽のお父さんとかなり違う。ただ天皇とはアマテラスの地上においての代理人という立場が本来のものだとすると、お父さんよりもこの人のほうが忠実にできる。太陽系外の知性は、冥王星を通じて入ってきて、そして、このヒロノミヤ氏の図だと、そのまま太陽に持ち込まれる。


2019年4月28日日曜日

20190428 新しい短編を乗せました

noteに、「対話篇、12感覚の坂」をupしました。これから本を書くので、しばらくは短編執筆はお休みです。この短編では、12感覚をシフトするということがメインテーマです。

https://note.mu/lockwood/n/n463559905213

2019年4月27日土曜日

20190427 スタピwebは昨日

スタピwebの記事は昨日upされたようです。
今回はサロスサイクルとか、インターバルのショックの場所について。


20190427 執筆予定



次の本を書くことになりました。で、昨年の終わりからずっと短編小説を書いていて、フィクションの形式でないと書けないことがたくさんあり、楽しく執筆していたのですが、これからいつもの書籍、つまり解説・説明本を書くことになり、フィクションと実用説明のギャップをどう埋めるかを考え込んでいました。実はこの溝は予想以上に大きいのです。説明本については、わたしは読者ターゲットのイメージを失っています。なので空中分解する可能性があります。で、最近、もうフィクションが、だんだんとエニアグラムとか占星術のマニュアルみたいになりつつあったので、じゃあこのまま対話篇という形式で、書籍に乗り移るといいのではないかと考えました。これは読者が組み込まれた形式で、読者ターゲットを架空に決めて話を進めることができるのです。現実の読者はみな傍聴者になります。これだと前進できる。で、編集者に言うと、それはオーケーみたいなので、短編でなく長い対話篇にすることにしました。これだとスムーズに飛び移ることができます。ならば、プラトンのティマイオスみたいなの書くことにしよう。現代のプラトンするのがいい。イデアの凋落は反対に辿ると、イデアにまで行くことができる。時間はどの方向にも行くことができるというのは、この遡行が可能ということであるのです。というわけで、noteへの短編掲載は一時的にストップします。24万字ということなので、早くて一か月、普通には一か月半、不測の事態は必ず起きるので、二か月半になることもありますかね。こういうふうにスケジュール考えてしまうのは、高校生のころからの癖です。アクシデント想定込みで予定を組みます。

2019年4月24日水曜日

20190424 映像が動く



昨日、芝公園の近くで、12感覚について講座しましたが、この12感覚はつながった一本の蛇みたいになっていて、どれかひとつを突出させたり脱輪させると、それにあわせて、他の感覚も追従してきます。で、一番強い影響力があるのは世界のどん底、おとめ座の視覚ですから、世界の移動の一番近道は視覚を変えていくことです。今日は夢の中で、完全にいつもの日常意識になっていて、それでいて周囲を取り囲む映像を意のままに動かすということをしていました。ただこの映像は、この世界のものではなく、いわく言い難いというような種類のものです。頭に白い光が出てくると、身体が電撃を受けたように振動し、まったく違う映像の世界に入るという体験が徐々に増えてきたのですが、こんどはこの映像を動かすわけ?映像が動くということは、そこで歩いているわけですね。その世界では、この世界と違い、歩くというのは足を動かすことではなされない。この世界では意識が働くとそれを筋肉が受け止めて、足を動かすのですが、夢の世界では、筋肉はなかった。意識が動くことでダイレクトに世界が動いた。わたしはこの世界でも、実は、前から自分が移動している時に、自分が動いているとは感じておらず、周囲の景色が動いているのだと実感することが多く、何か絨毯を手繰り寄せているような感覚で受け止めることが多いのです。足のほうにある車輪が回転すると、景色が動くのです。今日の夢の中で映像を動かしている時、たぶん同じ感じだった。

味覚はうお座で、生命感覚はさそり座、聴覚というか共感感覚はかに座という水の三角形についても説明しましたが、たとえば、わたしはイカの活け造りにしても、函館のナマコの活け造りにしても、味はわかりません。みな同じです。でも、120度関係にある生命感覚ははっきりとわかります。活け造りを食べるというのは舌で味わうというよりは全身で、食ったものの生命力を受け取ることです。でも西欧的なカニバリズムでは、もう生命力は失われているので、すると小手先の味覚で味わうしかなくなってしまいます。味覚は、食べたものと自分の間で摩擦が生じた時の、摩擦の味わいかたの違いです。一瞬の後に、それと一体化するので、味はすぐにわからなくなる。触るか触らないかという瞬間に味覚があります。で、そのことを思うに、味覚っていらないんじゃないの?と思うことは多々あります。一気に一体化する人に味覚はいらない。ただ危険かどうかのチェックに味覚は必要です。味覚には生き死にが関わっています。

舌は肝臓の出先機関で、舌に食物を乗せると、それを消化するための必要なものをすぐに肝臓が用意する。でも、いつも食べているものだと、肝臓は事前に準備する必要がない。だから、わたしは同じものしか食べなくなり、味覚センサーという警備員を置かないで済ませてしまう。食べ物を味わうという楽しみはどんどん減少する。ちょっと忙しいんで、味わう暇なんてないっすよー。


2019年4月18日木曜日

20190418 昨日は出版記念



昨日は、代々木で、マンディーン本の出版記念講座でした。そこでも話したけど、出版記念というのをしたのは、わたしの場合はじめてです。10ハウスに木星が来てしまったために、今年は6月にもナチュスピで、夢の本の出版記念お話会があるそうで驚いています。それに近いうち、まついなつき氏と、惑星年齢域についてのちえの樹で、対談もあるそうなのです。これは説話社の山田さんが思いついたことです。朝に短編を書き、あとは何もしないという生活を想定していたのに、このリズムを壊すことになったのは、今年の春の想定外の税金支払い金額があったことで、これによって、わたしはまだ働かなくてはならないという現実が押し寄せてきました。自分が想定していた金額の三倍の収入があったのです。まえから計算ができないとは思っていたが、どうみても、これは自分では予想できなかった。何年も努力して収入を減らしてきたのに、この努力があまり成果をあげていなかったのかもしれない。それと天王星期である71歳からのエーテル体の物質界への侵略というものが、少し早めに来ているのかもしれません。プログレスの月も徐々に6ハウスに近づきつつあるので、なんとなく嫌な感じ。世間に埋没するのは、プールで水の中に沈んで浮かび上がれない気分です。息をするために、頑張って短編を書くぞ。

2019年4月16日火曜日

20190416 noteに、エニアグラムの対話篇。

noteに、「対話篇、エニアグラム(15)」を掲載しました。徐々に長くなっています。でもいまのところ、わたしには対話篇はとても適しているように思えます。時々、どちらが発言しているのか、わからないです。エニアグラムについて、まだ書きたい気持ちもあります。

https://note.mu/lockwood/n/ncc5eee7bd5a9

2019年4月15日月曜日

20190415 いろんな角度

いま書いているフィクションなどには、かならず夢で出てきたイメージが反映されていますが、言葉にするのが難しく、まだ霧の中にあるような内容は、夢の中に出てきた1シーンなどがうまく言語化できるように誘導する作用があります。たとえば、エニアグラムのことを考えている時に、このエニアグラムの特徴のどれを強調するといいかと考えた。すると、夢の中で部屋の中に7人の男たちがトランポリンを使っているかのように飛び跳ねています。そして壁に足をつけて反対に飛んでみたり。これはわたしが立方体の壁をユングのアーキタイプに結びつけるという考えに、さらにエニアグラムの「利点」を絡めようとしたので、そのことについてちょっとした手がかりを提供してきたのです。この夢のシーンがなかったら、発展させられなかった。あるいはもっと時間がかかった。で、夢ではひとつのシーンの映像に、四つくらいの意味を引き出すことができます。夢を解釈しようとした時、硬い頭で、特定の意味を引き出そうとするのは、原石をひとつの切り口でカットしようとすることですが、これが夢の意味がわからなくなる理由にもなります。肉体で生きている自我は局在的。つまりひとつの切り口。で、夢は非局在的。だからあたかも矛盾するかのような複数の解釈をしていくことでやっと意味がわかることも。この複数の解釈の中に、反対のものも含めるといいのではとも思います。駅に行くことは、駅から出ること。ひとつの解釈がないことがわかった段階で正しい解釈になると思われる。なぜなら非局在性だから。

2019年4月14日日曜日

20190414 デネボラ

昨日の講座で、わたしはデネボラに親しみがあると言いました。地球においては、わたしの生活方針は基本はデネボラです。で、QHHTで、わたしは4つの世界を混ぜる癖があるということが判明しましたが、これもデネボラ姿勢で、ひとつの世界に没入したくないということから来ています。同時に違うものを見ていたら、どれかひとつには引きずり込まれる率が少なくなる。デネボラが具体的に出てくると、それはたくさんの傾向になり、一概には言えなくなるのは当たり前です。恒星なんだから。でも、地上では、このデネボラのあるカラーを強調してコーディネイトすることもできるのです。そのことでデネボラも多様化し、ロートレックのような人、ヒットラーのような人などに分岐します。リュッケルトの詩で作られたマーラーの歌曲「わたしは世界から忘れられた」も、デネボラ表現ですが、はくちょう座のデネブとデネボラが結託して、そこにマトリクス、つまりタクシー運転手のみが使える裏道ができると、社会からちょっと引いた場所に巣ができたりします。そしてデネブはこの巣を守るために鷲にさえ勝利します。デネブが関与するとどうしてもオタク集まり的になるのですが、しかし純粋にデネボラのみだと、いかなることにも加担しない公平に見るという姿勢が強化されるのではないでしょうか。

2019年4月11日木曜日

20190411 ユリ・ゲラー

ちょっと記憶に残ってしまったのは、わたしの冥王星と天王星のパラレルは赤緯24度で、これはユリ・ゲラーと同じということです。こないだの茜鳥さんの本で判明したこと。で、多くの人はユリ・ゲラーというと、単に超能力の人というくらいしか記憶にないと思います。しかしこういうイメージとはかなり違うのが本質のユリ・ゲラー。超能力はオマケ。で、考えたけど、冥王星と天王星のパラレルで24度というのは、個人で受け止めるには、強すぎる。個人が壊されると考えてもいいかもしれない。なのでユリ・ゲラーはこのテンションから降りてしまったのかもしれない。あるいはまだ潜伏しているのかもしれないが。パラレルで同じ度数というのは、以心伝心です。だから、ユリ・ゲラーがコンタクトしていたスペクトラは、実はわたしからするといつもいつも意識しているものです。ユリ・ゲラーは性格的に不安定で、受容体としては信頼性がなかったかもしれない、とも思います。24度の「太陽神」の内容に、火がすべてを焼き尽くすとき地球は粉々に崩れ始めます、というのがあるが、ユリ・ゲラーの変なCDでは、たどたどしい日本語で、このことを説明しています。で、ユリ・ゲラーは、これでいいと言います。

2019年4月10日水曜日

20190410 中心点を移行する

ある人が夢舎に参加しているけど、前に夢にはまりすぎておかしくなったらしく、またなりそうなので警戒して、おとなしくしているそうです。わたしが思うに、おかしくならないとしたらそのほうが良くない。夢は基本的にエーテル体に乗った体験であり、エーテル体は物質体を傷つけることでしか関われません。で、おかしくなるというのは、物質体生活を現実と思っており、それと夢の力は対立していると考えているからです。自我の重心を置き換える必要があり、虫のように寿命の短い物質体生活は決して中心ではないし、とくに地に足を付けた生活というのはそうとうに間違いがあることを理論的に認識しなくてはなりません。要するに、物質体生活と夢の生活をすべて統合化する中心点をみつけだし、そこからすべての要素を再配置するということが重要なのです。バトラーもシュタイナーも、人格の解体と再構築のことに言及していますが、いままでの生活のままでオプションで夢を加えるというようなことはあまり正しい生活ではありません。中心点を物質的生活の場所から撤去して、物質的生活は、懐かしいドンファンの言うような第一の注意力の世界にしてゆき、忍び寄りの術みたいなものを設計する。機械のような暮らし、量産型人格になるというのも、いいアイデアです。みずがめ座のサビアンにはこういうことに対する説明があります。たぶん、物質体生活は現実であると思いこんでいる人の横のつながりがずっと続いていると、どこにも行けず葛藤することになるかもしれません。

2019年4月9日火曜日

20190409 ターゲットは意識しないですむ



去年の終わりくらいから、ずっと短い小説みたいなものを書いています。これも芸術のカテゴリーに入るかな。わたしが考えるに芸術というのは自立性の高いもので、それ自身で単独に成立するというものです。これは言い換えると、社会の中に部品としては組み込まれないということです。何かの役に立つ、貢献するという依存性とか、関係性が希薄です。役立たないように努力する必要があるのですが、すると、この創作でお金儲けして生活できるということはあまり期待できません。お金儲けするというのは社会の付属品になるということであるから、自立的にしていくという方向性は基本的には儲からないということです。で、わたしは昨年から本を書く時に、読者のイメージがわからなくなっていて、本を書くのはなかなか難しいなと思っていたのですが、創作の自立性というのも、これは読者との関係性に寄りかからない必要性があるわけですね。最近思いついたのは、読者とか聞き手を作品の中に一緒に組み込んでしまい、勝手にやってろ状態を作り出すことでした。こうやって今のところ対話篇というプラトンのまねごとをするのが一番快適だとわかりました。誰に話しかけたいの?それは作品の中にいる相手です。これはお笑いコンビみたいなもので、相手は単純な反応だけしてくれるだけでもいい。あるいは知恵をつけてくれてもいい。なんやねん、とか、カフェに行く場合には、カフェかよ、という反応だけでもいいです。この設定によって、勝手に暴走できるということがわかります。説明・解説の本は、どういう相手に対して?というのを意識しないことには書けないという社会性の高さがあるのです。

2019年4月8日月曜日

20190408 夢言語作成

夢舎で参加者の質問にそのまま答えようとすると、進行が早くなりすぎる気がします。半年でひと段落の予定なんですが。夢解釈をするのと反対の技術開発。つまり言葉や質問を、象徴化していくことです。これはスペアの技術です。象徴をたくさん翻訳したりしていると、こんどは意味をこめた象徴を作り出すことを頻繁に繰り返すようになります。イエスの言葉はほとんどこれ。今日のパンはうまいね、とか塩っけ足りんぞとかけっして言わない。象徴は普遍言語、すなわちいかなる時、いかなる場所にも通用する言葉です。時代の変化にはほとんど振り回されない。つまり結局は客観言語ということですね。この普遍性の範囲が、太陽系まで、というのと、太陽系の外まで、ということなど、いろいろ層はあると思います。練習として、たとえば、日本語の母音、あ、い、う、え、おの5つのステップなどを考えてもいい。普遍言語はぱっと広がってしまいますが、特定の時空のローカル性に縛られていないからであり、でもいまのところ、夢に働きかけるにはこれでないと使えないという実用的目的で、開発することになります。

2019年4月6日土曜日

20190406 短編の対話篇掲載

noteに、対話篇・夢の六角堂を掲載。花見の話題も入れた。

https://note.mu/lockwood/n/n5978b7e8d51f

20190406 データベース

昨日から夢舎で、能動的に夢を活用するというテーマを始めましたが、同時に、参加者の人に、夢象徴解読のデータベース作ってもらうのはどうかと思いました。象徴は個人との関係で考え、夢辞典は役に立たないと説明していますが、集合無意識的な意味というのはわりに共通している面があります。で、それぞれの人が勝手に、好きに、解読例を書き、そのあとに、()で、名前を入れてもらう。俺の解釈例です。たぶん他の人にもかなり役立つと思うね。というかひとつの象徴について何十年考えてもいいよと言いました。今日、わたしの夢では痩せこけた男の子が出てきました。こういう場合、「痩せこけた男の子」だけでは、意味がまったくわかりません。この時期に考えていること、前後などを考えて解釈しなくてはならないのですが、痩せこけた男の子には虫がたかっており、そうすると、虫ってなに?になり、虫もまたひとつの象徴に対して多数の解釈がなりちます。こういうことについて考えたことを書くのは面白いのではないかと。データベースはどこにまとめるといいのかな。共有クラウド空間とかあるといいですね。

2019年4月5日金曜日

20190405 夢には時空因果律がない

時間と空間の秩序があるのが物質界です。エーテル界に行くにつれて、この時空の因果律が壊れていきます。結果は原因より時間的に先行することがないというのを巨視的因果律と言いますが、エーテル界以上の世界では、原因よりも結果が先に来ることもあります。なので夢の中ではストーリー性は失われます。この時間と空間の因果律がなくなったエーテルの網目の上であらためて結晶化されるボディをアストラル体と言います。象徴的身体とも言えるでしょう。象徴はどこにでも行き来するからです。この象徴は、似たものを同じものとみなします。つまりどこの時間、どこの空間にもある似たものは、アストラル体から見ると自分なのです。ここでは型の原理が働き、時間と空間の秩序をあらかた無視します。反対に時間と空間の原理が働くと、型の原理あるいは型共鳴は働きません。似たものでも違う場所にあると、それは違うものなのです。夢で見る象徴は地上的な象徴でなく、アストラル的象徴であると考えると、夢を考えやすくなります。夢の内容を、局在的な地上のルールに無理やり結びつけることはできません。空間の秩序に従うと、たとえば自分の近くにあるものは重要で、遠くにあるものは重視しないので、海外で飛行機事故が起きても、日本人がいるのかどうかを確認したりしますが、エーテル界以上のものを見る夢では、1000年前のもののほうが昨日よりもリアルということもあるわけです。

追記
ピエール瀧はストレス解消のためにコカインを使ったと言っていますが、このストレスは普通の仕事とか日常の生活で体験するストレスではありません。一対他という形で仕事している人のストレスは、いわば集団意識、イドの怪物みたいなものを相手にしている時に感じるストレスで、しばしば受け止めきれない、自分が壊れると感じることがあります。芸能人、ミュージシャン、芸術家とかは、この体験をしやすいです。相手は集団ですから。そこで、四度目の結婚を四時間で解消したニコラス・ケイジみたいにシラフだったことがほとんどないとか、yoshikiみたいに一日に五本赤ワインを飲むとか、珍しくない話になってきます。集団を相手にしていない人、つまり一般人?は、どうしてコカインをするのか理由が理解できないのではないでしょうか。集団を相手にするには、自分も集団意識と同じサイズにならなくてはいけません。つまりH24人間です。集団を相手にする人は、いつも個人が押しつぶされる危機を感じているので、それに対する工夫はどうしても必要で、それがコカインとかアル中になったりするのは弊害が大きいケースも増えてくるので、それ専門の危機管理弁護士がいてもいいですね。その立場にならないとわからないことが多いので、たとえば有名になりたいと思った人が、実際にそうなってみて初めてわかる事実にパニくったりするでしょう。そこで夜寝る前にケーキを30個食べたりするようになるのです。これプレスリーの話です。48人で受け止めるのはなかなかいいアイデアかもしれません。ピンになった瞬間から恐ろしいことになってきます。

2019年4月3日水曜日

20190403 人差し指

今日は、夜中に起きてそれからまた寝ようとしていたが、寝ているのに起きているつもりだった。で、最近夢舎で、矢印を外に広げるという話をしていたので、そのバリエーションで、指から先にエーテルの線が伸びたが、特に人差し指が強力で、伸びた先で、強力な鉱脈に当たりそうだった。これを扱うには要注意。で、いま考えてみるに、人差し指の先にあるのは、巨大な人差し指のはず。(型共鳴によって。)そりゃ、巨大な人差し指なら要警戒でしょう。映画ETでは人差し指をあわせるシーンがあったのかな。見てないのでわからない。しかし人差し指と人差し指を当てるのは、コミュニケーションにはならない。角突き合わせるだけ。夢で、わたしの人差し指が外に伸びたのは、今外に人差し指を伸ばそうとしているからだよ。わたしの爪はかなり頻繁に割れます。なので指を拡張すると、だいたい鎧なしで飛び出している感じです。ただ大きな鉱脈であることはあきらかなので、ちょっとチャレンジするかな。そもそももう止められない。何があっても指は伸びようとするでしょう。伸びた指というのは、鳥族では、翼であることを書いておきます。

2019年4月2日火曜日

20190402 夢舎

夢研究会、というか夢舎、あるいは夢六角堂では、なんせ夢の話なので、すべては象徴的で、事物に抵触することがありません。わたしも回答をすべて象徴的に話すというのは、楽しいです。あらゆることをすべて象徴的に語る練習になるのかもしれないなと、思いました。謎を聞かれると、謎で答えるのです。これって赤瀬川源平の老人力みたいです。あれは、どういう意味ですか。あ、それはね、あのことだよ。

2019年4月1日月曜日

20190401 元号に意味があるのか

天皇は血筋的継承と、象徴的継承の二種類をそのまま活用する。これは日本特有の不思議なシステム。しかしそもそも血筋的継承を考えると、今日の天皇はやすみなく血筋が変わっており、最低でも8家系を渡り歩いている。なので、それは無視して、象徴的継承を重視しよう。すると、天皇が代替わりしても何の変化もないことになる。なので元号なしとか、そのまま西暦使うとかしたほうがいい。肉体を持つ天皇はヤドリギで、やはり本体というものが大切なのだから。

20190401 夢舎では課題を出す

夢研究会を始めていますが、これの面白いのは、たとえば誰かが質問した時にも、それに反応した夢を見るので、その夢について考えたことを説明すると良いのではと。進行を、頭で考えず、夢が決めてくれるというようなものです。以前、絵画教室をしているときに、参加者の絵のすべてに解釈をしていましたが、かなり頭が疲れるのです。解釈は頭の筋肉使います。でも夢の解釈を夢にしてもらうというような回路を作ると、きっと頭は疲れない。で、夢は受動的に見るとだいたい記憶は失われます。問いかけが必要です。これは意図が働くと、それに対して感覚は抵抗してリアクションする。感覚のリアクションとは、映像とか言葉とか印象として出てきます。打てば響くという意味で、投げると返しがある。地球に住んでいる人間は、この意図を働かせるという教育がされていません。待ちの姿勢であること、人の真似をすることに慣らされているので、やはり流木であると考えてもいいけど、夢研究では、ここから抜け出すことができるでしょう。