2018年6月20日水曜日

20180620 チーズ消化しないのか?

わたしは毎日6pチーズの箱の中で、4枚くらい食べています。6pチーズは全部で108グラムで、沖縄のMEC食の提唱者によると一日120グラムほどチーズを食べるという話ですが、これはけっこう大量です。で、毎日4個食べていると、72グラム。最近わかったのは、わたしはチーズを消化できていない。つまりわたしにはこれはコンニャク扱いです。

明日は夏至のトークライブの日ですが、宇宙とか宇宙人の話をすればいいらしいです。

ヨーゼフ・カイルベルトのモノラルの5枚組のローエングリンを聴いています。演奏は非常によい。しかしレコードは、片面ずつ順番の番号になっていて、五枚を順番に聴き、そして裏面をまた五枚順番に聴くというおかしな配列に。


2018年6月17日日曜日

20180617 書くのは楽しいですよ

6月17日からの週は、19日がアルカノンで、21日が夏至のタイミングの対談です。久しぶりに人を前にする。
動画は作れない。
というのもわたしは毎日たくさんのことをする、というのを、あまりしたくないからです。一日一項目くらいがいい。
なので、原稿書いていると、それだけで、ほかは何もしていないというのがいい。
動画を作ったら、それ以外はしない、とか。
原稿を書くのは楽しいので、今回も楽しいです。
本は毎回新機軸を出すというのが重要で、これがないのなら書いても意味はないです。そして違うテーマでもだいたい前回の本の続きで、連続しているというのが、ある時期から続いています。この場合、たとえば、出版社から依頼された内容では、その出版社には会社なりの要求とか、こういうのを書いてほしいというイメージがあると思いますが、そういう要求を満たしつつ、中身に、わたしの連続的なテーマを染み込ませてしまうということになると思います。

いま、アルカノンから連絡が来て、19日はお休みだったそうです。わたしの大腿骨骨折で、出歩くのは来月に。コミュニケーションに行き違いがあったのかもしれない。しばらくはこれが流行語です。

2018年6月9日土曜日

20180609 新しい本

昨日から新しい本を書き始めたので、動画作成はずっとおとなしくなるでしょう。というのも、本を書く場合、それがどういうテーマでも、吐き出したいこと、いいたいことが全部そこに盛り込まれていくので、動画を作る余り成分はなくなるからです。
例によって、一日一時間程度書きたいが、タロットカードの本を書いている時と似て、どんどん出てきて、止められないという状態にすでになっているので、(うしろから勢いよく押されている)一時間枠を超えてしまいそうだ。

ヘミシンクの場合、どこかから伝えたいことがあるという状況では、最初の準備段階で、登場してきて、急ぎで何か伝えてくるとか、質問が終わる前に回答が出るということになるけど、そういう感じ。でもどっちみち、タロットカードの本で書いたことの続編みたいではある。最近はずっとそれぞれの本が蛇みたいにつながっている。
そして面白がって、応身がやってきます。応身は、どこかに行く、やってくる、ということはありえないので、わたしの三次元的視野からすると、いま、ここにやってきたというふうに目に映るだけ。

タロットの本は8月最初の段階で出る予定だそうです。再校が終わったので、予定が見えやすくなったから。わたしは三校だとほとんどいじりません。レイアウトからのはみ出し文字を削るだけ。
わたしの四柱推命図は、春の草花を、花瓶の中に詰めすぎるというもので、これはテレビでよくやってる、ビニール袋の中にニンジンをいくら詰めても500円というようなもので、で、企画書では300ページくらいと書いてあったけど、うっかりすると、また倍とか三倍になったりします。本という花瓶の中にニンジンが詰め込んであるのです。この弊害としては、校正がすごく面倒になること。

2018年6月7日木曜日

20180607 ヘリオセントリック

大腿骨を痛めてから、ほとんど歩いていないのだが、気分的にこれは違和感がない。でも、身体的には腰から足にかけて、血流が必要で、血流とはこの中に自我が住んでいて、つまりは地上の情報を持ち込んで、それを活動に加えていく必要があるということだ。
で、今日の夢は長方形の板を作っている男が出てきて、彼が作り出すものは、すべてに統一的で、これは金のトーンでまとめているという感じがあった。なんとなくタンノイの創始者も思い起こさせた。
金は金属の中では頂点にあり、次のオクターヴとのつなぎ目にもあたる。

ヘリオセントリックの場合、地球は、惑星の中で、大地というか、一番身体に関係する部位で、それ以外の惑星は、チャクラでいえば、もっと上のほうにあるものに該当する。つまり感情とか精神活動などに関わり、はっきりと物質的な身体ということをピンポイントで考えた時には、地球を示す場所がそれにあたる。
わたしの場合、この地球ポイントにはデネボラが重なっていて、これが塔の上から地上をウォッチングするという姿勢を作り出している。つまりそもそも閉じこもって、出かけないというのはわたしの身体的位置づけからすると、最初からフィットしている。地球的な身体生活においては、デネボラ的に振舞うということだ。

スピカとアルクトゥルスはわたしにとても縁が深いのだが、とくに人間の形態という点では、スピカをリファレンスにすると良いと思っているのだが、これにデネボラを加えると、春の大三角になる。つまりはスピカ、アルクトゥルス、デネボラのセットは、集団無意識の中では、比較的馴染まれているアーキタイプだということだ。今日の金の長方形を作っている男の夢だが、春の大三角にコル・カロリを入れたひし形、あるいは長方形というものを関連づけるといい。金色はスピカから射出されている、と。これは春のダイヤモンドと言われている。夢の中の男は、長方形の角を削って、尖らないようにしていた。

で、2女教皇の書物は、20審判では、墓として描かれていると説明している。11力は、2女教皇の段階で、いったん同一化したケモノあるいは文字を、身体から引き剥がしている。20審判では、この腰に埋め込まれた女教皇の書物を、あらためて文字に息を吹きかけて、生きたものにしていく。それはいままで自己同一化していた地球的アーキタイプから離れて、違う辞書の文字を引き出すことだ。もちろん女教皇の書物と違い、宇宙的なサイズの辞書と考えてもいい。女教皇は鉄のカーテンに守られているが、20審判はそれがそのままプラネタリウムになっていると考えてもいい。

20審判のカードは、16から19までのプロセスが、どんな星系に対してもできるということを示している。これはたとえば17星のカードで並んだ8つの恒星のどれかひとつを、違う恒星に入れ替えるということも。すると、異なる箱が作られていく。で、息を吹きかけて、この違う恒星要素をアクティベートする作業が20審判のカードだ。
アクティベートした場合、20審判なので、精神的に変化するということよりも、物質的に違いがはっきりとあらわれてくるということにもなる。つまり現象として生活の中にそれが持ち込まれる。
歩けない状態から、これから歩ける状態に調整しなくてはならないが、まだ時間はあるので、地上での足場として、デネボラとアルクトゥルスとスピカと、コル・カロリと、ほかに何を入れた結晶にするか考える暇はある。
夢の中では、この長方形はすべてに浸透し、彼は自分が作り出したものすべてをそのトーンにした。もちろん、四角形というのは4の数字で、これは4皇帝のように見えるものすべてをそれに統一しなくてはならない。



こないだのzoomで、精神宇宙探索をする時に、6方向の壁、8つの点という立方体を考えると、閉じ込められたように感じてやりにくいという話があった。
で、わたしが立方体をいつも持ち出すのは、これは6方向の圧力が均衡することで、存在は「自分がいる」と認識することができるということ。わたしたちは静止している。実は静止してないけど、静止していると感じるのは対立方向の圧力がぶつかり、そこに静止する場ができるから。流れているものに意識も自覚も存在しない。
つまり立方体の6つの壁、あるいは圧力がないと、わたしたち自身が存在しない。自分が感じて、思い、考え、意識するということじたいが、6方向圧力の均衡によってはじめて可能だということ。
どれかひとつの壁がなくなると、そこで、一気に存在は解体して、流れの中に流産して、自分はもうどこにもいない。ひとつのエネルギィの流れになり、静止点を取り戻すことはもう不可能かもしれない。というのもエネルギィの流れというのはあまりにも強すぎて、そこであらためて静止しようとしても足を救われてしまう。というよりも静止点を作り出そうという意思を生み出すことが難しい。存在というのは流れに抵抗することだ。
シュタイナーはこういう現実についてわりに上手に説明していると思う。
で、わたしはこういう基本について説明するのは面倒くさいです。これはFAQみたいにしなくてはならないね。
対立する流れを衝突させて、自分がここにいると条件を作り出すのならば、反対に、自分の意識を働かせることで、対立する流れを呼びこむというのが、前に書いた、自分は暗闇の中にいて、ノートがあり、このノートに何か書いている。そこだけが明るく、それ以外は暗闇。そして誰かが「それでは危なすぎないか?」と話していた内容に関係する。書かなければ自分は消えるから。

惑星に住んでいる人は、惑星に流れを依存している。その場合、その人は付属品であり、その人が存在すると言えない。流れは意識に上がらない、それは存在しないと思われている。マグロが自分は泳いでいないと思うように。羊の群がある日、100頭、崖から落ちても、羊はそのことを自覚しない。今日夢の中で丁寧に金色の長方形を作っていた男は、それを心をこめて作った後は、壁に入れ替えるのだろう。

板を一枚作るには、4つの点が必要だ。夢の中の男が作っていたのは床ではなく、正面の板だろう。



2018年6月1日金曜日

20180601 ZOOMのお題

AKIRA氏は、ZOOM講座のお題としては、宇宙探索とかタロット道以外に、占星術ネタも入れたいようだ。わたしは惑星を使う占星術については、講座とかだんだん減らしてきた。でも、これまでさんざん占星術についての本を書いてきたし、それをそのままぷっつりと終わらせにくいという点もある。

占星術をしている人と、占星術を知らない人、興味がない人のはっきりとした違いというのは、かなりある。
占星術は、全惑星意識に進化するための梯子としては、便利なところがある。占星術を知らない人は、この統合的意識、高められた意識に向かう手立てというものを知らず、あるいはその段階に至るにはまだ到底準備ができていないということが多く、いわば秩序・道の中に入る入り口を見つけ出せていない状態で、すると、社会的に作られた価値観に従属して、このわりにでたらめに偶発的に作られたものに振り回されて、どこにも突破口が見出せない状態で生き続けることになると言える。ほとんどのケースでは、道が見つからず、そのまま死んでいく。
占星術をすると便利なのは、7惑星12サインというような基本的な宇宙構造を知り、この中で人間の総合的発達の地図を手に入れることができる。するとその後の方向もしだいに見つかりやすい。

人間の表層的な脳は、かなり制限された視野の中で働いているので、目の前のことしかわからず、自分の人生全体というような視点で考えたりはできない。まったく意識していなかったけど、自分は今こういう中で、ここを歩いていたのかというような俯瞰的ビジョンは、ホロスコープを読むことでわかる。これは予想外のインパクトがある。

しかし、占いに頼るとか、占いにあらぬ期待をするというのは、この限られた視点の中で、自分ではわからなかったトータルなヴィジョンを利用したいということから生じる。占星術的な知恵は、社会的な価値観を超越しているが、この超越的な視野でのものを、社会的価値観の中で生きる小さな自己のために貢献してほしいといい始めると、占いの誤用が始まる。この段階で、占星術は架け橋としての本来性の機能を失う。
で、本来の占星術の役割、全惑星意識の部品を「全部揃えて」架け橋にするという使い方ができるならば、占星術はあきらかに重要なツールになる。これを知らない人は、地図もなしに荒地を歩いているようなもので、同じ場所をいつまでもぐるぐると歩くような人生を過ごすことになるだろう。

で、わたしがあまり占星術をしなくなったのは、たんに、惑星レベルというところから、全惑星レベルあるいは恒星領域の比率を増やしていったということで、それはわたしが地球においての案内所をするということから来ている。惑星レベルの話ばかりしていると、その先の話が減ってしまうので、バランスが良くないということだ。基本的にわたしの中層重心は全惑星に置いているので、人生の細部、惑星意識のひとつひとつに細かく入りにくくなっている、ということなのだ。
ただ惑星レベル、全惑星レベル、そして恒星レベルというルートをそのまま橋渡ししようとすると、惑星レベルの部分を急にOFFにするのも、極端かもしれないと感じることもある。
で、わたしが占星術について言及すれば、「占いというものの本来の役割」ということについて明確な回答を提供することにもなるだろう。
もう書いたように、占星術とかタロットを知っているというのは、梯子を持っているという点で、持たない人に比較すると、著しく有利なのだ。使い方さえ間違わなければ。わたしは海外旅行で、地球の歩き方などのマニュアルを持たずに歩き回ることは多かったが、すると、同じ場所をずっとうろつくという結果になることもあったし、バンコックほかいくつかの場所で、詐欺にあったりもしていた。(20年以上も昔の話。)

もうすでにタロット占いについては、小さな自己のために貢献しない、そして占い用としては、19太陽のカードのもうひとりの子供との対話のための通信器具という定義はした。
これは、今日、タロットカード本の再校を提出し、この本は予定では今年の夏に出るらしいが、そこではっきりと書いている。
占いを依頼してくる人は、9割以上、小さな自己のために利益のあることを聞きたいとやってくる。小さな自己は、社会的に人工的に作られた価値観の中で生かされたAIのようなものだ。それは社会の外に出すと、酸欠ですぐに死んでしまう生き物だ。それにもっとも自由意志の比率が少ない、というよりも、ほとんど自由が与えられない。(思考、感情、身体の機械性に隷属する生き方になる。)占星術をすると、自由への手がかりもある。それは機械の癖に対しての知識が出てくるからだ。
それに加担しすぎることで、回答者もAIの要素の比率が増えていく。
そしてこのAIの欲求、信念体系、依頼に「乗らない」で回答する占い師はきわめて少ない。というのも占い師の中にも、小さな自己が生きていて、相手の欲求はよく理解できるので、おもわず乗ってしまうという結果になりやすいからだ。

惑星の話をまた少し増やすとしたら、恒星レベルの視点から、惑星生活について再構築するというようなことをするといいのかもしれない。
長く占星術とか占いにかかわってきたので、この価値とか意義について、世の中で誤解されているか、誤用されていることを修正する作業をするというのもいいかもしれないし、それにつれて、体系についてもどうでもいい無駄が加わりすぎているということについても、扱ってもいいのかもしれない。