2018年12月31日月曜日

20181231 母殺しネタ

わたしの月星座の本が増刷されたというので、何かあるの?とは思いました。他の出版社の本は頻繁に増刷されているけど、月星座の本というところに引っかかりました。あれは月に対してめちゃくちゃなことを言っており、月ブームに関しては、正面から否定しています。今、一時的に、月の話題、そしてマドモアゼル愛氏の母殺しとか、そういう話が限られた場所で盛り上がっているようです。1999年に、わたしのところに「わたしがお前の母親だ」と言ってやってきた巨大な黒い生き物は、「わたしと関わり続けると、月が壊れてしまうよ」と言いました。その後どういうふうに壊れるのかの映像はくっきりと見ました。今ではわたしはひとつの月の代わりに、月の軌道にあるステーションを、本来の月と解釈しています。そうすれば何の問題もないし、執着心が原因で殺人が起きたり戦争が起きたりすることもないんですよ。月は母であるという同一化は、占星術ではそう解釈されていることもありますが、わたしの黒い母は、関わり続けると月がぼろぼろになると言ってるので、母すなわち月というふうには考えにくいですね。で、説話社のweb雑誌で、昔のマドモアゼル愛さんとわたしの母殺しに関しての対談を掲載したいと言ってきたけど、あれはもう7年も昔の話で、いまでは母ということの定義も随分と変わっていると思うので、とりあえず断り、どうせやるなら母殺しについてはもっと深掘りする必要があるのではと言いました。母の問題は深掘りしても、それでも足りない。湿潤なるフュシスは果てしない。私は今は誰かと対談したりするのは好まないので、対談するとしたら、仮想ネット対談になりますが、母問題は、父問題と交互に進めるのが良い。でも結局はだれとも対談したくない。

2018年12月30日日曜日

2018130 ショートショートの続編とか

2016年から書いたショートショートの続編を書く場合にはと思ったが、中断されたものは再現しにくい。試しに書いて太田氏に送ったら、「肝となる象徴群の配置の仕方と、その奇妙なバランスや落差から物語が動き出すという結構は、松村さん独特のもので、前のショートショートと同様のエネルギーを感じました。前の作品群もいろいろなパターン、カラーのものがありましたので、この作品も、すこし結末が温い(緩い)感じがしますが、それはそれでよいのかもしれません。どんどん書き続けていただければ、読者としては単純に嬉しくてたまりません。」という返信でしたが、結末を緩くしたりキツくしたりは、たんにボルトを緩めるか締めるかの問題で、いくらでも加減はできますよ。まあコンセプトは、宇宙的な通路を確立することと、地上的な信念体系を壊すことかな。村上春樹は、小説家は毒がないといけないと言ってますが、わたしの毒ってたぶん限界を超えているよ。毒のままだといけません。統合化しないとね。それもできる。いままでのように解説本ばかり書いていると、限度を超えていくなと思ったので、ちょっとショートショート書いてみたくなったのです。息抜きですか、箸休めですか。夢の本を二冊書いたら、枠が壊れてしまったんですよ。今後続けるには、これが必要か。

20181230 新年挨拶はやめよう

わたしのタイムラインに、新年の挨拶的な内容のことはかかないでください。前から言うように、グレゴリオ暦の新年は自然界のリズムとしてはまったく意味を持ちません。するなら、節変わりとか、春分点通過とか、七月ですね。それぞれはっきり思想的根拠がある。日本の神社もおかしな話で、二月に初午やったりします。どうしてそこまでめちゃくちゃするか不明。寒いのに。形式だからと言って従っていると、本人が形式から出られなくなります。わたしの命式は、春の草花を瓶が割れそうなくらいいっぱいに詰めていくので、フランク・シナトラのマイウエイが彼のライフソングみたいだとすると、わたしのライフソングって、森山良子の"この広い野原いっぱい"ですよ。世界に歌はたくさんあるので、自分のイデーフィックス探すと、かならず見つかります。わたしのイデーフィックスは実は"この広い野原いっぱい"ではないけど、四柱推命は世間の顔をあらわすので、その点では、森山良子でいい。https://www.youtube.com/watch?v=BZBbi7bUa3M

四柱推命とか算命で、その人の根源としてのメンタル体などを推理できるかというと無理です。ホロスコープでも無理。ただ、反射はするので、本体がわからないけど、本体の影が差し込んできたという部分はわかります。四柱推命もホロスコープも、地上に降ろされた梯子みたいなもので、それを使って、途中まで上がることはできます。しかし先に進むことはできない。ただ世間にあるいろんな学問とか分野は、この梯子の働きさえないので、その点では、四柱推命とかホロスコープは最低限学んだほうがいいだろうね、入り口として。よく宇宙人が、ホロスコープを使えと言うけど、その真の意味については今の地球人の知性ではまだ理解できないのでは。

それで、説話社の山田さんが、メールで、わたしに池田笑み氏の文章を送ってきた。「2009年に雑誌『MISTY』で、マドモアゼル・愛氏と松村潔氏の対談で、テーマが「母殺し」だったことがあり、その当時から愛先生は月をいったん殺すことを力説されていたかと記憶します。雑誌全部処分しちゃったので、もう読めないのが残念。」わたしは月を殺すとは言ってないが、月を体内から吐き出すのは重要とは言ってる。月を犬や猫に押し付けよう、と。こういうことも、ホロスコープがわかってれば細かく分析できるでしょう。そういう知識のない人は、自分の月を分離するなど、ものすごく時間かかるし、一生できない場合もある。でも、正確には母って月ではないんだよね。




2018年12月28日金曜日

20181228 言葉の扱い方を変える

来年の2019年3月からのわたしの満年齢ハーモニックでは、水星と金星がしし座で合。というか、2016年は水星と木星。2017年は水星と火星。2018年のみ合がなく、その後、2020年は水星と土星。2021年は水星と海王星で、これらはみなしし座での合です。で、来年のしし座水星・金星のセットをどう使うかを考えた。年末だから。定年退職後の年齢からは、わたしの金星はスピカ色に染まっており、スピカ的表現を言葉にすればいいわけですね。今の自然な流れで言えば、象徴的なものを説明するという翻訳・解説形式でなく、象徴的なものはそのまま提示するというのが良いだろう。象徴を象徴として使いまわすのが正しい姿勢ということで、この路線で言うとわたしの本には説明というものが減少していきます。事物と象徴の結合をそのままに放置するのでなく、象徴が事物に侵入するというのが良いのではと思ったのだから、それをいろいろ試みると良いですね。つまり夢の侵略。現代ではしばしば事物が象徴を侵略しているが、すると地上から人が消え去ることになり、機械だけが生き残る、ラピュタの生命が滅びた後みたいになってくるので、逆転方向に進めよう。説明言語48、普遍メタ言語24、象徴言語12ということからすると、象徴言語は新脳というよりも、古脳をつつくので、受け取った人は意味がわからないけど感じ取る、ということになります。説明言語は意味がわかるけど、感じ取るものがないということです。旧脳をつつくと、ジーンと来るとか、感動するとかになるけど、これは説明言語と象徴言語の中間みたいな場所。

特定の個別のものを説明していないが、すべてのものに浸透していくような言葉。あらゆるものに応用可能な理論みたいなものか。だからこそ、どんな個別なものも表現していないというものになる。それはどういう意味なのですか、と聞かれて、たとえば・・と具体的に説明した段階で、もとのものが死ぬ。象徴と事物の結合では、事物というのは象徴性が死んだものなので、象徴と事物の結合は、あたかもヨガの死体のポーズみたいなものかな。もともとは本当に死体の上に乗って瞑想するものだった。うっかりすると、事物の腐敗が象徴に移る。



2018年12月27日木曜日

20181227 ショートショートをそろそろ

2016年10月から2017年1月くらいまでに書いたショートショートをキンドル出版しようと思っているが、それについて太田氏にメールで聞いてみたら、「この間、Sがクラウドファンディングで40万円ほど集め、A5版カラー100ページほどのレシピ本を作りました。編集とデザインDTPは僕がしてあげたのですが、カメラマンもプロ、スタイリストもプロなので、当然、大出版社が出したものと同等の本が自費出版できるわけで、なるほど、こういう手もあったかと思いました。印刷費も紙代を含めて20万円いかなかったかと思います。」という内容も書き加えられていた。Sさんもいろんなことするね。なかなか楽しいね。なら太田M出版という名前にしてもらって、著者松村潔でキンドル出してもらうのもいいな。わたしがキンドルに直接upすると、二時間しないうちに出版の運びとなりますが、そもそも表紙デザインも、レイアウトもめちゃくちゃになります。誤字脱字訂正しないし。なんにも考えていない人だから。太田M出版というので、太田氏の好みの本を出しまくるのもいい。大田原権蔵パヴリッシングでもいいけど。



2018年12月25日火曜日

20181225 電磁気につかまらない蛆虫

夢が物質世界にまで侵入するというのは、わたしの体験では比較的多いので、facebookで夢侵略グループ立ち上げたいくらい。地獄の黙示録みたいに、夢がヘリコプターに乗ってどんどん侵略あるいは爆破するのはなかなかいいのでは。この線上で、物理学理論を修正あるいは新たに構築すると良いと思っている。で、電磁気の相互干渉というのは物質世界のルールであり、夢ではこの電磁気の働きはほとんど効かない。ずっと前にヘミシンク会で、すごく疲労しているのでチャージはどうすればいいのかと聞いたら、金星からチャージすればいいのではと回答があったが、その後蛆虫みたいなものがジャングルジムに大量に降り注いだ。ジャングルジムはエーテル体のことです。この蛆虫、つまりWIMPは、電磁気の相互作用がないので、電磁気を使う検出装置では発見できない。電磁気の相互束縛関係から逃れるので、原子の隙間にも入り込む。入り込むし、興味がなくなると勝手に出て行く。金星が持ち込んだ、この「気ままさ」を今後もっと探求するかな。人間が疲労するのは、相互束縛に捕まってしまうからだ。もともと意識は自由。どんな世界でも出たり入ったりする。人間は絶対に疲労してはならない。

2018年12月24日月曜日

20181224 流木でなくなること

ノストラダムスは、未来を選び、その方向に進んでいくことができるなら、流木のように生きる人々ではなくなると言ってるらしい。この場合、あまり複雑なことを考えなくても、法則として上の次元にあるものは下に対して無条件の介入ができるということを活用すればいい。ただし、下の側からすると、一番スムーズに感じる介入の時がある。上からすると無条件。下からすると、都合のいい時と悪いときがあるということだ。で、上からの影響を受け付けても、ぼうっとして抵抗感を感じないというのが、日食などだ。こういう時に、上位にある次元の「意図」をそこに埋め込むと良い。自動車は曲がり角でしか曲がれない。エニアグラムで言うと、機械が機械的に働かないインターバル地点は運命の切り替え点なので、いったいどうしたいのか明確な意図をそこに打ち込む。ミとファの間に持ち込まれる、上位のドの音は、意図だ。するとファ以降はその意図に誘導された方向に進む。人生には折り返し点がいくつも訪れるが、その都度油断しないで、意図をすかさず打ち出すと、何度かの転回点を経験して、思い通りの方向に行く。上位の意識が弱い人というのは、この折り返し点という肝心なところで、願いとか意図を忘却するか放棄してしまうのだ。折り返し点というのは、下のオクターヴの線上での希望とか願いが打ち砕かれるポイントだ。折り返し点は折り返し点という意味で、それまで続く力づけとか励みが消える。折り返し点は、それまで継続した視点からするとまさに空虚そのもので、虚脱以外の何ものでもない。空っぽになった時、上位の意識としては、この時に「やっとわたしの言うことを聞く気になったか」と思うが、それに気がつかない人が多い。このインターバル点を無駄にすると、人生はいつも出発点に戻って、何もしていないことに気がつく。付け加えておくと、この折り返し点の空白に、他者の意見などを取り入れたりすると、その人は穢れの人生を進むということにもなる。というのもそれは意図がはっきりわからないのでごまかしたということなのだから。

2018年12月23日日曜日

20181223 次は

昨日、書き終わった原稿はメール送信しました。となると、次は何を書きたいかということですが、いままで書いたことの先に行くべきだというのは当たり前なので、たとえば、夢と物理学の接点みたいなものもしてみたい。ミンデルにはかぶらない。わたしの夢はしばしば物質世界にはみ出します。目覚めているのに、まだ夢が続いている。つまり領海侵犯ですね。理論物理学というのは、通常の物理学に比較して、理論ばかりが先走って異常な世界に入っていますが、これはわたしがけっこう好きな感じです。前から言ってるけど、理論を実証するために実験するというのはやめろ。果てしなく理論だけが暴走すれば正しい道に到達します。理論が暴走すると、メンタル界に入ります。そしてメンタル界は、馬車・馬・御者・主人のうちの主人であり、すべてを支配する領域だ。世界のすべてはこの理論とロゴスのとおりに働く。そこまで決意があれば、実験しなくても、現象は言うとおりにする。そのことを理解すると、理論物理学者たちは、のびのび、好き放題をすると思います。彼らは、集中しているうちに、個人を捨てて、普遍的な原理に身を捧げるようになる。それが死ぬほど望んでいることなのだから。実証物理学の人々を敵に回すだろう。

2018年12月21日金曜日

20181221 来年は10ハウスに木星

書籍の原稿はだいたい書き終わると、印刷して万年筆とかボールペンで訂正する段階に入ります。パソコン画面だけだと、流れはわからないんです。なので紙に出して、それを点検します。そのためにレーザープリンター買ったんですから。今書いているものは紙訂正も終わって明日かあさってくらいで終了します。今回は二ヶ月くらいで書いた本になります。本を書き続けることで、どんどん内容がラジカルになります。なのでこれから書く場合はもっと極端になるでしょう。わたしとしてはそれは楽しいんだけど、世間はついてこれないと思います。10年とか30年とか後に一定量の人が理解するでしょう。つまり貯金みたいなものかな。この世間の中で、わたしが書いた内容を出版してくれる出版社があることがいつも驚きです。でも神保町でも、書店の中にわたしのコーナーがあるくらいなので、受け付けてくれる空間はあるのですね。いかにわたしが極端なことを言っているか理解しているのかな。それとも、これからわたしが少しずつそれを出すのかな。そのあたりを様子見しながら、だんだんとわたしはエスカレートします。わたしに限界はないよ。あるのはそれを受け付ける世間のほうです。来年はトランシットの木星が10ハウスに入り、狭いローカル社会の中で、わたしの影響が広がるタイミングなので、これにあわせて、極端なことを発言するかな。

2018年12月20日木曜日

20181220 ビニールごしの子犬

わたしは月の本で、月に感情的、内的に同化することは、狭い範囲に人を閉じ込めるので、人間をだめにしていく。だから月を外に対象化して、たとえば犬と猫を飼うと良いとお勧めしていました。今日の夢では、自宅に帰るのに、ビニール袋に子犬をいれて持ち運んでいました。犬と触れ合うとオキシトシンが出るということで、膝にあててみましたが、これもビニール袋越しです。こないだの夢では部屋の中で二匹の子犬をかまっていましたが、ほかに全部で50匹くらいいそうでしたが、全部をかまう気はありませんでした。これはH48の象徴化です。ということはわたしは今後、本でもわかりやすくいちいち説明するようなことをしなくなるということですね。H48では象徴をすべて説明しなくてはなりません。H24は察する能力であり、象徴も理解します。50匹近い犬をかまうなら、これはこういう意味であると解説します。犬も、子犬になると家庭を守る月の作用と考えてもいいと思いますが、大きな犬とかになると、外の宇宙に対する封印、つまりは同時に通路になるということもあるでしょう。封印は閉じるということをことさら行うので、そのことそのものがすでに通路をあかしてしまうのです。ヘカテの犬は目を見るとわかると思います。これは愚者のカードにも暗示されています。小さな犬は身体が小さいので、相対的に部屋が大きく見える。つまり小さな世界が一大事になるということです。夢の中では子犬に対する愛着はありましたが、直接触るのは避けていました。

2018年12月17日月曜日

20181217 守護霊というのは?

鎌倉時代風宗教の話題として、誰にでも守護霊がいるわけではないと書きましたが、そもそもわたしは守護霊って何か知らなかった。人間はメンタル体、アストラル体、エーテル体、物質体の四つで生きているので、守護霊というのは上位のメンタル体やアストラル体を他者的に投影したものでしょう。他者的に投影してしまうのは、本人の人格がこれらの上位のボディと差異性を持っているからです。そしてあまりにも差異性が高く、上位の意識との関係を持てなくなった人を、守護霊がないと説明したのです。遠くには関係しているかもしれないが、遠くという段階で、すでに無関係に等しいです。メンタル体、アストラル体、エーテル体、物質体が同期している、すなわち霊魂魄肉の軸がそろって同心円になってる場合には、反対の意味で守護霊はいなくなる。直通で重なるので、守護霊の存在は想定できない。自分が思ったことがそのまま守護霊の言葉になってしまうのだから。じゃあ、背後霊ってなに?と思うのですが、わたしは物質体の裏側みたいなところに、一番低いエーテル体が「逆相」で重なっていると説明します。おとめ座の視覚の裏。逆相という意味では、男女が反対になります。見えないところにあるヤコブの梯子の最下段。これは背後霊では?文字通り背後と書いているのだから。エーテル体は上位の意識とつながっている。つまり背後霊は守護霊に完全に従う。で、背後霊はかなり下界的なので、物質生活になにかと影響を及ぼすでしょう。二十代はじめのころ、つのだじろうのうしろの百太郎にはまっていた。あのどろどろの暗い風景は、いかにも低いエーテル体らしい。この低いエーテル体は肉体につながっているという意味で、わたしの夢の中では「家の近所の稲荷神社」という光景で登場します。稲荷神社を見つけたら、家に戻れるが、稲荷神社を見つけられないと、家に戻れない。つのだじろうの漫画だと、霊と魂は同じものとみなされている。魂を幽界にマッピングできない。幽界はエーテル界なんでしょうね。

2018年12月16日日曜日

20181216 宗教の信者

一般人の場合には、5つのセンターで生きている。しかもこの5つのセンターが統合化されていない。なのでけっしてその先の世界に行けない。で、宗教の信者というのと、たとえばオショーのサンニャシンというのは違うのだが、世間では似たようなものだと考えられている。信者になったりするにはいろんな理由があるが、サンニャシン(弟子)になるというのは、たいていは徐々に高次感情センターが働き始めた時にそういう行動をする人がいるはずだ。高次感情センターが働き始めているが、高次思考センターが機能しない場合には、帰依するとか、サレンダーするという態度が出てくる。王任三郎とか、オショーとか、高次思考センターのシンボルのようなものなのだから、高次感情センターはそこに帰依する、つまりお側にいる間に、正常な存在ならば、高次思考センターの力を盗み出そうとするのだが、怠け者は依存したままが続く。5つのセンター、しかもそれがばらばらに働いているといういわゆる一般の人々は、自分は宗教の信者にはならないし、独立性があると思い込んでいるが、実は信者とは、高次感情センターが働き始めているが、高次思考センターは不在というケースが多いということからすると、5つのばらばらセンターで生きている一般の人よりも、宗教の信者のほうが、少し先に行っているということだ。やっかいなのは、5つのセンターの中にある性センターはH12で機能し、きわめて高速で強力なので、それに思考とか感情が巻き込まれると、狂信的になったり、思い込みにはまったり、頑迷になったり、異常者になったりするということだ。この場合には、宗教の信者も、自爆テロの人みたいになったりする。5つのセンターで閉じる「平凡だがまともな人」になるか、7つのセンターで閉じる「完全な人」になるかどちらかが到達点だが、それ以外は荒れた海で泳いでいるようなもので、どこに行き着きたいのかを、はっきりさせないと、永遠に海に飲まれる。7つのセンターを目指し、5つのセンターの小さな結晶をいったん解体し、グルに帰依するというのももちろん進化の欲求から来ており、正しい判断ではある。それを正しい判断と言えるのは、怠けずに、高次思考センターの象徴であるグルの力を学習して盗み出そうとする態度を捨てない時だ。

2018年12月15日土曜日

20181215 宗教

わたしが1990年代にニフテイサーヴでシスオペをしていた時、幸福の科学の会員は教祖の本を大量にわたしに送りつけてきた。多すぎて読めない。結局一冊も読んでなかった。その後、ライバルのオウム真理教の信者は、わたしにダンボール数箱のオウムの本を送ってきた。送ってきたのは井上嘉浩だ。オウムはその後衰退したのかもしれないが、最近、大川霊言テロが、信者の新木優子にふりかかってきたことが話題になっている。オウムにしても、幸福の科学にしても、物質界というか、この地球社会に対してあまりに執着心が強すぎてこれは異常。大川隆法にしてもなぜそこまで欲深いのか。物質界とエーテル界を切り離して、宗教的な人々は物質界をあきらめてエーテル界に移動しなよ。あらゆる欲を捨てるといい。まあ、教祖が欲深すぎるので、信者はそこから逃れるのを許されないのでしょう。とはいえ、宗教団体の話をしましたが、社会主義とか民主主義とか、天皇制とか、これらも宗教です。宗教を批判して、民主主義であると思う人も、そういう宗教の信者なんです。出口王仁三郎は、日本人は三分が生き残ると言ったが、つまりこれは3パーセントが自己を失わないということで、彼らは宗教の支配からは自由だということかもしれないですね。

2018年12月14日金曜日

20181214 カラフルな光景

エーテルの紐は昔はシルバーコードと言われていた。で、この一本の紐に深入りすると、中心線と、反対に動く周辺回転皮膜があり、この周辺皮膜にはかなり具体的な情報がストックされる。ストックが進むと、この紐の先のターゲットとの関係がだいたい切り離されることが多い。つまりもうこれ以上は情報は詰められない、おなかいっぱいということです。で、タロットカードの20審判のカードで、ラッパに入り降りていくと、下から墓が開いて、内容物が「展開される」ということに慣れてくると、このエーテルの紐の中身を読むというのも、わりに楽にできるようになる。でも、この墓開きを一度すると、しばらくはそれが続くので、今日は朝からずっと日本のどこかの漁村の鮮やかな光景を見ていました。また上空からドローンのように見ているので、花が満開な光景のほうが前面に出てきます。わたしは大たい骨を壊しているので、遠くに旅行には行けない。そもそも電車に乗るのは無理だ。なので、この中心に入ると、周辺が解凍されるというやりかたで、観光するのもいいなと今日の朝思った。日本の風景を見たのは、Huluで「トワイライト、ささらさや」を見て、日本映画は映像が上手だねと思ったのが原因。
ps.いま思い出したが、日本風景の前に、男の人が泣きながら落下していくのを見た。落下した後、見つからない。また新たなボランティア?20審判のカードの性質がよくわかっていれば、泣かなくて済むのですが。

2018年12月12日水曜日

20181212 環状の道

地球を枠つきの水たまりと定義したら、その後、ずっと真ん中に池があり、その周囲に環状の道があるという光景が何度もあらわれる。環状の道は月の軌道で、そこにステーションがある。時々真ん中の水に飛び込む人がいる。が、全体にこの真ん中の池は危険地帯という気配は続く。環状の道は、上から見て右回りだと降下で、池である地球に飛び込む。上から見て左回りは、上昇とか抜け出すとか。12サインをあてはめると、サインの進みは上から見て左回りだ。夢の中で、この道のある場所に図書館があったが、12サインの配置で考えてみると、いて座あたりにそれがあった。そこを右回りに通り過ぎると、少人数の集団がいた。これはさそり座あたりか。というよりてんびん座だ。このチームが、見失ったわたしの子供を保護していたのだが、二回転目のてんびん座は、19太陽のカードに対応するので、この見失った子供とは、太陽のカードのもうひとりの子供のこと。わたしが池に飛び込んだので、子供の行方がわからなくなったというわけ。わたしはこのチームを工事の兄ちゃんたちと呼んでいるが、ずっと前にスピカに行く時に、数人が溶けて筒になった。人になったり筒になったりというところが、工事の兄ちゃんたちという名前に合ってる。完成した建物の場所にはいないので。毎度のことながら、わたしはこの工事の兄ちゃんたちに会うと、感激するとか感動するとかの感情を刺激されてしまう。自分を犠牲にする精神があるからだ。まあ自分を犠牲にしないことには、人の形が溶けて筒になったりはしない。


2018年12月11日火曜日

20181211 鮫肌でざらざら

今日は珍しく夢を記憶していなかった。毎日ほぼ確実に2つの段階を記憶しているのだが。そのかわりにというか、少し早めに目覚めると、20審判のカードの状態に入る。わたしはこのカードをクンダリニなどと説明しているけど、クンダリニは中心のスシュムナ・ナディをあがって来る。でもわたしの場合には最近は、自分が天使のラッパになって降りていくと、その周囲を包むように下に畳んであった幕があがって来るような感じ。で、この幕は映像を映し出すスクリーン素材で、そこに鮮明な映像が映るのだが、今日は地面に穴が開いており、その脇に、穴から取り出したらしい古い石版が横たわっている。石版も地面の穴もざらざらしたサメ肌であり、見てると鳥肌が立ちそう。石版は太古の金星の記録らしい。数日前にヴェリコフスキーのことを思い出したのでその関連だろう。地面の穴は20審判のカードに描かれた墓穴に似ているが形は不定形で、蟻の巣の露出のような。石版は見た以上は自動的に数日かけて解凍されるはず。最近はこういうふうに腰から幕が上がって、身体を取り巻くか、あるいは目の前に板として出てくるかというのが多いが、この壁の質感とか素材によって、エリアとか時代を考えてほしいということらしい。以前は似たものが多かったが、最近はこのスクリーンの素材がいろいろ違っている。で、この20審判のカードだが、わたしはいつも線、筒、トンネルとかは、大小サイズが可変すると言うが、天使のラッパは、この筒であり、主体がこの中に入って下に下りていくのでは。すると、下にあるものは外周を包む幕でもあり、つまり拡大して見える。21世界のカードでは、これが楕円のエナになる。下の墓石は世界すなわち正方形だと説明しているが、いろんな正方形をアクセスして、ラッパの筒で下りる。ひとつの正方形を相対化するために、これからは二種類をいつも比較してほしいと言われているようだ。以前の夢で、反物屋さんで、どの布がお好み?と聞かれた以後の話かな。

マクロな太陽系は、ミクロでは原子に転写されていると考えているが、天使のラッパで降りていくと、自分が原子核になり、墓が電子の幕になるのでは。相互束縛によって、つまり太陽と惑星群、惑星と月などによって、太陽系世界は安定しているが、兄弟姉妹的な、もうひとつの世界と比較してほしいと言われると、たとえとしては、エキゾチック原子かな。この太陽系とシリウスは兄弟で、互いに回りあっているという説があるが、陰陽の関係性の束縛がゆるいぶん、勝手な動きをする"系"があるらしい。太古の金星って、交換留学?こういうのを、幕に映る映像でいろいろ調査してください、というおはなし。


2018年12月10日月曜日

20181210 マイナーな曲だと著作権に引っかからないのか

久しぶりにyoutubeにuploadしてみた。
シャルパンティエあたりだと、著作権チェックにはひっかからないのか。
https://youtu.be/rpz5wIfsN-c

2018年12月9日日曜日

20181209 土の中の水

地球は水に囲まれ、この中に大陸とか島がまばらに存在している。でも地球のサイズは決まっていて、つまりは枠の中にありということで、タットワの25個のシンボルで言えば、土の中の水と分類できる。今の地球をどう決めておけばいいのか、といろいろ考えたあげくに、こういう位置づけになった。シフトした地球とはっきり違いを説明できるようにするために、あれこれ名前について考えていたのだ。で、14000年前に、カフナの先祖は、エジプトに暗黒の時代がくると予見してそこから去ることにして東に移動し、ハワイに行き着いたとロングは主張した。でも最近、急にこの説を疑うようになった。確かにハワイは、日本式に言うと、海の中の島なので弁天島であるが、彼らはハワイという土地を重視しておらず、その近所の海の三角地帯を活動拠点にしたのでは。つまり存在状態がシフトしており、わたしたちのように海に囲まれた陸地に住む必要性はない。彼らは真にサイキックな人たちであり、そういう人間の身体はエーテル体であるのが一番自然だ。そもそも古代エジプトとはそういう時代だ。シュタイナーは西洋人はとことん物質的であり、物質から離れるのは不可能だと言ったが、西洋の国には海に囲まれておらず、となりがそのまま陸地で隣の国になってしまうことも多く、こういうところでは、地球は土の中の水なのに、土の中の土と思い込んでしまう傾向もあるからでは。海は島を飲み込むし、小さな視点から見ると、圧倒的に広がっている。しかも均等に。海に囲まれた島は、局在から非局在に拡大するエーテル体というイメージを受け入れやすい。やがてはすべての存在はこれに飲み込まれていくと思っている。

西洋人が自分たちはギリシャから始まり、エジプトから始まったわけではないと言うのは、自分たちは純粋に物質主義であるということかな。

2018年12月7日金曜日

20181207 熱があるので

技術評論社の月星座占いという本が増刷だそうです。毎月何か増刷の連絡が来ますね。月星座占いについては、月に関してさんざんなことを書きましたが、今の月は地球人を堕落させているんですよ。なので本来の月の役割に回帰するには、月は7つないといけないです。ひとつに能動、受動、中和という有機的作用が働くと、これは21個の月になります。今の地球のまわりにある月に関してさんざんなことを書いているのは、わたしが実は月に関してそうとうに詳しいということを示しています。月が7つになると、これはシフトした地球になります。いまのようにひとつしかない月は、いわば地獄の入り口みたいな位置づけにはなるでしょうが、ある意味、これはゴミ箱みたいな意味もあります。ここに吸い込まれた人は、二度と戻ってこない。でも「人間」は絶対に吸い込まれません。今日は熱があるので、早朝のzoom講座は中止にしてもらいました。原稿は書けるけど、話はできないです。もしかしたら、今後体調はもっと不安定になるような傾向もあります。固まったゼリーではなくなったので、やすみなく揺らぐかもしれない。地球も本来は、このように休みなく揺らぎ、どこにも安定したものがないということになると、一番健全で本来的な地球なんですけどね。大地は安定していてほしいというのは人間の傲慢で、そもそも地球は人のために生きているわけではない。いそうろうが勝手なことを言うな、というところでしょうか。

2018年12月3日月曜日

20181203 四つの世界の同期

メンタル体、アストラル体、エーテル体、物質体という四つのボディが軸がそろって同心円みたいに重なると、四つの界の記憶が持ち込みされる。地球では、物質体の部分が、上の三つとは同期しないように作られていて、ここだけが独自の法則を持つ。たとえば人間はみな工業製品のように同じ形をしていて、上の三つの中身がどんなものであれ、全員が制服のように同じ形の肉体を持つ。結果として、物質界では上の記憶が消える。目覚めた時夢をあまり覚えていないのはこういう理由もある。もし上の三つがそのまま反映された物質体を持つと、人の形はかなり少なくなるのでは。想念に従う物質の性質を持つ惑星世界があると、そこでは生き物はみな本性に応じた姿形を持つことになる。なので、もし次元上昇した地球が存在しうるとしたら、そこに住む人類はいろとりどりの姿に。上の法則がそのまま下に下りてくるという構造を維持するには、地球には月が7つないといけない。月がひとつしかないために、それに引きずられて地球は下落して太陽と距離が離れてしまい、これが地球の物質界のガラパゴス的な性質を作った。もちろん月を人工的に作ることは可能だが、今の地球は下落を続けてもらって、シフトした地球に7つの月を置くというのがいいのでは。QHHTなどを利用して、自分の本当の姿を見つけたほうがいいのでは。エーテル体は肉体とアストラル体を繋ぐので、板ばさみにあっていて、肉体に近づくにつれ人間の形になり、アストラル体に近づくにつれ、人間の形ではなくなっていく。地球では人はみな同じ形というのを見て、いったいどういうことなんだと宇宙人たちは衝撃を受ける。同じ工場で作った鉄の鎧を着せていますと説明すると、ああそういうことか、と。グレイとかはみな同じだがあれは宇宙人ではなくロボットだし、地球人をまねたパロディのような気もする。

太陽神信仰だと、この太陽系の型に全員があわせなくてはならないということになり、人はみな同じ形になる。しかし星信仰の場合には、さまざまな星のルーツに戻ってしまい、この地球はたまたま今いる観光地になるので、人の形はみな星のルーツのスタイルになる。確かに多少の妥協はある。でないとここにはいられないので。しかし長くは居座らない。


2018年12月1日土曜日

20181201 前世記憶は嘘くさいのが当たり前

前世療法などで前世を自分で見た場合でも、どこか嘘臭いと感じる人がほとんどでは。この嘘くさいと感じることは大切。なぜなら、体験の印象に一体化してしまう比率が高いほど、その人は不在になるからだ。今の人生も嘘くさいと感じるのが正解。で、アカシックレコードのアカーシャというのは、第五元素のことで、ここには時間と空間がない。第五元素を四元素に分解することではじめて時間と空間が生まれる。アカシックレコードの文字を解凍して時間と空間の中に落として動画にしたのが今の人生。また前世の記憶もこのアカシックの記録のどれかを参照している。わたしたちは具体的に生きている時に部分的なことに気をとられすぎて、アカシックの記録そのものを意識することができない。足の爪を見ているが、それが何かの生き物の先だということがわからないようなものだ。自由意志の生活とは、この全体を見ないで一部のみ見ていると、あたかも自由に動けるように感じるということ。犬の身体が小さくなると三畳間でも運動場のようにのびのび感じる。このアカシックレコードの書物はタロットカードでは2女教皇が持つ書物として描かれており、だいたい女教皇の腰のあたりにあるが、12サインでは、おうし座に対応し、ミラーサイトは松果腺の周囲、胸、腰などにある。もとデータはいくつかの範囲があり、たとえばトゥバンの図書館は、これが管轄する全太陽クラスターの全域に及ぶ記録ということになる。地球範囲のアカシックデータは、エジプトにあり、これはジオテティックのサインではおうし座の始まりあたりに該当する。確かおうし座の1度くらいか。おうし座は身体に埋めこまれた資質、記憶などだが、これを読み出しすることでわたしたちの人生が始まる。11力のカード、あるいは11みずがめ座は、おうし座にたいして90度だが、ここでこの埋め込まれ、同一化したデータを自分から引き剥がそうとする。引き剥がさないと、魚座の後の春分点で、外の世界に飛べない。

外の世界に飛ぶというのは、その外の世界の構成する因子に、自分の心身を組み替えていくことをあらわす。今の自分がそのままで、どこか外の宇宙に行くというのは理屈として成り立たない。構成因子の骨組みが共通している宇宙には行くことができるが、さらに構成因子が違うところには行くことができない。で、地球アカシックにしがみつくと、構成因子の組み換えには抵抗するので、どこにもいけない。だから脱ぎ捨てる。あるいは脱衣婆が脱ぎ捨てのお手伝いをする。時空に分解された四元素を、もとのアカシックデータとしての第五元素に戻すのは、図形として、エジプトのピラミッドに似ている。大地に四つがあり、上空では五番目に集約されている。ここから外に飛び出すというのもあるのでは。四元素に細分化されるのが実人生で、そこではアカシックは読めないが、死ぬ直前にはこの巻物をちらっと読むことができる。細部から手を離したら読める。

物質肉体を脱ぎ捨てると、エーテル体の身体となり、これは局在から非局在に拡張していくこととなり、サイズが可変するので、たとえば太陽系のサイズくらいに拡大することもある。太陽系サイズにエーテル体の網目が伸びた情景というのは、太陽系の範囲まで、身体内の血管網が張り巡らされたのと似ており、この時、太陽系のサイズなのに、自分は四畳半の部屋にいるみたいに思ったりする。構成因子のプロトコルは8文字、8点。つまり四畳半の8つの隅みたいな。もちろん、これマカバの8点と考えてもいい。