2018年12月28日金曜日

20181228 言葉の扱い方を変える

来年の2019年3月からのわたしの満年齢ハーモニックでは、水星と金星がしし座で合。というか、2016年は水星と木星。2017年は水星と火星。2018年のみ合がなく、その後、2020年は水星と土星。2021年は水星と海王星で、これらはみなしし座での合です。で、来年のしし座水星・金星のセットをどう使うかを考えた。年末だから。定年退職後の年齢からは、わたしの金星はスピカ色に染まっており、スピカ的表現を言葉にすればいいわけですね。今の自然な流れで言えば、象徴的なものを説明するという翻訳・解説形式でなく、象徴的なものはそのまま提示するというのが良いだろう。象徴を象徴として使いまわすのが正しい姿勢ということで、この路線で言うとわたしの本には説明というものが減少していきます。事物と象徴の結合をそのままに放置するのでなく、象徴が事物に侵入するというのが良いのではと思ったのだから、それをいろいろ試みると良いですね。つまり夢の侵略。現代ではしばしば事物が象徴を侵略しているが、すると地上から人が消え去ることになり、機械だけが生き残る、ラピュタの生命が滅びた後みたいになってくるので、逆転方向に進めよう。説明言語48、普遍メタ言語24、象徴言語12ということからすると、象徴言語は新脳というよりも、古脳をつつくので、受け取った人は意味がわからないけど感じ取る、ということになります。説明言語は意味がわかるけど、感じ取るものがないということです。旧脳をつつくと、ジーンと来るとか、感動するとかになるけど、これは説明言語と象徴言語の中間みたいな場所。

特定の個別のものを説明していないが、すべてのものに浸透していくような言葉。あらゆるものに応用可能な理論みたいなものか。だからこそ、どんな個別なものも表現していないというものになる。それはどういう意味なのですか、と聞かれて、たとえば・・と具体的に説明した段階で、もとのものが死ぬ。象徴と事物の結合では、事物というのは象徴性が死んだものなので、象徴と事物の結合は、あたかもヨガの死体のポーズみたいなものかな。もともとは本当に死体の上に乗って瞑想するものだった。うっかりすると、事物の腐敗が象徴に移る。



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