2018年11月16日金曜日

20181116 驚愕のバイロケーション

カフナ式のバイロケーションすると、そもそも自分から筒をターゲットに突き刺す時に、すでにエーテル体の知覚になっているので、ターゲットもエーテル体の実態を見ることになります。整った形の物質体は形骸であり死物。生命の本質はエーテル体なので、このエーテル体を見る時、たいてい驚きがあります。筒を突き刺す時には送信なので、こちらから整った明確なイメージを押し付けていますが、受信状態になって、相手から流れ込んでくるものを受容している段階では、確実に型崩れして、なんともいいようのない形態に変化しています。これをどうたとえればいいのかと思っても、ターゲットにより毎度違うので、たとえられないです。でも岩のようなというのが近いかな。この岩の中に穴が開いており、この穴がどこまでも果てしないトンネルになっているとき、このターゲットは異次元とか違う世界につながっていることがわかります。興味を向けすぎてしまうと一緒に吸い込まれてしまい、最初の目的であるターゲットを見るということを忘れて、違うところに行ってしまいます。ターゲットがエーテル体を持たず、物質体だけである場合には、バイロケは肩透かしになり、何も情報が帰ってきません。バイロケーションして、ターゲットをうまく捕らえた時、恐ろしいほどの反撃に出会うという感じでしょうか。問いに回答してきたとき、これはリアクションが強い時には反撃とか襲撃にしか見えません。自分の側が関門を開いたので、そうなるのは当たり前です。力関係というものはあり、相手を覗くだけのはずが、相手に食われてしまうということも起こります。地球の人は多くはこの力の衝突の凄まじさを知らないので、セムジャーゼは地球人は宇宙に出て行くには性格が弱すぎると言いました。

2018年11月14日水曜日

20181114 夢の世界の歩き方

夢の中では、物質生活の記憶とか形をかなり借りるので、実在の人物のイメージなども出てきたりする。睡眠中は、エーテル体は身体から離れることはないが、夢は身体から外に長く伸びたエーテル体の知覚なので、この肉体と紐でつながっているというところで、実際の記憶を借りたりする結果になるが、夢体験としては、あまり正しいことではない。身体から離れた瞬間から、ものの形はすべて変形し、また自分も人の形をするわけではないというところに移ったほうがいい。エーテル体は、空を飛ぶし、宇宙にも飛ぶ。人の形というのは、歩くために足が二本あり、小さな作業をするために二本の手がある。どこにでも自由にいけるというエーテル体の世界では、つまりは足も手も不要なものであり、純度の高い、癖のない、精密な知覚意識を持つには、人の形を失ったほうが良い。しかもわたしたちはものの大きさは、自分の身体との比較で考えていくので、身体から離れた瞬間から、ものの大きさはまったくあてにならない状態になる。生きている時のあらゆる尺度が壊れていくのが正常な夢体験であり、徐々に夢をそのように特定の信念体系から開放していく工夫はとても重要なことでもある。応身ボディ、エーテル体ボディは、この物質世界の尺度がほとんど通用しない。特に時間の順番、空間の秩序がまったく別物になっていく。肉体を持った宇宙人として、このエーテル世界にかなり近いというか似ているのはアンドロメダだ。一歩進むと別世界という変化に慣れるのに、マニュアルがあると良いかもしれない。地球の歩き方でなくエーテル界の歩き方。まずそもそも聖書に書いてあるように、この物質世界の最初の入り口というか、思考パターンは天と地の分離であり、エーテル界に行くと、この天と地の分離が「解約」されてしまう。

2018年11月13日火曜日

20181113 身体の中の物質性とエーテル要素のえりわけ

毎日夢をおぼえていますが、これはこれでけっこう疲れます。唯一放置できる時間が、まじめな探求の場になってしまい、起きてからの生活が逃げ場になってしまうような。で、夢の内容が混濁しないように、物質とエーテル体の境界線をはっきりさせようという時、身体の中の内臓は、物質的臓器とエーテル体を含む霊的要素の強い臓器と、それぞれに大きな違いがあります。眠った後の夢の体験に、物質的ストレスを持ち込んで情報を混乱させないためには、この臓器の働きの明確なえり分けが重要かもしれません。排泄器官が霊的性質を持つと、きっちりした排泄ができなくなりますね。シュタイナーは脾臓は霊的器官だと言ってた様な記憶がありますが、物質的にどういう役割かあまりわからない臓器は、霊的な要素で働き者なのかもしれません。たぶん脾臓はエーテル体と物質体の境界線を引く作用があると思われます。なのでその作用はかなり複雑。占星術ではこの脾臓は土星です。医学的に検証するというのは純粋に物質的側面だけで見るので、臓器の役割の半分も理解できないかもしれません。基本の考え方としては、マクロコスモスとミクロコスモスは鏡で見るように反射しあっていて、臓器もマクロコスモスの模型だということです。しかしこの小さな場に注視すると、反対に意味を見失います。受動的に受ける器官をじっと見ていたりすると、その本源を見失うのはいつものことです。

2018年11月11日日曜日

20181111 はみ出し成分

今日の夢では、久しぶりに、例のエビ金星人が、エーテル体は20パーセントくらい尾を引くのが良いと説明していた。たいていエーテル体は身体の外2センチから3センチくらいの範囲にあり、これはある時代からエーテル体は身体にぴったり張り付くようになったと言われた以後のこと。ちなみにオーラのことではありません。肉体の複製であるかのような、肉体の機能を果たすエーテル体のことです。身体の外3センチだとかなり少ない。20パーセントとなると大変な大きさだ。これによって日常生活に大幅な異変が出てきます。すべてが20パーセントはみ出し。今日の夢は、物質生活においての無駄、無意味さというものを増やすというテーマで、効率性、コスパ重視というのをことごとく台無しにするようなものでした。役に立たないことをするのが良いというのは、わたしはよく自分の本でアサジョーリを引き合いに出して説明していますが、多くの指導者がこのことの重要さを強調します。無意味な動作、行動をしろ、と。つまり物質的な価値観からすると、20パーセントはみ出すようなことをすればいいのです。これが肉体に張り付くエーテル体をもっと拡張することに貢献するのは言うまでもないのですが、しかししかし20パーセントという比率は大きいです。工業製品で、不良品は3パーセント出るとして、もしこれが20パーセントになると、その工場は立ち行かなくなるのではないでしょうか。わたしはよくエーテル体は滲み成分と説明しますが、この滲みを今回は大胆に20パーセント拡大するのです。「けもなれ」のニートも20パーセント成分に入ってるな。

2018年11月9日金曜日

20181109-2 流木でなくなること

物質世界は一方的な時間の流れの中で作られている。これは変更のきかない川の流れのようなもので、こうなればああなるという因果律がはっきりしている。地上的な欲望、夢、願望はすべてこの一方的な時間の流れの中で形成されている。子供は成長して大人になる。お金はためると増える。運命は変えられるかという議論が時々あるが、そもそも人生の夢や願望そのものが、この決まったコースの中だからこそ形成できているのだということに気がつかないといけない。エーテル体は反対の時間の流れを持っている。なので、このエーテル体の流れを物質界にぶつけると、対消滅してしまい、物質界の一方的な時間の流れの中でのみ成立してきた価値観はあらかた死んでしまう。未来を変えていく切り替え器は、この対消滅の現場(結婚式)にあるのだが、その現場では現世的な希望、目標、夢があらかた死んでおり、それらはどうでもよくなっているということが多く、この現場でも生き残る志が未来を作る。ノストラダムスは、大半の人は運命に流される流木のようなものだと言っているらしいが、対消滅ポイントで杭を打つことができる人は、パラレルワールドを次々と乗り換えて望みの世界に行く。わたしは日食が切り替えに使われると言ったが、その前にそもそも物質界の価値観が死んでも生き残る志、意図がもっとも重要である。本当は何がしたいのか?ということが重要。そしてこの通りの世界ができあがる。

20181109 ラミューさんの金属リング

今日はホシハルカさんの夢を見ました。とはいえ、ホシハルカさん現物とは関係なく、ホシハルカ型を借りたということです。なぜなら、わたしの記憶の中で、ホシハルカさんは中野少年に会って、ラミューさんからもらったという金属ドーナツリングを見せてもらったらしいからです。(あいまいな記憶)詳細についてはいま書いている本に入れる予定で、しかも本の中ではHHさんになります。出演してもらったのですが、ギャラは出ません。物質体と、その裏に見える一番低いエーテル体は反対の性を持ちます。これを結合させるのが結婚式で、わたしのヘリオの天王星つまりエーテル体は結婚式の司祭なのですが、この結合場において、ある記号を打ち込むと、人生の方向はその記号の示す方向に走ります。物質体ではいかなる努力をしても、この方向が変わるということはあり得ません。一方的に走る時間は崖に向かっている時には、それを回避することはできないのです。ノストラダムスが言う未来を変えるというのは、この結婚式の現場での「意図の打ち込み」によってのみ可能です。何度か切り替えることで、最初からは想像もできないようなところに至るでしょう。武田鉄矢の「思えば遠くに来たもんだ」みたいなものでしょうか。物質界ではいかなる選択もないということをもっと自覚するべきです。ここでは非常に多くの人があらぬ幻想を抱いています。物質界に生きると流木になるしかないのです。ラミューさんの金属ドーナツリングは、物質体とエーテル体が結びついており、つまりはヒヒイロカネとかオリハルコンみたいなものですが、これは時間の流れに隙間を空けるのです。そして非時間通信ができます。わたしはこの金属リングが、ハズキルーペみたいに「大好き」なので、これについて詳しく書きたいですが、いまの段階で書けるかどうかわかりません。ただ、わたしは結婚式の司祭なので、結婚式のプレゼントに送られたものは人生が変わってしまうというのを知っています。このプレゼントの種類について、夢ではいろいろと考えていました。

2018年11月8日木曜日

20181108 低いエーテルのレベルについて

今日のZOOM講座で、エーテル体の7つの層についての話題が出たが、これは今後ひとつずつの違いを識別していくことは大切でしょう。で、物質に近いエーテル体は、物質に対する影響力もあるので、この扱い方のテクニックを持った人は魔道士や呪術師みたいになっていくし、転落も早い。この転落するパターンは、物質界に対する欲が残っているケースで、この欲を満たすのにエーテル体の力を使う誘惑に勝てないから。仙人になる人は、地上に対する欲求がなくなっているので転落しないが、これは物質界に迎合しないエーテル体を持つことだ。予言や予測、リモートヴュイングなどにはまったく使えない、というか使う気のないエーテル体だ。低いエーテル体から訓練を始めるのがいいのですかとZOOMで聞かれたけど、低いほうからはじめるとだいたい上昇不可になるケースが多いのでは。これと陽神の育成を混同している。低いエーテル体の育成はタロットカードで、かなり終わりの段階で出てくるテーマ。つまり自分の内面で同化せず、エーテル体を物質とみなすような対象化ができれば低いエーテル体に向かってもいいが、同化している場合には、人間がそこに飲み込まれていく。人間が普通に死んでいく場合には肉体とエーテル体は切り離される。つまり物質に対する干渉はなく、生きている間、いろいろ物欲があっても、物質的に取り組むので、弊害はない。しかしエーテル体を切り離さないで、このエーテル体が物質を飲み込むような道は、境界線を動かすようなもので、触ってはいけないものに手を出すような事態。タロットカードはそれをはっきりと提示しているので、教科書のとおりに進化するのでなく教科書そのものをいじるようなもので、リスク高いのは言うまでもない。案内者というか、教える人はかならず必要なのでは。エーテル界に立って教える人です。角行にとって役の行者のような。夢の中でつぎこれやれ、などと指導していたらしい。



2018年11月7日水曜日

20181107-2 センターの連動

12感覚は平均的に発達させる必要があると説明しているのだが、これは占星術のホロスコープで、惑星によってどれかのサインが強調されていたり弱かったりするのはアカンと言ってるのと同じだ。思考センターと感情センターと身体センターは、同期を取り協力しあう必要がある。おうし座の思考感覚の裏にはさそり座の生命感覚があり、生命感覚が凝縮されると、思考は強く明確になる。ふたご座の言語感覚の裏にはいて座の運動感覚があり、言葉を考えたり聞いたりする時、わたしたちは身体が微妙に運動していることに気がつく。考えている時にも、この運動を伴わない時には、言葉は空回りしており、真実味を持たない。思考が空回りして、それに感情も身体もついてこない時、その思考は嘘だと判断してもいい。それにそもそも、感情と身体がついてこない思考をすると、ひどく疲れるし空しさが残る。本人が確かな実感を持てないのだから。グルジエフの7つのセンターが調整されるとは、何かするにも、すべてが連動し、協力しあっているということだ。7つのセンターはかなり無理な話なので、まずは通常の思考・感情・身体の5つのセンターが連動することを目指すといい。思考と感情が連動していないとは、たとえば何か考えても、感情はそれに従わない、否定している、笑っているというものだ。自分の中でまとまっていないものは、他人から見ると、もっと疑わしいものに見えてしまうのはあたり前だ。センターがまとまると、固い岩のようになる。講座をしたり、コーチングしたりする人は、この思考や言葉に感情も身体も連動させる工夫をすると、らくらくカリスマになれるだろう。質が高くなくても、少なくとも、その場所においての真実性を持つことができるからだ。思考と感情と身体が連動したものがリアルだ。そしてそうでない部分的な働きは機械的になるので、それをテンプレと言う。何かの思考のテンプレは本人が一度も本気で考えていないことを、道端から拾ってきたもので、このテンプレに返事する人はいない。というよりリプライしてはいけない。(テンプレの挑発に乗る人は、自分にもテンプレ要素があることを反省するべきであるという意見。ちゃんと考えて聞く人には、誰もがちゃんと答えざるを得ない。)

20181107 アルクトゥルス

アルクトゥルスは恒星。しかしアルクトゥルス意識というのは、実は恒星の前にある、全恒星意識のひとつ。この周囲に七つの恒星がある。恒星を最初に意識の結晶化というふうに定義した時、全恒星意識は結晶化しておらず、これがアルクトゥルスの、形になったり溶けて形がなくなったりするということに関係する。形と言っても物質的形ではなく、アストラル的形でもなく、意識の結晶という形。意識の結晶ってなんだ、というと、意識する定性を持つこと。能動の1と受動の2があわせて3、これを定性化した段階で6になる。人間はこれを数回繰り返して、固めたもので、数回繰り返しているので、簡単には形はなくならない。これは安全装置が厳重にかかっているという意味でもある。意識の始まりは恒星だと再三説明してきたのは、この全恒星意識は、しばしば意識の定性が溶解してしまうからだ。その人が溶けるのでなく、その人を作り出す根源にある意識のありかたが溶けていくのだ。そこを始まりにしてしまうというのは、ある意味、きわめて破壊的な思想を作る。この宇宙で生命は楽しく経験し暮らそうというのが目的ならば、この溶けていくということは考えないほうがいい。この宇宙の絶対は法則1だとして、前の宇宙から見ると、これは法則6。つまりこの宇宙においての意識の始まりは、前の宇宙からすると対象化されたものになる。たぶんジョン・C・リリーは、自分が発明したアイソレーションタンクで、その前宇宙をちらっと見た。おそらく失語症になったり、もっと深刻な症状に陥ったのはそれに関係があると思う。戻ってこれたのはジョン・C・リリーだからこそだと思う。前の宇宙を見ることは、この宇宙を嘔吐することに等しく、内部でその法則に同一化して暮らすということができにくくなる。この宇宙の塵でできたのが生命であるという原則がスムーズに果たされないのと、前の宇宙を見たということだけで、実は強制的に前の宇宙とこの宇宙の間の門番にされてしまうのだ。正確に言えば、門番機能に食され、その身体の一部になる。これがアルクトゥルス人になるということなのだが、冬眠した亀のうち大半が生還してこないのと似て、前の宇宙に触れると、たぶん戻ってこれないケースが半数を超えると思う。


2018年11月6日火曜日

20181106 荒れた現場

眠りに入り、夢に入ると、エーテル界にシフトするが、その前に、主体と客体の関係が固定された現世的人格とか印象、信念体系が解約されるか、クラッシュする。これをわたしは「荒れた現場」とか戦場と言うが、麻酔を打ってここを通過しないで眠る人もいるが、わたしはけっこうそのまま見ていたりします。異常心理世界ということでもあります。この場所が物質界とエーテル界の接触面で、占星術的に言うと、土星と天王星の接触面であり、その間にあるカイロンあたりには死体が累々と。カイロンに関しては傷つけるという意味があるが、何を傷つけている?もちろん土星と天王星の力関係からすると、傷ついているのは土星。土星が防衛すると、傷はもっと深くなり、死にいたる病になる。物質界に影響を与えるエーテル体となると、この戦場を見ないで通過することはできない。この場所があまりにも荒れるのでここに警察を置いた。これがシュタイナーの言う境域の小守護霊で、ケルビムのミニ版だ。リサ・ロイヤルは、死の際に迎えに来る天使はアルクトゥルスというが、これは次元の境界線での癒し力とも言われている。癒し力というのは何か。異なる次元に移動すると、それまでの世界において形成した硬い信念体系は必ず壊されるのだが、アルクトゥルスはそもそも形を作ること、形を溶解することという状態を行き来しているので、土星を叩いて割るのでなく、溶かしていくというような形で、痛みを和らげる傾向があるのだ。アルクトゥルスの手にかかると溶けていくことを容認するという姿勢になる。結果として、アルクトゥルスは荒れた現場によく出向く。そこにテントを張って暮らしている場合もある。非常に怖い境域の小守護霊とアルクトゥルスの天使が隣に座って一緒にカップ麺を食べていたりする光景は奇妙だ。とはいえなんと驚くことに、この警察を置いたのはアルクトゥルスだ。アルクトゥルスはすぐに形がなくなってしまうので、固い几帳面な警察がいてくれると、何かと助かる。


2018年11月5日月曜日

20181105 エーテル体の一番下ではなく真ん中

昨日、物質に働きかけるのはエーテル体の一番下の領域と書いたが、今日の夢はそれを訂正してくれという内容だと思われる。夢では、鯨を屋根裏部屋で女性が処理していて、上の半分はもう切り刻まれている。下側はそのまま温存されているというもの。朝起きたら、Kさんからメールが来ていて、脳幹と第一頚椎に関する話題。わたしは鯨を大脳辺縁系と解釈している。すると下半分というのは古皮質のことです。旧皮質はもう切り刻まれている。カバラの生命の樹を四つ重ねる方式はふたつあり、ひとつは積み木みたいにそのまま積むのと、わたしが頻繁に取り上げるような、真ん中から下あるいは上の樹につながるというもので、積み木式だとエーテル体の一番下は物質体につながるが、真ん中から重ねる式だと、エーテル体の真ん中から下向きが物質体につながる。つまり、物質体の脳(屋根裏部屋)は、エーテル体の真ん中につながり、物質体に働きかけるには、この真ん中から下の、エーテル体でのマニプラチャクラ(鯨の下半分)に該当するような場所がメインだという話になる。エーテル体は非局在的要素もあり、これは物質界では集団意識にも関係する。夢の鯨はもちろん海の鯨というよりは、神話的鯨、つまりくじら座のメンカルなどのほうにより近い。これは集団意識に働きかけるし、アンドメロダを食べようとした。鯨を処理している女性に、「この鯨はほんとうに珍しいものですね」というと、遠慮がちに「そうですね」と答える。この態度で、あれ?、この人例のあの人?と思う。こういうのを説明すると長くなるな。いずれにしても、要点としては、物質に働きかけるのはエーテル体の7つの一番下でなく、真ん中にしてくれという訂正要求です。これによってやりかたがそうとうに違ってくるが。いちおう、生命の樹の四つの重ね方では、二種類あるということでもあります。チベット式のチャクラと、西欧式のチャクラの考え方の違いが、ここに反映されている。これも話すと長くなる。どうして西欧はチャクラを7つのスペクトルのままに並べたのか、そんな安易な考え方でいいのか?とはいつも思っている。

夢では、鯨の上半分を分割して、切り離した片方をさらに細かく切っていた。残された尻尾の側の半分は、したのほうと切り離されていない。で、脳を示した18月のカーでは、旧皮質は哺乳動物の犬として描かれているが、城の色と犬の色が交差しているのは、右脳と左脳がそれぞれ身体の反対側に対応しているという意味。ここでは旧皮質をふたつに切ったということだが、夢ではさらに、上側(青色側)を細かく分断していたので、どういうパーツか考えないとね。残された片方は、古皮質とそのままつながっている。 チベット式では足は黄色、西欧式では足は赤。これはタロットでは、魔術師と愚者の靴の色だが、チベット式に考えると、魔術師の頭は、愚者の胸にあたり、魔術師は物質界、愚者はエーテル界にいることになる。旧皮質は、何か新しい概念とか知識を持ち込むと、かならず抵抗して吼える。プロテクタか、番犬。上から来ても下から来ても吼える。クローン作ろうとしたら、それは神を冒涜する行為だと行ったブッシュも、犬の反応。旧皮質を改造しないと、いかなる変化にも抵抗することになる。感情の連続性とはそういうもの。



2018年11月4日日曜日

20181104 濃密なエーテル体

昨日の講座で、濃いエーテル体について話したけど、エーテル体は物質体とアストラル体の間に張られた橋だとすると、これを虹のように7つの階梯に分類できる。そうしないことには、エーテル体の機能が多様すぎて、むしろ混乱する。この場合、働きかけは常にアストラル体からエーテル体に、エーテル体から物質体にという方向であり、反対方向はない。振動密度が高いものは低いものを対象化し、自分よりも高いものからは対象化されるということと同じ。で、昨日ハワイのカフナでは、墓場の死体からエーテル体を抽出すると説明したが、古代の日本ではこれと似たようなことは日常茶飯事で行われていた。共同体の中で誰かが死ぬと、その魄を食べた。ミンダナオで、死に行く戦友が俺を食べて日本に連れて行ってくれと言ったようなものと似ている。物質肉体に置かれた自我を、エーテル体に移すと、エーテル体の側から物質に働きかけるという視点になる。エーテル体が物質体に近ければ近いほど、物質そのものを動かすということになる。これをしてはいけないというのは癖になるからだ。物質体からエーテル体に自我を移すと、物質体とはまったくタイプの違う自分を発見するというのは当たり前だ。それは裏人格だ。そこで魔術的人格というものを想定することもあるのだろう。この魔術的人格は、物質体に働きかける専用か、それとも、上位のアストラル体を引き下ろす専用か、あるいは両方に使えるものなのか、いろいろかもしれない。長いローブを着ている時には、これはエーテル体のわたしなのだ、と意識することになる。またエーテル体は人の形をしていないと説明したが、バリのお面とか、形相の派手な極彩色の仮面などは、この「低いエーテル体」を模したものだ。物質に近いということは、人の形に少しだけ近いのだ。だから反対の性にもなる。エーテル体の7段階をたどると、パラパラ漫画としてのシェイプシフターになる。物質に働きかけるとは、科学のことだが、精神に連動する働きかけは濃いエーテル体で、精神に連動しない働きかけは科学ですると良いのでは。神社の祈祷は明らかに物質体に働きかける力もある。宮司がそのテクニックに通暁していればの話だが。秦伊侶具はエーテル体の扱いの達人だったと思うのだが、これに似た人が現代にいると神社機能の根源的なものを活用できるだろう。

2018年11月3日土曜日

20181103 夢は必ず答える

夜眠る前に、記号を持ち込むと、その記号に応答する夢を見る。具体的な質問をすると、この具体的な質問をエーテル体が拾わないことも多いので、具体的な質問には夢は答えない。つまり具体的な言葉は、物質体の世界でしか通用せず、エーテル体は知らないと言う。で、この記号持ち込みのテストを毎日しているのだが、いっけん、正しく回答していないと感じることが三日続いた。正しく回答していないと感じたので、同じ記号を三日続けたのだ。でも、今日わかったのは、ちゃんとまじめに答えており、わたしが気に入らなかったというだけの話だった。やはり、あの夢の中でのタバコを吸う男が言うように、ちゃんと聞いてる。しかし期待どおりに答えるとは限らないよ、という返答の通りなのかもしれない。ほとんどちゃんと答えているという現状をかんがみて、質問のスタイルが、具体的な言葉、象徴的な記号という幅の間のどのあたりが限界点なのかを調査してみるか。これは物質体とエーテル体。制限された時空のポイントと、非局在の知覚のありかたの比較でもある。非局在とは、特定の場所に居つかない。つまりローカル言語を受け取らない。いつの時代でもどこでも通用するような記号、言葉でないとエーテル体はそれを跳ね除けてしまうのだ。たとえば、魚というとき、これはローカル言語だろうか。それとも、集合無意識で通用する言葉か。あるいは地球でしか通用しない言葉か。わたしは宇宙船を魚と定義しているので、すると、地球よりずっと外まで通用する言葉になるのかもしれない。毎日夢とキャッチボールしていると、時々夢が領海侵犯してくる。その日のうちに割り込んでくるので、これは交通規制したいと思っている。現世ご利益を望む人は、領海侵犯を熱烈歓迎するだろうが。

2018年11月2日金曜日

20181102 実在の猫はいらないのでは?

猫がかわいいといっても、すべての人がそう思っているわけではない。かわいいと思ったのはその人がそういう意味を与えているからで、猫とその人の関係線にその気持ちが乗っている。この関係線の上に自我を置くと、実際の猫が死んでもまた似たような猫を調達する。かわいいと感じるために、落としどころが必要なら猫を調達するが、実際には紐に意味があるので、紐で独立させてもいい。こうした紐がたくさん集まって網になったのがエーテル体。ここで足場を組むとアストラル体が降りてくるが、反対に、下に向けると、物質的ターゲットが引き寄せられる。たぶんかわいいという気持ちは、猫のアストラル体が降りてくると、エーテルの紐が焼ききれるくらい強烈な感情を呼び起こすが、下に向けて、実際の猫を引き寄せると、物質的制限があるので、この気持ちはかなり薄められたものになる。特定の時空の制限がある猫はすぐに死ぬんです。実際の猫はトイレも面倒だし、アストラル体の猫を引き寄せると、どこにでもいつでもやってくるので扱いやすいように見えて、実際には感情の爆発が生じて、日常生活を維持するのが難しいでしょう。物質的生活はすべてにリミッターがかかるのでほどほどですが、アストラル体にはそういう抑制がないので、かわいいという気持ちで死んでしまう人もいるでしょう。物質性に根拠を置くことから、関係線の紐というエーテル体に根拠を置くようになってくると、生活の中で無機的で無意味なものを捨て置き、感動するものしか受け付けなくなるというふうに考えてもいいです。ちょっした視点の変化ですが、この紐の上から見ると、人は暗く沈んだ死体に見える。つまり生命から見ると、物質というのはみな死んでいるのか。地球は水の惑星といわれているので、すると地球人は溺死体というか。応身というのは、この物質依存を切り離して、紐そのものの意味の上に成り立つボディを持つことです。

渋谷のアルカノン・セミナーズで、ひとり15分で個人ホロスコープのリーディングしていましたが、そろそろ2018年が限界で2019年からはないかなと思いました。個人カウンセリングというのは、個人の思い入れでいろいろ質問してもらうのですが、いずれも「好きにすれば?」というものばかりで、わたしが答える必要のあるものは何もないです。多くの人がしたいことをストレートにしない。これしたいんですけど、してもいいですかと、わたしに聞いても、すれば?としか答えようがないんだよね。この、してもいいですか?、すれば?というのが一年も二年も続いています。それ以前に、わたしは何をしたらいいですかとか、わたしは何がしたいのですかとか、わたしの好みはなんですかと聞かれるのが続いていた。この中途半端さにつきあうのはどうなんでしょう。生きたい人は生きればいいし、やりたいことがあればやればいいし、そうでないなら、今日死ぬといいです。というわけで、2018年で終了にしたいんだよね。あとは、2019年以後は、不死の存在になるにはどうすればいいのですか、ということに答えよう。




2018年11月1日木曜日

20181101 紺色の蔦

アイソレーションタンクに入った時、自分の身体を紺色の蔦が覆ったのを見て驚いたが、この蔦を細かいピースに切り離すと、ひとつずつが文字だと思った。蔦が覆うのは、耳なし芳一だ。で、通常の地球人意識の基準はH48だが、H48は通常の思考の物質でもある。つまりH48人間とは思考に同一化している存在。思考とか考え、言葉などを自分と同一視すると、特定の思考にしがみつく結果になるので、もちろん文章の神様とか小説の神様はやってこない。ひとつを掴むと、ほかを締め出すことに他ならないからだ。アサジョーリの言うように、思考はわたしではないと宣言して、自分と思考を分離すると、石を投げられたように思考がどこかから飛び込んでくることもわかる。文章の神様がやってくるというのは、どこかから思考とか言葉を投げつけられたということだ。エーテル体は身体から外に広がる。この広がった意識を自分とみなすと、思考と同一化した肉体的な自分を、道端にころがった石のように対象化する。この石にはなにやら文字がびっしりと書かれている。いろんな考えが浮かび、そのたびに、頭とか身体に、文字が浮き出してくるのだ。エーテル体は網目のようなもので、この線と線を結ぶケーブルタイのようなところが文字なので、身体に近い下位エーテル体は、やはり身体を取り巻く耳なし芳一の文字のように見えるということだ。まったく非個人的なH12とかH6と、個人としての肉体をつなぐのがエーテル体なので、いまだにエーテル体は謎で、個人的なものと非個人的なものの間を伸縮する。局在と非局在をつなぐというのは、理屈として謎だ。