2018年11月18日日曜日

20181118 カルマ

いわゆるカルマというのは、繰り返されてもう意識化できなくなり、自動的に運動する特性を意味するのだろう。つまり本能センターにメモリーされたものであり、これはH24の速度で働くので、思考とか知性のH48では、どう考えても書き換えもできないし、管理もできない。エーテル体に刻まれたものと考えてもいいかもしれない。家系カルマなど集団性のものもある。ケネディ家とか武田家の病気など、なかなかすごい。J.F.ケネディの悪夢のような行動もケネディ家のカルマに動かれたものだ。この本能センターを通奏低音にして動作センターが働くので、動作センターの癖には、背後に本能センターの刻印が反映されており、これらのすべてを本人は意識しないか、気がつかない。だめだと思っても我慢できないんです、というもの。ただ、より高次な意識というものは、下位にあるものに対してはインターバル作用を持ち、そこでいくらでも書き換えてしまうので、高次感情センターのH12はこれを作り変えてしまう。知性や思考からすると不可能なことが、この高次感情センターには可能ということだ。この上位意識に上がり、それから降りると地上は書き換わるというのは、断舎離カードの13死神のカードで発揮される。月のことが少し話題になったが、月は行動パターンを記憶する鏡あるいは餅で、書き込まれたものを繰り返す。そこに新しく書き込みするという作用はまったくない。グルジェフは月は人間を食うと言ったが、哺乳動物としての人間は月の奴隷になり、決まったパターン以外で何か考えたり思ったりということができなくなる。自動化とカルマの奴隷になるということだ。で、この記録されたパターンをいくら繰り返しても苦痛には感じないというのはコンピュータープログラムのことで、その高度な応用がAIなので、AIとは月の性質を体現したものだと言える。月はAIに任せて、人間はカルマから解放されてもっと可能性を探求しようということなのだ。ただかなりの人がカルマに寄りかかって、それを生きがいにしているので、それをAIに奪われると、何をしていいのか困る人々も多いかもしれない。それを生きがいにしているというイメージの例として孤独のグルメなどもある。

好きにする、自由にするというのは、この自動化に隷属するということがほとんどなので、奴隷化と自由をまったく反対に解釈してしまうことが多いが、奴隷化から開放される練習として、わりに身近に、食欲から逃れるというのを試すのも初歩的な第一歩に使えるかもしれない。食べたくても食べない。わたしがマイナス教団のクレージーさを賞賛しているのは、機械性を壊すクレージーさのことを話しており、本能に従うのはクレージーとはいわず、教科書に従っているおとなしい行動と言う。テンプレ行動。

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