2018年11月2日金曜日

20181102 実在の猫はいらないのでは?

猫がかわいいといっても、すべての人がそう思っているわけではない。かわいいと思ったのはその人がそういう意味を与えているからで、猫とその人の関係線にその気持ちが乗っている。この関係線の上に自我を置くと、実際の猫が死んでもまた似たような猫を調達する。かわいいと感じるために、落としどころが必要なら猫を調達するが、実際には紐に意味があるので、紐で独立させてもいい。こうした紐がたくさん集まって網になったのがエーテル体。ここで足場を組むとアストラル体が降りてくるが、反対に、下に向けると、物質的ターゲットが引き寄せられる。たぶんかわいいという気持ちは、猫のアストラル体が降りてくると、エーテルの紐が焼ききれるくらい強烈な感情を呼び起こすが、下に向けて、実際の猫を引き寄せると、物質的制限があるので、この気持ちはかなり薄められたものになる。特定の時空の制限がある猫はすぐに死ぬんです。実際の猫はトイレも面倒だし、アストラル体の猫を引き寄せると、どこにでもいつでもやってくるので扱いやすいように見えて、実際には感情の爆発が生じて、日常生活を維持するのが難しいでしょう。物質的生活はすべてにリミッターがかかるのでほどほどですが、アストラル体にはそういう抑制がないので、かわいいという気持ちで死んでしまう人もいるでしょう。物質性に根拠を置くことから、関係線の紐というエーテル体に根拠を置くようになってくると、生活の中で無機的で無意味なものを捨て置き、感動するものしか受け付けなくなるというふうに考えてもいいです。ちょっした視点の変化ですが、この紐の上から見ると、人は暗く沈んだ死体に見える。つまり生命から見ると、物質というのはみな死んでいるのか。地球は水の惑星といわれているので、すると地球人は溺死体というか。応身というのは、この物質依存を切り離して、紐そのものの意味の上に成り立つボディを持つことです。

渋谷のアルカノン・セミナーズで、ひとり15分で個人ホロスコープのリーディングしていましたが、そろそろ2018年が限界で2019年からはないかなと思いました。個人カウンセリングというのは、個人の思い入れでいろいろ質問してもらうのですが、いずれも「好きにすれば?」というものばかりで、わたしが答える必要のあるものは何もないです。多くの人がしたいことをストレートにしない。これしたいんですけど、してもいいですかと、わたしに聞いても、すれば?としか答えようがないんだよね。この、してもいいですか?、すれば?というのが一年も二年も続いています。それ以前に、わたしは何をしたらいいですかとか、わたしは何がしたいのですかとか、わたしの好みはなんですかと聞かれるのが続いていた。この中途半端さにつきあうのはどうなんでしょう。生きたい人は生きればいいし、やりたいことがあればやればいいし、そうでないなら、今日死ぬといいです。というわけで、2018年で終了にしたいんだよね。あとは、2019年以後は、不死の存在になるにはどうすればいいのですか、ということに答えよう。




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