2018年9月30日日曜日

20180930 D.K.のノストラダムス本の序文に対して

わたしが神の子羊とよく書くのは、この流木のこと。意図の不在な生き物。そもそも何したいのか、どこに行きたいかもはっきりしない。タイムラインのことを、わたしはエーテル領域とも呼んでいて、基本は7つあって、つまり7つの地球があると考えてもいい。やわらかい時はエーテル領域で、そこに住むと固まって物質界に見えてくる。なので、このタイムラインの切り替えは、20審判で行われる。チャルメラで呼んで、柔らかくして乗り込んで、固くして。ノストラダムスは平行時間の中に生きているというのは、単純に仙人です、という意味でもあるな。死んだ時、肉体を蛇の皮みたいに脱ぎ捨てたので、ばらばらな残骸が残った。で、この文章で、??となるのは、政治的理由というところかな。平行次元の可能性を認識している人は、そもそも明瞭な説明をしなくなる。どうとでも取れる象徴的な言葉を使うのが一番いい。はつきり言うと、自分をその世界のどん底に縛り付ける。マルチプル世界の人は、マルチプルな意味を含む象徴言語を使う。イエスもそう。わたしは四つの平行地球を混ぜて見るので、混ぜないでと言われた。


で、わたしは平行地球に移動したほうがいいというのは、この地球が手遅れになるという意味ではなく、この地球の未来の方向性は、それを最初から計画している知性がいて、彼は非常に冷静で、その方向でしたい意図ははっきりしている。意図がある人には誰も勝てない。それに対抗するには同じように意図を持たなくてはならない。でも地球人は、リアクション芸人ではあっても、意図とは何かあまりわかってない。この彼の計画に乗りたくない人は、平行地球に疎開しようということ。1945年以後のボランティアの人々は、このことを知らされていないので、危機状態だ、大変だと思ったらしい。地球がこうなっているのは、否定的な意味ではないし意図の通りという能動的結果。(これを否定的なものとみなすのは、意図に対する冒涜だ。)


タイムラインがちょこっと方向を変えていくレールの切り替え装置は、日食です。日食で飛び込むと、その後が違う世界に。なぜならそれは聖なる干渉であり、上位の意識が関与することで、下位の機械的コースは変わる。これエニアグラムのことです。コースは横からでは絶対に変わらない。柿をみかんにすることはできない。上位意識の聖なる侵入を自ら行うことができる人が、意図を持った人という意味でもある。

高次思考センターは意図であって、彼が考えたこと、計画したこと以外のものはどこにもない。こうしたいと思ったので、こうした、というものだけ。人生は意のままにならないんです、という人は、高次思考センターが不在だからであり、流木として生きなくてはならない。高次思考センターに高次感情センターが加わると、楽しい好きなことしかしなくなる。高次感情センターが加わらないといけない理由は、高次思考センターには楽しいという感情がないから。わかりにくい話かもしれないが、高次思考センターはエニアグラムの9つの原理に準拠しており、高次感情センターは内側の7の原理に生きている。なので高次感情センターには、ポイント切り替えのインターバルを所有することが許されていない。つまり、高級流木だ。低級流木はオークションに出しても売れないが、高級流木はものすごい高値がつく。床の間に置いて毎日見つめたい。

ノストラダムスのこの文章には、とても愛着がある。

1999年7か月、
空から恐怖の大王が来るだろう、
アンゴルモアの大王を蘇らせ、
マルスの前後に首尾よく支配するために。

そもそも、これを世界の終わり的な話に持って行ったのはルル・ラブアさんで、1999年の8月の日食でできる固定サインのグランドクロスを、占星術の古い読み方で最凶みたいな方向に解釈したからだ。で、その考えを五島勉に入れ知恵した。このことは本人から聞いた。「あれ、わたしが言いだしっぺなのよ、五島さんに言った」と。その時は自慢たらたらな感じだったが、今だと、それだめ、です。ルルさんは世界崩壊とか、終末というのが、三度の飯より好き。世界を呪いたくてしようがない。
昔の占星術だと、グランドクロスは最凶だし、日食も禍々しい。で、確かにタロット母は、空から来た。真っ黒な翼をばたばたさせて、わたしは圧倒されました。他の人が見ると、はっきり恐怖だろう。わたしとの繋がりを続けると、月は壊れるよと言ったし。蘇らせ、という点ではアンゴルモアはタロットか?単なる占い道具にされてしまったものを蘇らせて、本来の姿に戻す。


2018年9月29日土曜日

20180929 水晶球は未来を見せない

ノストラダムスとかが、水晶球やデルフォイの水盤の中に見た映像は、地球の未来ではない。というのも水晶、黒曜石などで見る場合、すべてエーテル物質の上に映像を乗せる。エーテル体は、地上の物質性にある程度協力的なものもあるが、大半は物質界に従属しないし、エーテル体は物質の随伴機能ではなく、物質が随伴機能なのだ。つまり水晶などの映像は、物質的地球の映像を映す気はないことが多い。エーテル体が復権すると、地球の未来などどうでもいいと思うだろう。ならノストラダムスやジョンディーが見ていたものは何かというと、まさに、7つのうちの一番下のエーテル界だ。それは第二地球とかシフトした地球と考えてもいい。パラレル地球はこの地球と時々近づき重なるように見えて、実は重ならない微妙に違うもの。わたしは水晶を見ていた時、いつも中国の山を見ており、深い谷があり、その上を中国の映画のように飛んでいた。これは仙人が見ている光景だ。また、ある神社をきわめて克明に映像としてみていたが、周囲をぐるっと回っても名前とか表札がなかったので、なんの神社かわからなかった。これは神社というものの元型を見せてきたもの。エーテル領域に建物を構築するのは、山羊座を意味している。これで、その場所が現実とみなされるようになる。ただエーテル界においての現実世界というのは神聖さを取り除いていないということで、神社になるわけです。それぞれ映像は克明なのであたかも物質界を見ているように見せていたが、パラレル地球以外の何ものでもない。で、水晶球とか黒曜石がパラレル地球を見せてくるということのほうが、今後は実用的だ。つまりシフトしたい人は、この受像機で様子を見ればいいからだ。たぶんエーテル体が復権して物質界の随伴機能という地位に甘んじなくなると、水晶は未来を見たり、遠くを見たりということを拒否するようになる。ノストラダムスの予言を見て、なんか変だなーといつも思っていた。またノストラダムスの死んだときの状況を読むと、あきらかにノストラダムスは仙人化した。わたしはこの状況がどこかグルジエフと似ていると思っている。仙人になる人は、たいてい地上生活には協力的ではない。協力的なら仙人にはならんわ。
わたしはタロットによるスタピ回帰と分身づくりを説明している時に、尸解仙のことは意識していなかった。尸解仙はもっとも抵抗の少ない方法論かもしれない。仙人になるいくつかの方法について専門家のほうから書いて欲しいと思ったのは、タロットにはこういう尸解仙のことは念頭にないからだ。

ノストラダムス関連で言うと、1999年にわたしのところに来たタロットの母みたいなものは、次回は2035年にやってくる。これは145番サロスのカウントで言うと、1999年発見、2017年包み込み、2035年一体化という話になるのだが、その前に、1981年に、わたしはスピカに行き、スピカ星人を地球につれてきた。つまりその行き来の回路が開いた時期ということだ。なので、わたしはこの145番筋サロスで、自分の予定表を作らざるを得ない。人生はそのリズムで進んでいる。スタピ回帰プログラムとしては、二回目以後は尸解仙で、三回目からは羽化というふうになるだろう。これは二回目は分裂という意味で、肉体と中身が分裂するからだが、三回目はくるくる回る羽根が出来てしまう。ただ仙人はアストラル体になるという話で、ユクテスワと同じだが、タロット母はメンタル体に該当するもので、ロゴスそのものを身体とする。タロットもロゴスを絵柄にしたもの。この路線で行くと、メンタル体がアストラル体とエーテル体の皮を被ったものとなる。アストラル体に関しては、そのあたりのボロを纏ったので、かなり雑。実際わたしのエーテル体は法則の貫通という体型を持っているが、こうなると伝説で言われている仙人のイメージとは微妙に違うね。韓国のほうだったか、空中にいったん消えた導師は、また戻ってきて、書き残した経典を書いた。そしてまたあらためて消えたという。経典を書くことだけが地上との接点というのはよくある話ではないか。



2018年9月28日金曜日

20180928 べべ

人間の基本構造は、縦に7つ、横に12の輪というものなので、たとえば仙人になって物質肉体を捨てた場合も、それは7つのうちの一番下の部分がなくなったのではなく、それに代わるより振動密度の高いものにシフトしただけ。というのも7つないと、知覚が明晰に働かない。通常の死者はこの一番下がなくなってしまったという違いがある。自我が明確に働かないと、自分を構成する部品がそれぞれあちこちの製造元工場に戻ってしまう。昨日の夢で、綿飴のような質感の糸が張り巡らされたものを見せてもらったのは、この第二肉体の素材を呉服屋さんで見せてもらっていたと考えると良い。エーテル体は植物性質を借りていると言うが、植物性織物にはいろんな素材の種類があり、わたしが昨日見せてもらったものは陰影の深いもので、気に入った感じでもありました。日本の古い家では、いくつかの家がいろんな織物素材を扱っていますが、それぞれの素材は、そのもとになるエーテル素材の物質的名残のようなもので、この名残からもとの素材の性質を理解することもできる。一番下のチャクラを赤色とみなした時、これは紅紅で、子供はべべと言います。ハワイではアカと言います。赤い靴履いた女の子は、宇宙人に連れられて行きますが、エーテル物質のべべ着て、雲の上をあちこち移動する。生きている間に、お客さん、どの反物がお気に入り?と聞かれ、選ぶ必要はある。死んだ時の状況で何着たかわかると思うが。というのも死ぬ瞬間が着替えシーンですから。植物が好き、クローゼットにたくさん洋服隠し持ってるというのは、エーテル体に興味があるということ。アストラル体というのは、中身の肉体と考えてみると、混乱はしないと思います。アストラル体だけで出歩いているというのは、ネイキッドの人。でも、裸で出歩いているとみせかけて、実はこれ着ぐるみ、というのもアリ。21世界のカードでは、中心にいる人物は裸ですが、サリーみたいな斜め布と、外側の楕円ということを研究してみましょう。楕円はエナ、あるいはうつぼ舟で、つつくと噛み付くよ。つつくと大蛇になり、ヴァルナになる。えっ、じゃあ中の人はマイトレーヤなんですか、と聞く人もいるかもしれないが、それもありかもしれない。権威を見せつけるには裸ではいけないよ。

仙人は一部の仏教では、外道を示すらしい。これは笑い話とも思える。解脱して無になるのが仏教の達成イメージということもあるのだろうか。実際には無というのは何段階もあり、解脱して無になったところがエーテル界だったりする。そこで解脱して無になるとアストラル界になる。朝、いつも行っていたカフェで、店員から「なんの仕事してるんですか」と話しかけられて、そのカフェに行くのはやめました。で、次の行きつけのカフェ見つけたのですが、朝は、やってくる客がルーチン化していて、みな行動も定型化。たとえば、8時半にやってくる女性は潔癖症で、カウンターのテーブルを掃除する。横から見て何一つ埃がないとわかると、やっと落ちついて座りアイスコーヒーを飲みながらノートを開く。ほかの人は同じ時刻で、10分間は寝る。で、わたしを毎日見ている爺さんは、廃業した床屋で、前にこの床屋に行ってたので、わたしのことを覚えている。話しかけると、わたしの仕事は台無しになるので、話しかけないようにしているが、話かけてくれない?という表情でいつもわたしの顔を見る。絶対話しかけないぞ。この定型化した常連を見ると、蝋人形館に来たような気分だ。店員がはみだし行動をするというのはよくあることで、ずっと昔、行きつけのカフェで、店員の人が「僕の友達が、あなたの講座に出席したことがあると言ってましたよ」と言ったし、客が「いつも本読んでますー」と話しかけてきた時は、もう潮時だと思いました。出禁の店が増えるなー。今回の店は出禁にしたくない。
PS.いま書いている本が終わりそうですが、それでものんびり時間をかけています。というのも終わると次が始まる。だいたい書き終わると最初に戻り、最低三回は戻るかな。時々ループに入ると、この本をずっと訂正し続け、書き加え続けたいという気分になるけど、それはしないように心がけている。わたしも蝋人形になると、一年も二年も、ずっと同じ本を書き続けるだろうな。










2018年9月27日木曜日

20180927 綿飴のような糸

今日の夢は、綿飴みたいな質感の少しべたべたした白い糸というか膜が張り巡らされたところを案内されたこと。いままで惑星グリッドなどを説明してきましたが、もちろんこれは物質界で地球に向けられた面であり、綿飴の糸のネットはまったく違っていた。幾何図形にもなっていなかった。で、ふたつグループがあり、これをいま拠り合わせ中らしい。わたしは昨日12感覚をシフトするのに、おひつじ座の自我感覚からスタートするということを考えていたので、段階を経ずにまずはペン先みたいなおひつじ座を、このネットに乗せるのがいいという話になったらしい。それは俗に「天使の羽」と言われるらしいが(ランドセルではありません。)、わたしの感じでは蝶の羽かな。それも違うな。で、中国の軍とか、一部の組織とかで、このことが知られているらしく、地上では何か醜い争いが生じる可能性があり、使える人にしか使えないようになっているらしい。徐福とかはこれに詳しかったのでは?と、わたしは思います。秋山真人氏は14歳くらいまでにufoと接触するという話ですが、するとほとんどの子供はあっちの世界に憧れるようになるはず。結果的に、地上的おひつじ座は弱くなり、この世界に自分を押し込む力は弱体化する。ただそのままだと、社会から攻撃を受けやすくなるので、何か手段が必要になるはず。宇宙人サポートは役に立つかというと、この世界においての押しの弱さを、外の世界にいる人がサポートできるわけない。自力でお願いしますと言われてもかなり困るんでない?14歳までくらいだと、まずはすぐにいじめが始まるかもしれないし。わたしはこのことではドクター・フーのエイミーのことを思い出します。7歳の時、ドクター・フーがすぐに迎えに来ると言ったので待っていたが、タイムマシンが計算があわず、結果的に12年後に来た。それまでにこのことを言いふらしていたので、エイミーは変人扱いされていた。でもこのエイミーは地上的なおひつじ座も強気です。普通は、異次元と接すると、地上的にはそうとうに弱くなるのでは。社会適応をはなから諦めろと言われているに等しい。綿飴の糸ネットについては、はっきりとではないが言わないで欲しいというのが伝わる。いまのところわたしは概念しか説明しない。

このようなシフト12感覚というものは、21世界のカードのテーマなので、恒星に飛ぶという16塔のテーマとは混同しないでほしい。タロットカードの便利なところは、手順とか、基本を抑えるというのがはっきりしているから。15悪魔ができないと、まず16塔など無理。小さなところで自分の一部を吐き出すのができれば、その後、自分そのものを外に吐き出すことができる。どう考えても、これ凄まじい話だな。15と16は、1と0に対応している。1は脳で世界を見る。0はこの中に実際に飛び込む。0000と連鎖させたコスモスを説明していたクアズカは、どうやらひとりだけ、地球人死者を仲間に入れて、そのおかげで、地球に来れたらしい。わざわざそうやってtroublesomeなことをする理由がわからない。




2018年9月26日水曜日

20180926 エーテル界ではものの法則は使えない

寸法を測ったり重さ見たり、距離考えたり、時間の秩序考えたりするのはすべて物質界。数学計算は、ある時期まではロゴスがあったが、その後ロゴスを抜いて、物質世界でのみ使うという尺度になった。で、物質界からエーテル界に移動する時に、この物質界でのみ成り立つ基準が使えなくなっていく。時間の順番、空間の位置なども使えない。占星術がそうとうに奇妙な体系なのは、天体の位置を計算したりしながら、読み取る内容は象徴性。つまりこれは橋渡し体系か?でもさすがに太陽系の外に出ると占星術の計算は使えなくなってしまう。象徴性だけを抜き取り計算はとりはずすことに。7とか12とか基本ルールは、むしろエーテル界以後の指標になるくらいだ。エーテル界に行くと、数学は使えないが、ロゴスとしての数字は使える。また、世界は想念によって動くという考え方が成り立つことになると、この段階で、物理学的な法則は全部チャラにされてしまう。だから、科学は最後の最後まで、世界は想念で動くということを必死で否定するだろう。自分を台無しにするものを容認にするわけにはいかない。20審判のカードの、思ったものが「呼んだ?」と言ってやってくるような世界では、興味のコントロール、すなわち欲のコントロールができないことには、大変な混沌が発生する。ただ墓暴きをすると、世界は流動的になってしまい、心の安定すなわち世界の安定という具合になってしまうので、この時地球人はここが一番手薄だったことに気づかされる。いままでは物質の安定によりかかって、自分は安定しているかのように思い込んでいた。が、この土台が流動化を始めると、実は自分が自力ではひとときも立っていられないことに気づかされる。サラリーマンが自分は毎日規則正しく生活していると思っていたが、定年退職すると、毎日異様にだらしない生活になってしまい、いままで会社が秩序を作ってくれていたのだと気がつくように。

2018年9月25日火曜日

20180925 食物

宇宙意識akira氏が、サブコンシャスから「こっちの仕事をやるのにもっと体の水分を全部入れ替えてクリアにして繋がりやすくしてほしい」「一応地球人としての自己実現もやりたいならやっていいけどそれはこっちにとっては宇宙の仕事のミッションがあるのにサボりだから どっちも両立するには体を整えて気力体力をアップさせてほしい」と2017年6月に言われていたのだと。プレサリアン的な食事は、空気中から高次な振動のものを取り込むことですが、金を作るにはまずは少量の金が要るということから、引き寄せる物質のタネが体内に必要です。動作・本能センターはH24で働く。少なくとも、動作に邪魔にならないものを食べると良いのでは。たとえば筋肉を作り、体脂肪を増やさない食事。地球上では、精神と物質は乖離しており、この習慣の最大のものとして、西欧的なカニバリズムもあるのですが、わたしはすべての物質はその根幹にアストラル体があると考える。うお座の味覚というのは、食事をした時に、その食物のアストラル体を食べて併合し、自分のアストラル体を太らせるという意味だ。地上のすべての物質はモノノケにならなくてはいけないというのは、精神と物質の乖離を解決するべきであり、すべての物質はアストラル体の縮小形態であるという考え方。すると想念によって物質世界は変化するという基本が実現される。物質が精神に従わないのは、放置された犬がひねくれて人の言うことも聞かなくなったというのと同じ。人間は自分を重視して、物質を卑下した。なので物質は怒って、人を警戒するようになった。そして人類は、まるで汚いものを扱うように、物質は物質をもって制するようになった。直接手では触らない。錬金術は、この関係を正常に戻すという意味でもある。食べるとき、モノノケを食べているという自覚を持つべきだ。おまえ、これからわたしと一体化するがいいか?

というわけで、ヴィーガニズムというのは、西欧のカニバリズムの成れの果てです。殺して生命力が完全に抜けた段階で食べるというのは、生命に対する尊厳を傷つける姿勢ですが、これは精神と物質が乖離するという方向をますます強化した。ヴィーガンは、命の抜けた、もと生き物を食べないということだが、まだ生きていればそれと一体化するというのは、まったく悪くないどころか、統合化への進化という点で褒められることなのだ。ヴィーガニズムは、死体を食べることに対する拒否感だが、その背後には、やはり自分以外の生き物は認めないというエゴの強さ、排他性もあるには違いない。おとめ座衝動。すべての物質、食物にはそのコアとしてアストラル体が根付いているということで、食べる時には、相手と会話してみよう。うち来る?と聞いて、いくいくと言えば食ってしまおう。アルコールにはスピリッツと書いてあるけど、すべての食物はスピリッツである。


2018年9月24日月曜日

20180924 最初の思考

昨日はH24を発信して、地球が月にひきずられすぎないようにすることが大切と書いたが、H24を増やしても、わたしたちの重心はH48にありH48に自我を置いて生きている。わたしたちの自我は血液にある、というよりも血液の流れへの抵抗の中にある。水の流れに抵抗する杭があると、はじめて水の流れがわかるように、血液の流れに抵抗する部分が自我でありそれは心臓の中にある。これが物質世界での自我(認識・記憶装置)であるが、仙人になると、H24のエーテル流の中に自我が置かれる。エーテル流が血液の流れに置き換わるというわけだ。わたしたちはいくらでも自分の中にエーテル流を貫通させているが、それに抵抗体を作っていないので、垂れ流しになりエーテル流を認識できないのだ。このH24に重心を置き換えるのを7割とか8割で止めておいて、後は寿命の時に一気に全置き換えをするというのが、大田氏が言っていた宮地流らしい。3割程度残しておくというのは、心ここにあらずで生きることだ。12感覚がすべてH24をコア(二極化の中心軸)にして働くと、もうこの世界の映像も見えなくなる。視覚は思考の反映だと書いたが、最初の思考はなんだろうと考えた時、聖書の創世記で神は天と地を作ったというところかもしれない。神は天と地の区別を思考した。そして、わたしたちはこの神の思考内容の中で生きている。この思考は12感覚のうちのひとつ、おうし座管轄部分なので、H24に全シフトした時には、天と地の区別はまずはいったんリセット。あらためて違う思考が視覚化された世界に入る。H24にシフトする準備が進む人は、常に違う世界を見ている。しかしそこに引きずり込まれないようにしている。実生活より夢のほうが現実味があると思い始めるとだいぶ引きずり込まれている。3割残すには、どこかつかまる場所が必要だ。アリストテレスは天と地はこの世界で始まった思考ではなく、エーテル界にあると言った。(言い方はまったく違うけど、意味としてはそうだろうと。)


2018年9月23日日曜日

20180923 地球の本来の位置

月がひとつしかなく重過ぎて、地球が下にひっぱられ、太陽からやってくる光が地球にうまく届かないという理由で、太陽と地球の間に開いた隙間に、触媒として人類を置いた。いわば地表に、太陽光発電機を敷き詰めたような状態。人類はこの目的で作られたので、地球は人類を手放さない。でも地球はそれでも下に引きずられており、ボランティアとして送られたスタピは、この触媒作用としてより強力。よくボランティアは地球に住んでいればいい、なにもしなくていいと言われるが、常にH24信号を発信しなくてはならない。太陽はH12、地球はH48だとすると、触媒はH24だ。月はH96。スタピは行為はしなくていいが、H48とかH96にとどまる時間をできるかぎり減らし、H24を発信する義務を負う。のんびり静かに暮らし普通に仕事する、というフィルは要するにH48状態にいるわけで、これを継続するとやがてはH96の比率が増加する。というのも人間には平行線はなく、上がるか落ちるかしかない。もしフィルが本当に普通の暮らしを続けているとしたら、第一波のボランティアとしては職務放棄になる。一方でリリスは、そもそも地球を本来の所定の位置にまで引き戻すのは無理だと言う。太陽の光がより強く地球に入り込んだ場所とは、惑星グリッドの場所で、このライン上は、火山とかが多く、いわば「燃えているライン」だ。リリスは地球にはまだ禿げ地が多すぎると言う。H24にひきつけ、H96のほうに行過ぎないように、H48の均衡を取る。地球をこの所定の位置に戻すというのは、それぞれの個人の活動において、自分のこととして理解できると思われる。地球の人口はわたしが生まれた頃よりもずっと増えたが、ほとんどが分割魂なので、それぞれの個人の想念はH96が多すぎて、足を引っ張っているように見える。月の暗闇成分を増やしているのは誰だ。阿波踊りをしても登美丘高校みたいなことをしても、身体のH24はちょっと増える。日本の憲法図では、天王星は田舎踊りの度数なので、パラパラしても、少しエーテル体増えます。阿波踊りはボリウッドムービーに十分対抗できる





2018年9月22日土曜日

20180922 仙人になる人は足が悪くなる

不死の身体は相対的であると書いたが、惑星に住む人間H48の世界に対して不死というのは、すぐ上にあるH24の全惑星意識を重心にすることで、これがエーテル体の身体を持つということになる。誰でもH24は少ない比率であれ持っているが、それを重心にして、継続できるということが重要だ。H24レベルで自給自足できるのが惑星に対して不死の人になるということだ。大阪なおみが勝った時に自分のように喜んでいるファンは、大阪なおみからH24をもらっており、つまり自分で産出できない。で、大田氏は仙人になる過程で、心臓か足が悪くなる、人付き合いが減ると言ったが、大地を惑星とたとえ、この惑星意識とのつなぎである足が弱くなるのは当然で、とくに大地で積極的に踏み出す側の右足が悪くなる。地上で働きかけしなくなってしまうのだ。人付き合いが少なくなるのは、H24の横のレベルでのつきあいが増加し(みずがめ座5度の「先祖委員会」)、気がつくと、地上的なかかわりが減ってしまっている。そもそも地上世界においては人と共感できない。共同体では、共感しない人を見ると敵意を持たれているか、ハブキにするべき相手とみなし、事件がおきやすいので要注意。わたしは中学生の時からヘルマン・ヘッセを愛読していましたが、ヘッセは孤立人間を描く。町中アウトサイダーの「荒野のおおかみ」ハリー・ハラーは近隣の人との関わり方に悩むが、仙人になる人は、社会の中に住む以上は、この周囲の人々とのかかわりかたに警戒しつつ工夫しなくてはならない。ヘッセは感情が虚弱で、かまってほしいアウトサイダーとして半端なところに立っているので、ヘッセの本はあまり参考にならないが、みずがめ座のサビアンシンボルに散見するように、二重人格にして、社会用仮面を用意するというのが一番無難だ。まあこれが19太陽のカードとも重なる。西欧型社会では、東洋のように山に篭り修行するというのが許されないので、仙道修行に戦略的人格二重化という項目が付け加えられた。これがグルジエフの言う第四の道でもあるが。ヘッセはこの二重化ということをはなから考えておらず、いらぬエネルギィの消耗をした。マーラーもそうだが、どうしてそこまで単純?と聞きたくなる。誰かがわかってくれるはずだと信じている。H24クラスターの連中はわかってるのだから、それでいいじゃない。わかってもらいたいという気持ちを根っこから絶つというのは、感情H24の自立を促します。わかってもらいたい気持ちを根っこから絶つ人は、人のことを本当によく理解しているということでもあるが。でも、そもそも戦略的二重人格化は、西欧オリジナルでなく、達磨大師が考えたことでしょうが。

2018年9月21日金曜日

20180921 エーテル体ができると死ぬ

今日の夢は、人間がくるくる回るか踊るかしており、エーテル体が出来たら死ぬというものでした。不死の身体ができたら死ぬという連日の話題の続き夢です。が、朝起きてから、これは時間が反対になってると思いました。むしろどちらでもいい。人間が生まれて物質的身体を手に入れると、この物質的身体は振動密度が低く、速度が遅すぎてエーテル体やアストラル体にはとうてい追いつかない。なので、生きている間にエーテル体など作ることは土台無理なのです。作るとか、創造するとか、前進するというのは人生の中ではまずまず無理。できることといえば思い出すことであり、自分のエーテル体、アストラル体を意識に上げることです。これはレーシングカーを止めて、車体を点検している作業に似ている。死んだらまたレーシングカーは走るのです。で、シュタイナーは生前に霊界を発見しない人は、死後発見することはできないと言いましたが、これも生前の肉体生活は、エーテル体、アストラル体よりも遅いので、生きている間に頑張って繋いでおかないと、死後取り残されるということです。迷子になって戻る場所がなく、その人は消えてしまうのです。エーテル体の反映である天王星に追従するには、物質体の反映である土星は、2.89回回転しなくてはならない。なので、夢の中のお茶を運ぶ木の人形は3回弱くるくる回って天王星に追いつくという感じですね。生きている間にエーテル体を作るのでなく、真相は、エーテル体が思い出せるまで、ぎりぎり生きるということです。ただ時間というのはどちら方向で見てもいいので、生きている間にエーテルボディを作るのだというふうに、物質生活に希望をもたせる解釈の人もいるということです。行為というものは自分から自発的にしているのだという発想と、呼ばれてそこに引き寄せられているのだという発想の違い。自発的にしているという発想の問題点は固有のプライドが高くなりすぎる危険性があるということです。プライドが強くなりすぎると、人は狭い場所に閉じ込められます。
PS.作るのはアストラル体かなとも思ったが、夢の中では、はっきりとエーテル体と言ってた。ここ間違わないでくださいと言わんばかりに、くっきりと。




2018年9月20日木曜日

20180920 宇宙に出るのは許可されない

今後、地球から出て、他の惑星に住むとかの計画が出てくるかもしれない。その場合、すぐに問題になるのは、地球人はあまりにも違法で、暴力的侵略的なので、地球から出ることは今の段階では時期が早すぎて、他の知性体グループは、決して許可しないということだ。賛成するグループは皆無にひとしい。よく宇宙人の映画とかで侵略的な宇宙人などを描いたりするが、これはほとんど自分たちのことをあらわしていて、宇宙に出ることは犯罪者を野に放つに等しい。これは宇宙法則に対する知識不足と、自分たち以外は知性体は存在しない、また死んだら後には何もないと考えることで、強い抑圧感情が生まれた結果そういう性質になったということもある。でもそれだけではない。で、こんな状態で、地球がまるごとアセンションするというのはどこからどうみても想像することさえ難しいし、宇宙に出さずに、少数を隣の地球に暫定的に移動させるのが一番賢明だ。アセンションは、ごく一部で生じて、地球が二分するというのも現実的だ。隣の地球に移動する場合も、試験制度を導入して、勝手に行き来できないようにするといい。それと1945年以後、地球に生まれてきた数多くの宇宙人ボランティアを順次引き上げする時にも、そうとう地球人感情に汚染されているのでリハビリが必要だ。地球人肉体を持つ、すなわち地球人的感情に染まるということだからだ。この肉体をそのまま持ち出すのは許されない。これは地球の持ち物だ。時間をかけて内容物を入れ替えていく。リハビリと肉体の内容物の入れ替えは同時進行だが、それでもさらにリハビリが必要で、これは別地球ですると良い。地球に潜入したスタピは、無意識的にでも気づかれてしまうと、いじめに会うか、不当な扱いをされるかというのが多いはずで、常識ではなかなか理解できないおかしなことになっているケースが大半では。病院送りになるくらいダメージを受けるぞ。ただ病院ではもっとひどい目にあうが。物質的なところで押すということが習慣づいていないからだ。
ドロレス・キャノンの「この星の守り手たち」に登場する、QHHTを何度も試みたシリウス型スタピは、かなりひどい扱いを受けたような感じだが、これがボランティアの受ける待遇の標準ケース。テストケースとして、このような事例を見て、そこから違う世界をどういうレベルで用意すればいいか、を考えているとも言える。潜入スタピで、楽しく気楽な人生を送れるケースはおよそ皆無。でもそれをレポートすることが重要。寿命で死ぬというところまで待てるかどうか、疑問。大田氏が言ってるような、不死の身体を取り戻して早死にするのが、健全かもしれない。スティーヴン・キングは地球的現状になかなか詳しい。


うまい具合に覚えていないということについて。グルジエフの思想で、7つのセンターというのがあったけど、これを全部揃えると、その人は、本当の現実に直面する。しかし一部のみで生きていると、いわば世界の部品みたいなところに眠り込むので、すると現状を感じなくなり、ある程度気楽に生きることができる。飼われている猫は、家の中がすべてなので、そこでは自分はリラックスできていると。それは飼い主が保護しているから維持できるのであって、7つ揃えてしまうと、飼い猫からトータルな存在になってしまい、あらためて、びっくりするような状況にはじめて気がつくのです。で、この地球というカテゴリー1の世界を作ってしまったのは誰だ?とサーチして、えっ?と。グルジエフは、地球の人間が自分が置かれている現状に気がつくと瞬時に自殺するに違いないと言ったが、それを感じないために、クンダバッファが取り付けられた。これは注意力がごく一部にのみ働くようにされる装置。目の前の小さなことにのみ興味が行って、自分を忘れることができる。わざわざ痛み止めとしてのクンダバァファ装置を作るのも、また驚く話ではあるが。いったい誰が作ったんだ。

2018年9月19日水曜日

20180919 人間は歌なのか

今日の夢は、人間は歌であるというものでした。チャクラは7つで、これは7音階のようなものであるが、夢の中の映像では、歌が直立している感じ。チャクラを意識すると、この歌の形は崩れるので、意識しないほうがいい。で、基準の歌があり、それではじめてバリエーションとしてのほかの歌も生まれ、夢の中では、5つとか6つくらい違う歌が連鎖していた。これはわたしがアストラル体は、世界を味わうためのボディであり、アストラル体がないと世界を認識できないと説明していることをイメージ化したものですね。基準の歌がないと、他の歌を感じとることができない。わたしがタロットの本を書いているとき、ロゴスのことばかりを考えていたので、補うかのように、夢の中でエビ金星人が来た。それは頭と腰がプードルみたいに膨らんでいて、7つの節があるエビだったが、これも歌ですね。QHHTでは、わたしにはチャクラがなかった。というかチャクラは誰でもあるけど、チャクラの前のレベルに自分の基準をおいていて、何もない筒。透明ビニールの筒。で、地球人は歌になっているかというと、歌になれていない。というのも一番下の物質、ムラダーラが軸ずれを起こしているために、その部位が外部的に扱われ鉄のように動かない。なので、歌にならず、想念が物質を作るということはいまのところ不可能。道具を使わないと、物質がいじれない。この物質は外部的ということでいうと、今話題になった宇宙旅行にしても、いまのところナットとボルトでできた航空機で行くわけです。宇宙人が地球人を見て、この連中いったい何みてんの?と首をかしげる。地球人が見ている宇宙の映像とか形は、宇宙人には理解できない。今の段階では物質が阻害されているために、地球人は宇宙に飛び出すには距離の限界があるし、筋違いのおかしな袋小路宇宙に迷い込む。遠くにいくほど、重力で首を絞めていくので、自分でパチンとつぶれるでしょう。で、タロットカードは22ステップもあるのに、物質について扱うのは、ほんとに最後の20番、21番あたりなので、そのくらい、物質に対する扱いが難しいということなのではあるまいか。わたしが12感覚をぐるぐる回してシフトしようと言ってるのは、21世界のカードでのフラフープで、まわしながらコリをほぐして、次元上昇肉体を手に入れようと言ってるのですが、柔らかくするのは20番の段階。柔らかくして、そしてぐるぐるとシフト。実は宇宙旅行しているのは、20審判のカードの段階です。いろんな場所をお湯かけて戻し、去った場所はまた箱に戻す。そういえば、20番の天使もチャルメラ吹いて、これも歌ですね。歌にすると、箱から蛇が上がって踊る。

PS.ただ、地球人が見ている宇宙は主観的妄想宇宙で、そんなものはありはしないとわかっていても、その妄想はどうなってんの?ということには興味あります。なので、ぶつかって消滅する直前まで行って見てほしい。



2018年9月17日月曜日

20180917 個性体を作ることについて

メンタル体、アストラル体、エーテル体、物質体は、冥王星、海王星、天王星、土星に反映されるというのは、それらと同じではなく、あくまで反映されたものということを忘れないのならば使うことができます。同じく、冥王星を支配星にする火のサイン、海王星を支配星にする水のサイン、天王星を支配星にする風のサイン、土星を支配星にする土のサインに。タロットの本では、縦の四つの次元は、横の四元素に反射すると説明していたので、それと同じです。これももとの四つの区画そのものではなく、その反映であるということを忘れないでほしいです。同一視すると、そこで盛大な混乱が起きます。惑星もサインも、主体の側ではないと注意しておかなくてはなりません。うお座はアストラル体を結晶化することに関係しますが、アストラル体とは個性を持つ神話元型であり、この個性を持つということは、自分は他の人と同じではないと認識することであり、共感で自己確認している人からすると、ひどい孤独の中に入ることを自覚しなくてはなりません。たとえば、snsなどでも、人と違うというだけで、さんざん非難されたり炎上したりするのが現代です。つまり何か特徴を持つと叩かれるのです。アストラル体を持つとは、個性体を持つことで、自分が正しいかどうか、人に聞けない。このプロセスはうお座の26度以後に如実にあらわれます。影響を切り離す新月は、その人を他の人から切り離すのです。果たしてそのことにどのくらいの人が耐え切れるのか。遠くの宇宙に飛べる装置(アストラル体)ほど、この孤独感というのは深くなります。これがうまく結晶化しないと、何かあるとすぐに空中分解します。30度の岩の顔に描かれているように、岩のように固い結晶でないといけません。アストラル体は世界を味わい楽しむボディ。この味わうというためには、自分の個性がはっきり決まらないといけない。自分との差で、他を認識できるのだから。メンタル体にはこの味わう、楽しむという作用は皆無です。メンタル体には受容するという働きがないです。この点でアストラル体は世界(太陽系)の中にあり、メンタル体は世界の外にあるのです。




2018年9月16日日曜日

20180916 不死性

不死性の話題が出ましたが、ここには相対性がある。四つのボディである太陽意識、二極化太陽意識、全惑星意識、惑星意識の中で、どこに自我(重心)があるか。重心がある場所から見て、下に対しては不死であるという意味。物質肉体を象徴する惑星意識に自我があると、肉体が死んだら、その人はその後存在しない。重心部分が解体したらその人がなくなるのは当たり前。ほとんどのケースがこれで、ここで全惑星意識に重心が移動すると、惑星上においては不死になる。アストラル体に自我があれば、太陽系の中でその人は死なない。自我がある場所で、その人の印象活動が継続する。自我とは意識の連続、記憶の連続などを意味する。自我が肉体から全惑星意識にシフトすると、肉体を持って体験する印象に対してリアリティというものが薄れ、徐々にどうでもいい瑣末なことに見えてくる。惑星意識とはつまり回転する惑星に関係することで、全惑星意識はこの時間空間の意識が複合化されてしまった結果、特定の時間サイクルの中で生起する印象に振り回されなくなる。時間に打ち勝った風化しないもの。トレーニングとしては、夢の中で、エーテル体、アストラル体、メンタル体に自我が移動すると世界はどう見えるか点検してみるといい。希望すると見学させてもらえる。たとえば、死者の墓を作って、お参りしたりしますが、死んだ人がエーテル体とかアストラル体に自我をシフトさせていると、生前の肉体を持った生存で作られた関係などには関心を持っていないことが多く、墓を作られお参りされても迷惑。まあ迷惑というよりも、通路ができても、本人は「だから?」という感じかな。大天使意識から見ると、人はドットのひとつで、じっと見ようとしても、ふっと消える。というよりそもそも無限の壁の向こう側にあるので、ドットのひとつひとつの心はわからない。わたしたちが細胞ひとつひとつの心がわからないように。大天使は自分を基準にするので、それ以下の世界はミクロコスモスで、内容については直接理解できていない。

グルジエフが睡眠後の夢など意味がないと言ったのは、睡眠した時には、それぞれのセンターが切り離され、連想センター(自我)のチェーンがはずれてしまうから。しかしながら、たとえば高次感情センターとか、高次思考センターに自我を連結して、その活動の印象を取り込むことはできる。そういう場合には、夢は重要な意義が出てくる。ただこれは物質的自我を持つ人からすると、まさに至難の技だ。睡眠中の夢はたんに内臓のストレスが上がってきただけと軽視する人がいるが、そもそも内臓は惑星と共鳴するので、内臓のストレスが上がってきたというのは、それぞれの惑星がメッセージを伝えようとしているので、それは聞いたほうがいい。以前夢で女性が、わたしが待ち合わせ時間に来なかった、スマホで何度も連絡したのにわたしが無視したというので、わたしに文句をつけていたが、これは腎臓-金星が疲れてパウエル・シュミットの言う周波数が落ちているということを言いたいのだった。でも、これは金星が悪い。なので、最近、死者の女性が「ごめんなさい、位置調整します」と言ってきたのは、金星が非を認めたということだ。金星が疲れすぎると、人工透析しなくてはならなくなります。日本では保険があるからいいが、アメリカだと、よほどの金持ちでも、人工透析するはめになると破産するそうです。なので、以前マンハッタンに行った時、早朝に、たくさんの人がハドソン川沿いでマラソンをしていたのを見た。小型犬も一緒に走らせるのは酷だよ。お金かからないように、健康管理には真剣だ。みんな会社に行く前に、走りまくる。把瑠都凱斗みたいなおっちゃんが、車道走ると危ないと、後ろから声をかけてきた。そう、わたしは車道走っていたのです。貧血がひどいので、もしかして足元が危なくなったら、川沿い走ると、川に落ちるかもしれないと思ったから。

2018年9月15日土曜日

20180915 強すぎる第二の注意力

物質的、肉体的に生きるというのは、宇宙的な原理からすると、無理な不自然なこと、あるいは実験的なことをしている生存状態であり、だから、長く生きることはできないのは当たり前です。占星術で言うと、この宇宙的な原理との架け橋である冥王星、海王星、天王星の影響は、強く働くと、かならず身体を壊す方向に向かいます。身体は繊細なガラス細工の品物のようで、ちょっとでも強い力をかけるとすぐに割れます。冥王星、海王星、天王星の出先機関である天王星は、物質性を傷つけることでしか関わりを持てないという面があります。感情を開放したり、思考で集中力を発揮したり、受容的になったり、何をしても、身体の維持には有害であるという点で、健康で長生きするには、宇宙的な影響に対して閉鎖して、ごくわずかしか影響が入らないようにするという工夫が必要です。すると人生は退屈になります。楽しくなるにも楽しすぎてはならないのですから。夕方のんびりとお茶を飲む。こんな退屈な話はありませんが、これを楽しむふりをしなくてはならない。このためには個人(物質的生存)というものは価値があると思い込まなくてはなりません。退屈を耐え忍んで生きていると癌になるのかもしれません。なので、最初からそんなに長くはもたないとあきらめておけばいいのではないかと思います。そして病気になっても、それは当たり前だと思うくらいがいいです。わたしの知り合いで、早死にした人がいたけど、死ぬ一年前頃には、わたしはご飯を食べて寝る、という以外は考えないこととアドバイスしました。しかし、その人は異次元との通信をもうやめることはできなくなっていました。だから三輪山の巫女と同じで、取り上げられました。あっちとの交流が活発になったら、それはあっちに行くのは当たり前でしょう。

さそり座は生命感覚であると割り当てられていますが、誰もがこの生命感覚を満たす必要があり、空虚だと、生きていけません。だから、いろんな依存症にもなります。何で満たすか、なんの依存症になるか、人それぞれです。いろんな種類があったほうが楽しい。しかし依存症である以上は、依存しており、自立できず、それがないと生きていけない。地上のどこを探してもエネルギィをチャージするものがないとわかった人は、惑星とか他宇宙から力を吸い込もうとします。数年前に、ヘミシンクの会で、疲れているのでどうすればいいのかと聞いたら、金星からチャージすれば?と言われて、金星から吸い込むことにしたのですが、するとわたしは金星依存症だ。とはいえ、これは普通の意味での金星ではなくヴィーナストランシットの金星ですが。金星と木星のパラレルなので、他の人よりも金星依存症が多目。なんの依存症になっているのか、分析し、自覚するのは、大切ですよ。気がつくともう依存症ではないが。丸く囲んで、依存症を告白しあう会を開くといいよ。この会では、自分の依存症を懺悔した時、他の人が全員いいね合図をする。ボリウッド・ムービー依存症もいる。「泣き虫しょったんの奇跡」はそんなに悪くないです。奨励会の仲間が部屋に入り浸るみたいに、死後のKは、わたしの部屋にいますが、いまのところ、あの父ちゃんみたいに何も言わないことにする。おまえはまだ三段。


2018年9月14日金曜日

20180914 ちょっとオーディオ話

最初GT2000のトーンアーム無しを手に入れて、saec WE308sxをつけていたのですが、ケーブルの接触が不安定で、あらためて、純正YA39を手に入れてつけてみました。ところが、わたしにはこのほうがWEよりも良いようです。WE308sxは、音が伸びているけど、ワイドレンジなスピーカーと相まっておおげさ、行き過ぎに聞こえる。YA39はほどほどにナローでこじんまり。ちょうどいい感じがします。ターンテーブルの重厚すぎる音の傾向を打ち消してバランスを取ってる。ただパイプ鳴きみたいな音が混じって解像度が落ちてるようです。さんざんな評判のアームですが、わたしには悪くないように聞えます。y31さんの砲金シート使ってます。ヤフオクのレコード、よれよれが多々あるので。



2018年9月13日木曜日

20180913 人間の定義

TさんがQHHTで、サブコンシャスから、wakeupプログラムの手助けのためには、わたしのシステムを使えとしつこく言われたらしいが、わたしのシステムは古い時代に忘れられたものを、わたしが発掘しているだけ。この肉体は現代に生きているので、現代風に少しは脚色されるかもしれないが、この古いシステムを蘇らせるという意味では、わたし自身が古い人で、(そもそもロゴスはその人そのものだから、システムもその人。)同族はギリシャ時代以後この地球には滅多にいない。(最近何人かいることがわかったが。)わたしのバスは老朽化していて、だから新車ピカピカのブルースのバスに乗って驚いた。ブルースはニューカマーだったのです。でも占星術とタロットを使っている人口はきわめて多いね。なので、地盤は十分にある。サソリが鷲に戻るには、大地からそのまま上がるのがいい。世間で使われているタロットと占星術は、地を這うだけで鷲の場所までは飛べないことは誰でも知ってると思うが、古いシステムの姿に戻せば違う。
メンタル体、アストラル体を取り戻すというのは、その人がロゴスであり、象徴的な神話元型であるということになる。で、現代の人間は、こういうものがなく、置き換え可能な替え玉みたいなもので、これはモノとしての人間を主体にするという価値の転換が起きた以後の風潮。だから、映画とかドラマでも、簡単に殺したりする。人間ひとりひとりが象徴であったという時代は、つまりは神が地上に住んでいた時代ということであるが、プラトンやアリストテレスを考えてみると、その人そのものが、もうすでに元型でしょう。わたしが言うのは、人間はこういうところに戻ってくれということだ。それが高次感情センターとか高次思考センターを獲得するという意味でもある。
あの時代に比較して、人間の定義が違いすぎる。akira氏は、かつて神だったが、急いで神に戻らなきゃ。高次なレベルで個性を結晶化させると、地上のいかなる抵抗勢力にも打ち勝ち、不死になる。その存在は絶対的で、比較は不能だ。
ロゴスが人格化するとは、法の化身になること。

昨日、ひさしぶりにヘミシンクのことを思い出すと、左にやってきた人物がいる。そして彼は、わたしの首に何かを巻きつけた。知識伝達に、装飾というか、オブラートというか、子ネタをいれるような感じで展開してほしいという要求だけど、工事のオヤジのタオルみたいな感じもする。国立競技場の近くにいるので、いつも工事のあんちゃんたちの姿を見かける。いつもいくカフェで、そのうちひとりが常連だが、ニッカボッカでアールグレイ飲むんじゃないよと思う。アールグレイはピカード船長のもの。おまえのものじゃない。アールグレイは、頭に電撃が走り、頭が飛び出す。アールグレイ飲んだら、やはりEngage!となることを、お前は知ってるか。




2018年9月12日水曜日

20180912 荷物の違い

究極の意識というか源流はどこか、というのをたくさんの人が探したがる。で、無とか非二元とか、絶対の物質1とかを求めていくが、これはその人の荷物によって、相対的に違う。誰でも何かの印象に無意識に同一化している。これを質量性とか荷物とか、あるいは時には信念体系と言うが、本人からすると、それは同一化している以上は、無いものとみなされる。で、この荷物が重いと、その人が行き着く究極の場所も、他の人からすると、まったく究極ではないことがわかる。ある時期、H6の高次思考の領域、つまり恒星領域のことを話題にしたが、そこに行ったと主張している場合も、よく聞いてみると、実はそれはH24のことだったことも多い。モンロー研のフォーカス番号も面倒なのは、たとえばF35以下は物質世界といっても、それはフォーカス10のことでしょう、という具合に、みなそれぞれ違う定義になっていて、これらはひとえに、その人の荷物は本人にはわからないということから来ている。それぞれの人の無が違うのだ。いろんな体系の創始者はさすがに勘違いはしない。しかしそれを学習している人は、かなりの比率で勘違いする。それぞれの人がプライドを持ち、優位性を誇りたい。とくに仕事でうまくいっていない人は、この領域でプライドを満たしたい。で、人によっていろんな見解がある、というふうに思いがちだが、客観知識は、個人差はない。この客観知識という言い方をしたら、すぐさま主観を取り除いたものと思いがちだが、これは二極化された主観、客観というところで考えてしまうと理解できない。むしろ主観、客観というものをすべて取り込んだ上での、より上位の統合意識のことだ。客観知識において、個人差も違いもない。しかし場所によって表現の言葉が違ったりはする。客観知識はその違いには振り回されない。
興味を持てば貫通されるという理屈で言うと、意識として結晶化できないH1とH3に行くと、その人は、その場で存在しなくなる。個人はもういなくなるし、肉体もなくなる。なので、自分はH1とかH3に行ってみましたといえる人はいない。どうがんばってもそこに行き着かないようにできている。それは保護されているからだ。(大天使、H6の保護)地球の人間は興味をコントロールできない。だから、想念で何かできるようになることもまだ許可されていないし、厳重な禁止事項がたくさんある。


昨日11日から、公開された文章。
http://starpeople.jp/seijingoroku/20180911/893/


乙女の真空管という名前もあるらしい6BM8ですが、3結にするとさらに出力が減って、蚊の鳴くような音になります。やたらに線が細い。ミニワッターよりは大出力です。死にかけたミミみたいだ。


2018年9月10日月曜日

20180910 12サインは宇宙船

今日の朝のZOOM講座は、最大の時39人参加だったそうで、みんながミュートで黙っていて、質問する人のみ音声をオンにするというやり方だと、この人数でも楽々できますね。で、この中でも話題に出ましたが、ホロスコープは、惑星がある場所は、黒ずんだ凝固した場所であり、重要なのは、惑星の場所ではなく、その惑星の軌道の輪っかです。ところが、これだと物質的に存在する、つまり特定の時間空間にいる個人を示さないことになるので、惑星を指定しているわけです。実は生きた場所でなく、死んだ場所を指定するのはおかしいとも言えます。12サイン全部を含む軌道の輪に馴染むということは特定のサインを強調しないで、全サインに馴染むことで、この12サインにポイントをつけるために、遠地点、近地点、遠日点、近日点を考えてみるのは面白いと思うし、ならばノードも考えてくださいねということです。金星のノードはいて座、ふたご座にある。なかなか動きませんが。あと惑星の軌道の距離。だんだんとルネッサーンスッの占星術みたいになるけど。ホロスコープからどんどん個人性を除去していくと、このホロスコープにある宇宙システムを学習する教材になっていきます。実際には「宇宙人になる学校」としては、このほうがいいです。12サインは宇宙船であるというわたしの新説では、とくにそうです。宇宙船は縦には7層あり、これがどこかに行くときに、横にある12個がぐるぐる回っていくという図です。昔あった床屋の表示塔のような。メブレビー旋舞教団のような。惑星の場所を考えたりすると、これは船を錘で止めているということかな。




2018年9月9日日曜日

20180909 神話元型は本人からすると生き物

アストラル体、すなわち神話元型は、本来は非局在的なもので、どういう時代にも普遍的に存在する。シュタイナーによると物質界に興味を持つ性質があるらしい。で、物質界に住む人間からすると、神話元型は美術館の絵のように静止した死物とかモデルのように見えるかもしれないが、物質界に対して細かい反応をしないからであって、神話元型のほうから見ると、物質界の生き物は蝉のように寿命の短い、あまり相手にする必要の無いものに見える。神話元型本人からすると、自分は三次元的に生きていると思っている。で、12サインで、このアストラル体に関連したものと言うと、海王星を支配星とするうお座であり、30度の巨大な石の顔は、アストラル体が結晶化したことをあらわしている。これに協力するサインは水の元素かに座、さそり座で、物質条件とか状況からまったく独立して直立できる音楽のように、自立する聴覚の関連と、箱を作り、この内部に生命感覚を満たすさそり座によって、アストラル体は独立性と充満性を獲得する。神話元型と会話するには、生命感覚を満たして、気の力を固めると通じやすいが、かに座の協力で、空中に何の枠もないところに気の密度の高い充満したものが作れるのならば、その密度が高いほどに、神話元型とは通じやすくなる。でも、ここまでくると、バトラーとかがやっていた魔術儀式のようなものでもありますね。どこかに枠を作り、そこを閉鎖的な王国にしてしまうのは山羊座の性質であるが、かに座は物質的でないところにそれを作り出すことができる。そして音楽のように躍動する。

2018年9月7日金曜日

20180906 空気の中のH12

精神世界分野では、地球がアセンションして、この地球は二分していくという見解がある。この場合、いままでの地球はさらに重くなる。これは法則であって、創造の法則というのは、どんどん硬化して重くなるということだ。そもそもがアーリマンは、ずっと前から地球がほしいと言っていて、この願望は実現したほうがいいので、それに付き合う気のない人が、二分化した地球に移動するというのがあれば、全員が損をせず円満決着です。蛇は脱皮する。龍蛇族は定期的に脱皮して、違う地球に移動している。数年前に、インドに行ったとき、インドの空気にはH12が充満していて感動した。朝、リクシャーでごちゃごちゃした街路を通り抜ける時に、ここは天国だと思ったが、H12とともに漏れなくPM2.5もついてくるので、帰国後三週間は寝込んでしまった。で、日本の空気には、このH12がインドほど多くないなと感じていたが、最近比率が多くなっている。インドの指導者はこれからは蛇使いでなくマウス使いで、と言っているが、ナーギニーの国であることは忘れないでほしい。エーテル体は、物質体を傷つけることでしか関われない。天変地変で、土地が傷つくたびに、日本のエーテル体は多少活性化する。札幌の液状化は、わたしたちの身体のどこに対応するのか。最近の日本の空気のH12含有率の増加を見ていると、これからももっと土地壊すんでないか?と思ってしまいます。H12はH192と連動する。H192はH12の舎弟だ。元気な空気の渦。

2018年9月5日水曜日

20180905 ヘカテ

ヘカテは、人のいない深夜など、十字路か三つ辻に犬を連れてやってくる。十字路と三つ辻の違いも考えなくてはいけないが、このポータルを使って、もうひとつの地球に案内する。ポータルは町の中にもある。九年間かけて、リリス的身体ができたら、その後は、ヘカテが道案内をするという意味では、リリスとヘカテはお仲間か。でも道祖神としては、ヘカテはヘルメスと仲間。Lシフトは90度ですが、この曲がり角は、十字路で、八街も90度は含むが、三つ辻は90度ではないです。T字路なら、90度はある。アンドロメダは、岩とかコンクリの壁にもたれかかっているが、ヘカテは十字路に突っ立っている。カメラを持って、町を撮影しようとすると、曲がり角とか交差点で、「ちょっとここおかしいな」と思うところは誰でもありますが、ポータルを解明するまでは、ずっとその場所の写真撮り続けたくなるはず。30代のはじめころに、荒れ果てた場所にある直立した土管にこだわり、この土管ばかり見ていた時期がある。その時は、オリンパスのOM1で、ズイコー35ミリが好きだったのは、この土管の色合いがうまく出ていたから。で、いまは土管よりも、十字路にもっと関心持つほうがいいかなと思った。貞子の出入り口よりも、ヘカテの突っ立った場所。金星冥王星より月冥王星。この犬の目は、果てしない暗闇ですよね。




2018年9月4日火曜日

20180904 リリス

面壁九年は、現代ではもう一般語になってしまった。つまりずっと集中してわき目もふらずという意味。達磨大師は壁に向かって九年間瞑想して悟りを開いたということから来ているという話だが、悟りならそのずっと前から開いている。で、九年間壁の前に座っていたというのは、身体を動かさないで、植物的知覚のほうをメインにしたということとか、分身を作って、それに乗り換えることの探索にこんなに時間をかけたということだ。これは悟りとはまた別の話だが、無関係ということでもない。悟りを開いた人でないと、おかしな方向に脱線するだろう、ということはあるからだ。この場合、キーワードは9年ということで、これで思いつくのは、エニアグラムとか、またリリスの周期だということだ。リリスが悪く言われる理由は、普通の世間的な生活にいつも従わないからだ。支配者の言うことを聞かないのはみな邪悪な存在と言われる。リリスは大地に下りてこない。木の中腹に住んでいる。そしてこれが知られていないことだが、リリスにはジェンダーが無い。ジェンダーがあれば大地に下りることはできる。リリスの本性はもともとは鳥族だ。別種族が地球に迷いこんできたので、だから世間的に従属できず、木の中腹で、世間を見ていたのだろう。そういえば、鳥貴族もビルの上のほうに店舗があり、一階には決して降りてきませんね。9年で12感覚を一巡すると、感覚はみなシフトする。すると達磨大師の言うような「気化」が進む。わたしがリリスに会った時、リリスは「地上には植物のはえていない禿げ地がある」と言っていた。リリスはそこに行けないんだと。といっても、最初から地上には行く気はないだろう、という突っ込みは入れないことにした。かぐや姫はこの妹のようなものだ。

2018年9月3日月曜日

20180903 7つのセンターはひとつも欠けてはならない

人間の7つのセンターは、全部機能しないと、完全な人間にならない。ひとつ欠けてもいけない。この7つで、H48からH6までが揃う。高次でないセンターには、H48からH24まで。性センターは本来はH12で機能するべきであるとは言われている。通常の思考とか地球の平均水準の振動はH48で、H24は秀逸な能力とか人間性を示していて、社会の中で頂点的なもの、指導的なもの、いまの言葉で言う神ナントカ、神という言葉をつけたりするのはだいたいH24を示している。たとえば伝説の家政婦志麻さんは、テレビで見ていると、どんな要求をされても時間どおりに料理ができる。こういう人、いわゆるプロというのがH24のことだ。何かの仕事を20年とか30年とか続けてその分野で成功することがH24育成になる。もちろん子育てでもいい。で、高次感情センター、アストラル体に対応するH12は、大量のH24がないと育たない。H6は大量のH12がないと育たない。下の水素は、雛を育てる餌みたいなものなのだから。H12とH6の高次なセンターの共通した特徴は、個人性が完全に除去されていることだ。これらは非局在的であり、非局在的ということは、個人性がないということだ。アストラル体は印象とかイメージを受け取る能動体であると書いたが、このイメージは個人的な体験で受け取るイメージのことではない。H12の高次感情は、崇高な感情とか、言葉で表現不可能な感動とか、シュタイナーの言う畏敬の念とかだが、これを体験した時、個人性は取り除かれている。個人の枠の中に入れたとたんに、この高次感情の振動は影も形もなくなってしまう。で、グルジエフは誰もが高次なセンターは存在しているが、問題は低次なセンターだと言った。これらが高次なものに同調しなければ、高次なセンターはないに等しい。高次なものを受け止めるために低次なセンターにできることと言えば、開け放つことだ。青空に抜けていくような。わたしはいくつかの本で、ほとんどの人は自由を勘違いしていると書いた。自分が好きなことをするのは自由ということではない。むしろ自分が持つ癖、好みに隷属することなので、好きにすることは自由とは反対の行為だ。こういう勘違いの自由も、高次なセンターとつながらない理由になる。

H24が安定して育っていない場合、微量にH12を持っても、だいたい失われていくことが多い。H24の「専門家的サトリ」は必要だ。H12の高次な感情成分を育成するのに、一番手っ取り早いのは、クラシック音楽を楽しむことではないか。すべてのクラシック音楽ではなく、良質なクラシック音楽。たとえば、いまわたしはベートーヴェンの後期SQを聴いている。歴史的に長く残っているものは風化しないもの、つまりは不死なもので、こういうものにはたいてい高次感情H12が含まれている。客観芸術というのはだいたいH12の芸術で、また神話的言葉として、イエスの言葉はH12の言葉だと考えると良い。(具体的な説明がおよそ除去されている。今日の料理はうまいな、というようことをイエスは絶対言わない。)イエスの言葉を多くの人が解釈するけど、だいたい間違っているように感じます。なぜなら解釈した段階で間違いになる。あれがただしい、これがただしくないという考えもやはり間違えてしまっている。


占星術のシステムには、この高次な感情と高次な思考の要素がほとんど含まれていない。それどころか全惑星意識24も、言われなければ気がつかない。つまりこの惑星すべてあわせたら全惑星意識だと。占星術の太陽もH48だ。で、ここに、高次感情と高次思考の要素を組み込もうとしており、たとえば惑星はその受け皿として機能する要素もある、など。これらはかなり力技になってしまう。この力技のために、今回の本は時間がかかっている。(一日1時間しか書けなくなってしまっている。)結局今日の占星術は本来の姿の残骸であると言われているのは、このあたりだろうが、高次感情と高次思考を組み込んでも、すべてを知的に捕らえて分析してしまうので、多くの人がその中身を忘れたまま、形だけで見てしまうことになりやすい。これはかまわないかもしれない。たいていそうなので。つまり手がかりを残しておけばいいという話だ。

恒星探索会を主催する人で、参加した人が果たして恒星に行ったのかどうか判断するのに、恒星を感受するのは高次感情センターであり、それが機能すると、かならず打たれるような感動的な要素、あと、「無」というものが入るので、そのあたりで判断してほしい。話している内容にそれがかならずあらわれる。語られるイメージで判断しようとしても、それは無駄だ。どうして無の要素が必要かというと、恒星に行く前に、無の障壁がある。それを乗り越えなくては行けない。日常意識の延長のイメージには、この無の気配というものがない。重く退屈なイメージはたいていH48。ちゃんと到達した人は、だいたいこの記憶を一生忘れない。忘れられない。人生がそれを中心にして回るようになる。なにをして、なにを考えても、そこに戻る。またそこに行けるなら死んでもいいと思うようになる。



2018年9月1日土曜日

20180901 荷物をとりはずす

自己想起練習というのは、自分が無意識に同一化している印象、価値観、感情とか、イメージとかを次々に引き離すというもので、段階的に、純度の高い意識に戻る。これはタロットカードの11力のカードの、下半身からライオンを引き離して、それを見つめているという絵に描かれている。
この同一化によって無意識に張り付いているものを荷物と呼ぶが、荷物が重い人はもちろんその人そのものが重い。この荷物のことを自分の意識だと思い込んでいる。でも、自己想起が大変なのは、この自己同一化によって自己が不在になっている時、不在になっている以上は、その人にはその荷物は無だということ。指摘されても気がつかないのがほとんど。

H1は絶対の意識をあらわしている。絶対というのは意識が成り立たない。意識は何かに射出することでしか成り立たない。で、射出する対象は、概念とか思念とかイメージとか感情とか、想念とかいろいろだが、これらはみな対象であり、それとのかかわりによってはじめて意識があることが証明される。H1はこの主体と対象という二極化が成り立たないので、ここに意識は存在しない。
次に、H6は、能動を1とし、射出される対象を2として、この関係性の安定したセットを3とする。1と2と3を足してH6とみなす。この宇宙では究極の「意識が存在する」という状態をH6とする。ここでも、思い描くイメージというものはまだ存在しない。受動2は限りなく軽く希薄なので、これをイメージ化することはおよそ不可能だ。

で、このH6意識は、世界を体験したいと思って、自己を分割した。これがH12で、アストラル体ということになるが、アストラル体は、イメージとか思念とか想念とか気持ちとか感情とか印象とか、つまりこれらの世界の諸属性を味わうための計測器みたいなもので、世界を味わう基本スタイルをあらわしていると思うといいかもしれない。いろんなアストラル体があるが、これは世界をいろんな角度から味わい体験するということだ。H6には、この世界を体験するというボディがない。
色とりどりの印象をアストラル体と考える人がいるが、これはアストラル体が対象化して味わった結果のものを示していて、アストラル体は、この色とりどりの印象のことではない。アストラル体の基本は、太陽が自らを二極化して、太陽系の中に片足突っ込んだ姿だ。二極化太陽の周囲には色とりどりあるが、太陽そのものはまったく色とりどりでなく、中心でじっとしている。ひとつの世界を体験するための能動体のようなもの。平塚らいておの、元祖女性は太陽であったというときの太陽は二極化太陽なので、これをアストラル体と呼ぶといいのでは。アストラル体の基本は、世界を体験したいという「欲」のボディ。アストラル体は欲体かな。
わたしは恒星探索つまりH6探索の講座をしましたが、H6探索は、イメージで探索できないので、そこに誰かいたとか、都市があったとか、宇宙人がいたとかは、実はありえない話です。H6に対してはイメージ作用は重すぎて、この荷物が原因でたどり着けない。イメージがあるということは、H12探索です。
シュタイナーは、ブルックナーの音楽には、きれぎれだが、メンタル界があると言う。ベートーヴェンにもバッハにもありますよ。もちろん音楽には、イメージ、情感などが張り付いているので、そこに着目するのでなく、根幹にあるものを聴いてほしいという話ではありますが。で、クラシック音楽のfacebookを時々見ていますが、バーンスタインのマーラーは素晴らしいと書いてあったりするけど、マーラーって、メンタル界には届かないよなーといつも感じます。でもクラシック音楽のファンの話題で、こういう話題はそりゃ出ませんね。マーラーはわりに死の恐怖を感じていた。メンタル界意識には死の恐怖などありはしないのは当たり前です。アストラル体にもそんなものはないです。こういういろんな荷物を背負うことで、音楽はどんどん純度を失っていく。