2018年9月29日土曜日

20180929 水晶球は未来を見せない

ノストラダムスとかが、水晶球やデルフォイの水盤の中に見た映像は、地球の未来ではない。というのも水晶、黒曜石などで見る場合、すべてエーテル物質の上に映像を乗せる。エーテル体は、地上の物質性にある程度協力的なものもあるが、大半は物質界に従属しないし、エーテル体は物質の随伴機能ではなく、物質が随伴機能なのだ。つまり水晶などの映像は、物質的地球の映像を映す気はないことが多い。エーテル体が復権すると、地球の未来などどうでもいいと思うだろう。ならノストラダムスやジョンディーが見ていたものは何かというと、まさに、7つのうちの一番下のエーテル界だ。それは第二地球とかシフトした地球と考えてもいい。パラレル地球はこの地球と時々近づき重なるように見えて、実は重ならない微妙に違うもの。わたしは水晶を見ていた時、いつも中国の山を見ており、深い谷があり、その上を中国の映画のように飛んでいた。これは仙人が見ている光景だ。また、ある神社をきわめて克明に映像としてみていたが、周囲をぐるっと回っても名前とか表札がなかったので、なんの神社かわからなかった。これは神社というものの元型を見せてきたもの。エーテル領域に建物を構築するのは、山羊座を意味している。これで、その場所が現実とみなされるようになる。ただエーテル界においての現実世界というのは神聖さを取り除いていないということで、神社になるわけです。それぞれ映像は克明なのであたかも物質界を見ているように見せていたが、パラレル地球以外の何ものでもない。で、水晶球とか黒曜石がパラレル地球を見せてくるということのほうが、今後は実用的だ。つまりシフトしたい人は、この受像機で様子を見ればいいからだ。たぶんエーテル体が復権して物質界の随伴機能という地位に甘んじなくなると、水晶は未来を見たり、遠くを見たりということを拒否するようになる。ノストラダムスの予言を見て、なんか変だなーといつも思っていた。またノストラダムスの死んだときの状況を読むと、あきらかにノストラダムスは仙人化した。わたしはこの状況がどこかグルジエフと似ていると思っている。仙人になる人は、たいてい地上生活には協力的ではない。協力的なら仙人にはならんわ。
わたしはタロットによるスタピ回帰と分身づくりを説明している時に、尸解仙のことは意識していなかった。尸解仙はもっとも抵抗の少ない方法論かもしれない。仙人になるいくつかの方法について専門家のほうから書いて欲しいと思ったのは、タロットにはこういう尸解仙のことは念頭にないからだ。

ノストラダムス関連で言うと、1999年にわたしのところに来たタロットの母みたいなものは、次回は2035年にやってくる。これは145番サロスのカウントで言うと、1999年発見、2017年包み込み、2035年一体化という話になるのだが、その前に、1981年に、わたしはスピカに行き、スピカ星人を地球につれてきた。つまりその行き来の回路が開いた時期ということだ。なので、わたしはこの145番筋サロスで、自分の予定表を作らざるを得ない。人生はそのリズムで進んでいる。スタピ回帰プログラムとしては、二回目以後は尸解仙で、三回目からは羽化というふうになるだろう。これは二回目は分裂という意味で、肉体と中身が分裂するからだが、三回目はくるくる回る羽根が出来てしまう。ただ仙人はアストラル体になるという話で、ユクテスワと同じだが、タロット母はメンタル体に該当するもので、ロゴスそのものを身体とする。タロットもロゴスを絵柄にしたもの。この路線で行くと、メンタル体がアストラル体とエーテル体の皮を被ったものとなる。アストラル体に関しては、そのあたりのボロを纏ったので、かなり雑。実際わたしのエーテル体は法則の貫通という体型を持っているが、こうなると伝説で言われている仙人のイメージとは微妙に違うね。韓国のほうだったか、空中にいったん消えた導師は、また戻ってきて、書き残した経典を書いた。そしてまたあらためて消えたという。経典を書くことだけが地上との接点というのはよくある話ではないか。



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